オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・補足)
ステレオサウンド 8号に掲載されている瀬川先生のステレオギャラリーQの300B/Iの記事、
読みたいという希望をありましたので、the Review (in the past)で公開しました。
ステレオサウンド 8号には、池田圭氏による「300A物語」も掲載されている。
ステレオサウンド 8号に掲載されている瀬川先生のステレオギャラリーQの300B/Iの記事、
読みたいという希望をありましたので、the Review (in the past)で公開しました。
ステレオサウンド 8号には、池田圭氏による「300A物語」も掲載されている。
ウェスターン・エレクトリックの劇場用アンプで、91型アンプがある。
このアンプが、伊藤先生の300Bシングルアンプの、いわば原器である。
Sound Connoisseurにて、伊藤先生は91型アンプについて書かれている。
*
音質が抜群に優れ、故障が少なく、維持費が低廉なため小劇場向きに高評を得ていたが、プリアンプを省いてメインアンプのゲインを高めたため、入力側の結線に細心の注意が必要であり、光電管側の出力トランスの断線が唯一の悩みの種であった。
終段に三極管を用い三段増幅で、よくもこれだけのゲインを稼げたものと思える設計である。負帰還を本格的に用いてフィルム録音特性に対応させた回路をメインアンプに備えたものとして、当時は目を瞠らせたものである。東京地区では歌舞伎座の向い側、いまはない銀座松竹映画劇場に在って僅か8Wの出力で十分に観客を娯しませていたのを憶い出す。
*
300Bのシングルアンプが、楚々とした日本的な美しい音という枠だけにとどまった音しか出せないのであれば、
「僅か8Wの出力で十分に観客を娯しませ」ることは無理なのではないか。
映画ではさまざまな音が流される。
人の声もあれば、音楽も流される。
それ以外にも効果音と呼ばれる類の音も欠かすことができない。
スクリーンに映し出されるシーンに応じた音が求められ、スピーカーから流される。
そういう場で使われ、観客を娯しませてきた300Bシングルアンプ(91型)である。
300Bについて、
しかもオーディオ評論について書いている項で書いているのか、
察しの良い方は、ここまで読まれて気づかれているだろう。
300Bはトーキー用のアンプに使われる出力管である。
このことを思い出してほしい。
しかもアメリカの映画館で使われていたアンプの出力管である。
サウンドボーイのOさんから聞いたことがある。
「300Bシングルは、いわゆる日本的なシングルアンプの音ではない」と。
Oさんは続けて「トーキー用アンプの球なんだから」とも。
1982年のステレオサウンド別冊 Sound Connoisseur(サウンドコニサー)に、
伊藤先生の300Bについての記事が載っている。
この記事(というよりサウンドコニサーそのもの)の担当はOさんだった。
この記事のタイトルは、「真空管物語」。
さらにこうつけ加えられている。
「ウェスターン・エレクトリックの至宝 極附音玻璃球」である。
極附音玻璃球は、きわめつきおとのはりだま、と呼ぶ。
300Bのシングルアンプ、それも伊藤先生のアンプを聴いたことのある者には、
この「極附音玻璃球」こそ300Bのことだと、頷ける。
ウェスターン・エレクトリックの300Bにどれだけ優れた真空管であっても、
300B一本でアンプが作れるわけではない。
電源トランス、整流管、平滑コンデンサーから構成される電源が必要だし、
300Bに必要なだけの入力電圧をかせぐために電圧増幅段もいる。
それに出力トランスがなければ、スピーカーを鳴らすことはできない。
300Bといえど、アンプの一部品にしかすぎない、といえるわけで、
300Bの音について語ることは厳密には無理というものだ。
300Bを使用しているアンプをいくつ聴いたところで、
300Bの音だけを聴いているわけではない。
理屈ではそうなのだが、いくつか注意深く聴いていると、
300Bの音らしきものを感じることはできる。
だからこそ多くの人が300Bに夢中になるのだろう。
では300Bの音とは、どういう音なのか。
300Bは直熱三極管であり、日本ではシングルアンプの製作例が多いし、
いくつか市販されたアンプもシングルアンプが多い。
そのためだろうか、三極管シングル、という言葉が持つイメージが、
300Bのイメージにすり替わっているようにも感じることがある。
300Bシングルの音は、楚々として日本的な美しい音。
これなどは、まさにその典型的な例である。
300Bの音は、
300Bのシングルアンプの音は、そういう音なのか、といえば、まったく違う。
私にとってカラヤンの「パルジファル」は、
