Archive for category テーマ

Date: 2月 19th, 2013
Cate: prototype

prototype(その2)

オーディオフェア、オーディオショウで発表された新製品は、
遅かれ早かれ市場に出てくる。オーディオ雑誌の新製品の紹介のページでも取り上げられる。
だから数ヵ月まてば、よりくわしいことを知ることができる。

その意味では、オーディオフェア、オーディオショウに足を運んでいるのであれば、
新製品をいち早くみて聴くことができるのは楽しみであるけれど、
会場に行けない人にとっては、オーディオ雑誌にフェアやショウの記事が載るころには、
新製品の多くは同じ号、もしくは次号あたりで新製品として取り上げられているのだから、
行けない者(つまり私)の興味は、
オーディオフェアでしかお目にかかれない参考出品という名のプロトタイプにあった。

このプロトタイプは多くの場合、製品化されていない。
もちろんprototypeには試作品、原型という意味があるから、
製品の試作品としてのプロトタイプもあるわけだが、私が強い関心をよせるのはそういうプロトタイプではなく、
原器としてのプロトタイプであったり、実験用としてのプロトタイプであったりする。

この手のプロトタイプで一般的に知られるのは、トーレンスのReferenceである。
Referenceはトーレンスが、実験用・研究用として開発した、製品化のことを考慮していないモノを、
あくまでも参考出品として西ドイツでのデュッセルドルフ・オーディオフェアに展示。

売るつもりなどまったくなかったモノに、多くのディーラー、オーディオマニアが注目し、問合せが殺到し、
製品として世に出ることになったことは、瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれている通りである。

このトーレンスのReferenceに相当するモノが、
日本のオーディオメーカーから毎年のようにオーディオフェアには参考出品されていた。
いまはオーディオ雑誌の、
オーディオフェアの記事に載った小さな写真でしか見ることのできないプロトタイプがいくつもあった。

Date: 2月 19th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その6)

カセットテープの半速録音・再生があるならば、とうぜんその逆の倍速仕様のデッキも、
ナカミチの680ZXと同時期に、マランツから登場していた。
SD6000である。

メタルテープもすでに登場していたので、メタルテープと倍速録音・再生は、
オープンリールテープの領域に迫ろうとするものであった、はず。
SD6000が登場した1979年は、私はまだ高校生。
聴く機会はなかった。
メタルテープでの倍速、どんな音がしていたのだろうか。

カセットテープの「枠」をこえようとしたエルカセットよりも、
安定感のある音を実現していたのだろうか。
SD6000の発表には、少しは関心をもっていたけれど、すぐに薄れてしまった。

SD6000の筐体はかなり厚みのあるものだった。
当時のLo-Dのカセットデッキと同じように、見た目の印象がお世辞にもスマートとはいえない出来だった。

私の感覚ではカセットデッキだから、もう少し薄くまとめてほしい。
カセットテープ、カセットデッキに入れ込んでいないだけに、音質、性能最優先という選択は私にはなかった。

ヤマハやテクニクスなどが倍速仕様のデッキを開発してくれていたら、
私のカセットデッキへの思い入れもすこしは変っていたかもしれない。
けれど、ナカミチの半速同様、この倍速も消えてしまった。

マランツの場合も理由はナカミチと同じであろう。
日本マランツがフィリップス・グループの一員となるのは翌年のこと。
だからこそ出すことのできた仕様でもある。

Date: 2月 18th, 2013
Cate: James Bongiorno, 訃報

James Bongiorno (1943 – 2013)

いましがたfacebookを見ていたら、ジェームズ・ボンジョルノ逝去、とあった。

人はいつか死ぬ。
ボンジョルノは一時期肝臓をひどくやられていたときいている。
しかもキャリアのながい人だから、いつの生れなのかは知らなかったけれど、
けっこうな歳なんだろうな、とは漠然と思っていた。

