Archive for 12月, 2012

Date: 12月 9th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その24)

2011年、インターナショナルオーディオショウのステラヴォックスジャパンのブースに、
一台のアナログプレーヤーがあった。
見た瞬間に、それがマイクロのSX8000IIの流れを汲み、さらに徹底させたモノであることはわかった。
このプレーヤーの名称は”Air Force One”。

Air Force Oneではあるけれど、私は勝手に心の中でSX8000IIIと名付けていた。

SX8000は1981年、SX8000IIは1984年に登場している。
SX8000IIがいつ製造中止になったのか、正確には記憶していないけれど、
2000年、2001年までは現役のプレーヤーであったはずだ。

SX8000IIが約10年ぶりに復活した、と素直にそう喜びたかった。
けれど目の前にあるAir Force Oneは、
いまどき、よくぞこれだけのモノをつくった! と素直にそういえるところをもつとともに、
なぜ、こんなふうにしてしまった……、と思わないでいられなかった。

Air Force Oneは650万円(税別)という価格がつけられている。
650万円という価格は安いとはいえない。
Air Force Oneは高価なターンテーブルである。

けれど、Air Force Oneに注がれている技術を丹念に見ていくと、
決して法外な価格設定とはいえないし、
生産台数を考えると、むしろ(安いとはいいたくないので)お買得かも……、
そう思えるくらいの内容をもつ製品だとは思う。

なので、このAir Force Oneも、
SX8000IIと同じくらいロングセラーを続けてほしい、という気持はある。
けれどAir Force Oneのデザインのことについて黙っていられない。

しかもAir Force Oneのカタログ(販売元のステラのサイトからダウンロードできる)には、
Air Force One開発の主眼に置いたのは次の内容です、という記述があり、
そこには、次の項目が掲げられている。

全ての高級オーディオ製品の目標である不要振動を完全に除去すること
無限大に近い回転精度と限りない静粛性を追求すること
外来振動を完全にシャットアウトすること(カタログには「外来振動の」となっているが「を」の間違いだろう)
全てのトーンアームの取り付けを可能とすること
使い易さと外観の美しさに最大限こだわること
プラッター(ターンテーブル)に選択可能な多様性を持たせること
静粛性に優れリップルの全く無いエアーポンプシステムを開発すること

五番目の項目に「使い易さと外観の美しさに最大限こだわる」とある。
使い易さと外観の美しさ──、
これはいいかかれば、プレーヤーシステムとしてのデザインのことである。

Date: 12月 9th, 2012
Cate: 手がかり

手がかり(その2)

中学・高校時代、振り返ってみると、
もっとも長く聴いていたのは、グラシェラ・スサーナのレコードだったかもしれない。

クラシックも聴いていたし、ケイト・ブッシュの歌にも衝撃を受けていた。
テレビから流れてくる音楽とはまったく異質の、そして私にとっては新しい音楽を聴きはじめたころ、
それでもクラシックを聴いた後には、グラシェラ・スサーナのレコードを、
どれか一曲でも、スサーナの歌を聴くことが多かった。

クラシックのレコードは、
これは五味先生と瀬川先生の影響なのだが、どうしても輸入盤で手に入れたい、と思っていた。
少ない小遣いとアルバイトで得た、そう多くはない収入で買うのであるから、
買いなおす必要のないように、国内盤ではなく輸入盤にしたかった。

けれど、私の住んでいた田舎町にはレコード店はあっても、
輸入盤のクラシックのレコードまでは取り扱っていなかった。
輸入盤のレコードを買うには、バスに乗って約1時間、
熊本市内のレコード店に行かなければ買えなかった。

往復のバス代で輸入盤の安いものだと、もう少しで買えそうな金額になる。
頻繁に出かけて買いに行く、ということはできない。
そして、東京のように品揃いが豊富というわけではない。
聴きたいレコードが、輸入盤で必ず店頭に並んでいるわけでもなかった。

そんな時代にレコードを買って、聴いていた。

そんな事情もあって、グラシェラ・スサーナのレコードは圧倒的に揃えやすかったから、
順調にコレクションは増えていった。

クナッパーツブッシュの「パルジファル」を輸入盤で聴きたい、と思っていた高校生のころは私は、
グラシェラ・スサーナを聴いていた。

Date: 12月 8th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その23)