ステレオサウンド 59号に載った黒田先生の文章と結びつく。
59号が出たのは1981年。もう30年も経つのに、
私にとっては、カラヤンの「パルジファル」についておもうとき、この文章が思い浮ぶ。
少し長くなるが、「パルジファル」に関するところ書き写しておこう。
*
きっとおぼえていてくれていると思いますが、あの日、ぼくは、「パルシファル」の新しいレコードを、かけさせてもらいました。カラヤンの指揮したレコードです。かけさせてもらったのは、ディジタル録音のドイツ・グラモフォン盤でしたが、あのレコードに、ぼくは、このところしばらく、こだわりつづけていました。あのレコードできける演奏は、最近のカラヤンのレコードできける演奏の中でも、とびぬけてすばらしいものだと思います。一九〇八年生れのカラヤンがいまになってやっと可能な演奏ということもできるでしょうが、ともかく演奏録音の両面でとびぬけたレコードだと思います。
つまり、そのレコードにすくなからぬこだわりを感じていたものですから、いわゆる一種のテストレコードとして、あのときにかけさせてもらったというわけです。そのほかにもいくつかのレコードをかけさせてもらいましたが、実はほかのレコードはどうでもよかった。なにぶんにも、カートリッジからスピーカーまでのラインで、そのときちがっていたのは、コントロールアンプだけでしたから、「パルシファル」のきこえ方のちがいで、あれはああであろう、これはこうであろうと、ほかのレコードに対しても一応の推測が可能で、その確認をしただけでしたから。はたせるかな、ほかのレコードでも考えた通りの音でした。
そして、肝腎の「パルシファル」ですが、きかせていただいたのは、前奏曲の部分でした。「パルシファル」の前奏曲というのは、なんともはやすばらしい音楽で、静けさそのものが音楽になったとでもいうより表現のしようのない音楽です。
かつてぼくは、ノイシュヴァンシュタインという城をみるために、フュッセンという小さな村に泊ったことがあります。朝、目をさましてみたら、丘の中腹にあった宿の庭から雲海がひろがっていて、雲海のむこうにノイシュヴァンシュタインの城がみえました。まことに感動的なながめでしたが、「パルシファル」の前奏曲をきくと、いつでも、そのときみた雲海を思いだします。太陽が昇るにしたがって、雲海は、微妙に色調を変化させました。むろん、ノイシュヴァンシュタインの城を建てたのがワーグナーとゆかりのあるあのバイエルンの狂王であったということもイメージとしてつながっているのでしょうが、「パルシファル」の前奏曲には、そのときの雲海の色調の変化を思いださせる、まさに微妙きわまりない色調の変化があります。
カラヤンは、ベルリン・フィルハーモニーを指揮して、そういうところを、みごとにあきらかにしています。こだわったのは、そこです。ほんのちょっとでもぎすぎすしたら、せっかくのカラヤンのとびきりの演奏を充分にあじわえないことになる。そして、いまつかっているコントロールアンプできいているかぎり、どうしても、こうではなくと思ってしまうわけです。こうではなくと思うのは、音楽にこだわり、音にこだわるかぎり、不幸なことです。
*
黒田先生は”Parsifal”をパルシファルと書かれる。
パルジファルなのかパルシファルなのか。ここではパルジファルにしておく。
私は、この59号の文章を読んで、
黒田先生は、いわばカラヤンの「パルジファル」に挑発されたのかもしれない、と思った。
だからコントロールアンプを、それまでのソニーのTA-E88からマークレビンソンのML7にされたのだ、と。
ハタチぐらいのとき、伊藤先生に初めてお会いした時に、
ウェスターン・エレクトリックの349Aのプッシュプルアンプを作ろう、と思っていることを、
私が直接話す前に、サウンドボーイの編集長であり伊藤先生の一番弟子のOさんが先に話されていて、
「349Aでアンプを作るんだって」と伊藤先生から切り出された。
返事をすると、「349Aはいい球だよ」と言われ、続けてこういわれた。
「最初から300Bでアンプを作る人が増えているけども、そうじゃなくて、
段階を経て300Bにたどりついた方が、300Bの良さがわかるよ」
そういうことだった。
私がハタチというのは、いまから30年ほど前のこと。
あの頃よりも、ずっと今の方が300Bで最初のアンプを作るという人は増えているかもしれない。
作るまではいかなくとも、最初に手に入れた真空管アンプが300Bを使っている、という人もいても不思議ではない。
それはそれでいいのかもしれないが、
やはり私はいきなり300Bというのは、すすめない。
最初は手頃な真空管から始めて、次に一歩先に進んで、また別の真空管。
こんなことを何度かやって、あれこれ苦労した上で300Bにたどりつく。
