Archive for 3月, 2016

Date: 3月 17th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その27)

ステレオサウンド 46号の表紙はアルテックの同軸型ユニット604-8Gだった。
ユニットの全景をとらえた写真だ。

604-8Gを構成している色は黒だ。
コーン紙も黒、エッジも黒、フレームも黒。
もちろんそれぞれの黒には微妙な違いがあって立体的な陰翳を醸している。

こういうモノは被写体としてどうなんだろう。黒以外の色はない。
46号の表紙では604-8Gの下にはアルミ(と思われる板)が敷かれている。

604-8Gの写真は、これでいくつもみてきた。
46号の表紙は、その中でのベストといえる。
この表紙をみているだけで、アルテック604-8Gがほしくなる。

604-8Gからは、私が求める音は決して出て来そうにないと感じながらも、
それでも手元にあってほしいユニット(カタチ)である。

古くからのアルテックの使い手は、604-8Gを低く評価する傾向がないわけではない。
604Eまでがアルテックの音であり、
604-8Gになり、それまで受け継がれてきた604シリーズに共通する音の美点が消えてしまった……、という。

それにフレームの形状も604-8Gから変更された。
フレームの塗装もそうだ。
604Dのアルテックグリーンでもなく、604Eのグレー(磁気回路)とホワイト(フレーム)でもない。
武骨な黒になってしまった。

そんなバイアスのかかった目には46号の表紙は、どう映るのか。

46号の特集は、表紙の604-8Gが象徴しているように「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」。
46号を書店で手に取ったとき、確かに表紙は604-8G以外にない、と思った。

でもいまはUREIのModel 813も表紙の候補に挙がっていたのではないか、とも思う。
Model 813は特集でも、新製品紹介でも取り上げられている。
どちらでも高い評価を得ている。

Model 813の中核を成すのは604-8Gであり、オリジナルのマルチセルラホーンが、
UREI独自の青いホーンに換装されている。
この青のホーンは、これはこれで映えた表紙になった、と思う。
それでも46号の表紙は604-8Gであり、それでよかった、と私は思う。

Date: 3月 16th, 2016
Cate: audio wednesday, マッスルオーディオ

第63回audio sharing例会のお知らせ(muscle audio Boot Camp)

4月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

muscle audio Boot Campと名づけておいて、
単なるオーディオ機器の比較試聴、もしくは単なる音出しでは、Boot Campとは呼べない。

なにかひとつはBoot Campと呼べる内容を盛り込みたい。
どうしようかと考えていた。
もの足りなさを感じさせる内容にはしたくない。

今回のmuscle audio Boot Campは、バイアンプ駆動ではなく、LC型ネットワークでの音出しを最初は考えていた。
けれど、ありがたいことにFirst WattのパワーアンプSIT2が参加する。

となるとマッキントッシュのMA2275はプリ・パワー分離機能をもつプリメインアンプだから、
パワーアンプ部をウーファーに、SIT2をドライバーに割り合てて、
ふたたびバイアンプ駆動でやってみるのもの面白い、と考え直した。

けれど、今回は前回のaudio sharin例会でやったモノーラルの再生装置を、
最低限の器材のプラスによってステレオにするということが趣旨である。

モノーラルからステレオへの移行時代に、もしオーディオをやっていたら……。
私ならどうしただろうか。

バイアンプ駆動はいったんあきらめてLC型ネットワークで鳴らすだろう。
同時に、今回の音出しは、
そこで得られたことを、喫茶茶会記のスピーカーシステムの改善にも結びつくようにもしたい。
となるとバイアンプ駆動よりも、やはりLC型ネットワークということになる。

それにLC型ネットワークにしたほうが、
MA2275とSIT2の比較試聴もじっくりとできる。

喫茶茶会記には、アルテックのシステムを鳴らすための800Hzクロスオーバーの、12dB/octのネットワークがある。
まずこれで音を出す。

このネットワークをひとつの標準として、ネットワークの実験をやってみたい。
クロスオーバー周波数は800Hzにするか、もう少し低い値にするかはまだ決定していない。

決定しているのは6dB/octのネットワークということと、
並列型と直列型の両方を試すことだ。

世の中のほとんどのスピーカーシステムの内蔵ネットワークは並列型である。
並列型ネットワークだからバイワイアリングも可能になる。

直列型のモノは極端に少ない。
新しいところではライドーのスピーカーがそうだった。古いところではアルテックの605Bもそうだ。

6dB/octならば、並列型と直列型を簡単な配線の変更によって切り替えられる。
それに直列型のネットワークは6dB/octがメリットがあるようにも感じている。

個人的には直列型ネットワークで、SIT2で駆動した音にもっとも関心と興味がある。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 15th, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その6)

