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Date: 6月 27th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その3)

瀬川先生が、サンスイのショールームでかけられた二枚のシェフィールドのダイレクトカッティング盤は、
《ザ・キング・ジェームズ・バージョン》と《デイブ・グルーシン/ディスカバード・アゲイン》。

記事には、《ザ・キング・ジェームズ・バージョン》を聴き終ったところで拍手がおこった、とある。
しかも、誰かが「おみごと!」と口走ったとも書いてある。

シェフィールドのダイレクトカッティング盤をきちんと鳴らした音を一度でも聴いたことのある人ならば、
どういう音が、この時鳴っていたのかが伝わってくる。

シェフィールドのダイレクトカッティング盤の音は、
604-8Gを平面バッフルに取りつけた音を最高に活かしてくれる(発揮してくれる)。

良質のダイレクトカッティング盤のもつ爽快さは、
他ではなかなかというよりも、まず得られない良さである。

いまアナログディスク・ブームといわれているし、
もうブームではない、完全な復活だ、ともいわれているが、
ダイレクトカッティング盤の音を聴いたことのない人たちが、いまでは多いように思う。

私は、アナログディスク・ブーム、アナログディスクの復活には異論があるが、
それでもこれから先、ダイレクトカッティング盤全盛時代の、
シェフィールドやその他のレーベルから登場した良質のダイレクトカッティング盤に匹敵する、
そういうレベルのダイレクトカッティング盤が登場してくるのであれば、
アナログディスクの復活はホンモノだといえよう。

サンスイのショールームで、
2.1m×2.1mの平面バッフルに取りつけられた604-8Gで、
シェフィールドのダイレクトカッティング盤を聴けた人たちは幸運といえる。

HIGH-TECHNIC SERIES 4の「大型プレーンバッフルの魅力をさぐる」は、
当日に参加された50数名の人たち全員に感想をきいて、その一部が記事になっている。

それを読んでも、604-8Gの音が圧倒的であったことがうかがえる。
記事にもアルテックに《よほど強い印象を受けられたのだろう》とある。

Date: 6月 26th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その2)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのアルテック620Bの組合せ。
そこで、瀬川先生は述べられている。
     *
(UREIの♯813は)アメリカのプロ用のモニターのひとつで、たいへん優秀なスピーカーです。このUREI♯813の成功に刺激されて、アルテックは620Bモニターを製作したのではないか、と思えるふしがあるくらいなのです。
     *
瀬川先生の、この推測がどの程度確度が高いのか、はっきりしたことはわからない。
でもたしかに、620Bを見て聴けば、そう思えるところがあるのも確かだ。

たったこれだけの発言だが、私にとっていくつものことを結びつけてくれる。

「続コンポーネントステレオのすすめ」で、UREI 813のことを、こう書かれている。
     *
 このスピーカーの基本はアルテックの604-8Gというモニター用のユニットだが、UREIの技術によって、アルテックの音がなんと現代ふうに蘇ったことかと思う。同じ604-8Gを収めた620Aシステムでは、こういう鳴り方はしない。この813に匹敵しあるいはこれを凌ぐのは、604-8Gを超特大の平面(プレイン)バッフルにとりつけたとき、ぐらいのものだろう。
     *
813の評価としてこれ以上のものはない。
少なくとも私にとってはそうであるし、HIGH-TECHNIC SERIES 4を熱心に読み、
超特大の平面(プレイン)バッフルに憧れた者、なんとか部屋に押し込めないかと考えた者も同じはずだ。

HIGH-TECHNIC SERIES 4での604-8Gの試聴記もそうだが、
それ以上に巻末にある「大型プレーンバッフルの魅力をさぐる」での瀬川先生の発言が強く印象に残っている。

