舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その9)
古書店に行くと、まれにではあるが、驚くほどきれいな状態の昔の雑誌が並んでいることがある。
ステレオサウンドに関しても、そういうことがある。
最近のバックナンバーのことではなく、20号から40号くらいにかけてのバックナンバーが、
よくこんなきれいな状態で残っているな、と感心してしまうほどのものがあったりする。
すでに出版されていない本で手に入れたいのであれば、
古書店で並んでいるのを買う。
新品があればそれにこしたことはないが、そうもいかない。
心情として、できるだけきれいな状態であってほしい。
値段は高くなるけれど、そういう状態の本はありがたいともいえる。
けれど、ともおもう。
なぜこんなにきれいなのか、と。
このステレオサウンドを出版された当時に買った人は、
ほんとうにじっくりと読んでいたのだろうか。
決して安い雑誌ではないから、買って帰れば、一度はページをめくっているはず。
でも一度、もしくは二度三度くらいなのかもしれない。
きれいな状態の古書が残っているのは嬉しいことである。
だが、その本はほんとうに読まれたのか、と、
少なくとも本づくりにたずさわってきた者は、そんなこともおもってしまう。