この項を書きながら考えているのは、
ソニーのウォークマンのことだ。

初代のウォークマン(TPS-L2)は、1979年に登場した。
もしこのウォークマンの色が他の色だったら……、
赤とか黄色とか、もしくは無難な黒かシルバーだったら、あそこまでの大ヒットになっただろうか。

初代ウォークマンのボディの色も青だった。
ボディ上部のヘッドフォン端子横のボタンはオレンジだった。

JBLのスタジオモニターの色と同じである。
ブルーのバッフルに、JBLのロゴはオレンジをバックに白抜きの文字である。

1979年、JBLの4343は大ヒットしていた。

ウォークマンの青とオレンジ。
単なる偶然かもしれないし、そうでないかもしれない、と思ってしまう。

Date: 3月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その26)

ステレオサウンド 45号で田中一光氏は、コントロールアンプについて語られている。
     *
 マークレビンソンにすると音が細くなるね。ジェリー・マリガンの太いバリトンサックスの感じが出てこない。音楽ソースにもオーディオ機器にも、それが生れた時代の世代観みたいなものがあるように思う。その機械がつくられた時代とレコードが録音された時代が近いとうまく鳴る。そのへんのジェネレーションギャップがあるとどうもうまく鳴らない。
 最近の録音が優れているといわれる新しいレコードの音、僕はあまり好きになれない。レンジは広いけれど、音に芯がないように僕には感じられる。僕が好きなのは、モノーラルの後期からステレオの初期、つまり50年代の終りごろの音。コンテンポラリーとかブルーノート、音がしっかりしているでしょ、音に厚みがあって……。
(中略)
 スピーカーに世代があるように、アンプにも世代がある。アンプだけグレイドアップして新しいのを持ってきても合わない。
(マッキントッシュのC22につなぎかえて)
 どうですか、アートペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション(コンテンポラリー)、だんぜん生き生きとして躍動感が出てくる。やはり古いスピーカーにはこういう球のアンプが合うね。昔大阪で通いつめたバードランド、あの頃に僕はマッキントッシュを聴きすぎたかな。マッキンの音が骨の髄まで滲みこんじゃったとか……。
(中略)
 こうしてLNP2とC22を聴いてみたけれど、それぞれに良し悪しがあって、マークレビンソンにすぐ飛びつくということにはならないね。かといって昔なつかしいC22は、高音が少し粗くてがさつになるところがある。しかしね、演奏会に行くとオーケストラでも案外音は粗いものだね。レコードの音はきれいすぎるかもしれない。
     *
45号当時の田中一光氏のシステムは、スピーカーはJBLのハークネス、
001システムだから130Aウーファーと175DLHドライバー/ホーン/レンズ、
N1200ネットワークということになる。

パワーアンプはマランツの510M。
これは当時のステレオサウンドがリファレンスとして使っていた。

コントロールアンプはマークレビンソンのLNP2とマッキントッシュのC22を比較されているところ。
アナログプレーヤーはヤマハのYP800で、カートリッジはピカリングのXSV/3000である。

別冊「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる25の提案」でも、
《プレーヤーのグレイドアップで音の腰をしっかりさせることと、良いプリアンプを見つけることが当面の課題です》
と述べられている。

《良いプリアンプ》は、
ステレオサウンド 59号の黒田先生の「ML7についてのM君への手紙」へとつながっていく。
田中一光氏のハークネスと部屋は、1993年のステレオサウンド別冊「JBLのすべて」へとつづいていく。

Date: 3月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その25)

4341が大きなブックシェルフタイプということになれば、
その後継機の4343もそうなるのか。

ステレオサウンド 45号の「サウンド・スペースへの招待」を読んで、そう心の中で呟いていた。
まだそのころは4341も4343もきちんと聴いたことがなかった。

田中一光氏の発言をきちんと理解するだけのものを、まだ築いていなかった。

数年後、岩崎先生が4350を、やはり「大きなブックシェルフ」的発言をされているのを知った。
4341、4343よりも大型で、ダブルウーファーで、搭載しているユニットもより強力な4350をも、
大きなブックシェルフのようだ、ということは、すんなりとは受け容れられなかった。

