Archive for 5月, 2009

Date: 5月 19th, 2009
Cate: Wilhelm Backhaus, 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(補足・1)

ケンプの演奏によるベートーヴェンのピアノソナタ第32番が、
五味先生が病室にて最期に聴かれたレコードなのは、すでに書いているが、
タンノイ・オートグラフで愛聴されていたのは、バックハウスの演奏である。

それもスタジオ録音のモノーラル盤、ステレオ盤ではなく、
1954年、アメリカへの入国禁止が解かれ、3月30日、カーネギーホールでのライヴ盤を愛聴されていた。

バックハウスは、このあと来日している。
五味先生は聴きに行かれている。日比谷公会堂での演奏だ。

前年、「喪神」で芥川賞を受賞されていたものの、新潮社の社外校正の仕事を続けられていたときで、
2階席しかとれず、「難聴でない人にこの無念の涙はわからないだろう」と、
「ウィルヘルム・バックハウス 最後の演奏会」の解説に書かれている。

日本でも、バックハウスは、作品111を演奏している。

カーネギーホールでの演奏と、五味先生が聴かれたコンサートがいつなのかはわからないが、
そのあいだは約1ヵ月ほどだろう。
1954年のカーネギーホールのライヴ盤を愛聴されていたのは、単なる偶然なのか。

このレコードについて、「ステレオのすべて No.3」(朝日新聞社)に書かれている。
     ※
作品111のピアノ・ソナタ第32番ハ短調もそんな後期の傑作の1つである。バックハウスのカーネギー・ホールにおける演奏盤(米ロンドLL-1108/9)を今に私は秘蔵し愛聴している。作品111はベートーヴェンの全ピアノ曲中の白眉と私は信じ、入手し得るかぎりのレコードを聴いてきた。印象に残る盤だけを挙げても、ラタイナー、イヴ・ナット、ケンプ、ミケランジェリー、グレン・グールド、シュナーベル、モノーラル及びステレオ盤でのバックハウスと数多くあるが、愛聴するのはカーネギー・ホールに於ける演奏である。
(中略)
ベートーヴェンの〝あえた〟としか表現しようのない諦観、まさに幽玄ともいうべきその心境に綴られる極美の曲趣は、ミケランジェリーの第2楽章が辛うじて私の好む優婉さを聴かせてくれるくらいで、他は、同じバックハウスでも(とりわけモノーラルの演奏は)カーネギーでさり気なく弾いた味わいに及ばない。
     ※
私はCDで愛聴している。

五味先生が書かれていることは、私なりにではあるが、わかる(気がする)。

とはいえ、いま私が聴くのは、作品111よりも、作品110のほうだ。
第30番、31番とつづけて聴くことが多い。作品111の前でとめる。
だからケンプだったり、グールド、内田光子の演奏を聴くことのほうが多くなる。

Date: 5月 19th, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その50)

そういえば、こんなこともあった。
ステレオサウンドで働くようになって、まだそんなに経っていない頃、
ある国産メーカーから、パワーアンプが登場した。
そのメーカー独自の回路を採用しながらも、実験機的な印象は完全に払拭した、
大人の雰囲気を感じさせるアンプで、
編集部のNさんとふたりで、「いい音だなぁ」と盛り上がって聴いていた。

なめらかで純度も高く、パワーを上げていっても、不安定さを感じさせない。
聴いていると、ついついボリュームを上げていることに気がついた。

それにいい音なのに、なぜだか、音楽を聴いた満足感が希薄なことにも気がついた。

翌日も、ひとり試聴室にこもり聴いていた。
それでわかった。
ピアニシモに力が感じられない。だから無意識にボリュームをあげていた。

しばらく経ち、長島先生の試聴があった。
長島先生と会うのは、これが2回目だったと記憶している。
このとき、このアンプが話題になった。
「どう思う?」ときかれた。

Date: 5月 18th, 2009
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その49)

長島先生が、接点のクリーニング、スピーカーユニットを留めているネジの増し締めについて、
うるさいほど言われるのは、微小な音の明瞭度をすこしでもよくするためである。

