Date: 6月 24th, 2012
Cate: 「オーディオ」考
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「虚」の純粋培養器としてのオーディオ(その1)

書くことが幾つもある時に限って、なにか新しいテーマで書きたくなる。
やめとけばいいのに、と自分でも思いながらも、とにかく新しいテーマを考え出すために、
以前書いたものをランダムに拾い読みすることもある。

そんなことをせずに、いま書いているテーマの先をさっさと書けばいいのに……、とは思っても、
テーマを増やしたいときは、ときに無理してでも増やしてきた。

自然に、というか、ふいに新しいテーマが浮ぶときもある。
こうやってなかば無理矢理に新しいテーマを考え出すときもある。

今日のタイトルは、「虚」の純粋培養器としてのオーディオ。
そうやってつけたタイトルである。

2010年12月に、「虚」の純粋培養ということばを使っている。
1年半前に、そうおもった。いまもそうおもっている。

だから、タイトルを、「虚」の純粋培養器としてのオーディオ、としたわけだが、
いざタイトルにしてみて気がつくことがある。

本当にオーディオが「虚」の純粋培養器であるとすれば、
オーディオを追求するということは、どういうことなのかを、もう一度考え直さなければならないことになる。

「音は人なり」とこの、「虚」の純粋培養器としてのオーディオは相反することになりはしないだろうか。
そうも考えられるわけだが、それでも、いまはまだ直感でしかないし、おぼろげながらでしかないが、
決して、このふたつのことは矛盾しないはずだ。

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