舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その10)
こんなことを思い出した。
数年前のことだ。知人が、すこし興奮気味に電話をかけてきた。
彼が読んだばかりの本のことを伝えようとしての電話だった。
ブリア・サヴァランの「美味礼賛」だった。
「君がどんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」、
この一節を読んできかせてくれた。
彼は続けて、オーディオ、音もまさしくそうだ、といいたげだった。
ある人にとって若いころに出あった本であっても、
別の人にとってはまったく違う時に出あうことは少なくない。
早く読んでいたから、とか、遅く読んだから、とかは、
どうでもいい、とまではいわないまでも、ここでは大きな問題ではなかった。
にも関わらず、私は知人に対して、すこしばかり意地の悪い返答をした。
それは、普段から彼が公言していることが、いかにいいかげんであったかを確認できたからだった。
知人もオーディオマニアだ。
私よりも年齢は上。瀬川先生の文章に惚れている、といっていたし、
「虚構世界の狩人」もしっかりと読んだ、といっていた。
「虚構世界の狩人」には、
《「君がどんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」とブリア・サヴァランは言う。》
という出だしで書かれている文章がおさめられている。
その文章のタイトルは、瀬川先生の著書のタイトルにもなっている「虚構世界の狩人」である。
あえてくり返すが、その冒頭が、サヴァランの
「君がどんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」
で始まっているのだ。