長島先生は、試聴レコードに、よくラヴェルを使われた。
モニク・アース(Monique Hass)のレコードは、長島先生に教えてもらい、その魅力を知ることができた。

モニク・アースのレコードは、五味先生の「オーディオ巡礼」の中にも出てくる。
「続オーディオ巡礼(三)」で、ステレオサウンドの原田社長(当時)のリスニングルームを訪問されたとき、
そのとき原田氏がかけられたレコードの1枚が、モニク・アースのラヴェルのパヴァーヌである。

おそらく長島先生が、原田氏に教えられたのだと思う。

「音の色彩がきちんと再現されないと、ラヴェルはつまんなくなるからね」──、
これも、よく言われていた。

長島先生は、よく出来た真空管アンプは「色数が多い」とも言われていたし、
トランジスターアンプは「まだまだ色数が少ない」のが不満だとも、この言葉も何回聞いたことだろう。

Date: 5月 18th, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その48)

最新のコントロールアンプは、フォノイコライザーアンプを搭載していないことも有利に働いて、
マランツ#7よりも、残留ノイズの値は、2桁ほど低いだろう。
最新のアンプのなかでも、残留ノイズの差はあり、1桁くらい異なるときいたことがある。

残留ノイズの測定値が同じアンプが2台あったとしよう。
どちらもノイズフロアー領域でも、微小信号が失われないとしても、
聴こえ方は、聴感上のSN比は差があるように感じられることもある。

微小信号とノイズの聴こえ方の違いが生じているからだ。

消え入るような音にノイズがまとわりついて聴こえるアンプもあれば、
分離して聴こえるアンプもある。
ノイズの分布の仕方も違う。どこかの周波数帯域に集中しているのか、
それともサーッと拡げて薄めたような感じなのか。

長島先生は、前のめりになって聴かれる。
ピアノの余韻が消え入るようなところでは、どこまでも音が続く限り、
音の気配がわずかでも感じられるかぎり、その音にピントを合わせるため、
息をひそめ聴かれている、そんな印象をいつも受けていた。

Date: 5月 18th, 2009
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その47)

以前書いたように、長島先生は1932年生まれ。菅野先生、山中先生も同年生れ。
岡俊雄先生は1916年、岩崎先生は1928年、井上先生は1931年、瀬川先生は1935年、黒田先生は1938年である。

みなさん、SP時代からレコードで音楽を聴かれている。
SPがモノーラルLPに、そしてステレオLPになり、CD、さらにSACD、DVD-AUDIOと、
それぞれのパッケージメディアを、すべて同時代で経験されてきている。

パッケージメディアの変化は、ノイズの低減の歴史でも有る。
いまでこそSN比といっているが、昔のラジオやSPには、ノイズの方が多くて、
NS比と言いたくなるものもあったと聞いている。
「そんななかで音楽を聴いてきたんだ、ぼくらは」ということを、長島先生からきいたことがあるし、
他の先生から聞いたこともある。

ノイズの中の音楽、弱音に耳をすまして聴き逃すまいと集中してきた経験が、
いまの耳をつくっているとも言われた。

Date: 5月 17th, 2009
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その12)

オーディオにおける「組合せ」とは、スピーカーにアンプやCDプレーヤー、アナログプレーヤー、
さらにこまかくケーブルを含めたアクセサリーを選択していくことだけにとどまらないと、私は捉えている。

オーディオは、すべて「組合せ」だと考えている。
スピーカーシステムは、スピーカーユニット、クロスオーバーネットワーク、エンクロージュアから、
おもに構成されている。
こまかくあげていけば、吸音材、内部配線材、入力端子なども含まれ、
つまり、これらの集合体(組合せ)がスピーカーシステムである。

さらに構成部品ひとつをこまかく見ていけば、スピーカーユニットは、主な構成部品としては、
振動板、磁気回路、フレームであり、
これらもこまかく見れば、エッジ、ダンパー、ポールピース、ボイスコイル(およびボビン)などがある。

