Archive for 2月, 2015

Date: 2月 7th, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その5)

ブログを始めたばかりのころ「4343と国産4ウェイ・スピーカー」というタイトルで書いていた。

4343の登場が1976年。
このころ国産スピーカーに4ウェイのモノはほとんどなかった。
それが数年後、各社から4ウェイのシステムが登場してきた。

4343と同じフロアー型もあればブックシェルフ型の4ウェイもあった。
これは明らかにJBLの4343の成功(爆発的な売行き)があったからこその現象といえる。

ダイヤトーンのDS5000は4343と同サイズである。
このことが何を物語っているのか。

国産メーカーだけでなくアルテックからも6041という4ウェイ・システムが登場した。
6041は後で知るのだが、輸入元による日本発の企画であったらしい。
それにしても、と思う。

これは日本のオーディオだけに限定された現象なのかもしれない。
けれど、そのころの日本はオーディオ大国であった。
非常に大きなマーケットであった。

そこに4343は、ひとつのはっきりとした流れをつくった、といえる。
だからこそ、4343と同時代のスピーカーというテーマが成り立つ。

これだけの影響を与えたオーディオ機器となると、他にどんなモノがあるだろうか。
話題になったオーディオ機器は他にもいくつかある。

どれだけ話題になっても、ひとつの趨勢となるのかは別のことである。
4343の影響は大きくはっきりとしていただけに、
4343はある一時代における「原器」であったはずだ。

Date: 2月 6th, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その4)

オーディオ機器の中で、まだ30年ちょっという歴史しかもたないCDプレーヤーは、
簡単に原器といえる候補を挙げられそうに思える。

私が最初に聴いたCDプレーヤーは、マランツのCD63だった。
試作品のCD63だったこともあり、後に市販されたCD63とは比較にならない音の良さを持っていた。

以前書いているように、
ステレオサウンドにそのころリファレンスプレーヤーとしてあったパイオニアのExclusive P3との比較で、
小沢征爾指揮の「ツァラトゥストラ」を聴いた。

Exclusive P3からみればちっぽけな筐体のCDプレーヤーが、抜群の安定感をもって、
冒頭の、あの有名なフレーズを試聴室に響き渡らせた。

すべての点でCDが優れていたわけではなかったけれど、
すごい可能性をもったメディアが登場したことを、試聴室にいたすべての者に強く印象づけた。

CDのオリジネーターでもあるフィリップスによるCD63だから、これがCDプレーヤーの原器といってもいい──、
そう思いつつも、フィリップスのLHH2000の初期モデルの音こそが原器と呼べるかもしれない、と思ってしまう。

CDのオリジネーターはフィリップスだけではない。ソニーもである。
だからソニーのCDP101も原器といえるのか。
トレイ式のCDプレーヤーとしては原器といえる。
だが肝心の音に関しては、次のモデルのCDP701ESのほうが印象に残っている。

ここで少し考えを変えてみたい。

実は別のテーマで書こうと考えていたことに、
LNP2と同時代のコントロールアンプ、4343と同時代のスピーカーシステム、というのがある。
この「○○と同時代の……」における○○も、原器のようなモノなのかもしれない、と思えてきたのだ。

Date: 2月 6th, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その3)

それぞれのジャンルの原器について考えてみる。
パワーアンプの原器といえるモノには何があるのか。

まずいえるのは真空管アンプだということ。
けれど、そこから先のこととなると、意外に難しい。
マッキントッシュ、マランツの真空管パワーアンプを挙げるのに、なぜか抵抗を感じる。

そしてメーカーの特定の機種ということよりも、
オルソン型アンプなのかウィリアムソン型アンプなのか。
どちらが原器といえるのかについて考えている。

トランジスターのパワーアンプとなると、さらに悩む。
真空管アンプの回路をトランジスターに置き換えたQUADの50Eというアンプがある。
これを原器といえるのか。
トランジスターアンプならではの回路を採用したアンプが、原器となるのか。
そうなるとJBLのトランジスターアンプなのか。

