Archive for 7月, 2016

Date: 7月 11th, 2016
Cate: 憶音, 録音

録音は未来/recoding = studio product(続・吉野朔実の死)

2002年10月から2003年12月いっぱいまで、渋谷区富ケ谷に住んでいた。
最寄りの駅は小田急線の代々木八幡だった。

まだ高架になっていない。
踏み切りがある。駅も古いつくりのままである。
私鉄沿線のローカル駅の風情が残っている、ともいえる。

電車が通りすぎるのを待つ。
踏み切りが開く。視界の向うには階段がある。
山手通りへと続いている階段だ。

この風景、どこかが見ている。
どこで見たんだろう……、と記憶をたどったり、
手元にある本を片っ端から開いていったことがある。

ここで見ていたのだ、とわかったのは数ヵ月後だったか。
吉野朔実の「いたいけな瞳」の、この踏み切りがそのまま登場しているシーンがある。
一ページを一コマとしていた。(はずだ)。
印象に残っているシーン(コマ)だった。

「いたいけな瞳」は最初に読んだ吉野朔実の作品であり、
最初に買った吉野朔実の単行本だった。

あの風景は現実にあるのか。
記憶と毎日見ている踏み切りと階段の風景が一致したときに、そう思った。

今日ひさしぶりに小田急線に乗っていた。
代々木八幡駅を通りすぎるとき、この風景は目に入ってきた。

そうだった、吉野朔実はもう亡くなったんだ……、と思い出していた。

オーディオとは直接関係のないことのように思えても、
記録、記憶、録音、それから別項のテーマにしている憶音などが、
この風景と吉野朔実とに関係していくような気がした。

Date: 7月 11th, 2016
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その7)

いま、オーディオの世界でESSといえば、
D/Aコンバーターのチップで知られるESS Technologyを指すようだが、
私くらいの世代まで上ってくると、ESS Labsのことである。

このESSには、ずっと以前ネルソン・パスとルネ・ベズネが働いていた。
ESSのロゴはルネ・ベズネのデザインである。

ESSはハイルドライバーで有名になったメーカーだ。
ESSのスピーカーは、ブックシェルフ型の普及クラスのモデルから、
フロアー型のフラッグシップモデルまで、すべて2ウェイでトゥイーターはハイルドライバーを採用していた。
いまではハイルドライバーよりも、AMT(Air Motion Transformer)のほうが通りがいい。

ESSのスピーカーの上級機種になると型番はamtから始まっていた。
ESSはヘッドフォンもつくっていた。MK1Sというモデルで、もちろんハイルドライバーを使っている。

1970年台の終りころ、日本では平面振動板のスピーカーが、一種のブームになった。
各社からそれぞれに違った構造、違った素材の振動板の平面型スピーカーが登場した。

コーン型につきものの凹み効果が発生しない平面振動板。
さらに振動板のピストニックモーションを考えても、
スピーカーとしての理想に確実に近づいた印象を私は受けてしまった。

当時は田舎町に住む高校生。
平面振動板のスピーカーシステムは、どれも聴く機会はないまま、
あふれる情報によって、それがあたかも理想に近いモノとして認識しようとしていた。

けれど数年後、実際の音を聴き、オーディオの経験を積んでいくうちに、
振動板の正確なピストニックモーションが、部屋の空気をそのように振動させているわけではない、
そのことに気づくようになってきた。
このことは以前書いている。

部屋の空気を動かすことに関して、平面振動板が理想に近いとは思わないようになってきた。
だからといって平面振動板のスピーカーシステムが聴くに値しない、といいたいのではない。
振動板の動きイコール空気の振動ではない、ということだけをわかってほしいだけである。

そう考えるようになってハイルドライバーのことが気になってきた。
ハイルドライバー(AMT)は振動板を前後にピストニックモーションさせているわけではない。

Date: 7月 11th, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その35)

フィデリティ・リサーチのFR7の対極にあるカタチのカートリッジといえば、
オルトフォンのConcordeシリーズである。

どちらもシェル一体型だが、スマートさにおいては両極端の存在である。
ConcordeはMI型がメインだったが、MC型のMC100、MC200も発売になった。

Concordeシリーズのカートリッジをトーンアームに取り付けて、
FR7と見較べてみると、このふたつのカートリッジのスタイルの違いは、はっきりとしてくる。

さらにオルトフォンには、
SMEのトーンアーム3009 SeriesIIIの交換パイプと一体型のSME30Hもある。
FR7は3009 SeriesIIIには取り付けられないので、
別のトーンアーム(例えばFR64S)に取り付けてみると、
カタチの違いはもっとはっきりとしたものになる。