そういう人であったボンジョルノが、亡くなった。
人は死ぬ、ということは絶対なのだから、それが突然のことであっても、あまり驚くことはない。
そんな私でも、ボンジョルノの死は、ショックに近い。

ぽっかり穴が、またひとつあいたような感じを受けている。

私がステレオサウンドにいた時期、
ボンジョルノはリタイア状態だった。
だから会える機会はなかった。
もっとも会いたい人だった……。

Date: 2月 17th, 2013
Cate: prototype

prototype(その1)

1970年代後半、まだ中学生、高校生で実家で暮していたとき、
オーディオ雑誌に載るオーディオフェアの記事は、ほんとうに楽しみにしていた。

オーディオフェアに行きたい、とそのころは思っていた。
もちろんオーディオフェアという会場が、音を真剣に聴くにはふさわしい場所ではないことは、
そのころの記事でも書かれていた。
それでも行きたかったのは、オーディオフェアでしか見ることのできないモノがあって、
その「モノ」がオーディオ雑誌で紹介されていると、
ますます「行きたい」という気持は強くなっていっていた。

若い世代の方は驚かれるかもしれないが、
そのころステレオサウンドの別冊として、まるまる一冊オーディオフェアのムックが、
2年続けて出ていたこともある。

定期刊行物のオーディオ雑誌ではページ数がとれないから写真も小さく解説も少なくなるけれど、
別冊というかたちになるとそんな不満はなくなる。
こういう企画は地方に住んでいて、東京になかなか出ていく機会のない(すくない)読者にとっては、
東京、もしくは近郊に住んでいて電車にのればオーディオフェアに行ける人には、
なかなか理解されないであろう、うれしいものであった。

現在開催されているオーディオ関係のフェア、ショウしか知らない世代にとっては、
当時のオーディオフェアの規模はなかなか想像しにくいのではなかろうか。

東京でのインターナショナルオーディオショウ、大阪でのハイエンドオーディオショウ、
2つのショウをあわせても、1冊すべてショウ関係の別冊を出すことは、難しい。

Date: 2月 16th, 2013
Cate: 言葉

ひたむき(音になる前の「音」)

約1年前に「ひたむき」ということを書いた。
そこでふれている「ちはやふる」の続き(「ちはやふる2」)が、いま毎週放送されている。

「ちはやふる」を読む(みる)まで、競技かるたについては、ほとんどといっていいほど知らなかった。
「ちやはふる」によって、どういうものなのか知りつつある。
一字決り、二字決りということも、「ちはやふる」で知った。

「ちはやふる」の主人公は、耳の良さをもつ。
競技かるたの世界では「感じがいい」という。

「ちはやふる」でも「ちはやふる2」でも登場する言葉に「音になる前の音」という表現がある。
「音になる前の音」がどういうものかは、「ちはやふる」を読む、もしくはみればわかる。

「音になる前の音」が聞こえるかどうか、
それにより一字決りの札の数が変ってくる。

「音になる前の音」──、
このことばが「ちはやふる」のなかで使われるたびに、
オーディオマニアの私は、どうしてもスピーカーのことをおもってしまう。

音になる前の「音」を再現可能な(と感じさせてくれる)スピーカーと、
そうでないスピーカーが、感覚的には「ある」と。

Date: 2月 14th, 2013
Cate: plus / unplus

plus(その8)

モーターの回転を少しでも正確に、
そして滑らかにするためにサーボ回路やクォーツロックなどの方式が開発され導入されていった。

これらの技術がすべて成功していたのか、音質に貢献していたのかについては微妙なところがある。
それでもワウ・フラッターの数値はよくなり、いわゆるカタログ・スペックは確実に向上していった。

