Date: 7月 7th, 2016
Cate: audio wednesday, 表現する
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夜の質感(バーンスタインのマーラー第五・その1)

バーンスタインのマーラーの交響曲第五番のCDを手に入れた日のことは、
以前別項で書いている。

昼休みに行ったWAVEに、ちょうど入荷したばかりだった。
その日は、午後から長島先生の試聴があった。

試聴が始まる前に、長島先生に聴いてもらった。
一楽章を最後まで聴かれた。

このとき同席していた編集者が「チンドンヤみたい」と呟いた。

インバルの第五を好んで聴く彼にとっては、
バーンスタインの第五は、そう聴こえてしまうのか、と思ったことがあった。

この日から十数年経ったころ、
ある人のお宅で、このディスクをかけてもらったことがある。
かけ終って「この録音、ラウドネス・ウォーだね」といわれた。

ちょうどラウドネス・ウォーが、日本のオーディオ雑誌で取り上げられるようになった時期でもあった。
確かに、その人のシステムでは、バーンスタインのマーラーは、芳しくなかった。

この音を聴いたら、あの日、「チンドンヤみたい」といった彼は、
「ほら、やっぱり!」といったであろう。
そういう音のマーラーしか鳴ってなかった。

その人は、あまりマーラーを聴かないのかもしれない。
その人の音には、バーンスタインのマーラーは向いていなかったのかもしれない。

にしても、「この録音、ラウドネス・ウォーだね」はトンチンカンな反応でしかない。
その人のシステムは、ひどく聴感上のS/N比の悪い音である。
特に機械的共振による聴感上のS/N比の悪化がかなり気になる自作のスピーカーだった。

そういうスピーカーだから、オーケストラが総奏で鳴っていると、
聴感上のS/N比が、まったく確保されていない悪さが、ストレートに出てしまう。

ここで疑うべきはどこなのか。
その人はバーンスタインのマーラーの録音だと決めつけていた。

8月3日のaudio sharing例会では、少なくともそんな低レベルの音は出さない。
今日(7月7日)は、マーラーが生まれた日だ。

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