こんなことは書く必要はないと思うが、
音に影響を与えるのは、なにもトーレンスのリファレンスだけではない。
このクラスの、金属のかたまり的なオーディオ機器であれば、
トーレンスのリファレンスと同じようにスピーカーから出てくる音に影響を与える。

トーレンスのリファレンスは大型のプレーヤーではあるが、
リファレンスと同等、それ以上の大型のプレーヤーはいくつか出ているし、
この話はアナログプレーヤーだけに限らず、他のオーディオ機器(おもにパワーアンプ)にもいえる。

今月のaudio sharing例会で、ジェフ・ロゥランドDGのパワーアンプの話が出た。
Model 8Tは、いいアンプだと思う、と話した。
これに対して「Model 9Tよりも、ですか」と訊かれたので、「そう思っている」と答えたのには、
理由がある。

それは、いまここで書いている大きさに関係することである。

Model 9TとModel 8Tとでは、アンプとしての規模が大きく異る。
Model 8Tは1シャーシーなのに対し、Model 9Tは4シャーシーである。

ステレオ仕様で電源部内蔵のModel 8T、
モノーラル仕様で、外部電源構成をとるModel 9Tとでは、
リスニングルーム内で占める空間は1:4である。

Model 8TもModel 9Tもトーレンスのリファレンスと同じで、
アルミのかたまりである。

パワーアンプとしてのリファレンスを追求した結果であるModel 9Tは、
設置が非常に難しい、ともいえる。
部屋の広さが、40畳、60畳くらいあれば、それほど神経質に考えることも求められないが、
20畳程度であれば、Model 9Tの設置にはそうとうに神経を使うことになるし、
理想的な設置条件を20畳程度の空間で実現するのは、想像以上に困難としかいいようがない。

恵まれた空間であればModel 9Tがよくても、
現実の、それほど広くない部屋においては、現実的なModel 8Tのほうが、いいアンプといえる。

アンプとしての性能、実力はModel 9Tのほうがまちがいなく高いであろう。
けれど20畳程度の部屋ではModel 9Tが同じ空間に設置されることによる影響と、
Model 9Tの性能・実力を天秤にかけることになる。

だから私は、日本人として、かなしいけれど、それほど広い空間をもてない者として、
Model 9TよりもModel 8Tのほうを高く評価するわけである。

Date: 12月 8th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その22)

私が勤めていたときのステレオサウンドの試聴室の広さは、約20畳ほど。
決して狭い空間ではない。
20畳より広い、もっと広い空間、40畳とか60畳といった広さの空間をリスニングルームとされている人もいる。
けれど20畳は、いまでも日本人の多くにとっては広い空間になるのではないだろうか。

そんな20畳の空間においてもトーレンスのリファレンスは、
音に影響を与えるほどに大きい金属のかたまりということになる。
20畳よりもずっと広い空間であれば、
トーレンスのリファレンスの設置による音への影響は比率として小さくなっていく。

ステレオサウンドの試聴室では椅子の前にヤマハのGTR1Bを4台並べていた。
GTR1Bの左端には専用のプレーヤー台があり、そこにリファレンスとして使うアナログプレーヤーが置かれる。
ステレオサウンド 77号の試聴ではトーレンスのリファレンスは、GTR1Bの右端に置かれていた。

椅子の後にリファレンスを置いていれば、
音の影響はもう少しどころか、そうとうに減ったと思われるが、
だからといって部屋の隅に設置してはまずい。

アナログプレーヤーは、いうまでもなく設置場所によって音は変化するし、
ハウリングの出方も変化していく。
なにごともやってみなければわからないところがあるというものの、
原則として部屋の隅にアナログプレーヤーを置くことはしない。

なぜなのかは、実際にやってみればすぐに理解できるはず。

トーレンスのリファレンスといえば、菅野先生のリファレンスプレーヤーである。
菅野先生がご自身のリスニングルームのどこにリファレンスを設置されているか──、
それは、ここしかない、という場所である。

Date: 12月 7th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その21)

“Reference”という名称をもつアナログプレーヤーは、
トーレンスのリファレンス以外にもいくつかある。
けれど、私にとって”Reference”と呼べるプレーヤーはトーレンスのリファレンスだけであり、
あとのリファレンスは、「これもリファレンスなのか……」という感じである。