振動板に紙を選択したコーン型ユニットであれば、
どういうエッジを採用し、ダンパーの材質、形状はどうするか、
ボイスコイルはアルミを使うのか銅にするのか、エッジワイズ巻にするのかどうか、
ボビンの素材、厚み、強度は……、など、こまかいパラメーターの組合せであり、
どこかひとつを変えれば、特性も変化し、音も変わっていく。

構成要素の、比較的少ないスピーカーユニットでも、組合せの数は膨大となる。
そのなかから目的に添う組合せを選択するのが、設計ともいえる。

アンプとなると、とくにソリッドステートアンプをディスクリート構成で組むとなると、
その組合せは無数ともいえる。

ありきたりなものを安易に選択して組み合わせていくのか、
それとも細部に至るまで綿密に検討し、
ときに新しい回路(新しい組合せともいえるだろう)を生み出すのか。

回路が決定したとしても、実際にどうレイアウトするのかも,組合せといえるだろう。

こんなふうに書いて行くときりがないので、このへんでやめておくが、
およそ「組合せ」といえないものは、オーディオには存在しないのではないだろうか。

Date: 5月 17th, 2009
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その11)

マグネシウム振動板のコーン型フルレンジ・ユニットは登場していたが、
なかなかコンプレッションドライバーは登場しなかった。
やっと今年、JBLから、これこそ満を持して、と言いたくなるほど、Series Vから20年以上待って、
4インチ・ダイアフラムのマグネシウム振動板を採用したS9900が登場した。

ここから、妄想は始まる。
マグネシウム振動板を、タンノイが採用してくれたら……、そんなことを想っている。

現行のデュアルコンセントリックのトゥイーター部の振動板は、アルミ・マグネシウム合金とある。
ならばマグネシウム合金振動板の採用もあるのではないだろうか。もう一歩、突き進んでくれればいいのだ。
そのとき、もう一度、オートグラフを復刻してくれたら、と妄想はさらにふくらむばかり。

オートグラフまで、とは言わないものの、エンクロージュアにはフロントショートホーンを採用してほしい。
これまで聴いてきたタンノイのスピーカーから出てきた音色にぐらっと心が大きく揺らいだのは、
いずれもフロントショートホーンつきのモノばかりだった。
オートグラフ、ウェストミンスター、
それにステレオサウンドの特別企画で製作されたコーネッタ・エンクロージュア。

タンノイのデュアルコンセントリックは、ご存じのように、ウーファーのコーン紙が、
トゥイーターのホーンの延長をかねている。
アルテックの同軸型ユニット、604シリーズが一貫してストレートコーンなのに対し、
デュアルコンセントリックは1947年のオリジナルモデルからカーブドコーンである。

そのデュアルコンセントリック・ユニットの前面にフロントショートホーンを設けるということは、
さらにホーンを延長することでもあり、トゥイーターのダイアフラムには、
より大きなアコースティックな負荷がかかっているのではないだろうか。

このくらいの負荷が、実は必要なのではないかと思うほど、
フロントショートホーンつきのタンノイの音色は、まことに美しい。

1986年に、創立60周年を記念して発売されたR.H.R. Limitedのエンクロージュアが
バックロードホーンだったのには、この先もタンノイは、ウェストミンスター以外に、
フロントショートホーンを採用することはないんだろうな、と、
勝手に描いていた夢が打ち砕かれたような気がした。

それでもマグネシウム・ダイアフラムのデュアルコンセントリックに、
フロントショートホーンつきエンクロージュアの、
タンノイ純正のスピーカーシステムが登場してくれることを、あきらめきれずにいる。

Date: 5月 17th, 2009
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その10)