ただサーボにしろクォーツロックにしろ電子回路である。
リンのヴァルハラ・キットもそうだ。
トーレンスのTD125で採用されたモーター駆動回路も、電子回路である。

電子回路の代表であるアンプがそうであるように、
電源をいれてすぐに最高の音が得られるわけではない。
ウォームアップを必要とし、アンプに電源をいれある一定時間が経過しただけではまだ足りなくて、
実際に音楽を鳴らすことによって、ようやくアンプは目覚める。
本領発揮となるのは、目覚めてからである。

同じことは電子回路すべてにいえる。これは以前、瀬川先生からきいた話なのだが、
瀬川先生の知合いで空港の管制塔で働かれている人がいて、
その人いわく、レーダーも電源をいれてすぐには、レーダーがとらえたものがなんであるのかはわからない。
けれどアンプと同じようにあたたまってくると、
ベテランの人ならばレーダーがとらえかたものがどういうものなのか、
ある程度判断がつくようになる、ということだった。

電子回路とは、そういう面をもつ。
そしてアナログプレーヤーの電子回路についても、ウォームアップが必要である、といえるし、
それだけでなく、使い勝手で注意すべき点が電子回路を搭載しているがゆえにある。

Date: 2月 14th, 2013
Cate: plus / unplus

plus(その7)

モーターの力に頼らない回転でのみ得られる音は素晴らしいからといって、
モーターそのものの存在を否定したいわけではない。

モーター(つまり電気のエネルギー)がオーディオに加わったことで、
われわれは音楽をある一定時間、途切れさせることなく聴くことができるようになった、
このメリットは、家庭で音楽を聴いていくうえで、非常に重要なことである。

アンプやスピーカーはあっても、もしモーターがこの世に存在していなかったら、
オーディオはどうなっているだろうか。
そのことを想像してみれば、モーターという存在の有難さが実感できよう。

モーターによる回転が、オーディオにとっては完全なものとはいえず、
改良の余地が多くあることは以前からわかっていたことであろう。
もしCDの登場があと10年、そこまでいかなくても5年遅かったら、
国産メーカーによるアナログプレーヤーのモーターおよび回転機構の開発は、
なにか新しいところにいけたかもしれない、と、最近思っている。

1980年前後、国産メーカーがオーディオフェアで参考出品していたアナログプレーヤーには、
いまの目からみても、興味深いものがいくつかある。
なかには製品化するにはコストの面で折り合わない技術もあっただろうから、
CDの登場が遅れたとしても、それらすべてが製品化されたとはいえないだろうが、
それでも回転の「質」の向上に関しては、かなり進むことができたはずなのに……、
と、残念に思わないでもない。

Date: 2月 9th, 2013
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(続々続サンスイの場合)

アクアオーディオラボはサンスイ出身の方たちが集まっている。

日本にはいくつものオーディオメーカーがあった(ある)。
アクアオーディオラボを始められたサンスイ出身の方たちと同じように、
いまはオーディオメーカーを離れているOBの方たちは大勢おられることと思う。

アクアオーディオラボに触発されて、
もしかするとほかのメーカーのOBの方たちが集まって、
アクアオーディオラボと同じことを始められることだってあるだろう。
その可能性は、決して低くはないとおもっているし、
アクアオーディオラボだけではなく、他にもいくつも、こういう会社が現れてきてほしい、と願う。

そうなったときに、それぞれが独立して業務を行なうよりも、
同じ場所に集まって業務を行うほうが、効率がいいだろうし、メリットもあるはず。

アンプの開発には測定器が必要になる。
測定器は修理のときにも、当然必要になる。

それぞれが独立していれば、各自で測定器を用意しなければならないが、
ひとつ所で集まっていれば、測定器の数も、その他の設備も少なくて済む。

修理には部品のストックも必要となる。
この面でもメリットはある。

現役のときにそれぞれがライバル同士であっても、
会社を辞め、アクアオーディオラボのような会社で働くことになったら、
もうライバルではなく、ともに日本のオーディオ界を築いてきた同志なのではなかろうか。