トーレンスのリファレンスは木製のベースも含めると、その重量は100kgを超えている。
外形寸法はW62×H36×D51cm。かなりの大型プレーヤーであるばかりでなく、
全体的に量感のある外観をもつ、実に堂々としたプレーヤーである。

こまかくみていくと、振動をコントロールするためにアイアングレイン(鉄の粒)、合板なども使われているが、
圧倒的にアルミのかたまり、といえる。
惜しみなく物量を投入した設計だし、
ただ物量を投入しただけのプレーヤーではないからこそ、
リファレンスの音は、これと肩を並べるプレーヤーはごくわずかに存在していても、
これを優るプレーヤーはない、と私は断言しておく。

トーレンスのリファレンスよりも高価なプレーヤー、能書きの多いプレーヤーは存在する。
けれど、そのどれも私の琴線にはまったくひっかからない。
私がアナログディスク再生に求めているものとは、じつに正反対の音を出す。
その手の音を、いい音、新しい音と持て囃す人がいる──。
けれど、私にはまったく関係のないことでしかない。
私にとって、それは新しい音でもなければ、いい音でもないからだ。

ステレオサウンド試聴室での、井上先生によるDS2000の試聴のときまで、
アナログプレーヤーにはある程度の物量は必要だし、
物量をうまく投入したプレーヤーでなければ聴けない音がある以上、
トーレンスのリファレンスの大きさは、大きいと思っても、
それは音のために仕方のないことだと思ってもいた。

けれどリファレンスが同一空間にあるだけで、
すくなくともスピーカーと聴取位置とのあいだに、視覚に入る範囲にあれば、
その存在が、これほど音に影響を与えているとは、まったく思っていなかった。

だから毛布を一枚リファレンスにかけただけの音の変化の大きさに驚き、
ある程度の大きさの金属のかたまりが音響的にどう影響しているのか、をはじめて実感した。

Date: 12月 7th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その20)

SMEの最初のトーンアーム3012が、オルトフォンのSPUのためにつくられたのだから、
Series VがSPUの良さをこれほどよく引き出したのは、いわば当然の帰結なのだ、
と、そう信じられるほどによくSPUが鳴ってくれた。

Series VがSPUのために開発されたトーンアームなのかどうかは、はっきりとしない。
けれど、そんなことは音を聴けばわかる。
そう断言できるほどに、SPUの本領が、ほぼすべて発揮された音をやっと聴くことができた。

Series Vをトーレンスのリファレンスに取り付けて、SPUを鳴らしてみたら……、
ということは、不思議なことにまったく思わなかった。
私の性格からして、そう思いそうなのに、
SPUにとってSeries Vが最良のパートナーであるのと同じように、
Series VにとってSX8000IIが、すくなくともこのときは最良のパートナーであった。
おそらく、これはいまもそうではないか、と思う。

これを書きながら、Series Vをリファレンスと組み合わせたら……、と想像している。
もちろん素晴らしい音が聴けるのは、間違いのないこと。
けれど……、と思い出すことがある。

いまから27年前のこと。
ステレオサウンドの試聴室で、井上先生による新製品の試聴を行っていた。
ダイヤトーンのスピーカーシステムDS2000の取材だった。
このときのことは、ステレオサウンド 77号に載っている。
すこし引用しておこう。
     *
最初の印象は、素直な帯域バランスをもった穏やかな音で、むしろソフトドーム型的雰囲気さえあり、音色も少し暗い。LS1(注:ビクターのスピーカースタンドのこと)の上下逆など試みても大差はない。いつもと試聴室で変わっているのは、試聴位置右斜前に巨大なプレーヤーがあることだ。この反射が音を濁しているはずと考え仕方なしに薄い毛布で覆ってみる。モヤが晴れたようにスッキリとし音は激変したが、低域の鈍さが却って気になる。置台が重量に耐えかねているようだ。
     *
試聴位置右斜前にあった巨大なプレーヤーとは、トーレンスのリファレンスのことだ。

Date: 12月 6th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その19)