スピーカーの原器とは、といえば、フルレンジということになるのか。
ライス&ケロッグによるユニットが文字通り世界初のコーン型フルレンジユニットなのだから、
原器といえばそういえる。
だが、ここで挙げている原器とはニュアンスが違う。

そうなるとウェスターン・エレクトリックのスピーカーユニットということになるのか。
技術的にはそういえのはわかっていても、
ウェスターン・エレクトリックのスピーカーといえば、どうしてもスピーカーユニットの印象が強すぎる。
スピーカーシステムとしてのウェスターン・エレクトリックが、
家庭用スピーカーシステムの原器とは到底いえない。

スピーカーもまた難しい。
スピーカーユニットとしての原器、スピーカーシステムとしての原器があるからだ。

Date: 2月 5th, 2015
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(持っているものをとにかく楽しむ)

ここ数年、CD登場初期の国産CDが再評価されてきている。
おもにCBSソニーの初期のCDがそうであるようだ。
中古店でもけっこうな値段がついているのを見たことがある。

その後、さまざまなリマスター盤が登場するようになる。
CBSソニーはジャズではマイルス・デイヴィス、クラシックではグレン・グールドという、
熱心なファンを抱えている演奏家がいる。

私もそうだが、グールドのリマスター盤が出たとなると、
またか……、と思いつつも、手を伸ばす。
マイルスのファンの知人も同じことをいっていた(やっている)。

決定盤となるようなことをせずに、小出しにしながら、
何度も同じファンに売りつける商売をやり続けている。

ほかのレコード会社も、ここまでひどくはないが、同じようなことはやっている。
だからどうしても手元に同じタイトルのディスクが複数ある。

同じであれば一枚にしぼれるが、音は違う。
同時期の輸入盤とは国内盤でも音は違う。
ここで、喧噪せるマニアの群れあり、となる。

初期CDがいい、
いや、何回目のリマスターCDこそいい、とか。
とにかく白黒つけたがる人が多いように感じる。

私も20代のころは、そんなことにやっていた。
ケイト・ブッシュのイギリス盤のCDはプレス工場が、私が購入したモノでは三ヵ所あった。
同じ音がするとはいえなかった。
だから、どれがいちばんいいのか、聴き較べていた。

これはこれで楽しい行為でもある。

でも40が目前となったころから、どれがいちばんいいのかを判断するのもいいけれど、
同じ音がするモノはこの世にはふたつとない、
だからそれぞれの音を楽しもう、というほうにスライドしていった。

アナログディスク再生には柔軟性がある、と書いた。
けれど、これだけ豊富なリマスター盤が入手できるのだし、
二、三枚のリマスター盤を持っている人は多いはず。

ならばその時々の自分の感覚に応じて、
どのリマスター盤を選ぶのか(鳴らすのか)を決めるのもいように思う。

Date: 2月 5th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その13)

ワディアのPower DACはシンプルなのかミニマルなのか、について考える前に、
もう一度CHORDのHUGOについて考えてみたい。

HUGOというD/Aコンバーター/ヘッドフォンアンプをどう捉えるのか。
ヘッドフォンアンプとしてのみ使用している人にとっては、
D/Aコンバーター内蔵のヘッドフォンアンプであり、
このジャンルの機器として見れば、とくにシンプルとかミニマルという印象は受けないだろう。

私がこの項を書こうと思ったのは、HUGOでスピーカーを鳴らしているのを聴いたからだ。
こうなるとHUGOへの印象はまるで違ってくる。

なんとミニマルなモノだろう、と思うし、
これでスピーカーのあれこれを鳴らしてみたい、とも思った。

一月のCESではHUGO TTという、
同コンセプトながら筐体がふたまわりほど大きくなったモデルが発表になった。
価格はHUGOの二倍ほどするようだ。

HUGO TTでスピーカーを鳴らすシステムも、私にはミニマルなシステムということになる。

HUGOがスピーカーを鳴らせるといっても、私はできればフルレンジを鳴らしたい。
マルチウェイのスピーカーシステムであっても、複雑なネットワークを使わずに、
簡素なネットワークで構成されたスピーカーシステムならば鳴らしてみたい。

