Archive for category テーマ

Date: 2月 5th, 2015
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(持っているものをとにかく楽しむ)

ここ数年、CD登場初期の国産CDが再評価されてきている。
おもにCBSソニーの初期のCDがそうであるようだ。
中古店でもけっこうな値段がついているのを見たことがある。

その後、さまざまなリマスター盤が登場するようになる。
CBSソニーはジャズではマイルス・デイヴィス、クラシックではグレン・グールドという、
熱心なファンを抱えている演奏家がいる。

私もそうだが、グールドのリマスター盤が出たとなると、
またか……、と思いつつも、手を伸ばす。
マイルスのファンの知人も同じことをいっていた(やっている)。

決定盤となるようなことをせずに、小出しにしながら、
何度も同じファンに売りつける商売をやり続けている。

ほかのレコード会社も、ここまでひどくはないが、同じようなことはやっている。
だからどうしても手元に同じタイトルのディスクが複数ある。

同じであれば一枚にしぼれるが、音は違う。
同時期の輸入盤とは国内盤でも音は違う。
ここで、喧噪せるマニアの群れあり、となる。

初期CDがいい、
いや、何回目のリマスターCDこそいい、とか。
とにかく白黒つけたがる人が多いように感じる。

私も20代のころは、そんなことにやっていた。
ケイト・ブッシュのイギリス盤のCDはプレス工場が、私が購入したモノでは三ヵ所あった。
同じ音がするとはいえなかった。
だから、どれがいちばんいいのか、聴き較べていた。

これはこれで楽しい行為でもある。

でも40が目前となったころから、どれがいちばんいいのかを判断するのもいいけれど、
同じ音がするモノはこの世にはふたつとない、
だからそれぞれの音を楽しもう、というほうにスライドしていった。

アナログディスク再生には柔軟性がある、と書いた。
けれど、これだけ豊富なリマスター盤が入手できるのだし、
二、三枚のリマスター盤を持っている人は多いはず。

ならばその時々の自分の感覚に応じて、
どのリマスター盤を選ぶのか(鳴らすのか)を決めるのもいように思う。

Date: 2月 5th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その13)

ワディアのPower DACはシンプルなのかミニマルなのか、について考える前に、
もう一度CHORDのHUGOについて考えてみたい。

HUGOというD/Aコンバーター/ヘッドフォンアンプをどう捉えるのか。
ヘッドフォンアンプとしてのみ使用している人にとっては、
D/Aコンバーター内蔵のヘッドフォンアンプであり、
このジャンルの機器として見れば、とくにシンプルとかミニマルという印象は受けないだろう。

私がこの項を書こうと思ったのは、HUGOでスピーカーを鳴らしているのを聴いたからだ。
こうなるとHUGOへの印象はまるで違ってくる。

なんとミニマルなモノだろう、と思うし、
これでスピーカーのあれこれを鳴らしてみたい、とも思った。

一月のCESではHUGO TTという、
同コンセプトながら筐体がふたまわりほど大きくなったモデルが発表になった。
価格はHUGOの二倍ほどするようだ。

HUGO TTでスピーカーを鳴らすシステムも、私にはミニマルなシステムということになる。

HUGOがスピーカーを鳴らせるといっても、私はできればフルレンジを鳴らしたい。
マルチウェイのスピーカーシステムであっても、複雑なネットワークを使わずに、
簡素なネットワークで構成されたスピーカーシステムならば鳴らしてみたい。

ダイヤトーンの2S305はどんな感じで鳴ってくれるのか、
JBLの4311はどうだろう、とか、想像している。

間違ってもネットワークの構成素子数の多さを誇っているスピーカーシステムを鳴らしたいとは思わない。
その手のスピーカーを鳴らすには、きちんとアンプを用意する。

そうなればD/AコンバーターとしてHUGOを使ったとしても、もうミニマルなシステムではなくなる。

ということは、ミニマルという印象はHUGO単体が醸し出しているのではなく、
それをどう使ってみようか、という使い手側に潜んでいるということになるのか。

Date: 2月 4th, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その4)

