Archive for category テーマ

Date: 6月 30th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十七・原音→げんおん→減音)

音楽信号は、確かに正弦波と違い上下(プラス・マイナス)では非対称である。
けれど、この非対称波形の音楽を信号を正しく増幅するには、
アンプそのものの動作が非対称のほうがいい、という理屈は無理がある。
入力された非対称波形の電気信号を正確に増幅し出力するには理想的な対称動作のほうが理に適っている。

けれどパスが考えたのは、その先のことではないだろうか。
アンプが鳴らすのはスピーカーであり、そのスピーカーが鳴らすのはある限られた空間の中の空気である。
そしてその空気が振動させているのは鼓膜。
これらは対称動作をしているのだろうか。

たとえばスピーカー。
一般的なコーン型ユニットをエンクロージュアに取り付けて鳴らすのであれば、
コーン紙の前面にある空気と後面にある空気の量には大きな違いがあり、これは圧力の違いでもあるはず。
平面バッフルに取り付けたとしても、
コーン型ユニットのフレームの構造、それにコーン型という振動板の形状が前後で非対称であるから、
ここでも対称性はくずれている。
ドーム型ユニット、アルテックA5に搭載されているコンプレッションドライバーになると、
この非対称性はより大きくなる。
しかもA5はコーン型ユニットの515の前面にはフロントショートホーンをつけている。
コンプレッションドライバーにもホーンを取り付けている。

ここがパスが以前使っていたコンデンサー型のマーチンローガンと大きく違いところのひとつである。

コンデンサー型はコーン型やコンプレッションドライバーにくらべると、
ずっと前後の条件は対称性をもっている、といえる。

マーチンローガンの振動膜は指向性改善のためカーヴを描いているけれど、
それ以外は振動膜の前後で異る要素は見つけられない。
いわば対称性の高い発音方式であり、スピーカーである。

こういうスピーカーシステムを部屋のほぼ中央におけば、対称性はより高くなる。
アルテックのA5はもともと非対称性の高いスピーカーシステムであるだけに、
部屋の中央に設置して鳴らしたところで、部屋の空気に対する対称性にはあまり影響はないだろう。

Date: 6月 30th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十六・原音→げんおん→減音)

ネルソン・パスがいつごろからアルテックのA5を使い出したのか、その正確な時期については知らない。
パスのスピーカー遍歴についても、ほとんど知らない、といっていい。
けれど、おそらくパス・ラボラトリーズからALEPHを出す、
つまりALEPHを開発している時からA5を鳴らしはじめただろう、と私は思っている。

つまりアルテックのA5というスピーカーシステムがあったからこそ、
ALEPHという、スレッショルド時代とは大きく方向性の違うパワーアンプを生み出せたのではないだろうか。

ネルソン・パスが800Aを開発していたころのデイトンライトのXG8、
1980年代にパスが自宅で使っていたマーチンローガンのコンデンサー型などが、
対象とするスピーカーシステムであったなら、ALEPHは生れてこなかったか、
もしくは相当に規模の異ったパワーアンプとなっていたと思う。

A5は低音域にはオーバーダンピングの515をフロントショートホーンのエンクロージュアと組み合わせ、
中高音域には288-16Gコンプレッションドライバーと大型ホーンとの組合せ。
お世辞にもワイドレンジとはいえない、ナローレンジの高能率のスピーカーシステムである。

パスがなぜA5にしたのか、そのきっかけがなんなのか、については知らない。
どういう心境の変化がパスにあったのかはわからない。
とにかくパスが、それまでとはまったく異るスピーカーシステムに変えた、という事実だけがはっきりとしている。

ALEPHについて、パスは非対称動作をうたっている。
この非対称動作については、パスが書いた詳細なものがあればぜひ読んでみたいと思っている。
非対称動作についての是非は判断が難しいところだし、対称がいいという理屈もわかるし、
パスが言いたいこともわかる。結局、出てくる音が良ければ、それで良しとするしかない。

だから私は非対称動作か対称動作、どちらが正しいか、ということよりも、
なぜパスが非対称動作という考えに到ったのか、その過程にこそ興味がある。

そのひとつがアルテックのA5の存在でないか、と思うのである。

Date: 6月 28th, 2012
Cate: 「本」

オーディオの「本」(Retinaディスプレイ)

facebookページ機能を利用して「オーディオ彷徨」となづけた岩崎先生のページを公開していることは、
ここで何度か書いているとおりで、その「オーディオ彷徨」では岩崎先生の文章だけでなく写真も公開している。

