Archive for 3月, 2016

Date: 3月 25th, 2016
Cate: 川崎和男

KK塾(七回目)

KK塾、七回目の講師は、松岡正剛氏。

KK塾では毎回印刷物が、受付で手渡される。
今回はその中に「松岡正剛 方法と編集」が含まれていた。
最初のページに、こう書いてあった。
     *
知識を編集するのではなく、
編集を知識にするべきである。
編集とは、「方法の自由」と
「関係の発見」にかかわるためのものである。
     *
私がステレオサウンド編集部にいたころに出た話を思い出していた。
具体的なことは、まだ書かないが、確かにそうだ、と納得するしかない指摘だった。

少なくとも、その指摘はいまのステレオサウンド編集部にもいえることだ。

KK塾2015は今回で終った。
オーディオ関係者は、なぜ来ないのだろうかと、毎回思ってしまう。

金曜日の午後、そんな時間に行けるわけないだろう、というのは簡単だ、
バカにでも出来る。

でも、ほぼ毎回来ているオーディオ関係者はいるのだ。

Date: 3月 24th, 2016
Cate: 老い

老いとオーディオ(老化と劣化)

今秋、「五味オーディオ教室」とであって40年になる。
そんなに経ったのか、と正直おもっている。
それは、「五味オーディオ教室」とであったときのことをいまでもはっきりと思い出せるからでもある。

とはいえ、40年も経つと齢をとる。
まわりの人も同じだけ齢をとっていく。

まわりをふとみる。
この人は、どうしたんだろう……、とおもうことがある。

そして、老化と劣化は同じではないことを感じている。
才能の老化と才能の劣化の違いを。

Date: 3月 23rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その35)

ステレオサウンド 47号の特集、ベストバイ・コンポーネントの構成には疑問を感じながらも、
すべてが43号と比較して不満というわけではない。

43号では選考者がひとりだけの機種に関しては、
「その他、1票を得たベストバイ・コンポーネント」として表になっているだけで、
なんのコメントもなかった。

でもその1票しか得られなかったコンポーネントの中に、
もっと票を得ているコンポーネントよりも、興味をもっていたモノがいくつかあったし、
この人が、どう評価しているのかを読みたかった。

47号では43号よりもコメントの文字数が減っている。
ほぼ一行といえる文量しかない。
けれどそのおかげとでもいおうか、1票だけのコンポーネントでもコメントがついている。

とはいえ、やはり読み応えということでは47号はもの足りなかった。
けれど、その47号でさえ一年後の51号でのベストバイ・コンポーネントよりは、ずっとましだったのだ。
この点に関しては、51号、55号についてふれるときに書くことにする。

そんな47号ではあったのだが、
私にとって47号は、嬉しい一冊だった。
それは巻頭に、「続・五味オーディオ巡礼」のタイトルとともに、
ソファにあぐらをかいて坐っている五味先生の写真があったからだ。

五味先生が以前ステレオサウンドに書かれていたことは、
「五味オーディオ教室」を読んで知っていた。
だが41号から買いはじめた私にとって、
五味先生不在のステレオサウンドが続いていた。

もうステレオサウンドには書かれないのか……、と少しずつ思いはじめていたころに、
「続・五味オーディオ巡礼」が始まった。
この嬉しさが、いかほどであったかは想像していただくしかない。

47号当時のステレオサウンドは1600円だった。
「続・五味オーディオ巡礼」だけで、あとはつまらない記事ばかりだとしても、
私はためらうことなくステレオサウンド 47号を購入したであろう。

何度も何度も、文字通り買って暫くは毎日読み返していた。
読み返すことで、そこでの「音」を想像していた。

Date: 3月 22nd, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その18)

別項で、ステレオサウンドの幕の内弁当化は47号からはじまった、と書いた。
このことについては追々書いていくが、
雑誌は弁当に喩えられるのだろうか、このことを考えてみる必要はある。