それまで300B以外の真空管で、どう苦労しても得られなかった音が、あっさりと出てきてしまう。
300Bを完璧な真空管とまではいわないけれど、圧倒的に優れた真空管とはいおう。
ならば最初から300Bでもいいじゃないか、
他の真空管を使ってアンプを作るなんて、手間も時間もお金ももったいない。
十分な予算があるから、そんな貧乏臭いことはしたくない。
そんな考えをする人は、
オーディオに関しても同じことをやっているんだろう。
ラジオからラジカセ、
それから一応コンポーネント呼べるオーディオを手に入れて、
カートリッジをグレードアップして、アンプを次に、そしてスピーカーをやはりグレードアップする。
一通りすべての機器をグレードアップしたら、
またどこかをグレードアップしていく……。
そういう過程を踏んできているのがオーディオマニアであり、
お金があるから最初から最高のシステムを、と販売店に行く人がいるけれど、
そういう人はオーディオマニアとは呼べない。
300Bとは、ウェスターン・エレクトリックの直熱三極管のことであり、
真空管にほとんど関心のない人でも、一度は、この型番を耳にしたことがあることだろう。
もっとも有名な(少なくとも日本では)真空管である。
300Bはずっと以前は幻の真空管だった、ときいている。
存在は知られていても、実際に手に入れるにはかなりの苦労があった、らしい。
ステレオサウンド 8号の新製品紹介のページ「話題の新製品を診断する」の扉に、
瀬川冬樹の文字がある。珍しいことである。
瀬川先生が、このころのステレオサウンドの新製品紹介のページに登場されたのは、
これぐらいではなかろうか。
ここで瀬川先生が担当されているのは、ステレオギャラリーQのパワーアンプである。
ステレオギャラリーQの名を見て、すぐに300Bのシングルアンプを思い浮べられる人は、
いまでは少なくなったのかもしれないが、
1968年当時、ウェスターン・エレクトリックの300Bを採用したアンプとして話題になっていて、
そのことは、その約10年後にオーディオに入ってきた私でも、割と早く知っていたぐらいである。
そこに瀬川先生はこう書かれている。
*
かつて八方手を尽してやっとの思いで三本の300Bを手に入れて、ときたまとり出しては撫で廻していた小生如きマニアにとって、これは甚だショックであった。WE300Bがそんなにたくさん、この国にあったという事実が頭に来るし、それを使ったアンプがどしどし組み立てられて日本中にバラ撒かれるというのは(限定予約とはいうものの)マニアの心理として面白くない。そんなわけで、試聴と紹介を依頼されて我家に運ばれてきたアンプを目の前にしても、内心は少なからず不機嫌だった。ひとがせっかく大切に温めて、同じマニアの朝倉昭氏などと300Bの話が出るたびに、そのうちひとつパートリッジに出力トランスを特注しようや、などと気焔をあげながら夢をふくらませていたのに、俺よりも先に、しかもこう簡単に作られちゃたまらねェ! という心境である。
*
ウェスターン・エレクトリックの300Bとは、こういう真空管である。
(だった、と過去形では書かない)
瀬川先生がSAEではなくスチューダーにされた第二の理由は、ファンの有無である。
Mark2500には冷却用のファンがついていた。
当時の輸入元であったRFエンタープライゼスでは、
より静かなファンに置き換えていたようだが、それでもファンが廻れば無音というわけにはいかない。
しかも室内楽を大音量で聴く人はまずいない。
室内楽を静謐な、求心的な音で聴く場合、その音量はおのずと決ってくる。
それにA68はMark2500よりも小さい。
Mark2500はW48.3×H17.8×D40.0cm、A68はW48.3×H13.3×D33.5cmである。
だいたいイギリスのスピーカーに、あまり大きなパワーアンプは似合わないし、
組み合わせたいとも思わない。
そんなもろもろのことを考えても、
1980年以前において、コーネッタにA68ほどふさわしいパワーアンプはなかった、と思う。
いまもしコーネッタを鳴らすことがあったら、A68を外すことはない。
そして、もうひとつA68とともにいまでもコーネッタを鳴らしてみたいアンプの筆頭は、
マイケルソン&オースチンのTVA1である。
スチューダーのA68は、
私がコーネッタの存在を知るきっかけとなった「コンポーネントステレオの世界 ’77」に登場している。
瀬川先生の組合せにおいてである。
室内楽を静謐な、しかも求心的な音で聴きたい、というレコード愛好家のための組合せで、
スピーカーはタンノイのアーデン、
これを鳴らすためにA68、それにコントロールアンプはマークレビンソンのLNP2である。
このころの瀬川先生はLNP2にはSAEのパワーアンプ、Mark2500を組み合わせることが常だった。
