妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その14)
カラヤンの「ニーベルングの指環」。
私はCDになってからはじめて聴いた。
カラヤンのワーグナーということで、ネガティヴな先入観がないわけではなかった。
けれどいざ聴いてみると、そこで聴けるワーグナーは、
それまで他の指揮者が前面に打ち出していたようにも感じていた壮大な印象が、
カラヤンにおいては奥にさがり、どちらかといえば室内楽的な感じすら受けた。
抒情的なワーグナーとは、こういう演奏のことをいうのだろうか。
そうも思いもした。
悪くない、とおもって聴きつづけていく。
悪くないどころか、いいと感じはじめているのに気づく。
カラヤンの「ニーベルングの指環」を、
いわゆるワーグナーらしくない、といって切り捨てることはできなくもない。
だがワーグナーらしくない、というのは、
それまで聴いてきたレコードによって、その人の中に形成されたものでもある。
そういうワーグナーと違うから、いいレコード(演奏)とはいえないわけではない。
カラヤンのワーグナーには、カラヤンならではの美しいワーグナーがあるのではないか。
このことがあったから、「パルジファル」をカラヤン盤で聴きたくなったのだ。