ひたむき
13のときに「五味オーディオ教室」で出逢って、これまでがある。
いまふりかえって思うのは、ひたむきだったのか、ということ。
ひたむきの意味は、ひとつのことに集中する様、ひとつのことに一生懸命になる様、と辞書にはある。
この意味では、ひたむきであった、ともいえるけれど、
それでも、ひたむきとは、これだけの意味だけだろうかと思うと、
やはりひたむきであっただろうか、と自問することになる。
昨年秋から「ちやはふる」というテレビ番組の放送がはじまった。
どういう内容の番組かはリンク先を見てもらえばすぐにわかる。
リンク先に表示されるものをみて、こういうものなんだぁ、とか、こんなもの、とか思われる人もいるだろうし、
あいつはこんなものを見て、それをわざわざブログに書くのか、と思われる方もいてもいい。
それでも、この「ちはやふる」を見ていると、自問せずにはいられない。
作り事の主人公のひたむきさはしょせん作り事、とは思えない。
テレビは持っていないから、GayO!での配信で見ている。
毎週見ているし、先週から昨日まで1話から7話まで、
今日からおそらく12日まで8話から12話まで配信されている。
すでに一度見たものをまた見て、ひたむきだったのか、とまた自問していた。
同じ話を2度見れば、答えらしきものは出てくる。
「ちはやふる」の主人公は、「ちはやふる」というタイトルからわかるように小倉百人一首に向き合っている。
それだからひたむきなのではない、「ちやはふる」の主人公には仲間がいる。
仲間とも向き合っているから、
仲間とともに小倉百人一首と向き合っているから、ひたむきなのだと感じたのだと思う。
「ちはやふる」の主人公と同じ年齢のとき、私にはオーディオの仲間はいなかった。
ひたむきは、直向き、と書く。