主にスイングジャーナルでの試聴風景の写真で、カラー写真はほんのわずかでほぼすべてモノクロといっていい。
しかも紙質のよくないモノクロページに掲載された写真をスキャンして、というものだから、
最初からクォリティは期待できないことはわかっていた。

紙が薄いので裏側の写真や文字が透けてスキャンされることもあるし、粒子も粗い。
それでも写真が伝えてくれるものが、ある。
だから、公開している。

ステレオサウンド編集部にいたころは、実は試聴風景の写真は、
私が担当しているページには、あまり載せたくない、というのが本音だった。
正直、試聴風景の写真の必要性をほとんど感じていなかった。

それがいまではスイングジャーナルの試聴風景の写真が(それが粗い、クォリティの高くない写真であっても)、
伝えてくれるものに、試聴風景の写真の必要性を強く感じている次第である。

試聴風景の写真も形だけでは面白くない。
ほんとうに試聴中のワンショットであれば、そこから読み取れることは意外にも多い。
だからせっせとスイングジャーナルに掲載された写真をスキャンしているところである。

とはいえ、やはり写真が粗い。お世辞にも美しい写真とはいえない。
せめて元の紙焼き写真をスキャンできればずっとクォリティは高くなるけれど、それは無理。
それにスキャンすれば、どんなに注意深く、その作業を行っても、
スイングジャーナルに載っている写真のクォリティよりも良くなることはない、と思っていた。

そう思い込んでいたから、パソコンのディスプレイで「オーディオ彷徨」の写真を見ていた。
iPhoneで見ることは、実はつい先日までしてこなかった。

iPhone 4SのディスプレイはAppleがRetinaディスプレイと呼ぶ、高い解像度をもつものだ。
「オーディオ彷徨」で公開している写真は、一応300dpiでスキャンし、そのまま公開している。
そうやって公開している写真をretinaディスプレイで見ると、
元の、スイングジャーナルに掲載された写真を見るよりも、美しく感じられる。
意外だったけれど、嬉しい驚きでもあった。

Retinaディスプレイの解像度の高さと、液晶ディスプレイのバックライトの存在によるものだろう。
iPhoneだからディスプレイそのものは大きくない、けれどRetimaディスプレイによって、
「オーディオ彷徨」の写真を見るのが楽しくなった。

いま発売されているiPadもRetinaディスプレイになっている。
まだ、新しいiPadで「オーディオ彷徨」の写真を見てはいない。
けれど期待通りの美しさだ、と思っている。

新しいiPadのディスプレイ品質でもう充分というわけではないが、
やっとここまで液晶ディスプレイが来た、という感じがしている。
それも片手でもてるiPadで、この高解像度を実現している。

今年の暮までには、また電子書籍の形で公開を予定している本がある。
いままではePUB形式で公開してきたけれど、次からはiPadのみに、あえて絞っていく。

プラットホームを限定するなんて、時代に逆行している、と思われる人のほうが多いだろう。
でも、電子書籍をよりよいものにしていくには、プラットホームを限定していく必要性を、
私はいまのところ強く感じている。
(といいながらも、私自身、まだ新しいiPadにはしていない……)

Date: 6月 27th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その80)

タンノイのウェストミンスターを300Bのシングルアンプ(それも伊藤先生製作のアンプ)で鳴らしたい、
ということは、この項の追補でもある「ワイドレンジ考(ウェストミンスターとブラームス)」に書いたとおりだ。

ではKingdomを鳴らすアンプとして300Bシングルを持ってくるかといえば、
いちどは興味本位で試してみたい気持はあるけれど、ここで使いたいアンプは新しいパワーアンプである。
それも出力もある程度以上のものであってほしい。

Kingdomの出力音圧レベルは92dB/W/mと発表されている。
オートグラフやウェストミンスターと比較するとけっこう低い値だ。
聴く音楽をかなり限定し、音量もそうとうに控え目であれば300Bシングルでも鳴る、といえても、
その限定された枠内でKingdomがもつ能力が十二分に発揮できるかといえば、
実際に試してみないことにはもちろん言い切れないことではあっても、やはり無理だと思う。