どちらがよくて、もう片方がダメというようなことではなく、
どちらもアナログディスクの音溝をトレースするオーディオ機器であり、
アンプやスピーカーとは異り、サイズ、重さに制約を大きく受けるカートリッジであっても、
これだけ、その世界が大きく違うことは、アナログディスク再生の奥の深さでもあり、
私にとっては、どうしてもFR7のカタチが受け容れ難いのかを認識させてくれる。

これから書くことは、FR7を愛用されている方からすれば、怒りを買うかもしれない。
それでも、FR7を見ていると、昔も今も感じることに変りはなく、
どうしても気になってしまう。
そして、もしかすると瀬川先生かFR7を無視されているのは、同じ感じ方をされていた……、
そんなふうにも思ってしまう(まるで違う可能性も否定しない)。

FR7の傾斜している部分に丸がふたつある。
これが目のように見えてくる。
そうなると、FR7が何か動物の頭のように思えてしまう。
さらに針先の位置を表すための縦のラインが入っている。

そんなふうに受けとっているのはお前だけだ、と言われそうだが、
FR7のカタチは男性ならば毎日数回は接している体の一部を、あまりにもイメージさせる。
つまり性的なもののイメージである。

オーディオのデザインとして性的なイメージを感じさせるものがダメなのわけではない。
性的なイメージが、ヒワイなイメージとなってしまうのが、受け容れ難いのだ。
ようするに洗練されていない、と思っている。

Date: 7月 11th, 2016
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その30)

アナログプレーヤーの出力ケーブルが売られているということは、
簡単に交換できるからでもある。
つまりなんらかのコネクターを使っているから、ケーブルの着脱が用意に行える。

だがコネクターは接点である。
接点はそのままにしておけば経時変化によって、接点のクォリティが劣化していく。
それも急激におこる変化であれば、音の変化としても大きくあらわれるが、
徐々に変化するため、音の変化(劣化)もゆるやかに進行していく。
そのために気づきにくい、ともいえる。

接点はオーディオシステムのあらゆるところにある。
つまり接点のあるところでは、この劣化が進行しているわけだが、
アナログプレーヤーの出力は、再生系のシステムの中でも信号レベルがもっとも微小である。

そのため接点の影響を受けやすい。
接点を定期的に適切なやり方でクリーニングしていればいいけれど、
アナログプレーヤーの場合、機種によってはめんどうなことがある。

アナログプレーヤーの背面にRCAジャックを設けられているタイプであれば、
クリーニングはさほど面倒ではないが、
トーンアームの根元から出力ケーブルを交換するタイプとなると、
アームベースを取り外して行うことが多い。

慣れてしまえば、面倒だとは思わない人もいるだろうが、
それでも取り扱いの注意を怠ってはいけないことは変ることはない。

出力ケーブルを交換できるメリットもあるが、
交換できることによるデメリットもある。

Date: 7月 10th, 2016
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10・その13)

その4)でSL1200も標準原器だと書いた。
けれど、SP10他、テクニクスの標準原器として開発されたモデルとは、
標準原器として意味合いが違う。

SL1200はあくまでもディスクジョッキーにとっての標準原器であり、
標準原器として開発されたモノではなく、
ディスクジョッキーによって広く使われることによって標準原器となっていったモノだから、
テクニクスがSL1200を復活させるというニュースを聞いたとき、がっかりしたものだった。

昨年の音展では、テクニクスのダイレクトドライヴのプロトタイプが展示されていた。
アクリルのケースの中で回転していた。
それを見て、テクニクスはSP10に代るターンテーブルの標準原器を開発しようとしている、
そういう期待を勝手にもってしまった。

けれど実際に製品となって登場したのはSL1200である。
このニュースを聞いて、テクニクスの復活は本ものだとか、
さすがテクニクス、とか、そんなふうに喜んだ人がいる反面、
私のように、テクニクスに標準原器を求めてしまう者は、がっかりしていたはずだ。

テクニクスは名器をつくれるメーカーとは私は思っていない。
SL1200を名器と捉えている人もいるようだが、そうは思っていない。
最近では、なんでもかんでもすぐに「これは名器」という人が増えすぎている。

