Archive for category テーマ

Date: 11月 18th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その28)

ステレオサウンドでは、以前セパレートアンプの別冊を出していた。
1981年夏に出たのを最後に、いまのところは出ていない。

私がステレオサウンドで働き始めたのは1982年1月からだったけれど、
1981年のセパレートアンプの別冊の取材の大変さは聞いていた。

試聴室で行った試聴テストも大変だったわけだが、
それに加えて全アンプの測定は松下電器の協力を得て行っている。
そのためすべてのアンプを大阪まで運んでいる。

これがどのくらい大変なことなのかは、
実際にステレオサウンドで働くようになり、特集の試聴テストの準備をしていくとよくわかる。
特に総テストとつく特集のときは、
試聴そのものは楽しくても、しんどさはけっこうなものがある。

ステレオサウンドは総テストをひとつの売りにしていた。
いまは総テストはほとんど行われていない。

なぜ、こんなことを書いたかというと、
あるとき先輩編集者が話されたことがある。
なぜ、ステレオサウンドがベストバイという特集をやったのかについて、であった。

どうしてか、と思う、ときかれて、
いくつか私なりに考えて答えたけれど、私が考えた理由によるものではなく、
取材(つまり試聴テスト)をやらずにつくれる特集をやることで、
編集者の肉体的な負担を減らそう、体を休ませよう、という意図から企画されたものだ、と聞かされた。

これだけが理由ではないだろうし、どこまで信じていいものか、というところもあるけれど、
ベストバイの特集が最初に行われたステレオサウンド 35号、
このころは総テストが当り前のように行われていた時期である。

Date: 11月 18th, 2013
Cate: audio wednesday

第35回audio sharing例会のお知らせ

12月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 17th, 2013
Cate: 数字

100という数字(その6)

変換効率の高いスピーカーは、カタログスペックの出力音圧レベルの値が高い。

いまでは一般的とはいえなくなったが、
私がオーディオに興味を持ち始めたころ、
つまり1970年代後半の国産ブックシェルフ型スピーカーシステムの出力音圧レベルは92dB/W/m前後だった。
実はこの92dBという値は、アンプから入力された信号の1%が音に変換された、ということである。
残りの99%は熱になって消費されてしまう。

92dBを切っているスピーカーシステムは、1%以下の変換効率ということになるわけだ。
92dBよりも10dB低い82dB/W/mだと、10dBは約3.16倍であるから、1%を3.16で割ればいいし、
102dB/W/mだと10dB高いわけだから、1%の3.16倍の変換効率といえる。

100%は1%の100倍だから、dBでは40dBの差となる。
92dB+40dB=132dB、である。

JBLのD130のカタログに発表されている出力音圧レベルは103dB/W/mだから、
これで計算すれば、92dBのスピーカーの約3.54倍となる。
82dBのスピーカーと比較すれば、約11.22倍となる。

ちなみにJBLのコンプレッションドライバーの2440は、カタログには118dB/W/mと表記されている。
92dBとの差は26dBだから約19.95倍となる。

100dBを超えているスピーカーを、簡単に高能率といってしまっているけれど、
130dBのD130ですら、約3.54%しか音に変換できていないわけで、
dBではなく%でみると、D130ですら、高能率といっていいのかどうか考えてしまう。

こんな計算をしながら考えていたのは、
音圧と音量について、である。

Date: 11月 16th, 2013
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×三十二・原音→げんおん→減音)

つまりはこうである。

五味先生が書かれていた、マッキントッシュのMC275の音の描写、
「もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、
簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある」
こういう音の美をほんとうに理解できるようになるためには、
MC3500の音の描写、
「簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている」音をまず出せるようになってからではないのか。
そう考えるようになったからである。

若いうちから、この手の音を求めていく。
当時ステレオサウンドの連載記事スーパーマニアに登場されていた人たちは、
若い時分にそうとういろいろなことをされて、行き着く先に、
高能率のスピーカーシステムと真空管アンプという組合せにたどり着かれている、のを読んでいた。

シーメンスのオイロダインに伊藤先生のアンプを使われているスーパーマニアの方もいた。
最終的にこういう境地にたどりつくのであれば、
最初からこの世界に手をつけていれば──、という考えも少しはあった。
いいとこだけをやろうとしていた。