五味先生はオートグラフを鳴らすアンプに、さまざまなアンプを試された上でマッキントッシュのMC275を選ばれ、
カンノアンプの300Bシングルもそうとうに気に入られていた。
オートグラフであれば、ウェストミンスターと組み合わせるのとはすこし違う意味で、
私だって300Bシングルをもってきたい。これはもう興味本位の組合せではない。

けれどKingdomは、私の中ではタンノイにおけるオートグラフの後継機種ではあっても、
スピーカーとしての性格がオートグラフ、ウェストミンスターはラッパと呼びたくなるものであるに対し、
Kingdomはラッパと呼ぶことは、ない。
そういう違いがはっきりとオートグラフとKingdomにはあり、
その違いが組み合わせるアンプの選択に直接関係してくる。

Kingdomのウーファーとミッドバスのクロスオーバー周波数は100Hz。
JBLの4343では300Hzだった。
LCネットワーク式のスピーカーシステムで100Hzという値はそうとうに低い周波数であり、
組み合わせるアンプの範囲の狭さと難しさを、このスピーカーを使おうと思っている者に意識させてしまう。

Date: 6月 26th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十五・原音→げんおん→減音)

そういえば山中先生もアルテックのA5をメインスピーカーにされていた時期がある。
ステレオサウンド 16号の五味先生のオーディオ巡礼に載っている。
写真でみるかぎりは決して狭い部屋ではない山中先生のリスニングルームではあるけれど、
アルテックのA5には狭い空間のように、その写真はみえる。

五味先生も書かれている。
     *
私は辞去するとき山中さんに言ったのだ。あなたにはもっと広いリスニング・ルームを造ってあげたいなあと。心から私はそう言った。
     *
だからといって、山中先生は「劇場ふうな音楽」を鳴らされていたわけではなかった。
五味先生に、最初にかけられたレコードは「かえって哀愁のある四重唱」で、
次にかけられたのは「ピアノを伴う独唱」である。

そして五味先生はマーラーの交響曲を聴かせてほしい、といわれている。
ショルティによる「二番」のあとにヨッフムによるブルックナーの交響曲を聴かれている。
     *
同じスケールの巨きさでもオイゲン・ヨッフムの棒によるブルックナーは私の聴いたブルックナーの交響曲での圧巻だった。ブルックナーは芳醇な美酒であるが時々、水がまじっている。その水っ気をこれほど見事に酒にしてしまった響きを私は知らない。拙宅のオートグラフではこうはいかない。水は水っ気のまま出てくる。さすがはアルテックである。
     *
こういうブルックナーの交響曲が響いたのはアルテックのA5だからでもあるのだが、
山中先生の鳴らし方によるところもまた大きいのはいうまでもない。
けれど、それでもアルテックのA5だから、こういう芳醇な美酒として響かせるのである。

そういうアルテックのA5をネルソン・パスは選んでいるのである。
マーチンローガンのコンデンサー型は、
水っ気を、どちらかといえば水っ気ではなく水(それも少し味気ない水)にして出すスピーカーといえよう。
そういう性格のスピーカーから正反対ともいえる性格のA5を使っている。

この水っ気を芳醇な酒として響かせる性格は、ラッシュモアにも引き継がれている、と私は思っている。

Date: 6月 25th, 2012
Cate: 「オーディオ」考

「虚」の純粋培養器としてのオーディオ(その2)

こうやって書いていくという行為は、何かを掘り起している──、
書いている本人はそう思っている。
そして、「何か」とは事実、真実、そういったものであるはずだとも思っている。

けれど本人はそう思っている行為でも、もしかすると何かを埋めている行為でもあるかもしれない。
そんなことを思うことがないわけではない。

見当違いのところを掘り起していれば、
掘り起すことで出た土をどこかに盛ることで、そこにある「何か」を埋めている……、
そういうことがない、と果していえるだろうか。

書くという行為と音を良くしていくという行為に似ているところ、同じところがある、と感じている。
音を良くしていこうと思い、あれこれ試行錯誤しながら音は良くなっていく──。

ここで、けれども……、とおもう。

Date: 6月 25th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十四・原音→げんおん→減音)