同じことをいわれている田中一光氏と岩崎先生、
ふたりともハークネスを使われている、という共通点があることだけは気づいていた。

大きなブックシェルフタイプのような音とは、いったいどういう音なのか。
そのことを理解し、田中一光氏、岩崎先生の発言に納得できるようになるのは、もっとあとのことだ。

ちなみに4350は「テキサス・ブックシェルフ」というニックネームがつけられていた、
とステレオサウンド別冊「JBL 60th Anniversary」にある。

訳注には次のように書かれている。
     *
アメリカン・ジョークでは、テキサスでは何でも並外れて大きいことになっていて、州外からやってきた人間がそれに驚くというのが定番である。「テキサス・ブックシェルフ」というのは、大型スピーカーを作ることで知られるJBLでも、このプロトタイプは史上屈指の巨大システムだったのだが、「でも、テキサスなら、これくらいじゃあブックシェルフ=小型スピーカーだぜ」というジョークである。
     *
けれど日本には、ジョークではなく《大きなブックシェルフタイプといった音》と感じる人たちがいた。

Date: 3月 14th, 2016
Cate: audio wednesday

マッスルオーディオで聴くモノーラルCD(その8)

アナログプレーヤーのアクセサリーであるスタビライザーの重量は500gくらいからある。
その500gくらいのスタビライザーを天板にのせても、スピーカーから出てくる音は変化する。
まして今回のaudio sharing例会で鳴らしたJBLの2441の重量は12kg。

これだけの重量の、しかも金属の塊といえるモノがエンクロージュアの上にのる。
それも一本ではなく二本。

通常のダブルウーファーのエンクロージュアであれば、
コンプレッションドライバーの荷重はエンクロージュア後部の中央にかかる。

今回の音出しでは二台のエンクロージュアを近接させて設置した。
2441が一本ならば、二台のエンクロージュアの近接する後部のコーナーにまたがるようにのる。
二本ならばそれぞれのエンクロージュアの後部コーナーに、それぞれのドライバーの荷重がくわわる。

荷重のかかりかたが、ダブルウーファー用のエンクロージュアと、
シングルウーファー用エンクロージュア二本では、このように大きく違ってくる。

前者では後部中央、後者ではエンクロージュアの片隅という違いは、
当然天板の振動モードに大きく影響する。

振動モードのコントロールということでは、前者のほうが有利といえる。
後者はシステム全体の重量バランスを大きく崩すことにもなり、決していい条件とはいえない。
ましてドライバーは一本ではなく、よりアンバランスな状況をつくりだす二本である。

もし2441があと二本あったとしたら、
エンクロージュア後部のもう一箇所の片隅に2441を置くことは、
おもしろい結果につながっていくと思われる。

2441をあと一組用意するのはたいへんだが、
同じような重量で、同じような大きさの金属の塊があれば、それでもいいはずだ。

Date: 3月 13th, 2016
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その22)

「天の聲」に収録されている「マタイ受難曲」。
五味先生は、こう結ばれている。
     *
 ずいぶん人の道に私は背いて生きた。ろくなことはしなかった。妻を幾度も裏切った。その度に、おのれの才能をも裏切ることしか私はしなかったようにおもう。仕方があるまい。女に惚れたから妻を男は裏切るものでもない。決断がにぶったから結果的にそうなることだってある。むろんこんな愚行は涜神にもなるまいし、あくまで愚行だが、そのために女が自殺したら、これはもう神との問題にならないか。自分と神との。「神は死んだ」と言われだして何年たつか知らないが、もともと、キリスト教的神観念などわれわれは持たないのだから、死にようもない。だが神はいる。「神話に見放されたおかしな神々」を本気で楽劇に登場させた音楽家だっているのだ。夏の盛りに、わざわざバイロイトまでその神を観に往く人がいるあいだは、神は存在する。シュヴァイツァー博士の弾くバッハをむかし、レコードで聴いたとき僭越ながらこいつは偽善者の演奏だと私は思い、以来、シュヴァイツァーを私は信用しないが、でも、神はいるのである。
 この正月、NHKのFMで『マタイ受難曲』の放送があった。それを機に、カール・リヒターのアルヒーヴ盤と、クレンペラーのを聴きなおし、丸二日かかった。ことしのお正月は何もせず『マタイ受難曲』と対合って過ごしたようなしだいになるが、聴いていて、今の日本のソリストたちで果して『マタイ』が演奏できるのだろうか、と考えた。出来やしない。これほどの曲を碌に演奏もできず、アップライトのピアノばかりが家庭に売りこまれてゆくとは、何と奇妙な国にぼくらはいるんだろう。指揮者だってそうだ、洟たれ小僧がアメリカで常任指揮者になったといってピアノを買う手合いは、大騒ぎしているらしいが『マタイ受難曲』は彼には振れまい。心ある人は欧米にだっているに違いないので、そういう人に受難曲やミサ曲を振れようのない指揮者は何とうつるだろう。悲しいことだ。でも背伸びしてどうなるものでもない。さいわい、われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる——神を異にする——民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い——それこそ至高の——音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。
     *
ずいぶん前に読んだ。
それから何度も読み返した。
このところは何度か引用した。

