Archive for 12月, 2014

Date: 12月 20th, 2014
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(明白なことでさえ……)

先日、見知らぬ方からのメールがあった。
GASのアンプに関する質問というか、確認のような内容だった。

その方は、私のブログを読み、ジェームズ・ボンジョルノに興味を持ち、
GAS、SUMOのアンプにも興味を持たれたようだ。
はっきりと書かれてなかったけれど、若い方のようだった。

おそらくインターネットで、GAS、SUMOのことを検索されたのだろう。
それであるブログを見つけられたらしい。
そのブログには、GASのアンプの組合せについて書かれてあったらしい。

そのブログのURLは記載されていなかったので、私自身は、そのブログを見ていないが、
メールには、パワーアンプAmpzillaとペアとなるコントロールアンプはThaedra(テァドラ)ではなく、
Thoebe(セーベ) だと書かれていて、これについての確認だった。

もちろん、そんなことはなく、ペアとなるのはThaedraとAmpzillaであり、
ThoebeはSon of Ampzillaとペアになるコントロールアンプである。
GASにはThoebeの下にThalia(サリア)があり、このコントロールアンプはGrandsonとペアになる。

1970年代にオーディオをやってきた人にとっては当り前なことでも、
若い人にとっては、いまとなってはなかなか確認することが難しいようである。

それにしても……、と思う。
なぜ、ThoebeをAmpzillaとペアになるなるコントロールアンプと書く人がいるか、と。
これもいただいたメールにははっきりと書かれていなかったから、私の想像でしかないが、
そのブログを書いていた人は年輩の方のようだ。

そういう人があきらかな間違いを書き、それを読む人がいる。
幸い、そのブログを読んだ若い人は疑問をもち、私にメールを送った。
けれど、間違いが書かれたブログを読んだ人のすべてが私にメールを送るはずもない。

読んだ人の中には、すぐに間違いに気づく人もいれば、そのまま鵜呑みにする人もいる。
こうやってデタラメが、すこしずつ拡散していくことだってある。

Date: 12月 19th, 2014
Cate: ジャーナリズム, デザイン

TDK MA-Rというデザイン(ステレオ時代という本とその記事・その1)

ステレオ時代という本がある。
今、最新号のVol.3が書店に並んでいる。

ステレオ時代の存在は知っていたけれど、手にとろうとは思っていなかった。
どういう内容の本なのかわかっているからだけど、
表紙に、TDK MA-R開発ストーリー、とある。
だから手にとった。

Vol.1とVol.2を読んでいたから、記事についてはおおよその想像はついていた。
想像した通りの内容だった。

そして、やっぱり、と思った。

TDK MA-R開発ストーリーの記事中には、東芝のこと、オーレックスのことがまったく語られてなかったからだ。
すべてTDKによる開発である、と記事は伝えていた。

けれど、そうではないことは「TDK MA-Rというデザイン」でふれた。
川崎先生のブログへのリンクもしている。

川崎先生の「K7の最高機種デザインはAurexデザインだった」は、9月13日に公開されている。

Date: 12月 18th, 2014
Cate:

日本の歌、日本語の歌(その3)

大脳の言語中枢がなんらかの原因で損傷を受け、言語障碍になっても、
歌は歌えるという話を、かなり以前にきいたことがある。

話すことがそうとうに困難な人であっても、歌となると言葉が出てくるから、
リハビリテーションにとりいれられている、とも聞いた。

となると話す時は言語中枢が必要となるわけだが、
歌では必ずしもそうではない、ということになるのか。

話し言葉も歌詞も、同じ言葉であるとつい捉えがちであるが、
うまく話せない人が、歌ならば歌えるという事実は、
このふたつの言葉は表面的には同じようにみえても、深いところではかなり違うことなのかもしれない。

グラシェラ・スサーナのコンサートに数年前に行った。
相変らず日本語は、お世辞にも流暢とはいえなかった。
上達していたとはいえなかったし、いま以上に上達することはないようにも感じた。