ネルソン・パスがスレッショルドを創立したときからのパートナーでありデザイナーでもあるルネ・ベズネも、
同時期パスと同じマーチンローガンのコンデンサー型スピーカーを使っている。

その後パスとベズネのスピーカー遍歴がどうなっていったのか、その詳細は知らない。
パス・ラボラトリーズからは数年前に4ウェイのアンプ内蔵型のスピーカーシステム”Rushmore”が登場した。

15インチ口径のウーファー、10インチ口径のミッドバス、6インチ口径のミッドハイ(ここまではすべてコーン型)、
スーパートゥイーターのみリボン型を採用したラッシュモアは、
80Wのアンプを1台、20W出力のアンプを3五台搭載したマルチアンプ駆動でもある。
これら4台のアンプの回路は、低域を受け持つ80WのアンプのみXAシリーズと同じ構成で、
3台の20WのアンプはALEPHシリーズとなっている。

ラッシュモアの資料には各ユニットの出力音圧レベルが記載されている。
ウーファーが97dB/W/m、ミッドバスとミッドハイ、スーパートゥイーターは98dB/W/mと、
ユニットそのものの能率がかなり高いものが選ばれている。
これらのユニットをラッシュモアでは-6dB/oct.というゆるやかなカーヴでクロスさせている。
(スーパートゥイーターのローカットのみ12dB)

ラッシュモアが登場したとき、紹介記事の多くにはネルソン・パスがラッシュモアを開発するきっかけにもなり、
パス自身が愛用していたスピーカーとしてアルテックのA5の名があげられていた。

A5について改めてここで書く必要もないだろう。
古典的な高能率の、極端に広くない劇場であれば、
このスピーカーだけで十分通用するだけの朗々とした音を楽しませてくれるスピーカーシステムである。

1970年代、日本のオーディオマニアはこのA5や弟分にあたるA7を家庭に持ち込む人は少なくなかった。
むしろジャズの熱心な聴き手のあいだでは、それが当然のことように受け止められていた。

A5はもちろん、A7も日本の住宅環境では大きすぎるスピーカーシステムであり、
A5、A7にとって日本の住宅環境は極端に狭すぎる音響空間でもある。
それにA5、A7の仕上げは家庭内という近距離で眺めるスピーカーシステムでもない。
あくまでも業務用の仕上げである。
それでもA5、A7を導入する人はいた、少なからぬ人が、あの時代にはいた。

Date: 6月 24th, 2012
Cate: 「オーディオ」考

「虚」の純粋培養器としてのオーディオ(その1)

書くことが幾つもある時に限って、なにか新しいテーマで書きたくなる。
やめとけばいいのに、と自分でも思いながらも、とにかく新しいテーマを考え出すために、
以前書いたものをランダムに拾い読みすることもある。

そんなことをせずに、いま書いているテーマの先をさっさと書けばいいのに……、とは思っても、
テーマを増やしたいときは、ときに無理してでも増やしてきた。

自然に、というか、ふいに新しいテーマが浮ぶときもある。
こうやってなかば無理矢理に新しいテーマを考え出すときもある。

今日のタイトルは、「虚」の純粋培養器としてのオーディオ。
そうやってつけたタイトルである。

2010年12月に、「虚」の純粋培養ということばを使っている。
1年半前に、そうおもった。いまもそうおもっている。

だから、タイトルを、「虚」の純粋培養器としてのオーディオ、としたわけだが、
いざタイトルにしてみて気がつくことがある。

本当にオーディオが「虚」の純粋培養器であるとすれば、
オーディオを追求するということは、どういうことなのかを、もう一度考え直さなければならないことになる。

「音は人なり」とこの、「虚」の純粋培養器としてのオーディオは相反することになりはしないだろうか。
そうも考えられるわけだが、それでも、いまはまだ直感でしかないし、おぼろげながらでしかないが、
決して、このふたつのことは矛盾しないはずだ。

Date: 6月 21st, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その5)

1970年代にくらべるといまのケーブルの品種は、いったい何倍程度に増えたのだろうか。
ケーブルの会社もずいぶん増えたし、まだ増え続けている。

昔はオーディオ店に行ってはカタログを集めてきていたし、
オーディオ雑誌に載る広告も、いまとはずいぶん違ってスペックをきちんと表示してあった。

ケーブルは基本的に2つの導体から構成される。
つまりそこには静電容量が存在することになる。
だから1970年代のスピーカーケーブルのカタログには1mあたりの静電容量を載せているものが多かった。
いまは、どうなのだろうか。静電容量を表示しているケーブルは全体の何%なのだろうか。