この記事はHIGH-TECHNIC SERIES 4の試聴で使用した2.1m×2.1mの平面バッフルを、
当時、西新宿にあったサンスイのショールームに持ち込んだ様子をリポートしたものだ。
     *
瀬川 わたし自身は正直いってアルテックの音はあまり好きではないのですが、この音を聴いたら考え方が変わりましたね。しびれました。近頃忘れていた音だと思います。
(中略、瀬川先生はアルテックと同じカリフォルニアのシェフィールドのダイレクトカッティング盤を二枚かけられている)
こういう音を聴くと、新しいアメリカのサウンドの魅力が実感できるでしょう。あまり素晴らしい音なのでまだまだ聴きたいところですが、タンノイも控えていますのでこの辺にしましょう。
     *
2.1m×2.1mの平面バッフルに604-8Gを取りつけた音に匹敵する音を、UREIの813は聴かせてくれる──、
813は家庭での設置がやや難しいスピーカーではあるが、
2.1m×2.1mの平面バッフルの導入に較べれば、その難易度はずっと低い。

昂奮せずにいられようか。

Date: 6月 25th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その1)

ステレオサウンド 46号は1978年3月に、
HIGH-TECHNIC SERIES 4は1979年春に、
「続コンポーネントステレオのすすめ」は1979年秋に出ている。

46号の特集は「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」で、
17機種のモニタースピーカーが取り上げられている。

17機種の中でひときわ印象に残ったのは、K+HのOL10UREIのModel 813である。
瀬川先生は、どちらも推薦機種にされている。

試聴記を読めばわかるが、このふたつのモニタースピーカーの性格は、かなり違っている。

HIGH-TECHNIC SERIES 4は「魅力のフルレンジスピーカー その選び方使い方」で、
国内外のフルレンジユニット37機種を、
32mm厚の米松合板による2.1m×2.1mの平面バッフルでの試聴を行っている。
ここにアルテックの604-8Gが登場している。

46号の特集にもアルテックのモニタースピーカーは、612C620Aが登場している。

UREI 813にもアルテック 612C、620Aにも、アルテックの604-8Gが搭載されている。

「続コンポーネントステレオのすすめ」では、JBLの4343、KEFのModel 105、スペンドールのBCII、
ダイヤトーンの2S305、セレッションのDitton 66、ヤマハのNS1000M、テクニクスのSB8000、
ヴァイタヴォックスのCN191、アルテックのA7X、BOSEの901SeriesIV、QUADのESL、
そしてUREIのModel 813の組合せをつくられている。

これらの記事をもとめて読む。
その後に「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのアルテックの620Bの、
瀬川先生の組合せを読むと、すべてがつながっていくような気がしてくる。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その53)

私は精神科の専門家でもないし、精神科に関する知識はほとんど持っていない。
精神科の権威のオーディオマニアが「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」、
と口にされたころの、つまり若いころのマーク・レヴィンソンには会ったことはない。

そんな私だから、間違っている可能性の方が高いだろうけど、
それでも思うのは、LNP2、JC2を世に送り出したばかりのレヴィンソンが、
周りの人にそういうふうに映ってしまったのは、ジョン・カールと出あったからなのではないか、
つまりジョン・カールと出あわずにいたら、おそらく発狂し自殺しかねないとは思われなかったのではないか。

もともとマーク・レヴィンソンはそういう男ではなかった。
LNP2の最初のモデルはよく知られているようにバウエン製のモジュールである。
レヴィンソンがバウエン製のモジュールをずっと使い続けていたら、
精神科の権威のオーディオマニアも、
「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」とは思わなかったよう気がしてならない。

この項ですでに書いたように、
JC1、JC2、LNP2、ML2までのマークレビンソンのアンプの音と、
ML3、ML7以降のアンプの音には共通性も感じながらも、決定的に違う性質があるように感じている。

その違いは、結局は回路の設計者の違いのような気がする。
つまりはジョン・カールとトム・コランジェロの違いである。

どちらがアンプの設計者として優秀かということではなく、
ふたりの気質の違いのようなものが、たとえマーク・レヴィンソンがプロデュースしていたとはいえ、
音の本質的な部分として現れていて、
その音に、誰よりも長い時間接していたマーク・レヴィンソンだからこそ、
あの時期、会った人に発狂しかねないという印象を与えた──、としか思えない。