けれど、歌となると完璧な日本語とはいえないまでも、
話し言葉としての日本語とははっきりとレベルが違う。

なぜ、そうなるのか、がずっと不思議だった。
別にグラシェラ・スサーナだけに限らない。
昔は、外国人の歌手に日本語の歌をうたわせる企画が多かった。
ミルバも歌っていた。

なぜ、この企画が通ったのか。
それは日本語は話せなくとも、日本語の歌はうたえるから、だったのではないのか。

Date: 12月 18th, 2014
Cate:

日本の歌、日本語の歌(その2)

ホセ・カレーラスによる「川の流れのように」は心に沁みた。

美空ひばりによる「川の流れのように」はもちろん聴いていた。
何度も聴いていた。
いい歌だということはわかっていた。

けれど、こんなにもいい歌だったのか、と思い知らされた。
ホセ・カレーラスの日本語も決して流暢ではない。
そういう意味では、瑕疵のある歌唱ということになるだろう。

この瑕疵がどうしても気になってしまう人、そうでもない人がいる。
私にとっては、ささいなことであり、瑕疵とも感じていない。

なにかの機会に、ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”を人にすすめた。
「川の流れのように」が素晴らしいから、とすすめた。

たいていは「美空ひばりを聴いたこと、あります?」と返ってくる。
ある、と答えると、「なぜ、わざわざ外国人の日本語で聴く必要があるのか」といったことが返ってくる。

もし、美空ひばり以外の日本人歌手による「川の流れのように」をすすめたら、
違うやりとりになっているだろう。

ホセ・カレーラスの「川の流れのように」でそういうやりとりになってしまうのは、
ホセ・カレーラスが日本語を話さないからであり、
日本語に限らず、歌は、その歌詞の言語を理解していなければ、ほんとうのところでの歌唱とはなりえない、
そういう認識が聴き手側にあるからではないのだろうか。

Date: 12月 18th, 2014
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その34)

スピーカーシステムに内蔵されているLCネットワークには、直列型と並列型とがある。
市販されているスピーカーシステムのほとんどは並列型のネットワークである。

スピーカーに関する技術書をみても、並列型のことしか書かれていないものもある。
昔の書籍には直列型のことも書いてあった。

けれど直列型と並列型の優劣について書かれていたものを、私は見たことがない。
それに直列型ではバイワイアリングはできない。
並列型だからこそ、バイワイアリングは可能になる。

けれど直列型のネットワークがなかったわけではない。
昔もいまも、ごくわずかだが直列型のネットワークを採用しているモノがある。

私が把握している数よりも、もっと多いかもしれないが、
直列型のネットワークを採用しているかどうかは、カタログや資料に謳っていないかぎりは、
内部を見て判断するしかないので、はっきりとはつかみきれていない。

学生だったころ、スピーカーの技術書を読みはじめたころは、
ネットワークは並列型が優れているように思っていた。
直列型ではスピーカーユニットが、文字通り直列に接続されているからであった。

ウーファー、スコーカー、トゥイーターそれぞれが他のユニットに干渉しないということを優先すれば、
直列型よりも並列型が有利のように思える。

マルチアンプがそうであるのだから、
マルチアンプをひとつの理想として捉えれば、
ネットワークは並列型がいい、直列型はなんだか劣るように思ってしまった。

Date: 12月 18th, 2014
Cate: 「ネットワーク」, ステレオサウンド

オーディオと「ネットワーク」(人脈力・その1)

ステレオサウンドの193号に、「難条件を克服するマイシステムの作り方」という記事が載っている。

この記事に「人脈力」なる言葉が登場している。
見出しにもなっているし、本文にも出てくる。

老人力という言葉が登場して以降、語尾に「力(りょく)」をつけられることが急に増えてきた。
たいていは、どこかいかがわしさ・うさんくささを感じさせるのが多いように私は感じている。

人脈力なる言葉は、はっきりとくっきりとステレオサウンドの中で浮いている。
人それぞれだから馴染んでいるといる感じる人もいるだろうし、なんとも思わない人、
私と同じように浮いていると感じる人もいるだろう。