雑誌を弁当に喩えたのは私ではなく、ステレオサウンドの原田勲氏である。
いまから30年ほど前に聞いている。

30年という時間が経っているから、
いまも原田勲氏が自社の雑誌を弁当として考えられているのかはなんともいえない。
いまもそうかもしれないし、まったく別の捉え方をされているかもしれない。

けれど現在のステレオサウンドを見ると、確実に幕の内弁当であることは事実である。

今週の金曜日(25日)は、KK塾の七回目である。
講師は松岡正剛氏。
編集工学研究所所長である。

編集工学という表現。
このことばを目にすると、オーディオにおける編輯について考える。
実際の本の編集だけではなく、オーディオそのものにも編集工学といえる面があるようも感じる。

録音側で行われている編集とは違う意味合いでの「編集」が、
再生側のオーディオにもある。

編集はもともと編輯と書いていた、と辞書にはある。

Date: 3月 21st, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その9)

オルトフォンのMC20と同時代に、青のモノが登場している。
ヴェリオン(のちのコッター)の昇圧トランスMark Iがそうだ。

一次インピーダンスが2.5ΩのType P、25ΩのType PP、40ΩのType S、
注文に応じて一次インピーダンスを設定してくれるType Xが用意されていた。

ヴェリオンのトランスは高価だった。
輸入品ということもあっただが、一台15万円していた。
同時期マークレビンソンのヘッドアンプJC1ACが13万5千円だった。

ヴェリオンのトランスはステレオサウンド 46号の新製品紹介のページに出ている。
ここではモノクロだからボディの色はわからないが、
このトランスは第二特集の「最新MC型カートリッジ 昇圧トランス/ヘッドアンプ総テスト」にも登場している。

この記事もモノクロだが、記事の頭に三つ折りのカラーがついている。
テスト機種のカートリッジ、昇圧トランス、ヘッドアンプの集合写真がある。

ヴェリオンのトランスは、濃い鮮かな青で、集合写真の中でも目立っている。
ヴェリオンのトランス(三つ並んでいる)の後方には、ジュエルトーンのヘッドアンプRA1がいる。

RA1が赤ということもあって、この一角がより目立つ。
ヴェリオンのトランスの四つ右隣にはグレースの昇圧トランスGS10がある。

このGS10もフロントパネルが青であるけれど、印象としてはどうしても薄くなってしまっている。
記憶の中でも薄れがちになってしまっている。

Date: 3月 21st, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その8)

ソニーの初代ウォークマンよりも、もっと小さな青のモノといえば、カートリッジがある。
オルトフォンのMC20がそうである。

オルトフォンを代表するカートリッジといえば、いまもつくられ続けているSPUがある。
このSPUの改良モデルとしてS15が出た。その後SL15なり、SL20も登場した。

けれどSPUの後に登場したこれらのモデルは、成功した、とは思えない。
オルトフォンがやっとSPUと並ぶモデルを開発できたのはMC20といってもいい。

MC20の成功がMC30を生み、MC30の成果がMC20にフィードバックされMC20MKIIになり、
この後もMCシリーズは展開し続けていく。

MC20のボディはSL15、SL20と同じであるが、色が違う。
MC20のボディは青だった。

MC30は上級機ということ、そして当時としては10万円ちかい、
かなり高価なカートリッジということもあってだろう、ボディの色は金だった。

MC20MKIIはMC20の改良モデルでもありながら、
MC30の普及クラスモデルとして位置づけだからだろう、
ボディの色はMC30系統であることを思わせる銀だった。

当時MC30は高すぎて手が届かなかった。
それ以外にも出力電圧が低すぎた。
まだ高校生だった私は、仮にMC30を手に入れたとしても使いこなせる自信も、
そのための環境を用意することもできないとわかっていたことも理由としてあった。

MC20MKIIは、私にとってはじめてのMC型カートリッジである。
音も気に入っていた。
MC20よりも、音の魅力もあった。
どことなく素っ気なく聴こえがちのMC20よりも、音楽をずっと魅力的に響かせてくれた、と感じていた。

あの時点で選ぶとしたらMC20よりもMC20MKIIではあったが、
いまとなると青ということでMC20を選ぶかもしれない。

MC20は青がふさわしいカートリッジなのかもしれない。

Date: 3月 21st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その34)