別項「アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その15)」で、
アナログディス再生の、デジタルディスク再生に対しての強みは、
聴き手の感覚に合せられることのできる柔軟性にある、と書いた。
このことは聴き手の感覚を調整していくこと、とも書いた。

つまりデジタルディスク再生の弱みは、この柔軟性に欠ける点ともいえる。

そんな柔軟性は必要ない、という聴き手にとっては、
私が書いていこうとしているコントロールアンプの必要性はどうでもいいことだろう。

だが日本には四季があり、毎日の天候もまったく同じなわけではない。
乾いた日もあればじっとりした日もある。
気持ちいいと思える日もあれば、どんよりした日もある。

エアコンで空調が完全にコントロールされた部屋から一歩も外に出ずにすむ人ならば、
季節の変化に影響されることはないのかもしれない。
けれど、そんなわけにはいかない。
さまざまな事情で外に出ていく。そして実感している。

そういう暮しの中で、一年中同じ感覚を保つということは、終生変らぬ感覚のままということでもある。
そんなことがあるだろうか。

だから私はデジタルディスク再生における柔軟性を、コントロールアンプに求める。
別項「ミキサーはコントロールアンプたり得るのか」で、そのことについて書いていく。
これも、いま私が考えているコントロールアンプ像であり、
ここで書いていくことも、別のコントロールアンプ像である。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: 原器

オーディオ「原器」考(その2)

原器としての候補を思いつくまま挙げてみる。

音の入口からいけば、カートリッジではまずオルトフォンのSPUが、候補として真っ先に浮ぶ。
と同時に、カッターヘッドをそのままカートリッジに置き換えたものがひとつの理想とすれば、
ウェストレックスの10Aも原器といえる。

トーンアームは、やはりSMEの3012、3009が原器ということになるのか。
とはいえ現行製品に多く見受けられるワンポイントアーム。
これこそがトーンアームの原器とすれば、SMEではなく、他のトーンアームが候補として浮ぶ。
たとえはグレイ(マイクロトラック)の206Sといった、プリミティヴなトーンアームが原器となるのか。

ターンテーブルはどうか。
まずダイレクトドライヴ型の原器としてはテクニクスのSP10が存在する。
これは誰も否定することのできない原器である。
だがターンテーブルの原器となると、ずっと溯ることになる。

ガラードの301、トーレンスのTD124あたりを原器とするのには、やや抵抗がある。
けれど他にどんなモノがあったろうか。

コントロールアンプはどうか。
ここでもマランツのModel 7は外せない。
だがModel 7の原器としてModel 1があり、
Model 1はモノーラルだが、
これを二台使い、Model 6とともにウッドケースにおさめたモノがModel 7の原器といえばそういえる。

Model 7を挙げるのならば、マッキントッシュのC22はどうか、となる。

C22もModel 7も真空管アンプである。
トランジスターアンプとしての原器はないのか。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その3)

CDプレーヤーの出力は2Vrmsで、それまでのチューナーやテープデッキよりも出力電圧が高い。
ラインアンプのゲインが、CD登場以前のままではボリュウムをかなり絞り気味になる。
コントロールアンプのライン入力の感度も従来と同じというわけにはいかなくなってきた。

2Vあれば、ゲイン的にラインアンプは必要としない。
パワーアンプに直接接続すればいい。
レベルコントロールがパワーアンプ側にあれば、多少使いにくさはあるが、
パッシヴのフェーダーすらいらない。

デジタル信号処理が進歩したことでデジタルボリュウムも進歩している。
そうなってくるとパワーアンプ側のレベルコントロールもいらなくなる。
リモコンでレベルコントロールができる。使いにくさはなくなる。

しかもCD登場直前のコントロールアンプは、音質向上を謳い機能を省いたモノが多かった。
入力セレクターとレベルコントロールくらいの機能しかないモノもあった。
ならばいっそのことラインアンプは、もういらないんじゃないか、という発想が起るのが自然ともいえる。