だが、オーディオはそんなことでうまくいくようなものではない。
シーメンスのコアキシャルと真空管アンプの組合せ、
これをあの時からずっと続けていれば、
20代前半のころよりもずっといい音で鳴らしている、とは思う。

だがシーメンス・コアキシャルの世界からあえて離れて、
いわゆるハイ・フィデリティと呼ばれるオーディオをやってきたからこそ、
もしいま当時と同じシステムを鳴らすことになったとしたら、
ずっと鳴らしつづけてきた音よりも、ずっといい音で鳴らせる。

Date: 11月 16th, 2013
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(続×三十一・原音→げんおん→減音)

私は20代前半のある時期、
シーメンスのコアキシャル(25cmウーファーとコーン型トゥイーターの同軸型)を平面バッフルで鳴らしていた。
平面バッフルのサイズは縦190×幅100cm、米松合板を使ったもの。
これにf0:65Hzという、古い設計のスピーカーユニットを取り付けていたわけだ。

同軸2ウェイとはいえ、トゥイーターも古い設計で、
しかも口径も大きいわけで高域がすーっと延びているわけでもない。

上も下も、そのくらいのレンジ幅である。
例えば口径はすこし小さくなるが、
JBLの20cm口径のLE8Tを適切なチューニングのなされたバスレフ型エンクロージュアにおさめたほうが、
低域に関してはずっと下まで延びている。

コアキシャルの出力音圧レベルは、98dB/W/m。
高能率といえるユニットだけに、このベクトルでの音の良さは確かにある。
けれど、コアキシャル+平面バッフルでは、再生が無理な音があるのも事実であり、
そんなことはこのスピーカーを導入する前からわかっていたことであり、それを承知で、
こういうシステムでしか聴けない音を求めての選択だった。

つまりは、ここでテーマとしている「減音」、
このときはそこまで意識したわけではないけれど、
それに若さゆえに粋がっていたゆえの選択でもあったけれど、
ようするに、この項の(続×二十九)で書いているMC275的音の描写を意識してのことだった。

けれど、このシステムはそうながくは続けなかった。
音が気に入らなかったわけではない。

Date: 11月 16th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(真空管アンプのレイアウト・その7)

街が機能するには、電気が必要であり、そのための電線が敷設される。
電力の供給だけでなく、上下水道もガスも電話線(いまでは光ファイバーか)も必要であり、
日本では電線、電話線は電柱を立てて地上に露出しているけれど、
地下にすべてを埋設もできる。

真空管アンプの内部、つまりワイアリングもそれらと同じである。
真空管のプレートにかかる高電圧の電源供給ライン、
ヒーター用の定電圧の電源供給ライン(交流であったり直流であったりする)、
それから信号ライン、アースラインなどワイアリングされている。

いつのころからか真空管アンプにもプリント基板が使われるようになり、
こういった見方をすることの無理なアンプも市販品には多い。
ワイアリングの巧拙、枝ぶりの美しさ、といったことをあれこれいう楽しみも、
いまどきの真空管アンプにはなくなりつつある。

伊藤先生のアンプには、あたりまえすぎることを書くが、
プリント基板はいっさい使われていない。
すべてベルデンのフックアップワイアーを使われている。
ラグ、ターミナルストリップを適所に配置して、部品を固定しながらひとつひとつワイアリングされている。

Date: 11月 15th, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その9)

この項の(その6)で、バラコンについて書いた。
シスコン(システムコンポーネント)に対する言葉として、ある時期使われていた。

シスコンも決していい言葉ではないけれど、バラコンはシスコンよりもひどい。
こんな言葉は誰も使わないのがいい。
けれど、われわれわオーディオマニアがついやってしまっていることは、
フランケンシュタインが理想の人間をつくろうとして陥ってしまったのと、
ほぼ同じ立ち位置にいる、ともいえる。

バラコンという言葉は使いたくないけれど、
ほとんどのオーディオマニアが組合せにおいてやっていることは、
フランケンシュタイン・コンポーネントといえることである。

なぜフランケンシュタインは理想の人間をつくろうとして、怪物を生み出してしまったのか。
そんなことを考えていると、
今年のインターナショナルオーディオショウで見たあるメーカーの、あるオーディオ機器のことが浮んでくる。