ダイヤトーンの2S305はどんな感じで鳴ってくれるのか、
JBLの4311はどうだろう、とか、想像している。

間違ってもネットワークの構成素子数の多さを誇っているスピーカーシステムを鳴らしたいとは思わない。
その手のスピーカーを鳴らすには、きちんとアンプを用意する。

そうなればD/AコンバーターとしてHUGOを使ったとしても、もうミニマルなシステムではなくなる。

ということは、ミニマルという印象はHUGO単体が醸し出しているのではなく、
それをどう使ってみようか、という使い手側に潜んでいるということになるのか。

Date: 2月 4th, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その4)

別項「アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その15)」で、
アナログディス再生の、デジタルディスク再生に対しての強みは、
聴き手の感覚に合せられることのできる柔軟性にある、と書いた。
このことは聴き手の感覚を調整していくこと、とも書いた。

つまりデジタルディスク再生の弱みは、この柔軟性に欠ける点ともいえる。

そんな柔軟性は必要ない、という聴き手にとっては、
私が書いていこうとしているコントロールアンプの必要性はどうでもいいことだろう。

だが日本には四季があり、毎日の天候もまったく同じなわけではない。
乾いた日もあればじっとりした日もある。
気持ちいいと思える日もあれば、どんよりした日もある。

エアコンで空調が完全にコントロールされた部屋から一歩も外に出ずにすむ人ならば、
季節の変化に影響されることはないのかもしれない。
けれど、そんなわけにはいかない。
さまざまな事情で外に出ていく。そして実感している。

そういう暮しの中で、一年中同じ感覚を保つということは、終生変らぬ感覚のままということでもある。
そんなことがあるだろうか。

だから私はデジタルディスク再生における柔軟性を、コントロールアンプに求める。
別項「ミキサーはコントロールアンプたり得るのか」で、そのことについて書いていく。
これも、いま私が考えているコントロールアンプ像であり、
ここで書いていくことも、別のコントロールアンプ像である。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その2)

原器としての候補を思いつくまま挙げてみる。

音の入口からいけば、カートリッジではまずオルトフォンのSPUが、候補として真っ先に浮ぶ。
と同時に、カッターヘッドをそのままカートリッジに置き換えたものがひとつの理想とすれば、
ウェストレックスの10Aも原器といえる。

トーンアームは、やはりSMEの3012、3009が原器ということになるのか。
とはいえ現行製品に多く見受けられるワンポイントアーム。
これこそがトーンアームの原器とすれば、SMEではなく、他のトーンアームが候補として浮ぶ。
たとえはグレイ(マイクロトラック)の206Sといった、プリミティヴなトーンアームが原器となるのか。

ターンテーブルはどうか。
まずダイレクトドライヴ型の原器としてはテクニクスのSP10が存在する。
これは誰も否定することのできない原器である。
だがターンテーブルの原器となると、ずっと溯ることになる。

ガラードの301、トーレンスのTD124あたりを原器とするのには、やや抵抗がある。
けれど他にどんなモノがあったろうか。

コントロールアンプはどうか。
ここでもマランツのModel 7は外せない。
だがModel 7の原器としてModel 1があり、
Model 1はモノーラルだが、
これを二台使い、Model 6とともにウッドケースにおさめたモノがModel 7の原器といえばそういえる。

Model 7を挙げるのならば、マッキントッシュのC22はどうか、となる。

C22もModel 7も真空管アンプである。
トランジスターアンプとしての原器はないのか。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その3)

CDプレーヤーの出力は2Vrmsで、それまでのチューナーやテープデッキよりも出力電圧が高い。
ラインアンプのゲインが、CD登場以前のままではボリュウムをかなり絞り気味になる。
コントロールアンプのライン入力の感度も従来と同じというわけにはいかなくなってきた。