そんなときに、いいタイミングでゼネラル通称がP&Gのフェーダーを使ったフェーダーボックスを製品化した。
けっこうヒットしたように思う。
しばらくしてより筐体をしっかりとつくったモデルも登場した。
こちらはしばらくステレオサウンド試聴室でもよく使っていた。

コントロールアンプの必要性を再考すべき時期が来ていた。
ステレオサウンドにいたとき、しっかりとこのことを再考していた、とはいえない。
反省がある。

離れてずいぶん経ち、こうやってブログを書くようになって考えている。
むしろCD(デジタル)だからこそ、コントロールアンプが必要だと、いまはいえる。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その2)

コントロールアンプは不要と考える人が出て来た(もしくは増えてきた)のは、
やはりCD登場以降である。

長島先生。
ステレオサウンド 61号を読まれた方ならば、
長島先生もまたコントロールアンプ不要の人ではないか、ということになる。

マランツのModel 7を長島先生は使われていた。
Model 7は管球式コントロールアンプを代表するモデルでもあり、
コントロールアンプとしての機能は過不足なく備えている。

けれど長島先生はModel 7のフォノイコライザーのみを使われていた。
トーンコントロールやフィルター機能をもつラインアンプは使われていない。

そしてレベルコントロールはDAVENのアッテネーターで行なわれていた。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」。
ここでの瀬川先生の120万円の組合せ。
スピーカーはロジャースのLS3/5A、パワーアンプはルボックスのA740、
アナログプレーヤーはEMTの928。
コントロールアンプはない。

928にはイコライザーアンプが内蔵されている。
A740にはレベルコントロールがフロントパネルについている。
コントロールアンプがなくても最低限の機能は備えている。

もちろん予算が120万円と制約されていなければ、なんらかのコントロールアンプを選択されていたはず。
けれど制約の中とはいえ、ここで瀬川先生はコントロールアンプなしの組合せをつくられている。

とはいえ、CD登場以前はコントロールアンプを省こうとする人はそうはいなかったと思う。
それがCDの登場後、オーディオ雑誌でも取り上げられるし、実際の製品も登場するほど、
コントロールアンプの存在が稀薄になっていった。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: コントロールアンプ像

パノプティコンとしてのコントロールアンプ像(その1)

NTi AUDIOFLEXUS FX100に強い関心をもっている。

この関心の強さは、
パノプティコンとしてのコントロールアンプ像を考えていくうえで深く関係してくると考えているからだ。

コントロールアンプは不要という人はいる。
アナログディスクを聴くにしても単体のフォノイコライザーアンプとパッシヴのフェーダーがあればいい、
CDも同様にCDプレーヤーとパッシヴのフェーダーがあれば、そのままパワーアンプに接続できる。

こういう人は、余分なものを通すと必ず音は悪くなる、という。
そしてシンプル・イズ・ベストだともいう。
だが、パッシヴのフェーダーを使い、コントロールアンプを省くことが、シンプルとなるのか。
それについては、別項でこれから書いていくとして、
実は私も一時期、パッシヴのフェーダーを使っていた。

定インピーダンスのアッテネーター、それもH型のバランス仕様のものを使いバランス伝送でやっていた。
もちろんインピーダンスマッチングもやっていた。

これはこれならではの音の良さはあった。
それでも、いまはコントロールアンプは必要とする考えである。

フェーダーだけのモノをパッシヴ型という、
一方、増幅回路をもつモノをアクティヴ型ともいう。

パッシヴとアクティヴ。
パッシヴでコントロール可能なのはレベルだけである。
アクティヴとなると、どうなるのか。
パッシヴとあまり変らないアクティヴも少なくない。

エレクトロニクスは進歩している。
特にデジタルの信号処理技術は驚くほどの進歩である。
だからFLEXUS FX100もあらわれてきた、といえよう。

ならばより積極的なアクティヴなコントロールアンプの出現を、私は望んでいる。
それがパノプティコンとしてのコントロールアンプである。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: 無形の空気

いま、空気が無形のピアノを……(その4)

ハイエンドオーディオのスピーカーシステム、
つまりは音場再生に優れているといわれているスピーカーであれば、
ふたつのスピーカーのあいだに、歌のディスクであればそこに歌手が出現する。