だから、この組合せの記事でも、なぜMark2500ではなくA68なのか、について語られている。
*
マーク・レビンソンのLNP2に組合せるパワーアンプとして、ぼくが好きなSAEのマーク2500をあえて使わなかった理由は、次の二点です。
第一は、鳴らす音そのものの質の問題ですが、音の表現力の深さとか幅という点ではSAEのほうがやや優れているとおもうけれど、弦楽器がA68とくらべると僅かに無機質な感じになる。たとえばヴァイオリンに、楽器が鳴っているというよりも人間が歌っているといった感じを求めたり、チェロやヴァイオリンに、しっとりした味わいの、情感のただようといった感じの音を求めたりすると、スチューダーのA68のほうが、SAEよりも、そうした音をよく出してくれるんですね。
*
いうまでもなくアーデンもタンノイだ。
コーネッタもタンノイだ。
タンノイのスピーカーに、どういう音を求めるのかが、アンプ選びに関わってくる。
コーネッタで、どういう音楽をどう聴きたいのかまでは、
コーネッタを知ったばかりのころは深くは考えていなかったけれど、
それでもコーネッタでは聴かない音楽、コーネッタに求めない音はなんとなくわかっていたように思う。
だからコーネッタにはA68を組み合わせたい、と、
コーネッタについて知りはじめたころから、そう思うようになっていた。
なんといいかげんな男なんだろう、と。
この件で、そのことを確信した。
私にもいいかげんなところはある。
何もいいかげんなところがあるから、その知人のことをここに書いているわけではない。
私にとって、音楽とオーディオは大事にしてきたことであり、
そのオーディオにおける、瀬川先生の文章の位置するところは特別であり、
知人もまたそうだと思っていた。
彼もそのようにいっていたからだ。
でも、それは違っていたようだ。
口ではいくらでも格好つけたことをいえる。
そのためだけの、彼にとっては瀬川先生の存在であったのだ。
たとえ「虚構世界の狩人」を読んだことを忘れていたとしても、
サヴァランの、あの有名な一節を読めば、思い出すのが、
瀬川先生の書かれたものを読みつづけてきた者のはず。
本の読み方は百人いれば百通りの読み方があるのかもしれない。
私と同じように、他の人に読むことを強要はしない。
「虚構世界の狩人」を読んだ人のどのくらいが、
サヴァランの一節からから始まっていることを思い出してくれるのかはわからない。
だが、瀬川先生の文章の熱心な読み手だと自分で口にしていて、
あのいいかげんさは、私はどうしても許せない。
知人がサヴァランの一節を電話してきた時、
彼とのつき合いは終る、と予感したし、事実、一年ほどしてから、そうなった。
このことが直接のきっかけとなったわけではない。
彼の「読む」とは、どういうことなのか、こういうことなのか。
彼の「きく」とは、いったいどういうことなのか。
いまとなって、私にとってはどうでもいいことでしかない。
多くの人が、「読んだ」「きいた」と口にしたり書いたりする。
私もそうだ。
だが、どれだけほんとうに「読んだ」「きいた」といえるだろうか。
ただなぞっているだけなのかもしれない。
自分の裡(心)に、転写(transcription)しているといえるだろうか。
スピーカーを役者としてとらえることで、
世の中に存在する幾多ものスピーカーそれぞれの個性について、
どう捉えるかも私のなかでははっきりしてくる。
役者は舞台やカメラの前で、役を演じる。
セリフがそこにもある。
ヘタな役者だと、感情のこもっていない、棒読みのセリフになったり、
大見得をきった演技にもなる。
そういう演技だと観ている側は、そこで行われていることに感情移入できない。
どこか他人事、それも対岸の火事のようでもあり、
いくらそれがつくり事とはいえ、傍観者から一歩踏み込めなかったりする。
感情がこちらに伝わってくると、違ってくる。
けれども、その伝わってくる感情は、役者自身の感情であれば、
その役者の熱狂的なファンであれば、その感情を受けとめられるだろうが、
そうでない者にとっては、役者自身の感情なんて、どうでもいいことであり、
観ている側が求めている感情とは、役柄の感情である。
こんなことを思い出した。
数年前のことだ。知人が、すこし興奮気味に電話をかけてきた。
彼が読んだばかりの本のことを伝えようとしての電話だった。
ブリア・サヴァランの「美味礼賛」だった。
「君がどんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」、
この一節を読んできかせてくれた。
彼は続けて、オーディオ、音もまさしくそうだ、といいたげだった。
ある人にとって若いころに出あった本であっても、
別の人にとってはまったく違う時に出あうことは少なくない。