この種のことには旗振り役が必要となるだろう。
オーディオ協会、もしくはステレオサウンドが、その旗振り役になってくれれば……、とおもっている。

Date: 2月 8th, 2013
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(続々サンスイの場合)

アクアオーディオラボのことが、こうやって記事になるのは、サンスイが破綻したからであって、
破綻しなければ、アクアオーディオラボのような存在は必要ない──、
ということには決してならない、と私は思っている。

1970年代のオーディオブームには、いくつもの会社がオーディオに参入した。
専業メーカー以外もいくつもあり、いまもオーディオ機器を開発・製造しているメーカーはあるけれど、
かなりの数のメーカーがオーディオからは撤退した、ともいえる。

そのころの製品、そのあとの製品でもいい、
製造終了後、10年以上経過した製品の修理をきちんと対応してくれるメーカーが、
どれだけあるのだろうか。

経営破綻しなかったオーディオメーカーは、ある。
その会社の製品がこわれて修理が必要になったとき、どこまで対応してくれるのか。
旧い機種であれば、相当数の機種が修理をことわられることが多いはず。

大きな会社だから修理をしてくれる、とか、反対にしてくれない、とか、
そういうことではなく、会社の体質としての問題であろう。

アクアオーディオラボについては朝日新聞のウェブサイトの記事を読めばわかるように、
サンスイでアンプの開発・製造に携わってこられた方たちによる会社である。

この方たちが、こうやって、いま集まってサンスイのアンプの修理を継続されているのは、
やはりサンスイという会社の、修理に対する意識の高さがあったからのようにもおもえてくる。

朝日新聞の記事では5分ほどの動画もみられる。
見ていて、AU-D907 Limitedの修理のことを、私は思い出していた。

サンスイという会社につとめられていたからこそ、この方たちは集まった、とおもえてならない。
サンスイがまったく違う体質の会社であったなら、この方たちは集まらなかったのかもしれない。

こういうメーカーの製品は、ひとつ手もとに置いておきたい。
いまになって、AU-D907 Limitedを手離したことをひどく後悔している。

Date: 2月 8th, 2013
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(続サンスイの場合)

東京での初の住まいは寮だった。
AU-D907 Limitedを、同じ寮のほかの部屋に持ち込んで音を鳴らしたときに、故障してしまった。
すごいショックだった。

寮は三鷹にあった。
自転車の荷台にAU-D907 Limitedをしばりつけて、
落さないように手で抑えながら、つまり自転車を台車の代りとして押して、
同じ三鷹にあったサンスイのサービスセンターにまで持ち込んだ。

こまかなことは、もう忘れてしまったけれど、サンスイの修理の対応はよかった、とだけ記憶に残っている。
修理から戻ってきたAU-D907 Limitedに、だからより愛着を感じるようになった。

とはいいつつも、どうしても欲しいという人が身近にいて、結局は手離すことになったけれど……。

サンスイは2012年4月に破綻した、というニュースがあった。
破綻した、ということに驚いたというよりも、まだ活動をしていたことにすこし驚いたのだから、
私の中ではサンスイは、オーディオマニアを魅了した、あのころのサンスイとしては終っていたわけだが、
私にとってサンスイは、AU-D907 Limitedとその修理の件以外にも、思い入れのあるメーカーである。

数年前にサンスイのアンプの修理を請け負っているところがある、ときいた。
そのときは、それ以上のことを調べようとは思っていなかった。

今日、朝日新聞のウェブサイトに「サンスイの音色、OBが守る 修理依頼絶えぬ埼玉の工場」という記事をみつけた。

埼玉県入間市にあるアクアオーディオラボのことである。

Date: 2月 8th, 2013
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(サンスイの場合)

大事に使っていても、こわれることがある。
修理に出す。そのときのメーカーの対応で、修理が済み戻ってきたオーディオ機器に、
より愛着を感じるか、愛着が薄れてしまうかになってしまうことだってある。