そんなふうにいわれている。
このことにはいくつかいいたいことがある。
まずは音場再生と音場感再生の違いについてと、
そこに出現する歌手のイメージは「空気が無形のピアノを……」と同じことなのか、である。

30年ほど前のことだ。
ステレオサウンドの取材であるオーディオマニアのリスニングルームに行った。
古き佳き時代のスピーカーシステムが、そこにはあった。
高能率型のスピーカー、ラッパと呼びたくなるスピーカーである。

その日は写真撮影で伺っていた。
撮影しているときに主がレコードをかけてくれていた。
ジャズのレコードだった。

撮影がメインのため、スピーカーに背を向けていた。
音量は、だからあまり大きくはなかった。
曲の途中でサックスのソロになった。

この瞬間、後に誰かいる気配がした。
サックス奏者が背後にいる、まさにそんな気配が感じられて、
いるはずもないのに、思わずふり返った。

曲のはじまりではベース、ドラムも鳴っていた(はずだ)。
そのときもサックスは鳴っていた。
正直、そこで鳴っていた音は、これだけのシステムであれば、もっといい音で鳴ってくるはず、
と思わせてしまうレベルではあった。
そのためかいくつもの楽器がなっているところでは、
ふり返らせるほどの気配は醸し出していなかった。

それがサックスのソロになったとたんに、別物のような鳴り方になった。

Date: 2月 3rd, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(富士フイルムの広告)

スイングジャーナルの1970年7月号から、富士フイルムの広告が変った。
ジャズ雑感というタイトルがつき、
見開きで左ページにイラスト、右ページにイラストレーターのジャズについての短い文章がある。

1971年1月号からは、ジャズ解放区とタイトルは変ったけれど、同じスタイルでしばらく続いた。
いまのところ”the re:View (in the past)“で、1970年12月号分まで公開している。

ジャズ雑感の一回目は、原田維夫氏。
     *
ジャズと云うと恩師田中一光氏を想い出す。仕事のことも、ジャズも、この一光氏から教えを受けた。一時期、仕事の合間に流す音楽は全てモダンジャズであったし、曲のこと、演奏者のこと、全て解説してくれた。時々、たんなる演奏だけでは面白くないと、バロック音楽とMJQ、バッハのチェロソナタとセロニアスモンクなど、組み合わせて同時に音を出し、その新鮮な合奏にビックリさせられたりした。今でも、あの時のクラシックとジャズの妙な合致を面白く想い出す。
     *
バロック音楽とMJQ、バッハのチェロソナタとセロニアス・モンク。
同時に音を出す。

ということは田中一光氏の仕事場には、二組のシステムがあったのだろうか。
バロック音楽とは、どれだったんだろうか、バッハのチェロソナタは誰の演奏だったのだろうか、
曲の頭から同時に鳴らされたのか、それともどちらかの曲の途中から同時の音出しだったのか。
そんなことをあれこれ考えている。試してみようともおもう。

45年前の広告をみながら、新鮮な驚きを受けている。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その3)

以前、メガネを増永眼鏡のMP649にしたことを書いた。
当時は日本橋の三越本店別館のメガネサロンでしか川崎先生デザインのフレームは扱ってなかった。

東京にいったい何軒のメガネ店があるのかしらないが、1998年の時点では、ここだけだった。

ここでメガネをつくったことのある人なら、
その他多くのメガネ店とは雰囲気が違うことを感じとられると思う。

私がMP649を取り寄せてもらうため注文していた横で、
あるご婦人が完成したメガネを受けとっていた。
そのとき支払っていた金額に驚いた。

私が購入しようとしていたMP649とレンズを合わせた値段の約十倍もの金額だった。
MP649が届いて受けとりにいったときも、別のご婦人がメガネを受けとっていた。
その金額は、さらに高額だった。

どちらも鼈甲のフレームだった。
鼈甲のフレームは、こんなにも高額なのか、と驚きながらも、
ふたりのご婦人にとってメガネはアクセサリー(装飾品)でもあることに気づいた。