41号からステレオサウンドを読みはじめた。
ほぼ二年間、夢中になってステレオサウンドを読んでいた。

私にとっての七冊目にあたる47号。
これが私にとって、はじめて疑問を感じたステレオサウンドである。

47号の特集は、ステレオサウンド三度目のベストバイ・コンポーネントである。
この他の記事として、新連載の「ロングラン・コンポーネントの秘密をさぐる」がはじまり、
連載対談として、菅野沖彦、保柳健、二氏の「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」もはじまった。

巻末には「物理特性面から世界のモニタースピーカーの実力をさぐる」もある。
この記事は、三菱電機郡山製作所/三菱電機商品研究所の協力を得て、
46号に登場したモニタースピーカーのいくつかと4343を加えた10機種の測定が載っている。

44、45、46号での測定協力は日本ビクター音響研究所だった。
それが三菱電機にかわり、測定項目も違っている。

音楽関係の記事では、
黒田恭一、坂清也、河合秀朋(キングレコード第二制作室プロデューサー)三氏の座談会、
「イタリア音楽の魅力」もあった。
私はこの記事で、オルネラ・ヴァノーニを知り、聴きはじめた。

一冊のステレオサウンドとして読むと面白かった、といえる。
けれど肝心の特集に、私は疑問を感じたのだった。

読み手の勝手な期待なのだが、
同じ企画ならば前回よりも今回のほうがより面白くなる、
そういうものだと思い込んでいた。

47号のベストバイ・コンポーネントは43号のベストバイ・コンポーネントよりも面白くなっているはず、
より充実して読み応えのある特集となっているはず……、
そう思い込んでいた、というより信じ込んでいた。

その期待が裏切られたから、疑問を感じたということもあるのだが、
もっと違うところでの疑問を感じていたのだが、その疑問がどこに起因してのものなのかがはっきりするのは、
もっと後のことだ。
ステレオサウンドで丸七年働き、辞めて数年経ったころだった。

47号は、現在のステレオサウンドがそうであるし、さらに色濃く(ある意味巧みに)なっているのだが、
誌面の幕の内弁当化のはじまりの号といえる。

Date: 3月 21st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その33)

ステレオサウンド 46号の奥付のところにあるアンケートハガキは、
1978読者の選ぶベストバイ・コンポーネントの投票用紙だった。

46号を買った時点で、47号の特集はベストバイ・コンポーネントだとわかる。
また43号のようなベストバイ・コンポーネントが読めるのか、と思っていた。

投票用紙への記入も、一年前とは少し違う意味でずいぶんと考えた。
一年前には「ベストバイ」の意味を深く考えずに記入したけれど、
高校一年生にとってのベストバイとして記入すべきなのか、
それともそういった年齢的なことを考慮せずにベストバイ・コンポーネントと思うモノを記入すべきか、
そのことについても考えていた。

47号への関心は、46号の特集を読み返すたびに多くなっていった。
間違いなく瀬川先生はスピーカーのベストバイとして、
UREIのModel 813、K+HのOL10を選ばれるはず。

ここに疑問はなかった。
どう書かれるのか、そのことに強い関心があった。

それに45号に登場したKEFのModel 105も同じだ。
間違いなくベストバイ・コンポーネントして選ばれる……。

こんなふうに43号の時点では登場していなかったオーディオ機器のどれを選ばれ、
それらについてどう評価されるのかを、一方的に予測しながら発売をまった三ヵ月だった。

そしてSMEの3009/SeriesIIIにシュアーのV15 TypeIVを組み合わせた表紙の47号が出た。

Date: 3月 21st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その32)

ステレオサウンド 46号の特集は、もうひとつある。
井上先生による「最新MC型カートリッジ 昇圧トランス/ヘッドアンプ総テスト」だ。

スピーカーの特集が三号続いたからこその、音の入口にあたるカートリッジの特集だったのか。
カートリッジの記事はこれだけではない。
「オーディオの名器にみるクラフツマンシップの粋」でも、カートリッジが取り上げられている。