ジョン・カールとトム・コランジェロ、それぞれが設計したマークレビンソン時代のアンプ、
その後のアンプ、
ジョン・カールはディネッセンのJC80、トム・コランジェロはチェロの一連のアンプ、
これらのアンプを聴いてきて、私はそう思う、
マーク・レヴィンソンはもともと狂うタイプの男ではなかった、と。

Date: 6月 16th, 2014
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(こういう面も……)

瀬川先生がずっと以前はアンプ作りをされていたことは何度か書いているし、
古くからのオーディオマニアの方ならば、ラジオ技術に掲載された記事を読まれた方もいるだろう。

ラジオ技術の5月号には、瀬川先生のアンプ製作記事が復刻ページとして載っている。

ステレオサウンド 9号の第二特集として「オーディオの難問に答えて」が載っている。
ある読者の、改良したはずが改悪になっていないだろうか、という質問に瀬川先生が答えられている。
この読者は瀬川先生がラジオ技術に発表されたマランツのModel 7タイプのコントロールアンプを使っている。

瀬川先生の回答はこうだ。
     *
まずイコライザー回路ですが(「ラジオ技術」65年1月号)、あるの回路は、ぼくの悪いアマノジャク根性から、実は2〜3の陥し穴を、わざとこしらえてあるのです。たとえばイコライザーの定数は、あの数値ではRIAAカーブに乗りません。あなたは怒るかもしれないが、ぼくにしてみればイコライザーの定数ミスを発見できない人には、あの回路を作ってもどうせうまくいかないという気持(意地悪根性は重ねてお詫びします)があるのです。
     *
これを読んでの反応はさまざまかもしれない。

この時代、アンプを作るということは、そういうことでもあった。
そういうことがどういうことであるのかは、人それぞれなのかもしれない。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その52)

五味先生がサンフランシスコを旅行された折、
オーディオ専門店に行かれた時のことを「いい音いい音楽」(読売新聞社刊)の中で書かれている。
     *
 なるほどこちらの食指の動くようなものはぜんぜん置いてない。それはいいとして、心外だったのはマークレビンソンのアンプや、デバイダー(ネットワーク)を置いてないどころか、買いたいが取り寄せてもらえるか、といったら、日本人旅行者には売れない、と店主の答えたことである。なんでも、マークレビンソン社から通達があって、アンプの需要が日本で圧倒的に多いので、製品が間に合わない。米国内の需要にすら応じかねる有様だから、小売店から注文があってもいつ発送できるか、予定がたたぬくらいなので、国内(アメリカ人)の需要を優先させる意味からも日本人旅行者には売らないようにしてくれ、そういってきている、というのである。旅行者に安く買われたのではたまらない、そんな意図もあるのかと思うが、聞いて腹が立ってきた。いやらしい商売をするものだ。マークレビンソンという男、もう少し純粋なオーディオ技術者かと考えていたが、右の店主の言葉が本当なら、オーディオ道も地に墜ちたといわねばならない。少なくとも以後、二度とマークレビンソンのアンプを褒めることを私はしないつもりだ。
     *
この文章を読んだ時、マーク・レヴィンソンには、やはりそういう面があるのかと思っていた。
この項の(その50)で引用した瀬川先生の文章にも
「近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが」とある。

経営者としての才がなければ、どんなにいいアンプをつくり出せたとしても成功はしないだろう。
経営者としてのマーク・レヴィンソンがいたからこそ、
マークレビンソンというブランドは成功したともいえる。

けれど、岡先生の文章を読んだ後で、
五味先生の文章を思い出し、
さらに瀬川先生の文章を思い出すと、
それだけでなくステレオサウンドで働くようになって耳にするようになったレヴィンソンに関する、
いくつかのハナシから思うに、
どうもマーク・レヴィンソンは、後から経営者ふうになってきたというよりも、
最初からそうであったようにしか思えないのである。

それでも優れた(まともな)経営者ならば、
シュリロ貿易にサンプル機を送った直後に、
RFエンタープライゼスと契約するようなことはしない。

会社を興したばかりで焦りはあった、と思う。
けれど、商いの理に反するようなことを平気でやってしまう、
その感覚に、そして五味先生の書かれていることが事実だとすれば、
経営者としてよりも、商売人としての「顔」を、私は強く感じてしまう。