馴染まないことがよくないことではない。
浮いてしまっている、と感じたから、些細なことを取り上げるな、と思われようと、ここで書いている。

これまでも、ステレオサウンドに対して厳しいことを書いてきた。
これからも書いていくであろう。
なぜ、そんなことを書くのか。

ステレオサウンドが素晴らしいオーディオ雑誌であってほしいからである。
毎号講読したくなる内容になってほしい、と思っている。
このブログを書く必要もない、と思わせる内容になってほしいからである。

でも、今回の「人脈力」に対しては、そういう気持とはすこし違うものがある。
「人脈力」が目に留った時、
「ステレオサウンドは大丈夫なのか」と心配になった。

たったひとつの言葉だろうに……、なんて大袈裟なと感じられるかもしれない。
よけいなお世話だといわれるかもしれない。

けれど、人脈力なる言葉が本文にも、見出しにも登場しているのをみると、
もやもやしたような、イヤな感じがしてしまう。

Date: 12月 17th, 2014
Cate:

日本の歌、日本語の歌(その1)

日本語を解さない者が、日本の歌をまともに歌えるはずがない。

歌には歌詞があり、歌詞は言語であるから、日本語で書かれた歌を歌うのには、
日本語を理解、話せることが必要条件である──。

もっともなことであるのだが、
現実は必ずしもそうではない、と私は思っている。

私はグラシェラ・スサーナの歌う日本語の歌が好きである。
グラシェラ・スサーナの日本語は、初来日から40年以上が経つのに、お世辞にも流暢とはいえない。

菅原洋一の招きで日本に来た時、日本語はまったく解さないのに、日本語の歌を歌っている。
1971年の初来日の翌年に「愛の音」が出た。
このアルバムの録音時も、日本語は話せなかったであろう。

でも「愛の音」を聴いて、いい歌が聴ける、私は思う。
完璧な日本語で歌っているわけではない。
完璧な日本語ではないところに、魅力を感じているわけでもない。

ホセ・カレーラスには、”AROUND THE WORLD”というアルバムがある。
ホセ・カレーラスの数多いアルバムのなかで、
この”AROUND THE WORLD”と「ミサ・クリオージャ」は素晴らしい。
歌の素晴らしさが、二枚のアルバムには色濃くある。

歌、人の声が、なにか特別なもののように思えてくる。
“AROUND THE WORLD”でホセ・カレーラスは「川の流れのように」を歌っている。
日本語で歌っている。

“AROUND THE WORLD”は「愛の讃歌」で始まる。
これも素晴らしい、二曲目の「愛のことば」もいい、
つづく「愛していると君が言うだけで」、「アルフォンシーナと海」もよかった。

五曲目に「川の流れのように」。
ここまでの歌が素晴らしかっただけに、日本語での「川の流れのように」にはあまり期待してなかった。

Date: 12月 16th, 2014
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その8)

今回のジャズ喫茶・名曲喫茶めぐりには、30代・40代・50代・60代の方が参加された。
いちばん若い人は34歳。

私はその年代のころ、あることを思っていて口にしていた。

「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

こんなことをいっていた。
ある知人が、せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか、
何か書いたらどうですか、
そんなことを何度もいっていたから、
それに対して、こう言って返した。

けっこう本気でそう思っていた。
これこそがいちばん贅沢かもしれない、とも思っていた。

もし、このときに、MAC POWERを手にしていなければ、
川崎先生のDesign Talkと出逢っていなければ、読みつづけていなければ、
ずっとこのままきていたかもしれない。

大人とは──、と問われれば、
誰かのために自分の時間の一部を使うことにためらわないことだ、と答える。

残り時間は短くなっていくばかりなのだから、
お金にもならないことのために自分の時間を費やすなんて……、
そう思う人がいても、それはそれでいいじゃないか、と思っている。

私自身もそうなっていたであろうから。

Date: 12月 16th, 2014
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その2)

Hi-Fiという略語がある。
いうまでもなくHigh Fidelityの略。

High Fidelityはハイ・フィデリティであるが、
Hi-Fiと略したものを、誰もハイフィとはいわない。
ハイファイという。

Hi-Resをハイレゾと読む人は、
Hi-Fiをハイフィと読むのだろうか。

Date: 12月 15th, 2014
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その1)