2Vあれば、ゲイン的にラインアンプは必要としない。
パワーアンプに直接接続すればいい。
レベルコントロールがパワーアンプ側にあれば、多少使いにくさはあるが、
パッシヴのフェーダーすらいらない。

デジタル信号処理が進歩したことでデジタルボリュウムも進歩している。
そうなってくるとパワーアンプ側のレベルコントロールもいらなくなる。
リモコンでレベルコントロールができる。使いにくさはなくなる。

しかもCD登場直前のコントロールアンプは、音質向上を謳い機能を省いたモノが多かった。
入力セレクターとレベルコントロールくらいの機能しかないモノもあった。
ならばいっそのことラインアンプは、もういらないんじゃないか、という発想が起るのが自然ともいえる。

そんなときに、いいタイミングでゼネラル通称がP&Gのフェーダーを使ったフェーダーボックスを製品化した。
けっこうヒットしたように思う。
しばらくしてより筐体をしっかりとつくったモデルも登場した。
こちらはしばらくステレオサウンド試聴室でもよく使っていた。

コントロールアンプの必要性を再考すべき時期が来ていた。
ステレオサウンドにいたとき、しっかりとこのことを再考していた、とはいえない。
反省がある。

離れてずいぶん経ち、こうやってブログを書くようになって考えている。
むしろCD(デジタル)だからこそ、コントロールアンプが必要だと、いまはいえる。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その2)

コントロールアンプは不要と考える人が出て来た(もしくは増えてきた)のは、
やはりCD登場以降である。

長島先生。
ステレオサウンド 61号を読まれた方ならば、
長島先生もまたコントロールアンプ不要の人ではないか、ということになる。

マランツのModel 7を長島先生は使われていた。
Model 7は管球式コントロールアンプを代表するモデルでもあり、
コントロールアンプとしての機能は過不足なく備えている。

けれど長島先生はModel 7のフォノイコライザーのみを使われていた。
トーンコントロールやフィルター機能をもつラインアンプは使われていない。

そしてレベルコントロールはDAVENのアッテネーターで行なわれていた。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」。
ここでの瀬川先生の120万円の組合せ。
スピーカーはロジャースのLS3/5A、パワーアンプはルボックスのA740、
アナログプレーヤーはEMTの928。
コントロールアンプはない。

928にはイコライザーアンプが内蔵されている。
A740にはレベルコントロールがフロントパネルについている。
コントロールアンプがなくても最低限の機能は備えている。

もちろん予算が120万円と制約されていなければ、なんらかのコントロールアンプを選択されていたはず。
けれど制約の中とはいえ、ここで瀬川先生はコントロールアンプなしの組合せをつくられている。

とはいえ、CD登場以前はコントロールアンプを省こうとする人はそうはいなかったと思う。
それがCDの登場後、オーディオ雑誌でも取り上げられるし、実際の製品も登場するほど、
コントロールアンプの存在が稀薄になっていった。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その1)

NTi AUDIOFLEXUS FX100に強い関心をもっている。

この関心の強さは、
パノプティコンとしてのコントロールアンプ像を考えていくうえで深く関係してくると考えているからだ。

コントロールアンプは不要という人はいる。
アナログディスクを聴くにしても単体のフォノイコライザーアンプとパッシヴのフェーダーがあればいい、
CDも同様にCDプレーヤーとパッシヴのフェーダーがあれば、そのままパワーアンプに接続できる。

こういう人は、余分なものを通すと必ず音は悪くなる、という。
そしてシンプル・イズ・ベストだともいう。
だが、パッシヴのフェーダーを使い、コントロールアンプを省くことが、シンプルとなるのか。
それについては、別項でこれから書いていくとして、
実は私も一時期、パッシヴのフェーダーを使っていた。

