公開対談について(その9)
スイングジャーナルはおわった、と書いたことに異論・反論を抱いた方が多いのか少ないのか、
まったく見当がつかない。
私にとってスイングジャーナルはジャズ雑誌ではなくて、ジャズ・オーディオ雑誌だった。
ジャズ雑誌としてスイングジャーナルはおわっていなかったのかもしれないが、
ジャズ・オーディオ雑誌としては、岩崎先生が亡くなられたことでおわった、と言い切ろう。
スイングジャーナルのオーディオのページは、なにも岩崎先生ひとりだけが書かれていたわけではない。
菅野先生、瀬川先生、山中先生、上杉先生、長島先生、それにときどき黒田先生も登場されていたし、
ほかの方々もおられた。
岩崎先生はそのなかのひとりだろう、そのひとりがいなくなったからといって、
ジャズ・オーディオ雑誌としてのスイングジャーナルがおわるわけはないだろう。
編集部に変化はなかっただろうし、どれだけ岩崎氏がすごい存在であったとしても、
筆者・編集者をふくめて組織というものはそういうものではないはず──。
本来、「組織」とはそういうものでなければならないはず。
それでも一読者としてスイングジャーナルをジャズ・オーディオ雑誌として読めば、
やはり岩崎千明がいなくなり、スイングジャーナルはおわった、というところにたどりつく。
スイングジャーナルにとって、いいかえればジャズ・オーディオにとって岩崎千明という存在について、
スイングジャーナルのその後の変化をみた者としては、なんだったのかを、いま、きちんと見直していく必要がある。
ジャズ雑誌としてのスイングジャーナルについて、私はあれこれいえる資格はない。
ジャズの熱心な聴き手ではないし、ジャズ雑誌・スイングジャーナルの熱心な読者でもなかったから。
これは言い訳半分でもあるし、
だからこそジャズ・オーディオ雑誌としてスイングジャーナルをみることができた、ともいえる。