Mac OS Xになりなくなってしまったが、
それ以前の漢字Talk、System、Mac OS時代には、ResEditというアプリケーションがあった。
Appleが開発者用に提供していたものである。

ResEditは”Resource Editor”の略語である。
どう読むのか、友人と調べたことがある。
レスエディットなんだろうな、と思っていたら、どうもレズエディットらしい、ということがわかった。

リソースエディターを略して、レズエディットである。
まちがってもリソエディットとは呼ばない。

さきごろ、Hi-Resをハイレスを書いている人をみかけた。
年配の方のように思われたが、この人を笑えるだろうか。

Hi-Resは、日本ではハイレゾと読む。
High Resolution(ハイレゾリューション)の略だから、ハイレゾ。
語感のいい略語ではない。それについてはもういわない。

けれどHi-Resと表記したら、Hi-ResがHigh Resolutionの略語だと知らない人は、
ハイレス、もしくはハイレズと呼ぶように思う。
Hi-Resを、何も知らずにハイレゾと呼べる人がいるだろうか。

こんな略語で、ほんとうにHigh Resolutionを根づかせたいのか。

Date: 12月 15th, 2014
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その5)

オーディオに限らず、入門書といえば軽く見られる傾向がある。
入門書には、オーディオの入門書ならば、オーディオという趣味に読み手を招き入れれば、
それでその入門書の役目は終ってしまうのか。

今回のステレオサウンドから出版された「アナログレコードはじめてBOOK」は、
アナログディスク再生の体験がない人(読み手)を、
アナログディスク再生に関心をもたせ、アナログプレーヤーを購入させ、
アナログディスク再生を行わせれば、それで十分ということなのだろうか。

入門書は読み捨てられていくのか。

私にとっての入門書「五味オーディオ教室」は、ボロボロになっているけれど、
いまも手元にある。すぐに手の届くところにおいている。

オーディオ関係の雑誌、書籍は引越しのたびに処分していった(処分せざるを得なかった)。
「五味オーディオ教室」よりも、専門的な技術的なことが書いてあった本も手離した。
それでも「五味オーディオ教室」はずっと持っている。
最初に買った本を、いまも持っている。
もう38年経っている。

おそらく最後まで持っている入門書である。

「五味オーディオ教室」の入門書としての役目は、
私についてはもうすでに終っている、といえる。
「五味オーディオ教室」で私はオーディオにどっぷりつかってしまっているのだから。

Date: 12月 14th, 2014
Cate: 岩崎千明

ナルシスにて

海底に
万雷をきく
めざめかな

スケッチブックに、こう書かれていた。
新宿のナルシスに飾ってあった。
岡本潤氏によるもの。

岡本潤氏のことはほとんど知らない。
岡本氏が、なぜこう書いたのかはわからない。

ただジャズ喫茶の音、
岡本氏の時代のジャズ喫茶の音とは、こういうことだったのか、と勝手に思いながら眺めていた。

大音量ということだけでは、海底には届かない。
ジャズ・オーディオが大音量だった、ということがいまでも語られているが、
大音量という言葉だけで語られるものではなかったと思っている。

単なる大音量では、目から星が出る、という表現を、
菅野先生が岩崎先生の鳴らされる音を聴いて、そう言われるはずがない。

海底にまで届く万雷のようであるからこそ、ではないのか。
そういう音によって、なにかがめざめる。

遠い昔のジャズ喫茶の音はそういうものだったのかもしれない。
そして、岩崎先生の音もそうだったとおもっている。

Date: 12月 14th, 2014
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その7)

一時に中野駅に集合して、中野・渋谷・新宿とまわってナルシスを出たのは七時をまわっていた。
今回決めていたのは一軒目にロンパーチッチに行くということだけで、
次にどの店に行くのかを、はっりきと決めていたわけではない。