ぼんやりとだが、教会と信仰は別である、と最初に感じた。
読み返し、何度か引用し、少しずつそうだと確信できるようになってきた。

オーディスト(audist)という言葉ではなく、
オーディスト(聴覚障害者差別主義者)を生み出したのは、教会という、人が作ったシステムである。

五味先生の、この文章を読んでも何も感じない輩は、オーディストと名乗ればいいし、使えばいい。

Date: 3月 13th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その24)

田中一光氏の部屋は、別冊「sound space 音のある住空間をめぐる25の提案」にも登場している。
この別冊は1979年秋に出ているから、ステレオサウンド 45号から約二年。

基本的には45号の記事の再掲ではあるが、まるっきりそのままではない。
田中一光氏の別荘Vハウスの写真(「コンポーネントステレオの世界 ’77」の写真)も併せて載っている。

記事の終りに「私のサウンドスペースを語る JBLとともに」がある。
この文章も基本的には45号と同じではあっても、まったくそのままではない。

(その23)引用した部分の続きといえる部分がある。
     *
 部屋ができてみると、やはり視覚と音の両面からみて、ハークネスでよかったと思っています。おそらく4341ののびた低音は、この部屋では飽和してしまうでしょうし、第一、ルックスが全然合ませんよね。4341は、あの山中湖のスッキリしたデザインにむしろ合います。
     *
田中一光氏の部屋には、ハークネス以外のスピーカーで、これほどしっくり合うモノはないと思う。
ハークネス以外は考えられないほど似合っている。

この部屋のためにハークネスがあり、
ハークネスのために用意された部屋である、と思わせる。

こういう部屋は、他に見たことがない。
だからこそ45号で受けた印象はまったく色褪せることなく、
むしろ最初に見たときよりも輝いて見えてくるところもある。

私にとってステレオサウンド 45号について語るということは、
田中一光氏の部屋を語ることに、どうしてもなってしまう。

でも田中一光氏の《4341は何か大きなブックシェルフタイプといった音にきこえる》には、
ちょっとばかり反論したい気持もあった。

4341は4343の前身ではあっても、そんなことはないだろう……、と読みながら思っていた。
けれど、このことも後に納得していく。

Date: 3月 12th, 2016
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その29)

アナログプレーヤーとコントロールアンプの位置関係は、
ケーブルの引き回しに関係してくる。

何度も書くが、アナログプレーヤーは微弱な信号を取り扱っている。
オーディオ機器でいちばん微弱な信号ともいえる。
だからこそ細心の注意を払う。

1970年代、アナログプレーヤーの出力ケーブルとして、
低容量型と低抵抗型が、同じメーカーから発売されていた。

低容量型ケーブルはMM型、Mi型用であり、
低抵抗型ケーブルはMC型用である。

同軸ケーブルという構造上、
低容量と低抵抗を両立させることは難しい。
だからMM型には低容量、MC型には低抵抗という使い分けが常識だった。

低抵抗のケーブルは、いうまでもなく低容量のケーブルよりも静電容量が大きい。
インピーダンスが高いMM型だと、この静電容量が負荷となりハイカットフィルターが構成され、
容量が大きければ可聴帯域内で減衰が始まってしまう。