早く読んでいたから、とか、遅く読んだから、とかは、
どうでもいい、とまではいわないまでも、ここでは大きな問題ではなかった。
にも関わらず、私は知人に対して、すこしばかり意地の悪い返答をした。
それは、普段から彼が公言していることが、いかにいいかげんであったかを確認できたからだった。
知人もオーディオマニアだ。
私よりも年齢は上。瀬川先生の文章に惚れている、といっていたし、
「虚構世界の狩人」もしっかりと読んだ、といっていた。
「虚構世界の狩人」には、
《「君がどんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」とブリア・サヴァランは言う。》
という出だしで書かれている文章がおさめられている。
その文章のタイトルは、瀬川先生の著書のタイトルにもなっている「虚構世界の狩人」である。
あえてくり返すが、その冒頭が、サヴァランの
「君がどんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」
で始まっているのだ。
カラヤンの「ニーベルングの指環」。
私はCDになってからはじめて聴いた。
カラヤンのワーグナーということで、ネガティヴな先入観がないわけではなかった。
けれどいざ聴いてみると、そこで聴けるワーグナーは、
それまで他の指揮者が前面に打ち出していたようにも感じていた壮大な印象が、
カラヤンにおいては奥にさがり、どちらかといえば室内楽的な感じすら受けた。
抒情的なワーグナーとは、こういう演奏のことをいうのだろうか。
そうも思いもした。
悪くない、とおもって聴きつづけていく。
悪くないどころか、いいと感じはじめているのに気づく。
カラヤンの「ニーベルングの指環」を、
いわゆるワーグナーらしくない、といって切り捨てることはできなくもない。
だがワーグナーらしくない、というのは、
それまで聴いてきたレコードによって、その人の中に形成されたものでもある。
そういうワーグナーと違うから、いいレコード(演奏)とはいえないわけではない。
カラヤンのワーグナーには、カラヤンならではの美しいワーグナーがあるのではないか。
このことがあったから、「パルジファル」をカラヤン盤で聴きたくなったのだ。
真空管アンプではなく、トランジスターアンプならば、なにをもってきたいか。
価格的にも国的にも、誰もがぱっと候補にあげるのはQUADの405のはず。
コーネッタが登場したころ、405も登場している。
HPD295Aを搭載したコーネッタならば、405ももってこいのアンプかもしれない。
405はそのころ145000円だった。
コントロールアンプは、405が登場した時には44はまだだった。
33では405につり合わない、とまではいわないまでも、
33を使うのであれば、パワーアンプは303、もしくは50Eという選択にしたい。
となるとAGIの511か。
雑誌の組合せと違い、個人の組合せでは、少し待つ、という選択肢がある。
だからQUADから44が出るまで待って、という組合せもあっていい。
QUADの44と405、それにコーネッタ。
プレーヤーはリンのLP12かトーレンスのTD125あたりであれば、
うまくまとまってくれるであろう。
でもタンノイのIIILZ、その後のイートン(Eaton)であれば、
このへんで、と満足できるのに、
コーネッタというエンクロージュアに同じ10インチの同軸型ユニットがおさまっているだけで、
欲が深くかきたてられたりもする。
価格的なバランスを無視したくなるわけだ。
スチューダーのパワーアンプ、A68で鳴らしてみたら、どうなるんだろうか、と。
古書店に行くと、まれにではあるが、驚くほどきれいな状態の昔の雑誌が並んでいることがある。
ステレオサウンドに関しても、そういうことがある。
最近のバックナンバーのことではなく、20号から40号くらいにかけてのバックナンバーが、
よくこんなきれいな状態で残っているな、と感心してしまうほどのものがあったりする。
すでに出版されていない本で手に入れたいのであれば、
古書店で並んでいるのを買う。
新品があればそれにこしたことはないが、そうもいかない。
心情として、できるだけきれいな状態であってほしい。
値段は高くなるけれど、そういう状態の本はありがたいともいえる。
けれど、ともおもう。
なぜこんなにきれいなのか、と。
このステレオサウンドを出版された当時に買った人は、
ほんとうにじっくりと読んでいたのだろうか。
決して安い雑誌ではないから、買って帰れば、一度はページをめくっているはず。
でも一度、もしくは二度三度くらいなのかもしれない。
きれいな状態の古書が残っているのは嬉しいことである。
だが、その本はほんとうに読まれたのか、と、
少なくとも本づくりにたずさわってきた者は、そんなこともおもってしまう。