静電容量はケーブルを長くすればするほど増えてくる。
静電容量という言葉からわかるようにコンデンサーと同じなのだから、
平行する金属の面積が増えれば増えるほど容量は増えるし、
その距離が近くなればなるほど、また容量は増えていく。

だから1mのケーブルと2mケーブルとでは、
同じケーブルであれば2mだと1m時の倍の静電容量になる。

30mになれば1mのときの値の30倍になる。
この静電容量はパワーアンプの出力に対して並列に、負荷としてはいることになる。
コンデンサーの性質として高域にいくにしたがってインピーダンスは低下していく。
静電容量が大きいほどパワーアンプにとっては負荷として厳しいものとなってくる場合もある。

30mもスピーカーケーブルを延ばすということは、こういうことも考えられるわけだが、
おそらく30mのスピーカーケーブルを提案した本田一郎氏も、
それを受け入れて試した中野英男氏も、スピーカーケーブルのこういう性質はわかっていたはず。

ここで思い出してほしいのは、本田氏は太いケーブルを30m引き延ばしたわけではない。
中野氏が書かれているように細いケーブル、ということだ。

Date: 6月 21st, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十三・原音→げんおん→減音)

スレッショルドの800Aが登場したころ、
カナダのデイトンライトがガス入りのコンデンサー型スピーカーシステムを作っていた。
このガスのおかげで従来のコンデンサー型スピーカーよりも高圧をかけることが可能になったとかで、
コンデンサー型としては異例なほどのエネルギー感の再現が可能であった、らしい。

ただデイトンライトのXG8はパワーアンプをそうとうにより好みするスピーカーだったようで、
XG8を満足にドライヴできるアンプは、当時はほとんどなかった、ともきいている。

スレッショルドの800Aの開発時のエピソードして、ネルソン・パスが語っている。
パワーアンプにとって厳しい負荷であったXG8をパラレル接続にしている人を紹介されたパスは、
800Aの試作機を携えてサクラメントからサンフランシスコまで車で向ったそうだ。

800Aの試作機の保護回路の電流制限値は15Aに設定していたところ小音量時でもすぐに保護回路が働いてしまう。
それで一旦サクラメントにもどり、25Aに設定しなおしてもうまくいかない。
そうやって改良を800Aの試作機にくわえていくことで、最終的には保護回路を外すことが可能になり、
XG8のパラレル接続を問題なくドライヴできるだけでなく、
音質的にもそれまでのアンプでは得られなかったレベルに達することができた、そうだ。

こういうこともあって800Aはアメリカではデイトンライトの使い手から評価を寄せられたそうで、
またデイトンライトのXG8のために800Aは開発されたという人もいたそうだ。

このことと、STASIS1がカッティング用のアンプとして使われたこと、
さらにSTASISシリーズの1984年ごろのS/500IIは核磁気共鳴を測定するための機器として、
ある大学の研究室に20台納められた実績をもつこと、
これらのことからいえるのは、パスがいたころのスレッショルドのアンプは、
条件の厳しい負荷を問題なくドライヴできる性能を持っていた、ともいえる。

ネルソン・パスがどんなシステムを使っていたのか。
スレッショルド時代は、マーチンローガンのコンデンサー型に、
10インチ口径のウーファーを8本を使ったサブウーファーを足し、しかもこのウーファーにはMFBをかけている。

これが1984年ごろのことだ。

Date: 6月 21st, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十二・原音→げんおん→減音)

スレッショルドのSTASIS1の出力段に使われている出力トランジスターの数は72個だ、とすでに書いた。
電圧増幅段に使われているトランジスター、FETの数をあわせると増幅部だけで85個になる。
STASIS1はモノーラル仕様で、1台の重量は48kg。
この規模で、200Wの出力を実現し、当時テラーク(と記憶している)のカッティング用アンプにも採用されている。