いまも売られているから、かなりのロングセラーなのが、オーディオテクニカのヘッドシェル、MG10。
型番が示すようにマグネシウム合金を使い、自重が10g。以前は自重の異るモノも用意されていたと記憶している。
写真をみるかぎり、当時のままのつくりのままで、価格も税込みで3780円(私が買ったころは2500円だったか)。
すこし懐かしさも感じるが、音は、というと、その後に買ったオーディオクラフトのAS4PLのほうが、
ずっと好ましかったし、カタチも気にいってたし、指かけの具合が良かった。
そんなことがあったので、実はMG10には、特に悪い印象もないけれど、いい印象も残っていない。

それでもマグネシウムに対する期待だけはずっと持っていて、
やっぱりマグネシウムはスゴイ、と思う日は、SMEのSeries Vの登場まで待つしかなかった。

なにもSeries Vの素晴らしさは、マグネシウムだけでないことは重々承知した上で、
それでも、あの音は、マグネシウムでなければ出ない、と思い込めるほどに、
マグネシウムへの期待は、いまでも大きい。

だから、ずっとコンプレッションドライバーのダイアフラムに、いつ採用されるのか、どこが採用するのかが、
Series Vを聴いてからの期待でもあった。

Date: 5月 17th, 2009
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その9)

たしか朝日新聞だったと記憶しているが、時期もちょうど1977年ごろだった。
文化面に、オーディオ雑誌の試聴のありかたを問題にした記事が載ったことがある。

カートリッジの試聴記事で、誌面では、その出版社の試聴室において、ふたりの筆者が聴いたことになっていたが、
実際は、スケジュールがうまく調整できず、ひとりは試聴室で、もうひとりは自宅での試聴となったらしい。
そのことを問題として取りあげていた(すこし記憶違いがあるかも)。

自宅で聴いた人が、テスト機種のうち半分は試聴室で聴いて、のこりを自宅でという、
試聴条件がバラバラというのであれば、たしかに問題といえるだろうが、
ひとりが自宅、ひとりが試聴室というのは、新聞紙上で取りあげるほどの問題なのだろうかと思った。

それだけ、当時はオーディオに注目が集まっていたからだろうし、
朝日新聞の文化面の記者のなかに、オーディオマニアの方がいたのかもしれない。

素材の話に戻ろう。
各素材の物性値をながめていると、マグネシウムが、かなり理想に近いように思えてくる。
けれど理科の実験でやったように、マグネシウムは燃えやすいし、加工も難しい。
オーディオにおいて、まず採用されたのはヘッドシェルではなかろうか。

Date: 5月 17th, 2009
Cate: 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その8)

1970年代後半のオーディオ雑誌には、よく素材の比較表が掲載されていた。
鉄、アルミ、チタン、マグネシウム、紙などの、それぞれの剛性、内部音速、内部損失といった項目があり、
スピーカーの振動板に求められる条件──、
軽くて内部音速が速く、剛性も高いという難しいバランスを満たしているものは、
そうそうないことがわかった。

それにしても、スピーカーの振動板に求められる条件は、そのまま自転車のフレームにもあてはまる。
鉄全盛時代から、カーボン、アルミ、チタンが登場し、
数年前にマグネシウム、いまはステンレスのフレームもある。

自転車といえば、朝日新聞社が1976年暮、77年夏、77年暮に「世界のステレオ」という、
縦横30cmという、ほぼレコードジャケットサイズのムックを出していたことがある。
77年の No.2と78年のNo.3に、
傅さんが「オーディオ・マニアのための自宅録音のすすめ」という記事を書かれている。

この中で傅さんが着ているのは、ganチームのチームジャージ。
かつてグレッグ・レモンが属していたチームのジャージ。

ステレオサウンドの「レコード演奏家訪問」に傅さんが登場されたとき、
壁に、赤いフレームのロードバイクがかかっていたことに、
自転車好きの方ならば、すぐに気づかれたはず。

あの写真ではわからなかったが、フレームはコルナゴで、パーツはカンパニョーロということだ。
セレッションの輸入元だった成川商会は、1980年代ぐらいまで、コルナゴの輸入元でもあった。

話がずれてきたまま書くと、意外に思われるかもしれないが、
瀬川先生も、実は録音の経験をお持ちだった、ということを1ヵ月ほど前に、友人のKさんに聞いた。
詳細は話されなかったそうだが、それでも「録音は難しい……」と呟かれた、とのこと。