オルトフォンのカートリッジは、田舎でのシステムでMC20KKIIを使っていた。
SPUも聴いてみたかったし、手に入れてみたかったのだが、
そのころの私の使っていたプレーヤーシステムのトーンアームでは、32gの自重のSPUは無理があった。

MC20MKIIはいいカートリッジだったし、気に入っていた。
同じオルトフォンでもMCシリーズとSPUシリーズが違うことは知ってはいた、
そのSPUシリーズがSPU-Goldとなってリファインされたことが、
SPUへの関心をそうとうに大きくしてくれた。

EMTのTSD15も、オルトフォンのSPUをベースに開発されたカートリッジだと云われていたし、
伝統的な鉄芯入りのMC型カートリッジの両雄ともいえるSPUとTSD15。

なのにSPUに対して、手に入れるという行動にまでいたらなかったのは、
TD15にはEMTの930st、927Dst、トーレンスのリファレンスといった、
TSD15にとって最良といえる専用プレーヤーシステムが存在していたのに対し、
SPUには専用のトーンアームはあったけれど、
専用、もしくは最良のプレーヤーシステムがなかったことが大きく影響している。

いつのころからなのかは自分でもはっきりしないけれど、
カートリッジ、トーンアーム、ターンテーブルとの三位一体での音──、
だからこそプレーヤーシステムとして捉えていることに気がつく。

そんな私が、SX8000II + Series V + SPU-Goldの音を聴いたとき、
はじめてSPUを欲しい、自分の音として欲しい、と思ったことを、いまでも憶えている。

私にとってSPUを最良に鳴らしてくれるのはSX8000II + Series Vの組合せであり、
SX8000II + Series Vの組合せに最適のカートリッジはSPUであり、
ターンテーブルは日本のマイクロ、トーンアームのイギリスのSME、カートリッジはデンマークのオルトフォン、
国もブランドもばらばらなのに、SPUとっての三位一体のプレーヤーシステムがやっと登場してくれた──、
本気でそうおもえたし、いまもそうおもっている。

Date: 12月 6th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その18)

おもえば日本という国は、カートリッジをあれこれ交換して聴く、という環境に恵まれていた。
SMEの規格がいわば標準規格のように採用されて、
ほとんどのプレーヤーでヘッドシェルごとカートリッジを容易に交換できるようになっている。
単体で販売されていたトーンアームのほとんどが、やはりヘッドシェル交換型であった。

MM型カートリッジの特許はアメリカのシュアーとドイツのエラックがもっていたが、
日本では特許が認められなかったため、日本国内では国内メーカーからMM型カートリッジがいくつも登場した。
けれど、これらのカートリッジはシュアーとエラックの特許が認められている海外への輸出はできなかった。

日本でしか販売できない日本のメーカーによるMM型カートリッジの種類は、実に多かった。
それに国内のMC型やコンデンサー型など、他の発電方式のカートリッジ、
海外製のカートリッジの多くが輸入されていたし、1970年代のオーディオ販売店の広告には、
カートリッジをまとめ買いすることで、定価があってないような価格で売られてもいた。

私はというと、そのころはまだ高校生だったし田舎暮らしだったこともあり、
FM誌に載っている、その販売店の広告を見ては、
上京したら、このカートリッジとあのカートリッジを買うぞ、と思うだけだった。

なのに実際に上京したら、何度も書いているように、
とにかくSMEの3012-Rだけは買っておかなければ、ということで、
これだけは無理して買った(当時の広告では限定販売となっていたので)。
ステレオサウンドで働くようになるまで、手持ちのオーディオ機器は、この3012-Rだけだったから、
カートリッジをあれこれ買うぞ、というのは妄想に終ってしまった。

ステレオサウンドにいたことも大きかったと思うのだが、
結局、私はEMTのカートリッジがあれば、
あのカートリッジも、このカートリッジも欲しい、という気はあまりおきなかった。
ステレオサウンドの試聴室で聴けるし、
仕事でカートリッジの交換を頻繁にやっていると、自分のシステムでまで、
頻繁にカートリッジを交換して聴く、という気がなくなっていったのかもしれない。

それでも、ときどきノイマンのDSTを知人から借りたり、
オーディオテクニカから当時販売されていたEMTのトーンアーム用のヘッドシェルに、
いくつか気になるカートリッジを取り付けて聴いたことはあったけれど、
DST以外はEMTのTSD15にすぐに戻っていた。