このオーディオ機器がなんであるのか、その型番について書くのを少しためらっている。

このオーディオ機器が発表になった時、
インターネットに公開されていた写真を見た時、そのデザインにびっくりした。
いい意味でのびっくりではなかった。
だから、型番を書いていこう、とその時は思った。

ただ一応実物をきちんと見てからにしようと思い、
インターナショナルオーディオショウまで待っていた。

初日に見てきた。
写真で見るよりも、ずっと凝った細工がなされていて、仕上げも丁寧である。
なのに、なぜこんなデザインにしたのか、と考えてしまう。
この時までは、型番を書こう、と思っていた。

だがフランケンシュタインのことが思い出されて、躊躇うようになってしまった。

Date: 11月 15th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(真空管アンプのレイアウト・その6)

伊藤アンプでは出力管の周囲に小穴が開けられていることは書いた通りであり、
この小穴がなければ、伊藤アンプの印象はずいぶんと違ってたものになる。

ずいぶん以前、ラジオ技術から真空管アンプに関する別冊が出た。
そのなかで、ある人が伊藤アンプ、それも300Bシングルに似せた写真を載せていた。
誰が見てもそれは明らかなように伊藤アンプを真似ている。
けれど、そのアンプには放熱用の小穴がなかった。

その他にもこまかな寸法の違いもあったのかもしれないが、
小穴のある無しで、ここまで印象が変ってくるのか、を実感できた。

真似をするのであれば徹底的に真似をすればいいのに、
肝心なところを真似ていないというか、手を抜いているとでもいおうか、
とにかくのっぺりとした印象がそこには感じられた。

伊藤アンプではアルミの上にトランスや真空管などがレイアウトされているのは、
いわば街並の1ブロックをきりとったジオラマのようにも感じる。
そういう目で見ると、真空管が立ち並ぶ位置は、街における広場のようにも見えてくる。

トランスを建物だとすれば、真空管は木に見えなくもない。
木は地中に根を張っている。
伊藤アンプではアルミの下部が、地中にあたる。

真空管ソケットがアルミに取り付けられ、
その端子にはワイヤーや抵抗、コンデンサーなどのリード線がハンダ付けされている。

Date: 11月 14th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(真空管アンプのレイアウト・その5)

伊藤アンプのシャーシーの厚みは5cm。
この5cmの鉄製のフレームの上にアルミの板がのり、
アルミに真空管、トランス、コンデンサーなどが取り付けられる。
アンプによっては入出力端子も、このアルミに取り付けられることがある。

トランス類は基本的に後方に、
トランスを背にして真空管が配置される。
出力管の周囲には放熱用のための小穴が開けられている。

ステレオアンプでは出力管の手前に電圧増幅管が配置される。
モノーラルアンプでは向って左側から電圧増幅管、出力管、整流管と並ぶ。

こうやって言葉にしてしまうと、他の人が作るアンプとそんなに大差ないようになってしまうが、
できあがったアンプの佇まいには大きな違いが生れてくる。

伊藤アンプにおけるトランスは、いわばビルといえる。
背の高いトランスは高いビル、低いトランスは低層のビル、
真空管はビルというイメージよりも、違うものの感じがする。

トランスとトランスのあいだはそれほど離されていない。
隙間はそれほどない。
だから、その隙間はビルとビルとの間を走る道路であり、
道路を後方から前方に向って走ってくれば、ぱっと目の前が開けてくる。

そこには真空管が立ち並んでいる。

Date: 11月 14th, 2013
Cate: ショウ雑感, 瀬川冬樹

2013年ショウ雑感(続・瀬川冬樹氏のこと)

私にとって、もっとも会いたかったオーディオ評論家は瀬川先生だった。

熊本には瀬川先生よりも先に、別のオーディオ店に長岡鉄男氏が来られたことがある。
それには行かなかった。
私が初めて行ったのは瀬川先生によるものだった。

瀬川先生による、いわば試聴会だけを高校生の時ずっと体験してきた。
つまり、私にとって瀬川先生のやり方がひとつの基準としてある。
そのことに、実はいまごろ気がついた。