井上卓也、長島達夫、山中敬三の三氏による鼎談で、
製造中止になっているカートリッジが紹介されている。

「フォノカートリッジの名門」と題された、この記事の最初に登場するのは、
ウェストレックスの10Aである。
10Aが紹介されているページの右側のカラー口絵では、ノイマンのDST、DST62、PA2aがある。

ウェストレックスの10A、ノイマンのDST、
どちらもカッターヘッドを開発・製造していたメーカーのカートリッジであり、
ラッカー盤のモニター用として開発されたモノだ。

当時の編集部がどれだけ意図してのものだったのかはわからないが、
音での出口であるスピーカーシステム、
その中でもモニタースピーカーは、プログラムソースをつくるための音の出口であり、
その音の出口によって確認されたモノを、再生側ではカートリッジでトレースする。

つまりモニタースピーカーが、通常のスピーカーとは違うのは、
カートリッジの前段階のスピーカーというところにある。

そして10A、DSTも通常のカートリッジの前段階にあるモノであり、
モニターカートリッジとも呼べるモノでもある。

カートリッジとスピーカーという対照的なモノでありながらも、
プロフェッショナル用として、モニター用としての共通点ももつスピーカーとカートリッジが、
同じ号で取り上げられているいたわけだ。

Date: 3月 21st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その31)

瀬川先生の「モニタースピーカーと私」の終りちかくに、こう書かれている。
     *
 リファレンス・スピーカーとしてJBL♯4343を参考にしたが、それは、このスピーカーがベストという意味ではなく、よく聴き馴れているためにこれと比較することによって試聴スピーカーの音の性格やバランスを容易に掴みやすいからだ。そして興味深いことには、従来のコンシュマー用のスピーカーテストの場合には、大半を通じてシャープ4343の音がつねに最良に聴こえることが多かったのに、今回のように水準以上の製品が数多く並んだ中に混ぜて長時間比較してみると、いままで見落していた♯4343の音の性格のくせや、エネルギーバランス上での凹凸などが、これまでになくはっきりと感じられた。少なくとも部分的には♯4343を凌駕するスピーカーがいくつかあったことはたいへん興味深い。
     *
JBL・4343のもつ《音の性格のくせ》、《エネルギーバランス上の凹凸》が、
これまでになくはっきりと感じられた、つまり感じさせたスピーカーがあったということで、
その筆頭はK+HのOL10のことだと、(はっきりとは書かれていないけれど)そう受け取った。

44号、45号、この46号とスピーカーの特集が三号続いて、
なぜ、こうもスピーカーシステムというモノは、これほどまでにすべて違うのか──、
それを知ることができた、といっていい。

スピーカー特集の三号に登場したスピーカーシステムをすべて聴いたことのある人は、
ステレオサウンド関係者を含めても、そう多くはないはずだ。

これとあれは聴いているけれど……、
聴いていない機種の方が多いという人が大半だと思う。

私もそのひとりであり、聴いたことのあるスピーカーの数は少ないほうだった。
音は活字で、どこまで表現できるのか。
そのことを考えれば、スピーカーシステムというモノを、ほんとうのところはわかっていないともいえるのだが、
そうであっても、違いの多様さは確実に知ることができた。

46号の特集のおわりには、岡先生による「その他の世界のモニタースピーカー紹介」がある。
デンオンのDS103、ガウス・オプトニカのCP3830、KEFのModel 5/1AC、フォノゲンのPhonogen 1、
シーメンスのEurophon、ウェストレークのTM2が紹介されている。

ガウス・オプトニカ、フォノゲン、KEF、シーメンス、ウェストレークが、
特集の本編で取り上げられていないのは少し残念だった。

瀬川先生も《そして試聴できなくて残念だったスピーカーはウェストレーク、ガウス、シーメンスなどであった》
と書かれている。

瀬川先生が、これらのモニタースピーカーをどう評価されたのか、
それが読めなかったのはほんとうに残念である。

Date: 3月 20th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その30)