テクニクスは、そのフラッグシップモデルにおいて標準原器といえるモデルをつくれるメーカーである。
そう考えると、テクニクスというブランド名がぴったりくる。

だが新しいテクニクスは、以前のテクニクスとはそこがはっきりと違っている。
少なくともいまのところは。

テクニクス・ブランドの製品が充実してくれば、それでテクニクスは復活した、といえるのだろうか。
簡単に「これは名器」といってしまうような人であれば、
テクニクスは復活した、と捉えるだろうが、
以前のテクニクスを知り、テクニクスのフラッグシップモデルを知る者にとっては、
いまのテクニクスは、新生テクニクスかもしれないが、
テクニクスの復活とは思いたくとも思えない──のが、本音ではないだろうか。

Date: 7月 10th, 2016
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10・その12)

名器ではなく標準原器を目指していたとしても、
アナログプレーヤー関連の製品においては、
ターンテーブルとカートリッジとでは少し違ってくる面がある。

テクニクスのEPC100Cは、MM型カートリッジの標準原器といえるモデル。
SP10はターンテーブルの標準原器といえる。

カートリッジは標準原器として存在していても、
その性能を提示するには、カートリッジ単体ではどうにもならない。
トーンアームが必要であり、ターンテーブルも必要とする。
もちろんアナログディスク(音楽が収録されたもの、測定用)を必要とする。

アナログプレーヤー一式が揃わないと、標準原器としての性能は提示できない。
一方ターンテーブルはといえば、
トーンアームもカートリッジがなければどうにもならないモノでもない。

粛々とターンテーブルプラッターが回転していれば、それである程度は提示できる。
SP10の場合であれば、キャビネット取り付けることなく水平な台の上に置いて、
回転させていればいい、といえる。
ターンテーブルプラッターに手を触れたりスタートボタンを操作することができれば、
単体で提示できる性能は増える。

測定には測定用レコード、カートリッジ、トーンアームなど一式が必要となる項目もあるが、
ターンテーブル単体でも測定できる項目もある。

ターンテーブルは単体で動作(回転)することのできる機器である。
アンプは電源を入れただけでは動作しているとはいえない。
やはり入力信号を必要とする。

スピーカーもそうだ。単体でどうにもならない。
入力信号があってはじめて振動板が動き、動作している状態といえる。
しかもターンテーブルは、プレーヤーシステムを構成する一部(パーツ)にも関わらず、
単体で動作できる。

スピーカーシステムを構成する一部(ユニット、エンクロージュア、ホーンなど)で、
単体で動作できるものはない。

こういうターンテーブルならではのある種の特異性が、
SP10のデザインを生んだとすれば、
テクニクスがどんなにあのデザインを酷評されようと細部の変更を除き、
まったくといっていいほど変更しなかった理由がはっきりしてくる。

Date: 7月 10th, 2016
Cate: 型番

JBLの型番(075)

ステレオサウンド別冊HI-FI-STEREO GUIDE(年二回発行)を最初に買ったのは、
中学三年のときだから、Vol.6がそうである。

HI-FI-STEREO GUIDEは、カタログ誌である。
だからといってHI-FI-STEREO GUIDEを否定するようなことは書かない。
カタログ誌は必要なものだという認識だからだ。

むしろ2000年末の発行で最後になってしまったことを残念に思っているくらいである。

HI-FI-STEREO GUIDEを見ていて感じたのは、
ステレオサウンドの編集方針として、総があるということだった。
ステレオサウンド本誌の特集記事もそうだが、総テストと呼ばれる。
とにかく集められるだけのモノを集めてテストする。

HI-FI-STEREO GUIDEも市場で売られている全製品を網羅することを基本とする。
スピーカーやアンプといったオーディオ機器だけでなく、
アクセサリーも、マイクロフォンスタンドやラックまでも含めて掲載されていた。

総テストもそうなのだが、できるだけ集めることで見えてくるものがあるからこその「総」であり、
HI-FI-STEREO GUIDEもジャンルごと、ブランドごとに相当な数がまとめられいてることで、
気がつくことがいくつもあった。

そのひとつがJBLのトゥイーター075の型番のことだった。
当時はJBLのユニットはかなりの数揃っていた。
その中にあって、075と077だけが、型番が0(ゼロ)から始まっているのに気づいた。