なにも瀬川先生のやり方がすべてで、理想的だった、とはいわない。
オーディオ店、メーカーのショールームにおいて、理想的な条件が得られることはまずない。
いくつもの制約があるのが当り前で、
その制約を言い訳にすることなく、さらに時間という制約の中で、ひとつの音をきちんと聴かせてくれる。

そして、このことも重要なのだが、
瀬川先生はレコードのかけかえもカートリッジの上げ降しも、アンプのボリュウム操作も、
誰かにまかせることは一度もなくすべてやられていた。

だからこそ、見ているだけで学べることがいくつもあった。

それらのことが私の中にはある。
だからインターナショナルオーディオショウなどの催物での、
いまオーディオ評論家と呼ばれる人たちのやり方を見ていると、
無意識のうちに瀬川先生のやり方を基準としてみていたことに、いま気がついた。

そして、瀬川先生のやり方を見て知っている人も、
いまでは少なくなってきた、ということにも気がついた。

Date: 11月 13th, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その14)

アナログディスク再生に対して確固たるものを持っていない人の書いたものは、
読んでいて、すぐにそうだとわかる。

確固たるものが自分の確固たるものと同じでなくてもいい。
さらにいえば確固たるものが正しいのかどうかも、極端な話どうでもいい。

とにかく確固たるものを持った上での評価をしているのかどうか、
それは確固たるものを持っている読み手であれば、
それがどの人のことを指しているのかはすぐにわかるはずだから、
ここではその人の名前を出すことはしないし、ここでは個人攻撃はしたくはない。

それでもおかしなものを高く評価していたり、
その反対のことをやっていたりするのをみかけると、ついあれこれ思ってしまうし、言いたくなってしまう。

そんなことをやっている人が、私よりもずっと若い人で、
オーディオに関心を持ち始めた時はすでにCDが主流で、アナログディスクとの出合いはその後だった、
というのならば、仕方ないかもな、とは思いはするければ、
私よりも上の年齢の人で、いまもそういう人が野放しになっているのは、
どこに、誰に責任があるのだろうか……。

Date: 11月 13th, 2013
Cate: 「本」

オーディオの「本」(池田圭氏の「音の夕映え」)

別項で池田圭氏の年齢を知りたくて、久しぶりに「音の夕映え」を取り出した。
奥付を見た。

そこに初版千五百部、再版千部、とあった。

「音の夕映え」の初版は1979年に出ている。
再版は1981年に出た。

1981年に「音の夕映え」を買った時に、奥付で、この数字は見ていた。
けれど、そのときはオーディオの書籍がどれだけの数が出るのかという知識はまったくなかった。
だから、ただ1500部と1000部、合せて2500部。私が持っている「音の夕映え」は2500分の1冊なのか、
ぐらいのことしか思っていなかった。

1979年はオーディオブームの全盛期は過ぎてはいたものの、
まだまだオーディオには勢いがあったように感じていた。
そのころ出た「音の夕映え」の初版が1500部なのか……、といまはおもう。

池田圭氏は、ステレオサウンドにもときおり書かれてはいても、
メインの筆者のではなかった。
とはいえ「音の夕映え」の初版1500部は少ない、と感じる。

「音の夕映え」は2500円である。
「音の夕映え」を手にとった人ならばわかるはずだが、
この本のつくりは池田圭氏のわがままをかなえている。

「音の夕映え」には、最新のオーディオ機器のことはほとんど出てこない。
そういう本だからこれだけの数しか売れなかったのだとしたら、
──なんだろう、いまのオーディオのある一面と重なってきて、
虚しさみたいなものを感じないではいられない。

Date: 11月 13th, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(真空管アンプのレイアウト・その4)

なにをもって「まともな」真空管アンプとするのか。

私の答は、伊藤先生のアンプということになる。

それではまったく何も説明していないのと同じじゃないか、といわれるだろうが、
それでも、これ以上こまかいことを書いていこうとは思っていない。

この私の答に納得がいかない人は、
とにかく伊藤先生のアンプの写真をじっくり見てほしい。
納得がいくまで見てほしい。

できれば実物を見てほしいところだが、
メーカーによって大量生産されたアンプではなく、伊藤先生ひとりの手によるアンプだから、
つくられたアンプの数もメーカー製と比べればずっと少ない。
けれど写真はインターネットの普及によって、以前と比較すればずっと多く見ることができる。