高校の時にサンスイのAU-D907 Limitedを購入した。
それまでつかっていたプリメインアンプよりもずっと価格的にも、
アンプとしてのグレードも高いプリメインアンプ、
しかも型番の末尾に”Limited”がつくように限定品。

さらにステレオサウンドのState of the Art賞に選ばれている。
53号に、AU-D907 Limitedが載っている。
菅野先生が書かれている。

そこにもあるように、プリメインアンプで”State of the Art”賞に選ばれた最初のモデルでもある。
欲しかった。どうしても欲しかった。
だから修学旅行に行かず、そのための積立金が戻ってきたときに、
アルバイトをして貯めた小遣いと足して、なんとか、このプリメインアンプを買えた。

家にAU-D907 Limitedが届いたときに感じた重さは、
それまでのプリメインアンプとは違う、中味のぎっしりとつまった密度の高い重さがうれしかった。

大事につかってきた。
東京に出てきたときにも、このアンプだけは持ってきた。
とにかく手もとに置いときたかったからだ。

Date: 2月 7th, 2013
Cate: オリジナル, 瀬川冬樹

オリジナルとは(余談・チャートウェルのLS3/5A)

LS3/5Aは、日本ではロジャースの製品が最初に入ってきて、知られることになったことから、
私も最初に聴いたLS3/5Aはロジャースの15Ω型だった。
購入したのも、そうだった。

1970年代の終りごろになって、イギリスのスピーカーメーカー数社からLS3/5Aが登場した。
チャートウェルからも出てきた。

このチャートウェル製のLS3/5Aは数が少ないこともあって、
これをいくつもあるLS3/5Aのなかで、高く評価される人もいる。
私は聴く機会がなかったから、そのことについてはなにもいえない。

実際、どうなのだろうか。
LS3/5Aは、いまでも人気のあるスピーカーシステムだから、
各社LS3/5Aの比較試聴は、オーディオ雑誌の記事にもなったりするが、
試聴している人に関心が個人的にないため、本文を読もうという気にはなれなかった。

まったく違うタイプのスピーカーシステムを集めての試聴であればまだしも、
同じ規格のもとでつくられているLS3/5Aの、製造メーカーによる音の違いは微妙なものであるだけに、
ほんとうに信頼できる人が試聴をしているのであれば、興味深く読むのだが、
そうでない場合には、読む気はおきない。

瀬川先生はチャートウェルのLS3/5Aについて、どういわれているのか。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、わずかではあるがふれられている。
     *
このふたつのLS3/5Aについて、30万円の予算の組合せのところでは、その違いをあまり細かくふれないで、どちらでもいいといったようないいかたをしたけれど、アンプがこのぐらいのクラスになると聴きこむにつれて違いがはっきりしてくるんです。で、ひとことでいえば、チャートウェルのほうが、全体の音の暖かさ、豊かさというものが、ほんのわずかですけれどもまさっているように思えるので、ぼくはチャートウェルのほうをもってきたわけです。もっともやせ型が好きなひとのなかには、ロジャースのほうが好ましいとお感じになる方もいらっしゃるかもしれませんね。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’79」は1978年12月にでている。
つまり瀬川先生は、この時点で暖かさ、豊かさを、自分の音に求めはじめられていることがわかる。

Date: 2月 5th, 2013
Cate: plus / unplus

plus(その6・補足)

「だから井戸を掘って……、と考える人が昔からいる」というのは、
ターンテーブルをモーターを使わずに回転させるために、
深い井戸を掘ってオモリが落下するエネルギーを使ってターンテーブルを廻そうというものである。

LP片面分(約25分程度)の時間、ターンテーブルが定速回転してくれればいいわけで、
オモリが井戸の底についたらモーターで巻上げて、
また落下させてレコードを聴く(ターンテーブルを回転させる)というものだ。