Date: 5月 17th, 2009
Cate: ジャーナリズム
4 msgs

オーディオにおけるジャーナリズム(その15)

JBLの4341は1974年の登場だから、すでに35年前のスピーカーである。
しかも2年後の76年に4343が登場したため、JBLの、この価格帯のスピーカーとしては異例の短命でもあった。

その4341を、いま鳴らすとしたらどんな組合せがいいか、そんなことを金曜日に早瀬さんと話していた。
すでに製造中止のスピーカーを鳴らすわけだから、アンプも現行製品だけが候補ではない。
4341と同時代の、1975年前後のアンプ、
SAE、GAS、マークレビンソン、スレッショルド、AGI、DBシステムズなどが候補として、すぐにあがってくる。

現行製品だけの組合せを考えるよりも、製造中止になった製品まで対象にすると、
その人なりが、よりはっきりと浮かび上ってくるようにも感じられる。

私だったら、パワーアンプは現行製品にする。
程度のいい、当時のアンプが手に入り、メインテナンスも信頼できるところできちんとやってもらったとしても、
スピーカーを鳴らすことに関しては、現行のすぐれたパワーアンプにしたい。
早瀬さんお気に入りのヘーゲル、クレルもいいたろうし、CHORD、パスもおもしろいだろう。

パワーアンプが決まったら、ペアとなるコントロールアンプを素直に選ぶかというと、
あえてマークレビンソンのLNP2Lをもってきたい(これについては、別項で書くつもり)。

4341とLNP2L、スピーカーとコントロールアンプが同時代の組合せとなる。

そんなことを話しながら思っていたのは、こんなことを話していて楽しいのは、
しかも話が弾んでいくのは、早瀬さんとのあいだに相互理解があるからだということ。
あるレベル以上の相互理解がなかったら、こんな話は、まずしない。

相互理解は、読者と編集者のあいだにもあるもの、求められているもの。
なにも読者とのあいだにあるだけではない。
筆者と編集者のあいだにも、筆者と読者とのあいだにも、
そして広告主と編集者、筆者とのあいだにも、より高い相互理解が求められるし、
ないとしたら、それぞれの関係は成り立たなくなるし、発展も、また、なくなるのではないか。

Date: 5月 16th, 2009
Cate: 井上卓也, 使いこなし, 長島達夫

使いこなしのこと(その4)

試聴・取材のため国内メーカー、輸入商社からお借りするスピーカーのなかには、
たいていは古い機種の場合だが、鳴らされることなく倉庫で眠っていたモノが届くことがある。

そういうスピーカーも、最低でも1週間、できればもっと時間はかけたいが、
ていねいに鳴らしつづけていれば、本調子に近づいていく。
とはいえ実際にそれほどの時間の余裕は、まずない。

そんなときは、半ば強制的に目覚めさせるしかない。
井上先生に教わった方法がある。
効果はてきめんなのだが、井上先生から、めったに人に教えるな、と釘を刺されているので、
申し訳ないが具体的なことについては書けない。

やりすぎない勘の良さをもっている人にならば、実際に目の前でやってみせることでお伝えできるが、
言葉だけでは、肝心なところが伝わらない危険があり、スピーカーを傷めてしまうことも考えられるからだ。

エッジにはふれる。ただしなでるわけではない。なでるな、とも言われている。
それともうひとつのやり方との組合せで、スピーカーの目覚めを早くする。

長島先生のやり方も、安易にマネをすると、やはりスピーカーを傷める、もしくは飛ばしてしまうので、
これ以上、詳細は書かないが、これらの方法は、取材・試聴という限られた時間内に、
いい音を出すために必要なものであり、個人が家庭内で、瀬川先生が書かれているように、
四季に馴染ませ、じっくりと取り組むうえでは、まったく使うべきことではない。