定インピーダンスのアッテネーター、それもH型のバランス仕様のものを使いバランス伝送でやっていた。
もちろんインピーダンスマッチングもやっていた。

これはこれならではの音の良さはあった。
それでも、いまはコントロールアンプは必要とする考えである。

フェーダーだけのモノをパッシヴ型という、
一方、増幅回路をもつモノをアクティヴ型ともいう。

パッシヴとアクティヴ。
パッシヴでコントロール可能なのはレベルだけである。
アクティヴとなると、どうなるのか。
パッシヴとあまり変らないアクティヴも少なくない。

エレクトロニクスは進歩している。
特にデジタルの信号処理技術は驚くほどの進歩である。
だからFLEXUS FX100もあらわれてきた、といえよう。

ならばより積極的なアクティヴなコントロールアンプの出現を、私は望んでいる。
それがパノプティコンとしてのコントロールアンプである。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: 無形の空気

いま、空気が無形のピアノを……(その4)

ハイエンドオーディオのスピーカーシステム、
つまりは音場再生に優れているといわれているスピーカーであれば、
ふたつのスピーカーのあいだに、歌のディスクであればそこに歌手が出現する。

そんなふうにいわれている。
このことにはいくつかいいたいことがある。
まずは音場再生と音場感再生の違いについてと、
そこに出現する歌手のイメージは「空気が無形のピアノを……」と同じことなのか、である。

30年ほど前のことだ。
ステレオサウンドの取材であるオーディオマニアのリスニングルームに行った。
古き佳き時代のスピーカーシステムが、そこにはあった。
高能率型のスピーカー、ラッパと呼びたくなるスピーカーである。

その日は写真撮影で伺っていた。
撮影しているときに主がレコードをかけてくれていた。
ジャズのレコードだった。

撮影がメインのため、スピーカーに背を向けていた。
音量は、だからあまり大きくはなかった。
曲の途中でサックスのソロになった。

この瞬間、後に誰かいる気配がした。
サックス奏者が背後にいる、まさにそんな気配が感じられて、
いるはずもないのに、思わずふり返った。

曲のはじまりではベース、ドラムも鳴っていた(はずだ)。
そのときもサックスは鳴っていた。
正直、そこで鳴っていた音は、これだけのシステムであれば、もっといい音で鳴ってくるはず、
と思わせてしまうレベルではあった。
そのためかいくつもの楽器がなっているところでは、
ふり返らせるほどの気配は醸し出していなかった。

それがサックスのソロになったとたんに、別物のような鳴り方になった。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(富士フイルムの広告)

スイングジャーナルの1970年7月号から、富士フイルムの広告が変った。
ジャズ雑感というタイトルがつき、
見開きで左ページにイラスト、右ページにイラストレーターのジャズについての短い文章がある。

1971年1月号からは、ジャズ解放区とタイトルは変ったけれど、同じスタイルでしばらく続いた。
いまのところ”the re:View (in the past)“で、1970年12月号分まで公開している。

ジャズ雑感の一回目は、原田維夫氏。
     *
ジャズと云うと恩師田中一光氏を想い出す。仕事のことも、ジャズも、この一光氏から教えを受けた。一時期、仕事の合間に流す音楽は全てモダンジャズであったし、曲のこと、演奏者のこと、全て解説してくれた。時々、たんなる演奏だけでは面白くないと、バロック音楽とMJQ、バッハのチェロソナタとセロニアスモンクなど、組み合わせて同時に音を出し、その新鮮な合奏にビックリさせられたりした。今でも、あの時のクラシックとジャズの妙な合致を面白く想い出す。
     *
バロック音楽とMJQ、バッハのチェロソナタとセロニアス・モンク。
同時に音を出す。

ということは田中一光氏の仕事場には、二組のシステムがあったのだろうか。
バロック音楽とは、どれだったんだろうか、バッハのチェロソナタは誰の演奏だったのだろうか、
曲の頭から同時に鳴らされたのか、それともどちらかの曲の途中から同時の音出しだったのか。
そんなことをあれこれ考えている。試してみようともおもう。

45年前の広告をみながら、新鮮な驚きを受けている。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その3)