マーク・レヴィンソンが狂わなかったのは、
そういう男だったから、というのが、大きな理由のひとつである。

では、なぜ、日本にデビュー直後のマーク・レヴィンソンと会って、
精神科の権威のオーディオマニアの人が、
「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」と口にされたのか。

むしろ、こちらの「なぜ?」を考えてみるべきである。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その51)

1992年、中央公論社から別冊 暮しの設計 20号として「オーディオ〜ヴィジュアルへの誘い」が出た。
岡先生と菅野先生が監修されている本だ。

この本に岡先生が書かれている。
     *
 1974年に、とてつもない体験をすることになった。
 1973年暮れにとどいたアメリカのオーディオ専門誌に、従来の常識を破るような新しいデヴァイスを使った斬新な設計と見事なコンストラクションのプリ・アンプについてのテスト・リポートが載っていた。測定データも立派なものだったが、一番びっくりしたのは、値段だった。当時の最高級のプリ・アンプが600〜700ドルぐらいだったのが、これは何と1750ドルである。メーカーは初めて聞く名前。どこかでサンプル入荷したらぜひ聴いてみたいと思っていたら、知り合いのインポーターが、あまり高価なので、サンプルを1台注文。それを聴いたうえで正式契約をしたいとのことで、そのときはまっさきに聴かせてほしいとたのんだ。1974年3月末に、そのサンプル機がついた。音は今まで聴いたことのないようなキャラクターで少々戸惑ったけれど、S/Nがべらぼうによく(つまり静かだということ)、操作性が抜群によいことが印象に残った。ところが、このサンプル機が到着したころ、別なインポーターがメーカーと正式な輸入契約を結んでしまっていたので、サンプルを取った会社は商品として店に出すわけにいかなくなってしまった。
     *
この後も岡先生の文章は続き、
このアンプがどのメーカーの、どのアンプなのかについて書かれている。
あえて書くまでもないのだが、このサンプル機はマークレビンソンのLNP2である。

最初にサンプルを取り寄せたインポーターはシュリロ貿易だった。

岡先生がバウエン・モジュール搭載の、このサンプル機のLNP2を自家用として導入されたことについては、
これまでも何度か書かれていたから知ってはいたけれど、
このときの事情を、ここまで書かれたことはなかった。

この岡先生の文章を読んで、まず感じたのは、
マーク・レヴィンソンの商売人として「顔」である。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その50)

「あの男、このまま行ったら、いつか発狂して自殺しかねませんな」
 2年前、最初に日本を訪れたマーク・レヴィンソンに会った後の、N先生の感想がこれだった。N氏は精神科の権威で、オーディオの愛好家でもある。
 じっさい、初めて来日したころのレヴィンソンは、細ぶちの眼鏡の奥のいかにも神経質そうな瞳で、こちらの何気ない質問にも一言一言注意深く言葉を探しながら少しどもって答える態度が、どこかおどおどした感じを与える、アメリカ人にしては小柄のやせた男だった。
     *
ステレオ誌の別冊「あなたのステレオ設計 ’77」に掲載された、
瀬川先生の「アンプの名器はイニシャルMで始まる」は、この書出しからはじまっている。

1981年、ステレオサウンドの別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」に巻頭に載っている、
「いま、いい音のアンプがほしい」のなかでも、このことについて書かれている。
     *
そのことは、あとになってレヴィンソンに会って、話を聞いて、納得した。彼はマランツに心酔し、マランツを越えるアンプを作りたかったと語った。その彼は若く、当時はとても純粋だった(近ごろ少し経営者ふうになってきてしまったが)。レヴィンソンが、初めて来日した折に彼に会ったM氏という精神科の医師が、このままで行くと彼は発狂しかねない人間だ、と私に語ったことが印象に残っている。たしかにその当時のレヴィンソンは、音に狂い、アンプ作りに狂い、そうした狂気に近い鋭敏な感覚のみが嗅ぎ分け、聴き分け、そして仕上げたという感じが、LNP2からも聴きとれた。そういう感じがまた私には魅力として聴こえたのにちがいない。
     *
精神科の医師が、N氏なのかM氏なのか、
どちらかが誤植なのだろうが、マーク・レヴィンソンは発狂しなかったし、
だから自殺もしなかった。

