夜の質感(バーンスタインのマーラー第五・その1)
バーンスタインのマーラーの交響曲第五番のCDを手に入れた日のことは、
以前別項で書いている。
昼休みに行ったWAVEに、ちょうど入荷したばかりだった。
その日は、午後から長島先生の試聴があった。
試聴が始まる前に、長島先生に聴いてもらった。
一楽章を最後まで聴かれた。
このとき同席していた編集者が「チンドンヤみたい」と呟いた。
インバルの第五を好んで聴く彼にとっては、
バーンスタインの第五は、そう聴こえてしまうのか、と思ったことがあった。
この日から十数年経ったころ、
ある人のお宅で、このディスクをかけてもらったことがある。
かけ終って「この録音、ラウドネス・ウォーだね」といわれた。
ちょうどラウドネス・ウォーが、日本のオーディオ雑誌で取り上げられるようになった時期でもあった。
確かに、その人のシステムでは、バーンスタインのマーラーは、芳しくなかった。
この音を聴いたら、あの日、「チンドンヤみたい」といった彼は、
「ほら、やっぱり!」といったであろう。
そういう音のマーラーしか鳴ってなかった。
その人は、あまりマーラーを聴かないのかもしれない。
その人の音には、バーンスタインのマーラーは向いていなかったのかもしれない。
にしても、「この録音、ラウドネス・ウォーだね」はトンチンカンな反応でしかない。
その人のシステムは、ひどく聴感上のS/N比の悪い音である。
特に機械的共振による聴感上のS/N比の悪化がかなり気になる自作のスピーカーだった。
そういうスピーカーだから、オーケストラが総奏で鳴っていると、
聴感上のS/N比が、まったく確保されていない悪さが、ストレートに出てしまう。
ここで疑うべきはどこなのか。
その人はバーンスタインのマーラーの録音だと決めつけていた。
8月3日のaudio sharing例会では、少なくともそんな低レベルの音は出さない。
今日(7月7日)は、マーラーが生まれた日だ。