コンシューマー用、プロ用すべてのJBLのユニットの型番を確認しても、
0から始まっている型番のユニットはなかった。
最初はトゥイーターだから、と思ったけれど、コーン型トゥイーターのLE20は当てはまらない。

その理由に気づくのは、HIGH-TECHNIC SERIESの四冊目、トゥイーターの号が出たからだった。
巻頭のカラーグラビアにダイアフラムの写真が写っている。
075、077のダイアフラムはドーム状ではなく、リング状であり、
その形はO(オー)であり、0(ゼロ)ということなのだ、と。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

8月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

先日のaudio sharing例会で、常連のHさんから「藤倉大って、知ってます?」ときかれた。
現代音楽に疎い私は、名前も聞いたことも見たこともなかった。
Hさんの「藤倉大って、知ってます?」は、
藤倉大氏の、さきごろ発売になった「my letter to the world」を聴かれてのものだった。

「my letter to the world」に収録されている録音はもとはライヴ録音ということ。
藤倉大氏にとって、コンサートホールでの音は、
藤倉氏の頭のなかで響いている音とはずいぶん違うものだったらしい。

そのためCDにするにあたって、自分ひとりでマスタリングして、
徹底して頭の中に響いているイメージとおりの音に仕上げていってた、ということ。
細かなことはCDについてくるライナーノートに書いてあるそうだ。

Hさんはもう少しこまかなことまで話してくれた。
その話を聞きながら、マーラーが現代に生きていたら、まったく同じことをやっただろう、と。
そんなことを思っていた。

「新月に聴くマーラー」では、いわゆるコンサートホールで聴ける音によるマーラーではなく、
徹底してオーディオを介在させた音によるマーラーを鳴らしたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(その4)

マランツのModel 7のデザインは完全な左右対称ではなく、
電源スイッチ側にある四つのツマミの径は、反対側にある四つのツマミよりも小さい。

ほんのわずかだが左右対称を崩してある。
DEQXが自動補正した音から、ほんのわずかな違和感のようなものをとりのぞくには、
同じ作業が必要ということだった。

バランスを崩す、といってしまうと正確な表現ではなくなってしまうし、
間違って伝わる可能性も出てくるのだが、
感覚的には、それはほんのわずか崩す、といったものであることは確かだ。

小学校のころ、こんなことが少し流行った。
正面写真のセンターに鏡を置き、
左半分の顏だけの顏、右半分だけの顏をつくる。
どちらの顔も、写真の顏とは違ってくる。

つまり人の顔は一見左右対称のようであって、完全な左右対称ではない。
美男美女といわれる人の顔は、より左右対称である、ともいえる。
それでも完全な左右対称な顔の人はいない。

もし完全な左右対称の顏をもつ人が現れ、
しかも左右対称の表情をしたら、それをわれわれはどう感じるのだろうか。

DEQXを始め、同種の機器の自動補正のプログラムは、人間が作ったものではあるけれど、
けれどいまのところは、どこか左右対称のような自動補正をしているのではないか、
そんな気がしないでもない。

どの機器も使ったことがないので、友人の感想を聞いてそう感じているだけにすぎない。
そして思うのは、自動補正で得られた音は、完璧なバランス、
もしくは完璧なバランスに近いものなのか、ということだ。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(その3)

1981年にdbxの20/20が登場した。
10バンドのグラフィックイコライザーであり、
それまでのグラフィックイコライザーになかったマイクロフォンが付属していた。

10バンド分割イコライザー/アナライザーと呼ばれていた20/20は、
マイクロフォンでの測定が可能なだけではなく、
20/20搭載のアナライザーによる自動補正が可能だった。

20/20以降、自動補正のイコライザーがぽつぽつと登場するようになってきた。
20/20は信号処理はアナログだんだが、いまではデジタル信号処理を行うようになり、
20/20のよりも精度も高く、バンド幅も狭くなり、
より細かな自動補正が可能な機器がいくつも登場するようになった。

それらの中にDEQXがある。
現行の、この種の製品の中では早くから登場していた。
私は試したことがないが、友人がDEQXの音を聴いている。

DEQXの効果は、非常に大きいものだ、ということだった。
そうだろう、と思う。

ただDEQXの自動補正のまましばらく聴いていると、
違和感のようなものを感じはじめるようになるそうだ。

ここでことわっておくが、DEQX固有の問題ではない、と思っている。
おそらく同じことは、他の同種の機器でも起ると思われる。
DEQXの名をここで出しているのは、たまたま友人が試聴する機会を得ていたからだけだ。