以前、メガネを増永眼鏡のMP649にしたことを書いた。
当時は日本橋の三越本店別館のメガネサロンでしか川崎先生デザインのフレームは扱ってなかった。

東京にいったい何軒のメガネ店があるのかしらないが、1998年の時点では、ここだけだった。

ここでメガネをつくったことのある人なら、
その他多くのメガネ店とは雰囲気が違うことを感じとられると思う。

私がMP649を取り寄せてもらうため注文していた横で、
あるご婦人が完成したメガネを受けとっていた。
そのとき支払っていた金額に驚いた。

私が購入しようとしていたMP649とレンズを合わせた値段の約十倍もの金額だった。
MP649が届いて受けとりにいったときも、別のご婦人がメガネを受けとっていた。
その金額は、さらに高額だった。

どちらも鼈甲のフレームだった。
鼈甲のフレームは、こんなにも高額なのか、と驚きながらも、
ふたりのご婦人にとってメガネはアクセサリー(装飾品)でもあることに気づいた。

私の視力は左右とも0.1くらい。
メガネがないと不便である。
つまり私にとってメガネは医療機器であり、生活必需品である。
そこに装飾品の要素は求めていない。

けれど世の中には装飾品としてのメガネを買う人もいる。
そんなことを書きながらも、お前も川崎先生デザインのフレームというこだわりをもっているじゃないか、
と読まれている方にいわれそうだが、ここにデザインとデコレーションの違いがあると考える。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その2)

マークボーランドがどういう会社なのか、いまも詳しくことはしらない。
最初なんとなくアメリカの会社なのかなぁ、と思っていたけれど、どうも日本で作っていたようだ。
その後、どうなったのかも知らない。

私が聴くことができたマークボーランドの製品は、
朝沼予史宏さんがステレオサウンド試聴に持ち込んだスピーカーケーブルだけである。
このケーブルの型番すら知らない。

外観はおよそ30万円もするケーブルには見えなかった。
それでも朝沼さんは自信たっぷりにみえた。
とにかくマークボーランドのケーブルを、何も知らないわれわれ編集部に聴かせたかったようだった。

当時使っていたケーブルからマークボーランドのケーブルに変える。
その音の違いは、それまで聴いてきた、さまざまなケーブルの音の違いよりもはるかに大きかった。
これだけはっきりと音が変化すれば、ケーブルで音は変らないと頑なに主張しつづけている人でも、
あっさりとケーブルによる音の変化を認めるであろう。
そのくらいの違いがあった。

逆にいえば、スピーカーケーブルを変えただけでこれだけの音の変化があることが不自然に思えるほどだった。

スピーカー側からみれば、アンプとはスピーカーケーブルを含めた範囲であり、
パワーアンプ側からみればスピーカーとはスピーカーケーブルを含めたものが負荷となる。
だからスピーカーケーブルが変ることでアンプにとっての負荷も変動する。

マークボーランドのスピーカーケーブルに変えての音の差は、
アンプの動作が、それまでのスピーカーケーブル使用時とは違ってきているような、そんな印象さえあった。

だからといってすべての点で、それまで使っていたケーブルよりも良かったのかというと、
そこに関しては保留をつけたくなっていた。
それに30万円という価格にも、当時はかなりの抵抗を感じていた。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: 公理

オーディオの公理(Nutubeのこと)

ノリタケとコルグの共同開発による新たな真空管、Nutube。
オーディオと直接関係のない、ニュース系サイトでも取り上げられている。

話題になるのはいいことだが、そこに、こんな記述があった。
GIZMODOの記事だ。
《真空管ならではのちょっとナロー》、
真空管アンプの音は、オーディオに特に関心のない人にとっては、ナローということになるのか。

この記事を書いた人がどういう人なのかはまったくわからないし、
これを一般的な人の意見と受けとめていいものかはっきりとしないが、
それでもナローという印象が、真空管アンプの音に対してあることが、私には意外なことだった。