MC型でも同様にハイカットフィルターが構成されるが、
出力インピーダンスが低いため、カットオフ周波数は十分に高い周波数となる。

むしろ問題はケーブルの抵抗である。
ケーブルの抵抗値が高ければ減衰器として作用してしまう。

MM型よりも出力電圧の低いMC型の信号が、アンプもしくは昇圧トランスの入力に着く前に減衰してしまう。
ケーブルの抵抗値が大きいほどげ減衰量も大きくなる。

だからMM型には低容量、MC型には低抵抗のケーブルということになる。
そしてどちらのケーブルにおいても、ケーブルの長さが容量、抵抗と関係している。

短ければ容量、抵抗は低くなり、長ければ大きくなる。

同じ低容量のケーブルであっても長さが半分になれば静電容量は半分になる。
長さが倍になれば静電容量も倍になる。
抵抗に関しても同様だ。

Date: 3月 12th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その23)

ステレオサウンド 45号「サウンド・スペースへの招待」ではっきりしたことがある。
別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」に載っている《V・ハウス「ビルト・インの手法」》、
このモダンな印象の部屋も、田中一光氏の部屋である、というこだ。

45号の「サウンド・インテリアの楽しみ」の中に、田中一光氏の発言としてこう書いてある。
     *
「僕の聴く音楽の傾向との相性もあるのでしょうが、響きのたちが好きになれないのです。4341は、シャープネスはあるし、ダイナミックレンジの幅があって、いかにもハイフィデリティを狙ったという感じですね。どうしてもデモンストレーションという聴き方をしてしまう。ですから深夜に住いに帰ってきて針をおろすにはふさわしくないのです。くつろいで音楽を聴こうとしたら、やはりこちらのハークネスの方がいいということになってしまう。
 はじめは4341を主要システムとして自宅のこの部屋で使おうかと思っていたのですが、結局のところ新しい音がそれほど好きになれない。このシャープで細かい音は、どちらかというと腰の強さや図太さを大切にする僕の音楽の聴き方に向かないということでしょうか。
 JBLは僕は好きだけれど、昔のJBLがいい。ハークネスはホーンロード型ですが、こののびのびとした響きにくらべると、4341は何か大きなブックシェルフタイプといった音にきこえる。ここ20年の技術的進歩というものは、スピーカーに於てはそれほど大きくないね。ハークネスを再評価することになった……」
     *
結果、4341は山中湖の別荘で、
AGIの511、マランツの510Mで鳴らされることになる。

山中湖の別荘、511、510M、4341というキーワードで、
45号の記事中にははっきりと書いてあったわけではないが、
すぐに《V・ハウス「ビルト・インの手法」》の、あの部屋だと気づいた。

《V・ハウス「ビルト・インの手法」》も印象に残っていたからだ。

Date: 3月 12th, 2016
Cate: 技術

捲く、という技術(その2)

20年くらい前だったか、
あるメーカーの介護支援ベッドのモーターがドイツ製だったことに気がついた。

その介護支援ベッドを製造しているのは日本の、よく知られるベッドメーカーである。
なぜ日本製のモーターではなかったのか。

日本には、そのベッドメーカーが要求する性能のモーターを製造できるところがなかった。
だからドイツ製のモーターを採用した、とのことだった。

介護支援ベッドのモーターのこまかな仕様は聞かなかったが、
まず低速で十分なトルクをもっていること、
病室で使用されるベッドだから、静粛性も求められる。
耐久性、長寿命でもなくてはならない。

これらが条件だとすれば、
日本にはダイレクトドライヴに使われていたモーターの技術が、応用できるのではないか。
そう思ったし、そうだとしたらダイレクトドライヴ型プレーヤーの全盛時代がすぎてしまい、
日本には、そのころのモーターを製造できるところがなくなってしまったのかも……、そうも思っていた。

丹念にさがしていけば、日本にもまだ残っていたとは思う。
けれどある程度のコストで、大量に必要となるモーターが、
海外製ではあっても既製品で入手できるとあれば、そちらを選択する。

Date: 3月 11th, 2016
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その20)

アナログプレーヤー関連のアクセサリーは、いまもいろんなモノがあるが、
昔はアナログディスク全盛だったから、もっと多くのアクセサリーが出ていた。

使ったこともあるモノもあれば、まったく縁のなかったモノもある。
スタイラスタイマーと呼ばれているアクセサリーがあった。
ピカリング、ナガオカ、スウィングなどから出ていた。

カートリッジの針先はダイアモンドならば、寿命は約300時間といわれていた。
毎日一枚のLPを聴けば、一年で針先は寿命を迎えることになる。

まめな人ならば、その日その日、何枚のLPをかけたかを記録していくだろうが、
私はそんなことはしなかった、
私と同じで、そんなことはめんどうだと思う人がいるから、
スタイラスタイマーというアクセサリーが登場したのだろう。