くり返しになってしまうが、
STASIS1はスレッショルド時代におけるネルソン・パスの傑作であり頂点でもあった。

このSTASIS1をつくった男が、ほぼ30年後に発表したSIT1は、STASIS1と同じモノーラル仕様であっても、
ずいぶんと規模は異るパワーアンプである。

輸入元のエレクトリのサイト、ステレオサウンド 182号の小野寺弘滋氏による記事を読めばわかるように、
SIT1に使われているトランジスターの数はわずか1。1石アンプである。
STASIS1の1/80以下である。
重量は13.1kgと、STASIS1の1/3以下である。

これらのことから想像がつくようにSIT1の出力は8Ω負荷で10Wと、STASIS1の1/20。
ちなみにダンピングファクターはSTASIS1は100以上(DC〜20kHz)となっている。
可聴帯域においてほぼフラットということは、トランジスターアンプではそれほど多くはない。
ダンピングファクター100ということは出力インピーダンスは0.08Ωということになる。
SIT1は出力インピーダンス:4Ωと発表されているから、ダンピングファクターは8Ω負荷時において2。
4Ω負荷だと、STASIS1は50以上、SIT1は1である。

こうやってスペックだけを比較していくと、
STASIS1は物量を投入したトランジスターアンプそのもの、
SIT1は直熱三極管のシングルアンプ、それも無帰還のそれ、とも思えてくる。

このふたつのアンプを、ネルソン・パスは設計している。

Date: 6月 20th, 2012
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×十一・原音→げんおん→減音)

ネルソン・パスの新しい会社パスラボラトリーズのデビュー作ALEPH 0は,
それまでのスレッショルドのパワーアンプとは外観・機構と回路ともに、
まるっきりといっていいほど異ったモノだった。

ALEPHシリーズの特色は出力段にある。
スレッショルド時代のパワーアンプの特色も出力段にあったわけだが、
ALEPHシリーズの特色とスレッショルド時代の特色は、同じ人間が考えついたものとはすぐには思えぬほど違う。

基本的にトランジスターアンプの出力段はコンプリメンタリープッシュプルである。
いわば+側のトランジスターと−側のトランジスターのペアから構成されていている。
これはほぼすべてのトランジスター式パワーアンプではそうなっている。

ごく一部例外的な回路構成のアンプがあり、そのひとつがSUMOのThe Goldであり、ALEPHシリーズである。
だからといってThe GoldとALEPHの回路構成が似ているかといえば、また異るわけだが。

現在のパスラボラトリーズのラインナップにはALEPHはなくなっている。
Xシリーズ、XAシリーズがある。
これらのシリーズの回路については不勉強でどうなっているのかについてはほとんと知らない。
ALEPHに採用された回路ではないことは確かである。

ALEPHに興味を持っていた私は、その点すこしがっかりしていたのだが、
ファーストワットからSIT1とSIT2を、ネルソン・パスは出してきた。
ALEPHの回路とSITの回路はまた異るものなのだが、
それでもこのふたつのシリーズに流れている考え方には共通したものを感じる。

そしてパスラボラトリーズのXシリーズ、XAシリーズとSITシリーズの違いは、
スレッショルドのパワーアンプとALEPHシリーズとの違いにも似ているもの感じる。

ひとりのアンプ・エンジニア(ネルソン・パス)がこれらのアンプをつくり出している。
ここにオーディオの世界の広さと奥行の深さを感じることができる。
そして個人的には、ALEPHとSITの両シリーズには、減音に関して通じるものを感じとれる。

Date: 6月 20th, 2012
Cate: audio wednesday

第18回audio sharing例会(2002年7月4日)

来月のaudio sharing例会は、
2週間前にも告知したようにちょうど10年目になるので、2002年7月4日のことがテーマです。

2002年7月4日のこと、といわれても「何なの?」「何のことなの?」とわからない方もおられると思いますが、
あえて書きません。わかってくれる方が来てくださればいい、と思っているからです。

場所はいつもと同じ四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行います。

Date: 6月 20th, 2012
Cate: ジャーナリズム

附録について(その1)

昨年末に出たステレオ誌は附録が話題になった。
Dクラスアンプの完成基板とACアダプターがついてきたわけで、
しかもDクラスアンプはラックスの開発によるものだから、
これだけのものがついてきて、いつもの定価よりは倍程度になっていても、お得な買物といえるだろう。
売り切れた書店も多かったようだ。