ステレオサウンド 46号、瀬川先生のK+HのOL10の試聴記を読んでいて、
まず感じたのは、このスピーカーのバランスは、瀬川先生にとってかなり理想に近いものだということ。

OL10の価格は80万円(一本)。
エンクロージュアに三台のパワーアンプ(低域120W、中域60W、高域30W)が内蔵されているとはいえ、
JBLの4343よりも高い。

ユニットはウーファーが25cm口径のメタルコーン型を二発、
スコーカーもメタルコーン使用の13cm口径、トゥイーターがホーン型で、
ユニット単体の写真はないけれど、
おそらくというか、ほぼ間違いなくJBLのユニットと比較すると、
物量の投入のされ方などに、モノとしての凄みは感じられないはずだ。

オーディオマニア心をくすぐるユニット群ではない、といえる。
見た目もそっけない。
同じプロフェッショナル機器(モニタースピーカー)であっても、
JBLの4343に代表される4300シリーズとは洗練のされ方が違う。

写真だけを見ていてはそれほど魅力的なスピーカーとは思えてこなかったのが、
瀬川先生の試聴記を読むにつれて、
これ(OL10)はホンモノのモニタースピーカーだ、ということが伝わってきた。

《ブラームスのベルリン・フィル、ドヴォルザークNo.8のチェロ・フィル、ラヴェルのコンセルヴァトワル、バッハのザルツブルク……これらのオーケストラの固有のハーモニィと音色と特徴を、それぞれにほどよく鳴らし分ける。この意味では今回聴いた17機種中の白眉といえるかしれない。》
《いわばアトモスフィアを大切にしたレコード場合に、OL10では、とても暖い雰囲気がかもし出される。》
《またバッハのヴァイオリン協奏曲の場合にも、独奏ヴァイオリンの音色の良さはもちろんだが、バックの室内オーケストラとの対比もきわめてバランスがよく、オーケストラがとても自然に展開してディテールがよく聴き分けられる。》

このあたりを読みながら、その音を想像していた。
そして試聴記の最後に、もう一度引用するが、
《私がもしいま急に録音をとるはめになったら、このOL10を、信頼のおけるモニターとして選ぶかもしれない。》
が来る。

瀬川先生がオーディオのプロフェッショナルとして、
OL10というモニタースピーカーを信頼されていることが、強く伝わってきた。

Date: 3月 19th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その29)

ステレオサウンド 46号の特集は、
44号、45号から三号続いてのスピーカーであり、
既に書いているようにモニタースピーカーという枠をもうけている。

モニタースピーカーと、簡単に口にしてしまうが、
モニタースピーカーの正確な定義となると、いまも非常に難しいところがある。

46号の特集は、
 モニタースピーカー私観(岡俊雄)
 レコーディング・ミキサー側からみたモニタースピーカー(菅野沖彦)
 モニタースピーカーと私(瀬川冬樹)
という三つの文章からはじまる。

じっくり読んでも、読み返しても、モニタースピーカーの正確な定義を簡潔に述べることは、
いまも難しいと感じる。

46号に登場するモニタースピーカーでもっとも小型なのはロジャースのLS3/5Aであり、
大きいモノではダイヤトーンの4S4002Pがある。
前者は5.3kg、後者は135kgと、カタログには載っている。
価格ではJBLの4301がもっとも安価(65000円)で、ダイヤトーンの4S4002Pがもっとも高価(100万円)だ。

日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツのモニタースピーカー17機種が載っている。
その中でもっとも聴いてみたい、と思ったのはK+HのOL10である。