ただ自然落下のオモリの速度はv=gt、重力と時間の積だから落下速度は速くなっていく。
だから33 1/3rpmを25分程度維持するには、なんらかの仕組みが必要となる。
それに25分間の自然落下が可能な井戸となると、いったいどのくらいの深さとなるのだろうか。

重力を利用したターンテーブルの回転方法は、実現しようとすれば、
考えれば考えるほど、そうとうに大変なことではあることがわかる。

でも、手廻しの音を聴いた直後は、
すくなくとも一度は「井戸を掘って……」というバカげたことを真剣に考える人は少なくないと思う。

Date: 2月 5th, 2013
Cate: plus / unplus

plus(その6)

思い返してみると、あのときの井上先生の手つきはやりなれた人の手つきだった。
おそらく昔から何度も手廻しターンテーブルの音を確認されていたのかもしれない。

リンのLP12の手廻しの音(といっても、その音が聴けるのはターンテーブルが慣性モーメントで廻るわずか時間)に
驚いた顔を(たぶん)していたのだと思う、
井上先生は「だから井戸を掘って……、と考える人が昔からいる」、
そんなことをいわれたのも憶えている。

それから察するに、手廻しターンテーブルの音のよさは、
古くからのオーディオマニアの方々のあいだでは、すくなからず知られていたことのようだ。

どんなにモーターにいいものをもってきても、
駆動方式を工夫したり、細心の注意をはらったとしても、
モーターに頼らない回転時の音の良さには、遠く及ばない。

しかも、(おそらくではあるが)ターンテーブルの回転精度が高ければ高いほど、
手廻しの音が優れているはず。

音の表現は人によって異ることがある。
同じ表現を使っていても、場合によっては、そうとうに意味合いが違っていることもある。
なかなか、そういう意味では共通認識が成り立ちにくいのが音の世界ではあるが、
すくなくともLP12を、ベルトを外し手廻ししたときの音は、
モーター駆動の音にくらべて、はっきりと滑らかな音、といえる。
それだけでなく、聴感上のS/N比のよい音とは、実にこの音のことである、とも言い切れる。

もしLP12を使われているのであれば、
もしくは友人でLP12を使われている人がいるのであれば、
LP12に限らない、
加工精度の高い(ダイナミックバランスが確保されている)ターンテーブルプラッターをもつプレーヤーで、
いちど手廻しの音を聴いてほしい。

Date: 2月 4th, 2013
Cate: plus / unplus

plus(その5)

ヴァルハラ・キットが登場して数年後、
フローティング型ばかりを集めたアナログプレーヤーの試聴が終った後、
井上先生がリンのLP12のベルトを外してみろ、と指示された。

何をされるのか? とそのときはまだわからなかった。
ベルトを外しアウターターンテーブルをセットする。
この状態で井上先生はLP12のターンテーブルを指で廻された。
すこしのあいだレコードの回転の具合をみながら、
「このへんかな」とつぶやいてカートリッジを盤面に降ろされた。

そのとき鳴ってきた音は、これまで聴いたことのない、と口走りたくなるくらい滑らかな音だった。
このときのことは別項ですでに書いているので記憶されている方もおられるだろうが、
あえてもう一度書いておく。

従来のLP12にヴァルハラ・キットを取り付けたときの音の変化よりも、
このときの音の違いは大きかった。
ヴァルハラ・キットはたしかに効果がある。
あるけれど、このときの手廻しの音を聴いた後では、電気仕掛けの音であることが感じられてしまう。

高速回転するモーターの回転数を、プーリーの径とインナーターンテーブルの径の違いによって、
低速回転とし、ゴムベルトという伝達物で、モーターの振動を極力ターンテーブルに伝えないようにする、
しかもターンテーブルの加工精度を高くし、ダイナミックバランスもとり、
とにかくスムーズに回転するようにつくられたLP12であっても、
回転の源がモーターであるかぎり、微視的に見たときの滑らかな回転は得られていないのではないか、
そんなことを考えてしまうほど、手廻しの音は見事だった。