私の視力は左右とも0.1くらい。
メガネがないと不便である。
つまり私にとってメガネは医療機器であり、生活必需品である。
そこに装飾品の要素は求めていない。

けれど世の中には装飾品としてのメガネを買う人もいる。
そんなことを書きながらも、お前も川崎先生デザインのフレームというこだわりをもっているじゃないか、
と読まれている方にいわれそうだが、ここにデザインとデコレーションの違いがあると考える。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: アクセサリー

オーディオ・アクセサリーとデザイン(その2)

マークボーランドがどういう会社なのか、いまも詳しくことはしらない。
最初なんとなくアメリカの会社なのかなぁ、と思っていたけれど、どうも日本で作っていたようだ。
その後、どうなったのかも知らない。

私が聴くことができたマークボーランドの製品は、
朝沼予史宏さんがステレオサウンド試聴に持ち込んだスピーカーケーブルだけである。
このケーブルの型番すら知らない。

外観はおよそ30万円もするケーブルには見えなかった。
それでも朝沼さんは自信たっぷりにみえた。
とにかくマークボーランドのケーブルを、何も知らないわれわれ編集部に聴かせたかったようだった。

当時使っていたケーブルからマークボーランドのケーブルに変える。
その音の違いは、それまで聴いてきた、さまざまなケーブルの音の違いよりもはるかに大きかった。
これだけはっきりと音が変化すれば、ケーブルで音は変らないと頑なに主張しつづけている人でも、
あっさりとケーブルによる音の変化を認めるであろう。
そのくらいの違いがあった。

逆にいえば、スピーカーケーブルを変えただけでこれだけの音の変化があることが不自然に思えるほどだった。

スピーカー側からみれば、アンプとはスピーカーケーブルを含めた範囲であり、
パワーアンプ側からみればスピーカーとはスピーカーケーブルを含めたものが負荷となる。
だからスピーカーケーブルが変ることでアンプにとっての負荷も変動する。

マークボーランドのスピーカーケーブルに変えての音の差は、
アンプの動作が、それまでのスピーカーケーブル使用時とは違ってきているような、そんな印象さえあった。

だからといってすべての点で、それまで使っていたケーブルよりも良かったのかというと、
そこに関しては保留をつけたくなっていた。
それに30万円という価格にも、当時はかなりの抵抗を感じていた。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: 公理

オーディオの公理(Nutubeのこと)

ノリタケとコルグの共同開発による新たな真空管、Nutube。
オーディオと直接関係のない、ニュース系サイトでも取り上げられている。

話題になるのはいいことだが、そこに、こんな記述があった。
GIZMODOの記事だ。
《真空管ならではのちょっとナロー》、
真空管アンプの音は、オーディオに特に関心のない人にとっては、ナローということになるのか。

この記事を書いた人がどういう人なのかはまったくわからないし、
これを一般的な人の意見と受けとめていいものかはっきりとしないが、
それでもナローという印象が、真空管アンプの音に対してあることが、私には意外なことだった。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: 同軸型ウーファー

同軸型ウーファー(その3)

次に考えたのは、小口径ウーファーの周囲を大口径ウーファーで取り囲むように配置する、だった。
4インチ口径のウーファーのまわりに、8インチ口径もしくは10インチ口径のウーファーを複数配置する。

10インチならば、4インチの上下左右に、計四発配置する。
8インチならば六発くらい周囲に配置する。
いわば仮想同軸的配置である。

これも10インチと4インチの組合せだと、かなりおおがかりになる。
8インチと4インチでは、口径差がそれほどない。
なにかバカげている気がしてくる。
うまくいきそうにもない。
でも実際にやってみないと結果はなんともいえないのはわかっているのだが……。

もう一度考えたのは、最初の案である。
昔、ワトソン・オーディオのModel 10というスピーカーシステムがあった。
このモデルの最大の特徴は、ウーファーのエンクロージュア内にヘリウムガスを充填していることだった。

