妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その13)
「五味オーディオ教室」から始まり、
五味先生の音楽、オーディオに関する著書はくり返し読んできた私は、
いまでもアンチ・カラヤンというところから脱し切れていないところがある。
アンチ・カラヤンといっても、カラヤンのすべてが嫌い、
なにもかも気にくわない、というわけではない。
カラヤンの私生活のことなどどうでもいいことであって、
どれだけいいレコードを残してくれているかだけが、重要である。
それにアンチ・カラヤンが、
学生のころ苦労して金の工面をつけて、ベルリン・フィルハーモニーとの公演に行ったりはしないだろう。
アンネ=ゾフィ・ムターをともなっての来日だった。
その後も、最後の来日公演となった1988年のコンサートにも、
チケットをなんとか都合してもらい行っている。
五味先生の書かれているように、
モノーラル時代のカラヤンの録音はいいものが多い。
いまでも輝きを失っていない演奏が、モーツァルトの「フィガロの結婚」「魔笛」から聴くことができる。
他にも、いまでも愛聴盤として聴いている、この時代のカラヤンの録音はある。
まめにカラヤンのすべての時代の録音を聴いてきたわけではない。
あまり聴かない時代のレコードもある。
その時代の録音でも、リヒャルト・シュトラウスの演奏(録音)を聴けば、唸ってしまう。
カラヤンの残したすべての録音を聴いてみたい、とは思っていない。
それでもカラヤンの残したものには、
(その必要はないのだけれど)声をひそめて、いいものはいい、といえるものがいくつもある。
私にとってカラヤンのワーグナーは、まさにそうである。
カラヤンのワーグナーはいい。