仮にそうなっていたら、彼は「伝説」になっていたかもしれない。
マーク・レヴィンソン、その人について語るときに、
「伝説の」とつける人が、いる。
「伝説」の定義が、ずいぶん人によって違うんだなぁ、と思う……。

とにかくマーク・レヴィンソンは、いまも健在である。
それは発狂しなかった、からであろう。

なぜ、レヴィンソンは発狂しなかったのか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その49)

マーク・レヴィンソンがトム・コランジェロと肩をくんでいる写真がある。
レヴィンソンがチェロを興したときの写真であり、
ステレオサウンド 74号のレヴィンソンのインタヴュー記事の中でも使われている。

この写真が、マーク・レヴィンソンとトム・コランジェロの関係をよく表していて、
その関係性があっての、ML3、ML7以降のマークレビンソンのアンプの音である、と私は思っている。

こういうふうに肩をくめる相手との協同作業によって生れてくるアンプが出す音と、
絶対にそういう関係にはならないであろうふたりによって生み出されたアンプが出す音とは、
はっきりと違うものになってくるはずである。

ジョン・カールにインタヴューしたときの、
彼の話しぶりからすると、マーク・レヴィンソンに対する彼の感情は、
コランジェロのように、レヴィンソンと親しく肩をくめる関係にはないことは伝わってきた。

MC型カートリッジのヘッドアンプJC1以外、
マークレビンソンのアンプの型番から”JC”を消してしまったレヴィンソンもまた、
ジョン・カールに対しては、コランジェロに対する感情とはそうとうに違っているように思える。

そういうふたりの関係が、初期のマークレビンソンのアンプの音に息づいている。
だからこそ、私は、この時代のマークレビンソンのアンプの音に、いま惹かれる。

アンプそのものの性能(物理特性だけでなく音質を含めての意味)では、
初期のマークレビンソンのアンプが、当時どれだけ高性能であったとしても、
いまではもう高性能とは呼べない面も見えてしまっている。

それでも、なおこの時代のマークレビンソンの音に魅了されているのは私だけではなく、
世の中には少なくない人たちが魅了されている。

この時代のマークレビンソンのアンプとは、
マーク・レヴィンソンとジョン・カールという、決して混じわることのない血から生れてきた、
と、いまの私はそう捉えている。

つまり、ふたつ(ふたり)の”strange blood”が互いを挑発し合った結果ゆえの音、
もっといえばマーク・レヴィンソンの才能がジョン・カールという才能に挑発されて生れてきた音、
だからこそ、過剰さ・過敏さ・過激さ、といったものを感じることができる。

私は、いまそう解釈している。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その48)

マークレビンソンのアンプについては、3つに分けられると考えている。
ひとつめは、ジョン・カールとマーク・レヴィンソンによる時代。
その前にバウエン製モジュールを搭載したLNP2の存在があるけれど、
その時期は非常に短いし、バウエン製モジュールのLNP2の数は少ない。
なので、ここでは除外することにする。
アンプの型番でいえば、JC1、JC2、LNP2、それにML2などが、これにあたる。

ふたつめはトム・コランジェロとマーク・レヴィンソンによる時代。
アンプでいえばパワーアンプのML3、ML7、ML6A(B)などがそうだ。

それからマーク・レヴィンソンが離れたあとのマーク・グレイジャー体制になってからの時代。
アンプの型番からマーク・レヴィンソンのイニシャルであった”ML”が消え、No.シリーズになってから。
もっともこの時代も、また分けることはできるのだが、
この項では”Mark Levinson”というブランドは、
マーク・レヴィンソンという男がいたブランドとして会社についてのものであるから、
No.シリーズになってからのことについては、ここではとりあげない。