まわりにスタイラスタイマーを使っている人はいなかった。
実物を見たこともない。
特に欲しいとも思わなかった。

いまも欲しいとは思っていない。

無関心だったわけだが、ひとつ気付いたことがある。
カートリッジを交換しない人にはスタイラスタイマーは使用時間の目安となるが、
頻繁にカートリッジを交換する人には対応していないはずだ。

まめな人ならば、カートリッジの数だけスタイラスタイマーを用意して、
カートリッジの交換とともに、スタイラスタイマーも交換する。
カートリッジAにはスタイラスタイマーA、カートリッジBにはスタイラスタイマーB……、という具合にだ。

いまならばスタイラスタイマーはiPhoneと組み合わせることで、
センサーとiPhone(アプリ)とに分けられる。
アプリ側で使用カートリッジを登録し、
カートリッジ使用時にどのカートリッジなのかをメニューから選ぶ。

そうすれば使用時間のトータルだけでなく、
どのカートリッジをいつどの程度使ったのかもグラフや数字で管理・表示できる。

Date: 3月 10th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

dividing, combining and filtering(その1)

なにかがぐらついているように感じることがある。
いまのオーディオ界をみていると、歳月とともにしっかりとあるべき「なにか」がぐらついている。
そう感じることがある。

分岐点(dividing)と統合点(combining)、それに濾過(filtering)から、
多くのシステムは成っている、と感じもする。

このことがぼんやりとなっているからなのだろうか。

Date: 3月 9th, 2016
Cate: audio wednesday

マッスルオーディオで聴くモノーラルCD(その7)

以前書いたことのくりかえしになるが、
スピーカー・エンクロージュアの天板の上に何かをのせる。
もうそれだけで音は変化する。

きちんと調整されたシステムであれば、その変化は無視できないほどのものだ。
たとえばスーパートゥイーターを導入したとする。

たいていの場合、エンクロージュアの天板の上に設置する。
まずこの状態で音を聴いてみてほしい。
つまりスーパートゥイーターを置いただけの音である、スーパートゥイーターは鳴っていない。

音の変化が聴きとれる。
次にスーパートゥイーターの位置を変えてみる。
もちろんまだ結線せずに、鳴っていない状態である。
位置の変化によっても音は変る。

つまりスーパートゥイーターを導入するということは、
高域のレンジが延びること以外に、変動要素がいくつも発生するということだ。

スーパートゥイーターでなくても、スタビライザーでもいい。
スタビライザー程度の重量のモノをのせても、音は変化するし、
動かせばまた変化する。

自作のスピーカーで、特にホーン型を使っている人は、
エンクロージュア上で中高域ユニットの位置決めの調整を行う。
このとき変化しているのは、ウーファーとの位置関係だけでなく、
エンクロージュアの振動モードも、上にのるユニットの移動によって変化している(させている)。

そしてエンクロージュアの振動モードが変化すれば、
エンクロージュアから伝わってくる振動も変化する。

つまり振動のことだけに限っても、エンクロージュアと上にのるユニットは相互作用の関係にある。

オーディオでは何かを交換して、比較試聴する。
ここで気をつけなければならないのは、
変動要素がひとつだけということはまずありえない、ということだ。
必ず複数の変動要素があると考えなければならない。

その上で、変動要素をいかに減らし、明確化していくかが大事になる。

Date: 3月 9th, 2016
Cate: ワーグナー

ワグナーとオーディオ(その2)

オペラの実演には演出家がいる。

オペラは歌劇であり、ワグナーの作品は楽劇といわれるが、
ワグナーの作品もまたオペラである。

その意味では、ワグナーの楽劇をレコード(録音物)で聴くのと同じように、
ヴェルディやモーツァルト、その他の作曲家のオペラをレコードで聴くときにも、
レコード演出ということが気になってくるかというと、私の場合そうではない。

なぜワグナーの作品だけに、レコード演出ということが気になってくるのだろうか。

オペラにおける演出とは、視覚的なものである。
視覚的なものがなく、聴覚的な録音物でオペラを聴く際には、
そこには演出は無関係ということになる。

ライヴ録音を聴くのであれば、多少は演出による音への関係性があったとしても、
スタジオ録音であれば、演出は録音とは無関係になる。
スタジオ録音のオペラのレコードには、演出家は存在しない。

そういうレコードを聴いても、ワグナーであれば、レコード演出という要素が頭をかすめる。