事実、私も、所有しているスピーカーに、井上先生、長島先生から教わった方法は実践していない。
必要がないからだ。やるべきことではないからだ。

それにしても、いわば、スピーカーを目覚めさせるための方法を、
なぜ「エージング」と言ってしまえるのだろうか。

Date: 5月 16th, 2009
Cate: 井上卓也, 使いこなし

使いこなしのこと(その3)

瀬川先生は書かれている。
     ※
オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま—-たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。
     ※
レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」からの引用だが、
スピーカーのエージングとは、まさにこういうことだと、私は考えているし、信じている。

好きなレコードを、好みの音量で鳴らしていく。
これは、なにも瀬川先生だけが言われていることではない。
井上先生も長島先生も、同じ考えで、以前流行ったFMチューナーの局間ノイズを長時間、
それもかなりの音量で鳴らしつづけるという方法は、どなたも認めておられない。

いま局間ノイズでエージングを早めよう、という人はいないだろうが、
それでも世の中には、エージングのためのCDとか、スピーカーのエッジをなでることを、
エージングを早める方法と称している人もいる。

はっきり言えば、こんなことでエージングを早められはしない。
エッジをなでると、音は変わる。
とくに長期間鳴らしていないスピーカーほど、その変化量は大きい。
でも、これはエージングによって、音が変わったわけではない。

実は井上先生も、エッジをなでることに似た方法を、ときどき用いられた。
しかし、これはスピーカーを目覚めさせるため、である。

Date: 5月 15th, 2009
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その46)

トランジスター、真空管などの能動素子を並列接続することで、
とくに増幅回路の初段が発生するノイズは、後段でさらに増幅されるため、できるだけおさえたいだけに、
初段の能動素子の並列化で、ノイズフロアーは確実に下がる。
同時に、長島先生が指摘されているように、微小レベルの信号も打ち消される。
初段で失われた微小レベルの信号は、何をやっても復活することはない。

ノイズレベルが下がり、微小レベル信号が打ち消されると、ノイズフロアーに埋もれていた音も減る、
もしくはなくなるかもしれない。
すると聴感上のSN比が向上したように錯覚しやすい。
ノイズフロアーレベルは下がっているのだから、SN比は向上しているのは事実である。
でも、くり返すが、微小レベルの信号も損なわれている。

ならばノイズフロアーはそのままでも、ノイズに埋もれた音はあるけれど、
打ち消されて聴こえなくなるよりは、アナログディスク再生ならでは、といえないだろうか。
耳をすませば、聴こえてくるのだから。

Date: 5月 14th, 2009
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その45)

SPA1HLは、いうまでもなくフォノイコライザーアンプであり、
アナログディスクを再生するためのアンプである。

なぜ、こんなわかりきったことを書くかといえば、アナログディスク再生は、
デジタルの再生と決定的に違うところが、ひとつある。

アナログディスク再生では、ノイズに埋もれた音も聴きとれる、ということだ。
アナログディスクのスタティックなSN比は、それほど高いものではない。
ダイレクトカッティング・レコードで知られていたシェフィールドのダグラス・サックスが、
ステレオサウンド 55号のインタビューに答えているが、
「よくカットされたラッカー盤から上質のレコードを使いうまく整盤されたレコード」で、
ノイズを測ると、「5cm/secの基準レベルからマイナス65dBかもう少しよいSN比」ということだ。

ただし、あくまでも注意深く作られたレコードにおいて、での値である。
精選されていないプラスチック材料や平凡なプロセスのレコード」のSN比は、55dBぐらいになってしまうとのこと。

基準レベルより、−55dB以下の信号は聴こえないかというと、そんなことはない。
アナログディスクの場合、ノイズフロアーに埋もれている音でも、耳をすませば聴きとれる。

もちろん人により、どこまでノイズに埋もれた音が聴きとれるかは、個人差があろう。
それでも装置の性能が高く、万全の調整がなされていれば、
ノイズレベルよりも低いレベルの、微弱な楽音も再生が可能だということ。
この点が、デジタル(デジタル録音でデジタルディスクでの再生)との違いである。