今後、No.シリーズについて書くことがあったとしても、
この項ではなく、新たな項で、ということになると思う。

どの時代のマークレビンソンのアンプの音が印象に深く残っているかは、
世代によっても違うし、同世代でも人が違えば違ってくる。
私にとってのマークレビンソン・ブランドのアンプといえば、
私がこれまで書いてきたものをお読みいただいた方はもうおわかりのように、
ジョン・カールと組んでいた時代のマークレビンソン・ブランドのアンプこそが、
私にとっての”Mark Levinson”である。

なぜ、私にとって、この時代のアンプが、
最初に音を聴いた時から30年以上が経っているにも関わらず、
いまでも、その魅力から完全に抜け出せないのか──、
その理由を考えてきている。

私は一時期、もうMark Levinsonのアンプはいいや、という時期があったにも関わらず、
再びMark Levinsonに惹かれ、離れることができずにいるのは、
“strange blood”を感じとっているからなのかもしれない。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その47)

LNP2のブロックダイアグラムを見ればすぐにわかることだが、REC OUTをパワーアンプの入力に接続しても、
VUメーターの両脇にあるINPUT LEVELのツマミによってボリュウム操作はできる。
こうすることによって3バンドのトーンコントロール機能をもつ最終段のモジュールをパスできる。
モジュールだけでなくOUTPUT LEVELのポテンショメーターや接点もパスできる。

中学生のころ、こうした使い方のほうが、
ボリュウム操作のため左右チャンネルで独立しているINPUT LEVELを動かす面倒はあるものの、
音の透明感ということでいえば、この使い方がいいはず、と短絡的にもそう思ったことがある。

短絡的、とあえて書いたのは、こういう使い方、そしてこういう使い方をされている方を否定するためではない。
あくまでも私にとってのLNP2というコントロールアンプの存在、
つまり、それは瀬川先生の存在と決して切り離すことのできないモノである、
ということを忘れてしまっていた己に対しての、短絡的という意味である。

まあ、それでも、したり顔で「LNP2はこうやって使った方が音が圧倒的にいい」などと面と向っていわれると、
「あなたにLNP2の魅力の何がわかっているのか」と、口にこそ出さないものの、そう思ってしまう。
そんなことをいう人と私が感じているLNP2の良さとは、実はまったく違うのかしれない。

こんなことを書いても、信号経路は単純化した方が絶対いい、と主張する人にとって、
LNP2にバッファーアンプを搭載することは、わざわざ余分なお金を費やして音を悪くしてしまうことでしかない。

理屈は、確かにそうだ。でも理屈はあくまでも理屈である。
音の世界において、理屈は時として実際に出てくる音の前では意味をなさなくなることもある。
それに理由付けなんて、後からいくらでもできるものだ。

理屈は、あくまでも、いま現在判明していることを説明しているにすぎない。
まだまだオーディオには判明していないことが無数にある。

だから、短絡的、と私は言う。
それに、そういう使い方をするのであれば、LNP2でなくて、他のアンプにした方がいい。

LNP2にあえてバッファーアンプを搭載することは、どうことなのだろうか。
過剰さ・過敏さ・過激さを研ぎ澄ますことであり、
そして、この3つの要素こそ、ジョン・カールと組んでいたマーク・レヴィンソンの「音」だと思う。

Mark Levinsonというブランドの特異性(40周年のこと)

マークレビンソンが設立されたのは1972年。
ただし、まだLNP2は世の中に顕れていない。
LNP2の前身となるLNP1の登場が1973年。
このLNP1のパネル高を約半分に抑え、コントロールアンプとして手直しが為されたものがLNP2である。

このときのLNP2に搭載されていたのはバウエン製モジュール、
翌74年からマークレビンソン自社製のモジュールへと変更され、
日本ではバウエン製モジュールLNP2をサンプル輸入したシュリロ貿易から、
輸入元がRFエンタープライゼスに変り、本格的な日本での発売が開始になった。

だから日本ではマークレビンソンの登場は1974年ともいえるわけではあっても、
やはり今年はマークレビンソン創立40周年。
マークレビンソンからは40周年記念モデルが発表されている。