友人はDEQXを高く評価している。
これもそうだろうと思う。
ただ、DEQXの音をそのままでの評価ではなく、自動補正が行われた後、
細かな微調整を施した音は、ほんとうに素晴らしいということだった。

このDEQXの話を聞きながら思っていたことがいくつかある。
そのひとつはマランツのModel 7のデザインについて、
瀬川先生(もっと以前には岩崎先生)が書かれていたことである。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: 価値か意味か

価値か意味か(その4)

瀬川先生の著書「オーディオABC」の下巻を手に入れた。
古書店を探し廻って見つけた、のではなく、
先日のaudio sharing例会のときに常連のKさんが、「そういえば……」と教えてくれた。

おかげで手に入れることができた。
上巻は、もちろん持ってる。
自分で買った一冊だけでなく、瀬川先生の遺品の二冊も持っている。
上巻が三冊あるのに、下巻が一冊もなかった。

「オーディオABC」に書かれていることは、
新潮文庫の「オーディオの楽しみ」にも、大半が書かれている。
だから下巻の内容は「オーディオの楽しみ」でほとんど読んでいる、とはいえる。

上巻の内容は、スピーカー、アンプ、アナログプレーヤー、それに音についてであり、
下巻は、チューナー、テープデッキに関する内容となっている。

おそらく「オーディオABC」は上巻の方が売れているはずだ。
上巻は何度か古書店で見かけていたが、
下巻を見かけたことはあっただろうか……、と記憶をたどってみてもなかったと思う。

いまチューナー(FM放送)の知識は、どれだけ必要だろうか。
テープデッキに関しても、「オーディオABC」に載っているのはアナログ方式のものである。
そう考えると、「オーディオの楽しみ」は持っているし読んでいるから、
「オーディオABC」の下巻は、私にとって必要な本だったのかといえば、
知識を得るという意味では、必要はなかった、といえる。

「オーディオABC」の下巻の価値は、どうだろうか。
私が購入した店では2000円(税抜き)だった。
それがたまたま半額セールで1000円(税抜き)になっていた。

「オーディオABC」の下巻の定価は1000円。
39年前のオーディオの書籍が、当時の定価の倍の値段ということは、
その店は、その価格で売れる本だという判断の元の値付けである。

けれど売れなかった。
売れないからこそ、半額になり特売品のワゴンの中に入れられていた。

これが、この本への思い入れとは無関係なところでの商業的な価値ということだろう。

今回はたまたま1080円で買えた。
半額セールではなく2160円だったら、どうしたか。
やっぱり買ったはずだ。

私にとって「オーディオABC」の下巻は、2160円の価値は最低でもあるということなのか。
ならば3240円だったら、どうしてたか。買わなかったかもしれない。
もっと高い価格、たとえば5000円をこえていたら、買っていない。

こんなことを考えているのは、「オーディオABC」の下巻は私にとっての価値が、
どういうものなのかがはっきりとつかめないからで、
価値がはっきりとしないものにお金を払うということは、
本の価値ではなく、本の意味を求めての行為なのかもしれないのだ。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その1)

1981年春、東京で暮すようになった。
行きたいところがあった。
そのひとつが、日本楽器銀座店だった。
目的はAUDIO CYCLOPEDIA。

AUDIO CYCLOPEDIAのことは、池田圭氏のラジオ技術の記事で知っていた。
そこには日本楽器銀座店の書籍売場にある、とも書いてあった。
1700ページ超の分厚い本で、15800円した。

そのころの私には、かなり高価な買物だったけれど、ためらわず買った。
全文英語である。
読破したとはいわないけれど、この本から学べたことは多い。
AUDIO CYCLOPEDIAがなかったら、いまの私のオーディオの知識はどう違っていただろうか。

AUDIO CYCLOPEDIAを入手した約半年後にステレオサウンド 60号が出ている。
マッキントッシュのXRT20が誌面に登場した号である。

24個のトゥイーターコラムが、ウーファー・エンクロージュアから独立した恰好は、
それまでのスピーカーにはなかった形態であった。

けれど同時に既視感もあった。
AUDIO CYCLOPEDIAに載っていたボザークのP4000Pというスピーカーの写真を見ていたからだ。
P4000Pは、日本に輸入されていたモデルでいえば、B4000A Moorishにあたるはずだ。

