Date: 1月 5th, 2012
Cate: audio wednesday
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公開対談について(その10)

昨年秋、ピーター・ガブリエルの「new blood」が出た。
「new blood」、新しい血、である。

組織には新しい血が必要だ、的なことがいわれている。
新卒、中途採用などによって新しい人がはいってきて、定年や自己理由などで出ていく人もいる。
そうやって新陳代謝して組織は生きのびていく、──こんなふうにいわれている。

けれど新しい人がはいってきたから、といって、組織の新陳代謝が行われているのかは疑問だ。

以前菅野先生からこんな話をきいたことがある。
あるオーディオメーカーが、いままでの音から脱却するため、イメージを一新するために、
このメーカーとは異る音を実現しているメーカーから優秀な技術者を引き抜いてきた。
ただ引き抜いてきただけでは、それだけでは不充分だということで、
設計・開発だけでなく、製造に関しても、この彼にまかせたそうだ。
ところが、実際に出来上ってきたオーディオ機器は、
そのメーカーがそれまでつくってきた製品と同じ音のイメージで、
わざわざ引き抜いてきた技術者が以前在籍していたメーカーの音は、そこにはなかったそうだ。

それまでの設計・開発、それに製造まですべて一新して、中心となる人間も引き抜いてきたにもかかわらず、
音は変らなかったのはなぜだろうか。

これはたとえ話ではなく、実際の話である。

他社から引き抜かれてきた技術者は、いわば、新しい血だったはず。
その新しい血にほぼ全権まかせることで組織は生れ変る、と多くの人が思うことだろう。

朱に交われば赤になる、といわれる。
組織という朱に交われば、新しい血も赤になる、ということなのか。

組織とはそういうものなのだろうか。
だとしたら、1977年春に岩崎先生ひとりいなくなっても、
スイングジャーナルにおけるジャズ・オーディオへの取組みは変化するわけがない、といえるのだが、
実際には、またくり返しになるが、
ジャズ・オーディオ雑誌としてのスイングジャーナルは岩崎千明がいなくなり、おわった。

これはどういうことなのかと考えると、”new blood”ではなく、
組織に必要なのは”strange blood”ではないか、ということが頭に浮ぶ。

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