こういう40周年記念モデルについては何も語らないけれど、
40周年記念ということで、ひとつ、もしかすると、と期待していたことがあった。
LNP2の復活、もしくはモジュールの新規開発である。

LNP2は最後の生産されたものでも約30年が経過している。
モジュールの内部は固められていて修理は難しい。
故障していなくても劣化は生じる。
代替モジュールがあるのは知っているけれど、心情的にはやはりマークレビンソンから出して欲しい。
昔のモジュールそのままでは使用パーツが現在では入手出来ないものもあるだろうし、
いま40年前のアンプ・モジュールを復刻することに、
マークレビンソンという会社のポリシーとしては抵抗があるはず。

ならばこそ新規にLNP2用のモジュールを開発・製造してほしい、と思う。
モジュールを最新設計のものにしたからといって、LNP2が最新のコントロールアンプになるわけではないけれど、
それでもLNP2という特異なコントロールアンプを、現代に甦らせたい気持がある。

Date: 9月 20th, 2011
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(CDに対して……補足)

瀬川先生は、当時私が住んでいた熊本のオーディオ店に定期的に来られていた。
そこで、あるレコードについて
「これはどこにも表記されていないけれど、このレーベル初のデジタル録音です」と紹介されたことがあった。
瀬川先生は、そのレコードの音質を高く評価されていた。

とはいっても、それがデジタル録音だから、ではなくて、
アナログ録音だから、とか、デジタル録音だから、とか、録音器材が何々だから、といったこととは関係なく、
聴き手の元に届くLPとして、音が良いのかどうかだけを判断されたものだった。
そういう意味で、デジタル録音に対して偏見はお持ちでなかった、と思う。

FM fanの「ディジタル・ディスクについて」では、これに関することも書かれている。
     *
いま私たちになじみ深い30cmLP(ステレオ・ディスク)に、「ディジタル録音」とうたってあるものは、これから論じるディジタル・ディスクではない。現在通用している「ディジタル録音」とは、レコードに録音する途中で、テープに一旦録音する、そのテープ録音をディジタル化したものである。
いま現在のその「ディジタル録音」に対して、ディジタル化の是か否かを論じている人たちがあるが、これはナンセンスも甚だしい。
なぜかといえば、私たちがいま入手できるステレオLPに望むことは、良い音楽が、優れた演奏と良い音質で録音されていること。これが全てである。そのレコードを作る過程で、誰がどんな手を加えようが、ディジタルであろうがなかろうが、結果として出来上がったレコードの良否だけが私たちには問題なのだ。その途中がディジタル化されようがされまいが、そんなこと、私たちの知ったことではない。そういう話題に迷わされることなく、入手したレコードの良否をただ冷静に判断すればいい。
     *
これが書かれたころよりも、いまは録音・マスタリングに関する情報は増えている。
どんな人が録音に関わっている、とか、どういう器材を使った、とか、
いまはほぼデジタル録音だから、サンプリング周波数は、とか、ビット数は、とか、
ことこまかな情報が簡単に入手できるようになっているし、
これらのことを謳っているものもある。

だから、30年前に書かれた、この文章にあるように、
われわれは「そういう話題に迷わされることなく、入手したレコードの良否を冷静に判断すればいい」。

Date: 9月 20th, 2011
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(CDに対して……)

瀬川先生は1981年11月7日に亡くなられているから、CDを聴かれていない。
そのため、CDが登場してときも、それからしばらくしてからも、そしていまでも、
瀬川先生はCDをどう評価されたんだろう……的なことが話題になることがある。

どう評価されたのか──、
私も知りたい、
どう書かれたのか──、
私も読みたい、
と思っているが、こればかりはどうしようもない。

それでもひとついえることがある。

瀬川先生はFM fan連載の「オーディオあとらんだむ」の103回(1980年20号)で、
「ディジタル・ディスクについて」というタイトルで書かれている。

瀬川先生がこの文章を書かれだ時点のオーディオフェアでは、
「試作品や単なる提案まで含めて、十数社が、各社それぞれ独自の(互いに互換性のない)方式を」展示していた。
「各方式が互いに譲らずに乱立しているかぎり」は、
「ディジタル・ディスクを無視すること」だとはっきりと書かれている。