そんな私でも、オルトフォンのSPUだけは、現行のカートリッジの中で気になっていた。

Date: 12月 6th, 2012
Cate: 手がかり

手がかり(その1)

オーディオでは、出てきた音をどう判断するかもひじょうに重要である。

そこで思い出すのが、黒田先生が「ないものねだり」(聴こえるものの彼方へ・所収)で書かれていたことだ。
     *
 思いだしたのは、こういうことだ。あるバイロイト録音のワーグナーのレコードをきいた後で、その男は、こういった、さすが最新録音だけあってバイロイトサウンドがうまくとられていますね。そういわれて、はたと困ってしまった。ミュンヘンやウィーンのオペラハウスの音なら知らぬわけではないが、残念ながら(そして恥しいことに)、バイロイトには行ったことがない。だから相槌をうつことができなかった。いかに話のなりゆきとはいえ、うそをつくことはできない。やむなく、相手の期待を裏切る申しわけなさを感じながら、いや、ぼくはバイロイトに行ったことがないんですよ、と思いきっていった。その話題をきっかけにして、自分の知らないバイロイトサウンドなるものについて、その男にはなしてもらおうと思ったからだった。さすが云々というからには、当然その男にバイロイトサウンドに対しての充分な説明が可能と思った。しかし、おどろくべきことに、その男は、あっけらかんとした表情で、いや、ぼくもバイロイトは知らないんですが、といった。思いだしたはなしというのは、ただそれだけのことなのだけれど。
     *
黒田先生がこの文章を書かれたのは1974年、私はまだそのころはステレオサウンドも知らなかった。
オーディオという趣味があることも知らなかったし、黒田先生の存在も知らなかった。
この文章を読んだのは、ステレオサウンドから「聴こえるものの彼方へ」が出てからだから、
もうすこし先、1978年のことであり、ステレオサウンドを読みはじめていたし、
自分のステレオを持つことも出来ていた。

読んで、まず、どきっ、とした。
1978年ではまだ15歳、そうそう好きなレコード、聴きたいレコードを自由に買うことなんてできなかった。
オペラのレコードはまだ何も持っていなかった。
ワーグナーのレコードを買いたい、聴きたい、という欲求はもっていても、
まだ手が出せなかった。

クナッパーツブッシュの「パルジファル」が特に聴きたかったワーグナーの楽劇だった。
もっともそのころ聴いたとしても、退屈だったろう、と思うのだが。

クナッパーツブッシュの「パルジファル」のLPを買うことができたのは、
ステレオサウンドで働くようになってからだから、「ないものねだり」を読んでから、さらに数年が経っていた。

「パルジファル」が私にとって、
バイロイト祝祭劇場でステレオ録音されたいくつものレコードで初めて聴いたものだった。

フルトヴェングラーのベートーヴェンの「第九」は聴いていたけれど、
これはモノーラル録音で決して状態もいいとはいえない。

結果として「パルジファル」を黒田先生の文章を読んだ後に聴いて、よかった、と思っている。

Date: 12月 5th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その17)

EMT・927Dst、トーレンスのリファレンス、
このふたつのプレーヤーシステムの音に関しては、EMTのカートリッジTSD15とかたく結びついている。

927DstはTSD15を前提としたプレーヤーであるから当然として、
トーレンスのリファレンスも最初に聴いたときがTSD15とトーンアームもEMTの929だった。

リファレンスには最大3本のトーンアームを装着できる。
TSD15 + 929は標準装備でもあったようだ。

リファレンスはステレオサウンド試聴室で一時期リファレンスプレーヤーとして使われていたことがある。
そのときに、いくつかのカートリッジを聴く機会を得たわけだが、
私にとってリファレンスの音は、
最初に聴いた時から、いまもそしてこれから先もずっとTSD15との音である。
TSD15と切り離して考えることはできないわけだ。

マイクロのSX8000IIも、ステレオサウンド試聴室のリファレンスプレーヤーであった。
私がステレオサウンドにいたまる7年間で、もっとも長くリファレンスプレーヤーとして使われていたのが、
SX8000IIとSMEの3012-R Proの組合せである。