ボザークのことは知っていたとはいえ、
井上先生がステレオサウンドに書かれたもので知っていたくらいである。

ステレオサウンドに載っていたボザークの写真は、常にネット付きのままだった。
ユニット構成がどうなっているのかは知っていたけれど、
写真で見るのと文章だけで想像するのとでは、やはり違う。

AUDIO CYCLOPEDIAで、P4000Pのユニット配置の写真を見ていた私は、
XRT20のユニット配置に、近いものを感じていた。

P4000Pは30cmウーファーを縦に二発、その上に少しオフセットして16cmのスコーカー、
その横にコーン型トゥイーターが縦に八発並ぶ。

XRT20はトゥイーターコラムとして独立しているとはいえ、よく似ている。
エンクロージュアは、どちらも東海岸のスピーカーらしく密閉型である。

それからボザークはネットワークは一貫して6dB/octスロープを採用していた。
XRT20の初期型も、基本的には6dBスロープだと聞いている。

他にもいくつかの共通項を、このふたつのスピーカーからは見出せる。
そして思うことがある。

XRT20を、井上先生だったらどう鳴らされただろうか。

XRT20は菅野先生が高く評価、というより惚れ込まれて自宅に導入された。
上杉先生も導入されているけれど、やはりXRTといえば菅野先生のイメージが強く濃い。

こんなことありえないのだが、もし菅野先生がXRT20に惚れ込まれなかったとしたら……、
意外と思われるかもしれないが、井上先生が高く評価されていた可能性を、どうしても考えてしまう。

井上先生はボザークを愛用されていた。
そのボザークに通じるところがあり、より進歩したともいえるところのあるXRT20を、
井上先生はどう鳴らされたのか、どうしても想像してしまう。

ヴォイシングも一から井上先生が手がけられたXRT20の音は、
どこが菅野先生の鳴らし方と同じで、どこが違ってくるのか。

おおまかな音をイメージしながらも、細部についてあれこれ想像し積み重ねていく。

Date: 7月 8th, 2016
Cate: 電源

ACの極性に関すること(その5)

ステレオサウンド 57号で井上先生がいわれているのは、
レコードにもACの極性が存在するということである。

ステレオサウンドは55号から「オーディオ・ジョッキー」という短期連載が始まった。
ACの極性に関する試聴記事が一回目(55号)で、
放送局、PA、スタジオなどのプロの現場でのAC極性のコントロールについての取材が二回目(56号)で、
レコードにもACの極性があることにふれたのが三回目(57号)である。

記事は井上先生と黒田先生の対談形式。
この記事から井上先生の発言をいくつか拾っておく。
     *
 今回は、オーディオのプログラムソースで一番重要なレコード自体にも、AC極性があるということをとりあげてみたい。レコードは、録音からカッティングに至る制作過程で数多くの機材を使用します。当然、これら機械類はAC電源を必要としますから、出来上ったレコード自体にもAC極性があるのではないかということでいろいろチェックしてみると、これが明らかにあるのですね。
(中略)
 これまでにもACのコントロールをしていって、おかしいなと感じたことはあったのです。うまく鳴ってくれるレコードと、うまく鳴ってくれないレコードとがある。機器間の極性は合っているはずなのに、何とはなしモタモタするとか、妙にコントラストがついてくっきりしすぎちゃって、うるさい感じになる。
(中略)
 簡単にいうと、発端はテープレコーダーなんです。AC極性を合わせた再生システムにテープレコーダーを加えると、テープレコーダーの極性を変えることによって2種類の音が録音できるでしょう。さらに極性を変えながらこのテープを再生すると、また2種類できる。録音再生で4通りの音になるわけです。それなら、レコードが極性によって鳴り方が変っても当然じゃないかということで……。
(中略)
 昔から、ACのことをよくわかっている人でもどうも昨日の音とは違う、特に,マルチアンプの場合にはかなり細かくレベル調整をしてバランスをとっていくと、あるレコードはいいのだけれどあるレコードではダメということがあったでしょう。これはACをひっくり返すと直っちゃうんです。この事も一つのきっかけといえます。
     *
レコード制作側が、録音・カッティングなど、
レコードが出来上るまでのすべてのプロセスにある機材のACの極性を合せていれば、
本来ならば起らない問題なのだが、現実には、そうではないことがわかる。

このレコードにおけるAC極性の問題を、黒田先生はオスとメスがある、という表現をされている。
ほとんどのレコードはオスであっても、少数ではあるがメスのレコードがある。