そうやってまわったあとに大久保に移動して忘年会。
ここでは当然アルコールがはいる。

話すことはあれこれある。
音楽とオーディオのことばかり話していたわけではない。

最後の店を出たのは十時をまわっていた。
audio sharing例会を毎月行って、そこで話しているわけだから、
こんなふうに集まっていくつかの店をまわって呑みながら話すこともないだろう、とは思っていない。

今回参加されていた方はひとりをのぞいてみなfacrbookをやっている。
それでも、会って話すのは楽しい。

いまは会わなくともやりとりはスマートフォンがあれば、頻繁に、どこででも行える。
今回のことにしても、どの店をまわるのか決めてなくともスマートフォンがあったから、
途中参加の人もすんなり合流できている。

便利にはなっている。
それでも直接会って話す。
一対一で会って話すのもいいし、こうやって何人もが集まって話すのもいい。

歳をとれば、いままで生きてきた時間よりも残り時間は確実に短い。
短いからこそ、自分のためだけに使いたい、好きなように使いたい、という気持はわかる。
けれど、その短くなった時間の一部を、
自分のためだけでなく、好きなようにではなく使うのも大切なことではないのか。

Date: 12月 14th, 2014
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その6)

今回まわった四軒の店のシステムを書き出すことはしないが、
ナルシスのシステムは、ほとんどのオーディオマニアの関心をひかない内容である。

五時開店のナルシスに、われわれはこの日最初の客だった。
私は、四軒の音で、ナルシスの音がもっとも印象に残っている。

インターネットで検索すれば、ナルシスは古くからの店で有名なことを知る。
渋谷のライオンも古い店なのだが、私にはナルシスの方が驚きもあった。
歌舞伎町の真ん中に、こういう店がずっと存在している。
しかも、そこで聴ける音は、なかなかのもの。

今回のジャズ喫茶・名曲喫茶めぐりに参加したのは私もふくめて八名。
途中参加の人、最初参加して途中抜けてまた合流という人もいたので、
八人がいっしょにいたわけではないが、五人だったり六人だったりしていた。

ロンパーチッチの音が気に入った、という人もいたし、
ライオンの音はダメという人もいれば、ここが良かった、という人もいる。
ナルシスの良かったけれど、JBSの方が印象に残っている人もいた。

どこがいちばんの音なのかを決めるために廻っていたのではないから、これでいい。
これを読まれた方の中には、
なにも一緒に行かなくとも、どれも東京都内の店なのだから、ひとりで行けばいいじゃないか、というかもしれない。

たしかにそうだ。
でもこうやって数人で一緒に廻ることで気づくことがある。
それにナルシスは今回のことがなければ、ずっと知らないままだったと思う。

Date: 12月 14th, 2014
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その5)

ロンパーチッチは開店三周年ということだった。
若い店主による、明るい雰囲気のジャズ喫茶である。
店内には書棚がふたつあった。

片側の書棚には菅原正二氏の「聴く鏡」があった。
もうひとつの書棚には岩崎先生の「オーディオ彷徨」(復刊のほう)があった。

ジャズ喫茶華やかなりしころのジャズ喫茶のイメージをもって行く人には、
ものたりないと感じるかもしれないが、私はいい感じの店だと思っている。

二軒目のライオンは、参加している人のリクエストがあった。
ここは多くの人が知っている店。
JBSとライオンは近い。

かけている音楽、店の雰囲気、オーディオ機器はずいぶんと異る。

ロンパーチッチとライオンは今回が最初ではなくひとりで行ったことがあったが、
JBSは今回が初めてだった。
店の評判をすこしは聞いていた。

JBSにいて感じたのは、ロンパーチッチの店主とJBSの店主。
歳の差はけっこうあるのだろうが、雰囲気が似ているように感じた。
ロンパーチッチの店主がJBSの店主ほどの年齢になると、こんな感じになるのかな、と思っていた。

最後のナルシスは、喫茶茶会記の店主、福地さんのすすめだった。

ナルシスに関しては何も知らなかった。
場所的にはすごいところにある。
こんなところに……、と誰もがおもうところにある古びた雑居ビルの二階にナルシスはある。