UREIのModel 813も聴いてみたい、と思った。
キャバスのBrigantinにも興味をもっていた。

それでもOL10の、瀬川先生の試聴記を読むと、聴いてみたい、というよりも、
聴かなければ……、という気持のほうが強くなってくる。

OL10の試聴記の最後にこう書かれている。
《私がもしいま急に録音をとるはめになったら、このOL10を、信頼のおけるモニターとして選ぶかもしれない。》

残念ながら、聴く機会にめぐまれずいまにいたっている。

Date: 3月 19th, 2016
Cate: 映画

映画で気づくこと

映画を観ていて気づくことは多々ある。
ブルースチールもそうだし、Blue Steelに別の意味があることを、
やはり別の映画「ズーランダー」で知る。

数ヵ月前に「サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever)」をやっと観た。
1978年当時、話題になっていた。
でも近所の映画館では上映されていなかったし、
「サタデー・ナイト・フィーバー」を観るために、
往復で映画の入場料金をこえる金額を交通費に払えるだけの余裕もなくて、そのままずっと来ていた。

やっと観たのはHuluで公開されたからだった。
勝手にイメージしていた内容とはかなり違った映画だった。
「こういう映画だったか」と思いながら観ていた。

ジョン・トラボルタが演じるトニーがダンスコンテストに出る。
会場となったディスコには、アルテックのA7が登場する。

この時代、アメリカのディスコではA7が鳴らされていたのか、と早とちりしそうになったが、
おそらくこのアルテックのスピーカーは、1236のはずだ。

“MUSICAL SOUND LOUDSPEAKER SYSTEM”の名をもつこのシステムは、
ウーファーは421-8LF、ドライバーには808-8B、ホーンは511B、
ネットワークはN1209-8Aから構成されている。

A7、A5が”The Voice of the Theatre System”の愛称で呼ばれるとおり、
トーキー用のスピーカーシステムとして開発されたのに対し、
1236はディスコなどでの使用を考えての開発・システム構成である。

もちろんA7の可能性もある。
どちらにしろアルテックのシステムである。
それまでアルテックとディスコ・サウンドと結びつくことはなかったけれど、
そういう時代もあったのか、と思っていた。

Date: 3月 18th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その28)

このころのステレオサウンドの表紙は安齊吉三郎氏が撮られていた。
46号の約一年前野別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」の表紙も、
アルテックの同軸型ユニットで、安齊吉三郎氏による撮影だ。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」のアルテックは604-8Gではなく、601-8Eだ。
アルテックのユニットにあまり関心のない人だと、
604-8Gだと勘違いされるように、604シリーズ同様マルチセルラホーンをもつ。
セルの数は同じだが形状、大きさに違いがあり、ユニットの口径も12インチと小さい。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」では、この601-8Eを真正面から撮られている。
背景も46号とは対照的に明るい。

601-8Eの背面は、604シリーズとはずいぶん違う。
口径も含めてスケールダウンしたユニットであり、
46号の604-8Gと同じアングルでは、604のようには映えない。

どういう理由で、「コンポーネントステレオの世界 ’77」と46号のアングルの違いなのか。
正確なところはなんともいえないが、
約一年のあいだに、安齊吉三郎氏によるアルテックの同軸型ユニットの写真を、
この時代のステレオサウンドの読者であった人は見てきているわけだ。

Date: 3月 17th, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その7)

青で思い出す映画がある。
「ブルースチール(Blue Steel)」だ。
この映画で、キャスリン・ビグローという監督を知った。

「ブルースチール」が何を意味するのか知らずに観た。
映画館の大きなスクリーンに何かが大写しになるオープニングは、強烈だった。

カメラが対象物に触れんばかりに近接して、舐めるように撮っていく。
すぐには何か、わからなかった。
しばらくして、拳銃だと気付く。

すぐに気付かなかった理由は、その何かが青く光っていたからだった。
拳銃の実物は、いまも見たことがない。
拳銃といえばテレビで見るものぐらいで、日本のテレビドラマに登場する拳銃のイメージは青ではなく黒である。
モデルガンも黒だ。

「ブルースチール」を観て、
“Blue Steel”が酸化焼入れ処理を施した鋼のことであり、拳銃の錆防止の表面処理として用いられることを知った。
そういう理由から”Blue Steel”が銃の色を表し、さらには銃そのものを指す言葉としても使われることも知った。

「ブルースチール」のオープニングは、青がいままで感じたことがないほどに官能的な色であることを教えてくれた。