つまりACの極性を合せる、の「合せる」の意味に少し違う意味が加わってくることになる。

Date: 7月 7th, 2016
Cate: 電源

ACの極性に関すること(その4)

ACの極性をかえることで音が変化するのはいまや常識である。
ACの極性合せはどうやるのかについては、(その2)で書いている。

アース電位をデジタルテスターで測る。
このときすべての接続をはずしておく必要がある。
他の機器とケーブルでつながっていてはだめである。

そうやってアース電位を測る。
コントロールアンプが、仮に5Vと10Vだったとする。
通常であれば5Vの方を、ACの極性が合っているとする。

けれどパワーアンプのアース電位が12Vと20Vだったとする。
こちらは12Vが合っているとなる。

コントロールアンプは5V、パワーアンプは12Vだとアースの電位差は7Vということになる。
ここでコントロールアンプのACの極性をあえて反対にする。
つまり10Vにすることで、パワーアンプとのアースの電位差は2Vと小さくなる。

こういう考え方もできるのではないか。
だとしたら、どちらを選択すればいいのか。
これは、聴いて判断するしかない。

ACの極性合せを聴感で行う場合、
注意点としては音の入口側からやっていくことである。
CDプレーヤーをまずやり、次にコントロールアンプ、パワーアンプとやっていく。

ACの極性があえば、音場が拡がる。
音楽が演奏される場が、どんなイメージで鳴ってくるか。
たとえば狭い兎小屋で演奏しているかのような窮屈な鳴り方なのか、
それともホールで演奏しているように響いてくれるのか。

別項で書いたマークレビンソンのLNP2のゲイン切り替えの音の違いと、
基本的には同じともいえる。

他にもチェックポイントはあるけれど、まずは音楽が演奏される場としての音場であり、
つまりは聴感上のS/N比をあげることである。

そうやってシステム全体のACの極性を合せた上で、
個々のオーディオ機器の極性がどうなっているのかをチェックしてみることである。

単体で測ったアース電位が低い方がいいのか、
それとも接続する機器同士のアース電位差が小さい方がいいのかははっきりする。

まれにではあるが、聴感で合せたACの極性が、
テスターで測って合せた極性で、すべて逆の場合がないわけではない。

これについては、ステレオサウンド 57号で、井上先生が解説されている。

Date: 7月 7th, 2016
Cate: audio wednesday, 表現する

夜の質感(バーンスタインのマーラー第五・その1)

バーンスタインのマーラーの交響曲第五番のCDを手に入れた日のことは、
以前別項で書いている。

昼休みに行ったWAVEに、ちょうど入荷したばかりだった。
その日は、午後から長島先生の試聴があった。

試聴が始まる前に、長島先生に聴いてもらった。
一楽章を最後まで聴かれた。

このとき同席していた編集者が「チンドンヤみたい」と呟いた。

インバルの第五を好んで聴く彼にとっては、
バーンスタインの第五は、そう聴こえてしまうのか、と思ったことがあった。

この日から十数年経ったころ、
ある人のお宅で、このディスクをかけてもらったことがある。
かけ終って「この録音、ラウドネス・ウォーだね」といわれた。

ちょうどラウドネス・ウォーが、日本のオーディオ雑誌で取り上げられるようになった時期でもあった。
確かに、その人のシステムでは、バーンスタインのマーラーは、芳しくなかった。

この音を聴いたら、あの日、「チンドンヤみたい」といった彼は、
「ほら、やっぱり!」といったであろう。
そういう音のマーラーしか鳴ってなかった。

その人は、あまりマーラーを聴かないのかもしれない。
その人の音には、バーンスタインのマーラーは向いていなかったのかもしれない。

にしても、「この録音、ラウドネス・ウォーだね」はトンチンカンな反応でしかない。
その人のシステムは、ひどく聴感上のS/N比の悪い音である。
特に機械的共振による聴感上のS/N比の悪化がかなり気になる自作のスピーカーだった。

そういうスピーカーだから、オーケストラが総奏で鳴っていると、
聴感上のS/N比が、まったく確保されていない悪さが、ストレートに出てしまう。

ここで疑うべきはどこなのか。
その人はバーンスタインのマーラーの録音だと決めつけていた。

8月3日のaudio sharing例会では、少なくともそんな低レベルの音は出さない。
今日(7月7日)は、マーラーが生まれた日だ。