ヘリウムガスの音速は、空気の1/3程度。
ということはエンクロージュアの容積はヘリウムガスを充填することで27倍に相当する、というものだった。

そんなにうまくいくのかどうかは、私は音を聴いたことがない(実物も見てない)ためなんともいえないが、
確かにメーカーのいうように、驚くような低音が鳴っていた、らしい。
ただし新品の時だけであり、次第にヘリウムガスが抜けていき、ふつうのスピーカー並の低音になるそうだ。

どんなにエンクロージュアの密閉度を高めても、スピーカーユニット側から抜けていく。
振動板のところ、エッジから少しずつガスは抜けていくわけだ。

だが同軸型ウーファーの実験には必要な時間くらいはおそらくもつであろう。
そうであれば大口径ウーファーの前に小口径ウーファーを配置する。
小口径ウーファーのバックキャビティは200mlぐらいしか確保できないとしても、
ヘリウムガスを充填することで、計算上は5.4literになる。
これならば、なんとか工夫することで実験できるのではないか。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: 同軸型ウーファー

同軸型ウーファー(その2)

まず考えたのは小口径ウーファーと大口径ウーファーを組み合わせた同軸型ウーファーである。
それならば何も同軸型にすることなく、
大口径ウーファーと小口径ウーファーに同じ帯域を受け持たせればいいのではないか。
そう思われるかもしれない。

それでもなんらかの効果は得られるだろうが、
私が、わざわざ複雑な構造の同軸型にしてまで欲しているものは、
どうもそれでは得られないような気がしている。

技術的な根拠が特にあるわけではない。
あくまでも直感にすぎないのだが、
小口径と大口径のウーファーを組み合わせるのは、
大口径ウーファーのもつ、特有の欠点をなくしたいと考えるからである。

15インチ口径のウーファーがある。
そのセンターに4インチ口径ほどのウーファーを同軸上にもってくる。
これが最初に考えた構造である。

それならば15インチ口径ウーファーの前面にフレームをわたして、
そこに4インチ口径のウーファーを取り付ければ、簡易的ではあったも実験できるのでは? となる。

けれどこの構造では4インチ口径のウーファーの背面の音をどう処理するかが問題になる。
バックキャビティを持たせてしまうと、15インチ口径ウーファーの前面を覆い隠してしまう。
これでは無理である。

Date: 2月 2nd, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(ARの広告)

1970年ごろのアコースティックリサーチ(AR)の広告には、演奏家が登場している。
マイルス・デイヴィスジュディ・コリンズ、それにヘルベルト・フォン・カラヤンが、
ARのスピーカーシステムを自宅で使っている、と広告にはある。

この手の広告のやり方は昔からあり、ほかの会社もやっている。
同時期、アルテックの輸入元であったエレクトリは、渡辺貞夫の自宅の写真を掲載、
そこにはアルテックのMalagaが置かれていた。

以前は、この手の広告は、あくまでも広告だから、という感じでしかみてなかった。
真剣に受けとめることはしていなかった。

けれど、カラヤンにしてもマイルスにしても、ジュディ・コリンズ、渡辺貞夫にしても、
すでに著名な演奏家である。
つまりARが、彼らの知名度を広告として利用しているわけで、
そこにはなんからの謝礼が生じているのであろうが、
それでもマイルスにしてもカラヤンにしても、
ARのスピーカーシステムに良さを見出していたからこそ、ではないのか。

そう思いはじめると、
一度はカラヤンのこのころのアナログディスクは、ARのスピーカーシステムで聴いてみたい、
そう思うようになってきた。

カラヤンが、このころどういうシステムを使っていたのかはわからない。
ARの、シンプルなフロントパネルのプリメインアンプとアナログプレーヤーだった可能性もある。
トーンアームはSMEの3009で、カートリッジはシュアーだったのだろうか。

少なくともカラヤンはARのスピーカーで、発売されている自分のレコードを聴いていた、と考えられる。
そして、どれだけ満足していたのかはわからないものの、
決して大きな不満はなかったからこそ、ARの広告に登場したのだろう。

ARのシステムで聴くカラヤンが最上のカラヤンの再生ではないけれども、
少なくとも標準となるカラヤンの再生といえるのかもしれない。