公開対談について(その8)
1970年代のスイングジャーナルのオーディオのページを読んでいて、
そして岩崎先生、菅野先生、それにときどき瀬川先生が参加される座談会を読み、
facebookページ「オーディオ彷徨」のための入力作業を行っているときに思っているのは、
菅野先生の著書「音の素描」の入力作業のときと同じことを感じて、思っている、ということだ。
これはほんとうに20年前、30年前、40年前に書かれた文章、行われた座談会なのだろうか、
と多くの人が思うのではなかろうか。
そこで問題提起されたことは、示唆的なことは、じつはそのまま現在にもほぼ(というよりもそっくり)あてはまる。
オーディオが抱えてきた問題は、じつのところ、なにひとつ変っていない、どころか、
むしろ昔はそういうことがきちんと語られていたのに、いまはどうだろう……。
問題は解決した、という認識なのだろうか、それともただ目をそむけているのか。
もしかするとただ気づいていないだけなのかも……。
すべてがそうだといっているのではない。
明らかに古いと感じさせるところもある。
それにしても、そうでない、むしろいまこそ多くの人に読んでほしいと思えるところが随所にある。
そして密度が濃い。
読み終れば、必ずいくつか心に刻まれる言葉と出くわすはず。
そして考えさせられることにも出会える。
つまり、おもしろい。
そのおもしろさは、つまりは人に通じる。
オーディオのおもしろさは、オーディオ機器のおもしろさだけだろうか。
オーディオ機器のおもしろさは認める。
だが、ほんとうにおもしろいのは、つねに人でしかない。
だから岩崎千明がいなくなり、スイングジャーナルはおわった。