この組合せからなるプレーヤーで、いくつもカートリッジを聴いてきた。
リファレンスプレーヤーとして、この組合せはあったけれど、
リファレンスカートリッジは、なにかひとつに決っていたわけではない。
オルトフォンのSPU-Goldがリファレンスの場合もあり、トーレンスのMCHIIのときもあり、
他のカートリッジがリファレンスのときもあった。
人により、時によりリファレンスカートリッジはその都度違っていた。

だからなのかもしれない、SX8000IIに3012-R Proの音をいいと感じてはいたものの、
その音は、ある特定のカートリッジと結びついていたわけではない。

この点が、SX8000IIにSMEのSeries Vを組み合わせた時と大きく異る。
私にとってSX8000II + Series Vの音は、オルトフォンのSPU-Goldとの組合せである。

最初に聴いたのがSPUだったことも大きく関係している、とおもう。
それでもその後、いくつもカートリッジをSeries Vに取り付けては聴いている。
Series Vに取り付けて、およそいい音で鳴らないカートリッジはなかった。
もしSeries Vでいい音で鳴らないカートリッジがあるのならば、
そのカートリッジはどこかおかしいのか、そうでなければSeries Vの調整が狂っている、
そう判断してもいいと断言できるくらいに、Series Vの音は、あの時もいまもこれに匹敵するものはない。

それでもSPUでの音は格別だった。
ずっとEMTで聴いてきた私だけに、
よけいにSX8000II + Series V + SPU-Goldの音は、より克明に記憶に刻まれているのだ、と思う。

Date: 12月 5th, 2012
Cate: 4345, JBL, 瀬川冬樹

4345につながれていたのは(その4)

ステレオサウンド 61号の編集後記に、こうある。
     *
今にして想えば、逝去された日の明け方近く、ちょうど取材中だったJBL4345の組合せからえもいわれぬ音が流れ出した。この音が先生を彷彿とさせ、話題の中心となったのは自然な成り行きだろう。この取材が図らずもレクイエムになってしまったことは、偶然とはいえあまりにも不思議な符号であった。
     *
この取材とは、ステレオサウンド 61号とほぼ同時期に発刊された「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、
井上先生による4345の組合せのことである。
この組合せが、この本の最初に出てくる記事にもなっている。

ここで井上先生は、アンプを2組選ばれている。
ひとつはマランツのSc1000とSm700のペア、もうひとつはクレルのPAM2とKSA100のペアである。

えもいわれぬ音が流れ出したのは、クレルのペアが4345に接がれたときだった、ときいている。

このときの音については、編集後記を書かれたSさんにも話をきいた。
そして井上先生にも直接きいている。
「ほんとうにいい音だったよ。」とどこかうれしそうな表情で語ってくれた。

もしかすると私の記憶違いの可能性もなきにしもあらずだが、
井上先生は、こうつけ加えられた。
「瀬川さんがいたのかもな」とも。

Date: 12月 5th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その11)

書きながら、骨格のしっかりした音を説明することの難しさを感じている。
わかってくれる人が少なからずいる。
その人たちは、すぐに納得してくれている。

その一方で、骨格のしっかりした音がどういうものなのかまったくイメージできない人もいても不思議ではない。
私が勝手に推測するに、いまの時代は後者の人のほうが圧倒的に多いのではないだろうか……、
そんな気がしてならない。

そう思ってしまうのは、いま高い評価を得ているスピーカーシステムを聴いても、
私の耳には、それらのスピーカーシステムの音が、骨格のしっかりしたものとは思えないからである。

しっかりしたものと思えない、という表現よりも、
骨格を感じさせない音、意識させない音、といってほうがいい。

骨格を感じさせるのがいい音なのか、それとも感じさせない(意識させない)音がいいのか、
私にとっては、聴く音楽、聴く演奏家が骨格のしっかりしたものを要求しているように感じることもあって、
骨格のしっかりした音が、そうでない音よりも、いいと判断してしまう。

けれど聴く音楽が異り、
聴く音楽は私と同じクラシックが中心でも、聴く演奏家が大きく異るのであれば、
骨格のしっかりした音を求めない人もいるだろうし、
聴く音楽も聴く演奏家も私と同じでも、
これまで聴いてきた音が、骨格のない音ばかりであったとするならば、
もしかすると、その人は、再生される音のうちに骨格を感じとることができるのだろうか。

