「スピーカー」論(その6)
スピーカーを役者としてとらえることで、
世の中に存在する幾多ものスピーカーそれぞれの個性について、
どう捉えるかも私のなかでははっきりしてくる。
役者は舞台やカメラの前で、役を演じる。
セリフがそこにもある。
ヘタな役者だと、感情のこもっていない、棒読みのセリフになったり、
大見得をきった演技にもなる。
そういう演技だと観ている側は、そこで行われていることに感情移入できない。
どこか他人事、それも対岸の火事のようでもあり、
いくらそれがつくり事とはいえ、傍観者から一歩踏み込めなかったりする。
感情がこちらに伝わってくると、違ってくる。
けれども、その伝わってくる感情は、役者自身の感情であれば、
その役者の熱狂的なファンであれば、その感情を受けとめられるだろうが、
そうでない者にとっては、役者自身の感情なんて、どうでもいいことであり、
観ている側が求めている感情とは、役柄の感情である。