「虚」の純粋培養器としてのオーディオ(その2)
こうやって書いていくという行為は、何かを掘り起している──、
書いている本人はそう思っている。
そして、「何か」とは事実、真実、そういったものであるはずだとも思っている。
けれど本人はそう思っている行為でも、もしかすると何かを埋めている行為でもあるかもしれない。
そんなことを思うことがないわけではない。
見当違いのところを掘り起していれば、
掘り起すことで出た土をどこかに盛ることで、そこにある「何か」を埋めている……、
そういうことがない、と果していえるだろうか。
書くという行為と音を良くしていくという行為に似ているところ、同じところがある、と感じている。
音を良くしていこうと思い、あれこれ試行錯誤しながら音は良くなっていく──。
ここで、けれども……、とおもう。