さらに思うのは、いまのオーディオ評論家を名乗っている人たちのなかに、
骨格のしっかりした音を求めている人、
求めていなくとも骨格のしっかりした音をきちんと聴き分けている人がいるだろうか。
そんなこともつい思ってしまう。

もう骨格のしっかりした音は、旧い世代の人間が求める音の要素かもしれない、
と思っていたところに、私よりもずっと若いジャズ好きの人は、
骨格のしっかりした音という表現にうなずいてくれている。

ということは世代はあまり関係のないことのようだ。
やはり聴く音楽、聴いてきた音が影響を与えているともいえるし、
そういう音楽を、そういう音を求めてきたのは、やはりその人自身であるわけだから、
ここでも「音は人なり」ということに行き着いてしまう。

そして、もうひとつ思い出すのは、この項の(その1)で引用した岡先生の文章のなかのフレーズである。
「演奏家が解釈や技巧をふりかざしてきき手を説得しようという姿勢はまったく見られない。」

骨格のしっかりした音とは、そういう音なのだ、といいたくなる一方で、
骨格のない音、骨格のいいかげんな音は、
解釈や技巧をふりかざしてきき手を説得しようとする音なのかもしれない、と。

Date: 12月 4th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その16)

マイクロのSZ1について、その細部についてあれこれ書くことは出来るけれど、
書いていて気持のいいものではないし、読まれる方はもっとそうだろうから、
細々としたことは書かない。

私は、ただSZ1でアナログディスクをかける気が全くしないわけだが、
同じマイクロのSX8000IIに対しては、違う感情・感想をもっている。

おそらくSZ1を担当した人とSX8000IIを担当した人は違うのだと思う。
だからといってSX8000IIのデザインが、
アナログプレーヤーシステムとしてひじょうに優れたものとは思っていない。

細部には注文をつけたくなるところがいくつもあり、
全体的なことでもいいたいことがないわけではない。
でも、SX8000IIは自家用のプレーヤーシステムとして使いたい、と思わせるプレーヤーになっている。

SZ1もSX8000II、どちらも金属の塊である。かなりの重量の金属の塊であるのだが、
目の前においたときの印象はずいぶんと違う。
音も、SZ1の音はまったく印象に残っていないと書いているが、
SX8000IIをはじめて聴いた時のことは憶えている。
もっと強く印象に残って、はっきりと思い出せるのは、SMEのSeries Vと組み合わせたSX8000IIの音だ。

私の耳にいまも、おそらく死ぬまでずっと残っているアナログプレーヤーの音は、
EMTの927Dst、トーレンスのリファレンス(この2機種はどちらもEMTのTSD15での音)、
そしてSX8000II + Series V + SPU-Goldの音である。

RX5000から始まった、このシリーズはSZ1でどか違うところにいってしまうのではないか、と思ったりもしたが、
SX8000IIで、かなりのところまで完成度を高めている。

だから927Dst、リファレンスとともに、私の耳にいつまでものこる音を出したのだろうし、
SX8000IIが日本のプレーヤーであることは、やはり嬉しくおもう。

Date: 12月 3rd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その15)

アナログプレーヤーは、他のオーディオ機器とは違う。
それはデザインにおいて、決定的に違うところがある。

オーディオ機器のデザイン、
アナログプレーヤーのデザイン、CDプレーヤーのデザイン、チューナーのデザイン、
カセットデッキのデザイン、オープンリールデッキのデザイン、
コントロールアンプのデザイン、パワーアンプのデザイン、スピーカーシステムのデザイン、
これらのなかでアナログプレーヤーのデザインだけが、特別に違うのは、
アナログプレーヤーのデザインはアナログプレーヤーだけでは完結しない、ということと、
アナログプレーヤーにおける「主」は、ターンテーブルプラッター、トーンアーム、カートリッジなどではなく、
LP(アナログディスク)だという点にある。

コントロールアンプにはコントロールアンプのデザインの難しさ、
パワーアンプにはパワーアンプのデザインの難しさ、
スピーカーシステムにはスピーカーシステムのデザインの難しさがあるわけだが、
それでもアンプにしてもスピーカーにしても、
(部屋との調和、他の機器との調和という問題はあるにせよ)単体で完結している。