「どの社の何方式はどういう特長があるか……などと一生懸命に調べたり考えたりすること」が、
「既に、各社の競争に巻き込まれてしまっていることになる」からだ。

さらに書かれている。
     *
既に一般誌にも記事になっている周知の事実なので引用させていただくが、パイオニアの石塚社長の談話として、「方式も各社の技術力のうちだから、自由競争の結果優秀なものが残っていくゆくだろう」という意味の発言が公表されている。規格統一というものを根本から誤解しておられるとしか思えないが、石塚氏一個人の見解というよりも、この考え方が、日本のメーカーの一般的見解であるように思えてならない。
     *
パイオニアだけでなく、この時期、ディジタル・ディスクを開発していた他社すべてがこのように考えていたら、
そしてこの誤解のもとに突っ走っていっていたら……。
ソニー・フィリップス連合は、パイオニアのような考えの会社を説得していったものだと思う。
もちろんすべての会社が、規格統一を誤解していたわけでもないだろうけども……。

「ディジタル・ディスクについて」の最後には、こう書かれている。
     *
だが、最後に大切なこと。メーカーがどんなに思い違いをしようとも、私たちユーザーひとりひとりが、規格統一の重要性とその意味を正しく受けとめて、規格が一本に絞られない間は、誰ひとり、ディジタル・ディスクに手を出さないようにするのが、問題解決のいちばんの近道ではなかろうか。そうなるまでは、何方式がどうのこうのという情報に、一切目をつむってしまう。
どんなに嵐が吹き荒れようと、嵐が過ぎて方式統一が完成した暁に、ゆっくりと私たちは手を出せばいい。
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だから、これを書かれた2年後に、CDという規格統一されたフォーマットで、
ディジタル・ディスクが登場したことは、喜ばれたはずだし、そのことは高く評価されたはずだ。

Date: 7月 3rd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・続補足)

アルテックの620Bの組合せの中に、そのことは出てくる。

620Bの組合せをつくるにあたって、
机上プランとしてアルテックの音を生かすには新しいマッキントッシュのアンプだろう、と考えられた。
このころの、新しいマッキントッシュとはC29とMC2205のことだ。
ツマミが、C26、C28、MC2105のころから変っている。
C29+MC2205の組合せは、ステレオサウンドの試聴室でも、瀬川先生のリスニングルームでも、
「ある時期のマッキントッシュがもっていた音の粗さと、身ぶりの大きさとでもいったもが、
ほとんど気にならないところまで抑えこまれて」いて、
マッキントッシュの良さを失うことなく「今日的なフレッシュな音」で4343を鳴らしていた。

なのに実際に620Bと組み合わせてみると、うまく鳴らない。
「きわめてローレベルの、ふつうのスピーカーでは出てこないようなローレベルの歪み、
あるいは音の汚れのようなもの」が、620Bでさらけ出されうまくいかない。

瀬川先生も、4343では、C29+MC2205の
「ローレベルのそうした音を、♯4343では聴き落して」おられたわけだ。

620Bの出力音圧レべは、カタログ上は103dB。4343は93dB(どちらも新JIS)。
聴感上は10dBの差はないように感じるものの、620Bは4343よりも高能率のスピーカーである。
ロジャースのPM510は、4343と同じ93dBである。

つまり4343では聴き落しがちなC29+MC2205のローレベルの音の粗さの露呈は、
スピーカーシステムの出力音圧レベルとだけ直接関係しているのではない、ということになる。

これはスピーカーシステムの不感応領域の話になってくる。
表現をかえれば、ローレベルの再現能力ということになる。

PM510は4343ほど、いわゆるワイドレンジではない。
イギリスのスピーカーシステムとしてはリニアリティはいいけれど、
4343のように音がどこまでも、どこまでも音圧をあげていけるスピーカーでもない。
どちらが、より万能的であるかということになると4343となるが、
4343よりも優れた良さをいくつか、PM510は確かに持っている。

このあたりのことが、927Dst、A68、A740の再評価につながっているはずだ。