公開対談について(その7)
1982年以降、ステレオサウンドで働くようになってからは、
編集部で毎号購入していたのか、それともスイングジャーナル社から届いていたのか、
そのへんは曖昧になってしまったが、毎号読むことはできた。
といっても、しっかり読むというよりも、目を通す、という感じだった。
岩崎先生は1977年3月に亡くなられている。
瀬川先生は1981年11月に亡くなられている。
1982年以降のスイングジャーナルには、岩崎先生も瀬川先生も登場しない。
私がスイングジャーナルの熱心な読者でなかったのは、そういうことも関係している。
スイングジャーナルに対して、そういう読み方(というより接し方)しかしてこなかった私に、
オーディオブームの頃のスイングジャーナルはオーディオ業界に対してステレオサウンドよりも影響力があった、
と会うたびに力説するKさんがいる(ここ2年ほど会っていないけれど)。
Kさんはスイングジャーナル編集部に在籍していた人であるから、
正直なところ、彼がその話をするときは話半分で聞いていた。
私にとって、オーディオ雑誌はステレオサウンドが、ほぼすべてという10代をおくってきたから、
そこでスイングジャーナルのほうが凄かった、と力説されても、素直に頷けない。
それだけステレオサウンドには思い入れがあって読んでいたし、
スイングジャーナルに対しては、上に書いたような読者でしかなかったのだから、
Kさんと私とでは、スイングジャーナルに対する想いには大きなギャップがあって当然のことだ。
Kさんがスイングジャーナル自慢をするたびに、また始まった、と思っていた私でも、
この1年、スイングジャーナルのバックナンバー、
つまり岩崎先生が健在だったころのスイングジャーナルをまとめて読んできて、
Kさんが言っていたことは、多少オーバーなところはあったとしても、
確かにステレオサウンドよりも影響力があった部分は、確実にあっただろう、と思っている。
私がそう思うようになったのは、facebookページの「オーディオ彷徨」で公開している座談会を、
どれでもいい、数本読んでみてもらえばおわかりいただけるはず。