プログラムソースとなるオーディオ機器、
カセットデッキ、オープンリールデッキ、CDプレーヤーもアナログプレーヤー同様、
メディアをセットするオーディオ機器であるわけだが、
カセットデッキ、CDプレーヤーはメディアの大きさと機器との大きさが違いすぎるし、
カセットテープもCDも基本的には本体中にセットされ、
CDはほとんど見えない状態で、カセットテープも一部が外から見える程度である。

オープンリールデッキは、CD、カセットテープに比べればずっと大きいわけだが、
オープンリールデッキのデザインは、すでにリール込みのものである。
そのリールもデッキ本体と同じ金属製である。

アナログプレーヤーでは直径がLPでは30cmあり、
その材質は塩化ビニールであり、金属ではない。
艶のある漆黒の円盤がアナログディスクであり、しかも表面には溝が刻んである。
そこに音楽が刻まれていることが視覚的に確認できる。

テープにも音楽が記録されているわけだが、人間の目にはテープ表面の磁性体の変化を捉えることは出来ない。
録音されているテープとそうでないテープを目で判別は出来ない。

そういうアナログディスクを、ほぼ中央にセットして回転させるのがアナログプレーヤーであり、
アナログプレーヤーシステムを構成するのは、
ターンテーブル、トーンアーム、カートリッジ、プレーヤーキャビネットなどだけでなく、
アナログディスクがあって、はじめてプレーヤーシステムとして構成されることを、
気づいていないメーカー、それを忘れてしまったメーカーがつくるプレーヤーで、
アナログディスクを再生したいと思うだろうか。

マイクロはSZ1において、このことを忘れてしまったとしか思えないのだ。
だからSZ1を私は認めない。

Date: 12月 3rd, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その14)

マイクロのターンテーブルにXがつくモデルは、
ダイレクトドライヴ型では、あの有名なDDX1000(DQX1000)がある。

おそらくターンテーブルプラッターのみだけという印象を与える構成のモデルに、
マイクロはXの型番をつけているのだと思う。
RX5000、RX3000、SX8000も、だからXが型番につく。

SZ1は、Xがつくモデルとは異り、一般的なプレーヤーと同じシルエット、
つまりベースがRX5000、SX8000よりもぐんと拡がっていることもあって、
SX1ではなく、SZ1という型番となったのだろう。

と同時にマイクロにとって、その当時の、もてる技術をすべて注ぎ込んで開発した、
いわばマイクロにとってのフラッグシップモデルでもあったわけで、
その意味も込めて、アルファベットの最後の文字であるZを型番に使っている、といわれている。

SZ1が登場したとき、私はすでにステレオサウンドにいた。
SZ1には、実を言うと、すごく期待していた。
SX8000をこえるモデルを、マイクロが開発した。
これだけでもわくわくして、SZ1の到着をまっていた。

SZ1の個々のパーツは木枠にはいって届いた。
そういう重量の製品であることが、梱包の状態からでも伝わってくる。
重量のあるプレーヤーが、必ずしもいい音を出してくれるわけではない。
そんなことはわかっていても、
やはり物量を投入しないと、どうしても出せない音があるのも同時にわかっている。

トーレンスのリファレンスをこえるアナログプレーヤーが、
日本の製品として登場してくれるのかも、とも期待していたことを思い出す。

木枠が開けられ、パーツが取り出され組み立てられていくSZ1を見て、
期待は完全に失望へと変っていた。

アナログプレーヤーは、基本メカニズムであり、
だからこそ精度が重要であることは理屈として正しい。
その精度の高さを実現しているのがSZ1なのもわかる。
けれど、なぜここまで冷たい雰囲気を漂わせなければ成らないのか。

RX5000、SX8000よりも大きくなったベース。
それだけに色、仕上げ、質感は、より大きなウェイトをもつことになるのは誰にでもわかることだ。
なのに、この色、この仕上げ、この冷たさ……。

SZ1の音のことについては書いていない。
実は、ほとんど印象に残っていないからだ。

たしかにステレオサウンドの試聴室で聴いた。
それは短い時間ではなかった。
でも記憶に残っていない。