できればプロのカメラマンによる写真を見てほしい。
サウンドボーイに発表された伊藤アンプの写真は、由利賢次氏の撮影だった。
オーディオ雑誌に掲載された伊藤アンプの写真の中では、
由利氏による写真が圧倒的によい。

とにかく見る。
じーっと見る。それこそくたくたになるまで見ていれば、伊藤アンプが「まともな」理由が、
理屈としてではなく感覚的に感じられるはずだ。

Date: 11月 12th, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その13)

どんな人にでも、いわゆる粋がっていた時代はあるのではないか。
それがいつなのか、どのくらいだったのかは人によって違ってくるだろうし、
いまも粋がっていたいという人だっている。

そんな粋がっていた時には、定番のモノよりも、
エキセントリックだったり、エキゾティシズムのモノにより惹かれることがある。

私のように若いころからEMTの930stを欲しい、と思ってきた者は、
さしずめ定番のモノを使って、人よりもいい音を……、と考えているのだろう。
それでも定番とは対極に位置するモノに魅力を感じてこなかったわけではない。

むしろ定番の良さをしっかりと認識することで、
その対極にあるモノの魅力もよりはっきりとみえてくることだってある。
つまり定番を頭から拒否している人は、
エキゾティシズム、エキセントリックなモノに騙されてしまうこともあるような印象をもっている。

いま市場に出廻っているアナログディスク再生に関するオーディオ機器を眺めていると、
素晴らしいモノといっしょにどうにもこうにもおかしなモノがある。

そんなモノを高く評価する一部の人が、またいる。
そんな人の書く、アナログディスク再生に関するものを読むと、
この人にはアナログディスク再生に対しての、その人なりの基準がないように感じられる。

アナログディスク再生は、昨日今日のものではない。
長年続いてきているものであり、
私と同世代、そして私よりも上の世代の人はそれだけの時間、
アナログディスク再生に時間を割いてきているわけだ。

人はその中で、その人なりのアナログディスク再生とはこうあるべき、という考えを構築形成してきたはず。
そうやってつくられた基準によって、アナログディスク再生に必要なオーディオ機器を評価判断する。

それは人によって違ってくるところがあるし、ひとりの人の中でもこれだけ、というわけではない。
少なくともオーディオ雑誌で不特定多数の人にアナログディスク再生に関する文章を書く人ならば、
そういう基準をしっかりと持った上で評価判断してほしい、と思っている。

だが実際には一部の人は、あきらかにそれが感じられない。
おそらくないのだと思う。
だから、あきらかにおかしなモノを高く評価したりする。

Date: 11月 12th, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その12)

オルトフォンのSPU-GとSMEの3012-Rの組合せは、定番中の定番といえたかもしれない。
オルトフォンのRMG309よりも、SMEのロングアームの方がSPUと組み合わされることは多かったかもしれない。

SPUのように針圧が3g前後のカートリッジにはダイナミックバランス型のトーンアームが向く。
そういう思い込みにとらわれている人にとっては、
SMEの3012-Rはスタティックバランスということで関心を持たないかもしれない。

でもこの組合せは、ステレオサウンドの試聴室で何度聴いたのかは忘れてしまったほど聴いている。
私がいたころのステレオサウンドの試聴室にあったのは、SPU-Goldだった。

ほとんどのレコードを難なくトレースしてくれた。
トレースに不安を感じて調整をしなおした、ということは一度もない。
安心してさまざまなレコードをかけられる組合せだった。

定番同士の組合せだから、といえるだろうし、
そういうモノだから定番と呼ばれている、ともいえる。
定番と呼ばれているモノは、その多くがこういう良さを有している。

モノマニア的なところがないオーディオマニアはいないのかもしれない。
だから、人とは違うモノに魅力を感じてしまうのかもしれない。

誰もが使っている定番はできれば使いたくない。
そういう視線で目新しいモノを選んでしまうと、それは時としてエキセントリックだったり、
エキゾティシズムの魅力のモノだったりすることがある。

オーディオ機器には、昔からそういうモノが存在しているし、いまも存在している。
特に一部のアナログ関係のモノ、スピーカーシステムに見られる。

それらすべてがそうゆうわけではないが、中には以前書いているように欠陥スピーカーといいたくなるモノがある。