ステレオはその前からスピーカーユニットを附録としていたことがあった。
今夏もまたスキャンスピーク製のスピーカーユニットが附録となる。
ステレオを出版している音楽之友社では音楽の友にもバッグを附録としている。

附録がついている、ついてくるのは音楽之友社の出版物ばかりでなく、
いま書店に並んでいるオーディオベーシックにはインシュレーターが附録となっているし、
夏に出るDigiFi(ステレオサウンド)には、USB入力のDクラスアンプが附録となる。
ステレオサウンドではHiViにUSBケーブルを附録にする予定。

女性誌の附録の流れが、ついにオーディオ雑誌にも波及してきた、という感じで、
附録のおもしろさを喜ぶ人もいれば、附録に対して否定的な受け止め方もする人もいよう。

オーディオ雑誌の附録は、Dクラスアンプにしても、スピーカーユニットにしても、安いものではない。
本よりも高いものが附録となっている。
だから附録がついている号は、通常の定価よりも高くなる。
それでも附録そのものを欲しいと思っている人にとっては、充分お得な買物だから、通常の号よりも売れるだろう。

でも附録を必要としない人のために、附録なしでも売っているのか、と気になる。
いま売っているオーディオベーシックは、共同通信社のサイトをみるかぎりは、附録なしでは売っていないようだ。
通常1500円のオーディオベーシックを、
今号に限っては附録は要らない、という人でも2000円出して購入しなければならない。
わずか500円の差だから、ともいえる。

でもアンプやスピーカーユニットが附録となると500円程度の差ではなくなる。
DigiFiは通常1300円が2980円になる。これは附録なのか、と思ってしまう。

附録の波は、いまのところステレオサウンド誌にはまだ及んでいないように見える。
でも、オーディオ雑誌で──私がオーディオ雑誌を買うようになってから、ではあるが──最初に附録をつけたのは、
ステレオサウンドだった。
1978年12月に出た49号に、1979年の卓上カレンダーがついていた。
それまでのステレオサウンドの表紙からいくつかを選んでカレンダーに仕上げたものだった。
本の定価は1600円と、いままでと同じだった。

こういう附録は素直に嬉しいものである。
こういう附録の方が私は附録らしくて好感が持てるし、いまもつけてくれたら、と思う。

Date: 6月 19th, 2012
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(その2)

「永遠の価値」とまでいってしまうと、それはもう無理なことではあるけれど、
永く価値あるモノ、価値の変らないモノはあるのだろうか──。
あるとしたら、いったいどういうモノなのか、どういう条件を満たしているモノなのか、
こんなことをステレオサウンドにはいったばかりの頃、先輩編集者のNさんと何度か話したことを思い出す。

彼は瀬川先生のEMT・927Dstを譲ってもらい使っていた。
私もそのころから927Dstが欲しかったけれど手が出せる価格では、もうなくなっていた。
それにいきなり927Dstというのも、
たとえお金があったとしても、段階を踏むこともまた大切であるという考えからみると、手を出すべきではない。
それで930stのトーレンス版101 Limitedを、なんとか購入したわけだが、
このふたつのEMTのプレーヤーは、その価値がこれから先も変らないのか、のも話題になった。

1980年代前半、すでにEMTはダイレクトドライヴの950や948を出していた。
927Dstも930stも製造中止になっていた(はず)。

927も930も原型はかなり古くからある。
しかもほとんど昔から変っていない。
イコライザーアンプが真空管のモノーラルからステレオ仕様になり、トランジスター化されたり、
トーンアームがオルトフォン製からEMT製に変ったりはしているものの、
大きく見た場合、旧態依然のプレーヤーともいえる。

世の中のプレーヤーは大半はダイレクトドライヴであり、クォーツロックまで搭載されていた。
EMTと同じ西ドイツのデュアルも、EMT同様、それまではリムドライヴを一貫して採用してきていたけれど、
ダイレクトドライヴ式のプレーヤーに切り換えていた。
ベルトドライヴはかろうじていくつか現役の製品があっても、
リムドライヴは過去の方式となっていた。

そんな時代に大金を払って、旧型のリムドライヴのプレーヤーを購入したのは、
もちろんEMTのプレーヤーでなければ聴くことができない音の良さ、持ち味に惚れてのことである。
とはいうものの、決してそれだけではなかった。