Date: 11月 16th, 2013
Cate: High Fidelity
Tags:  

ハイ・フィデリティ再考(続×三十二・原音→げんおん→減音)

つまりはこうである。

五味先生が書かれていた、マッキントッシュのMC275の音の描写、
「もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、
簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある」
こういう音の美をほんとうに理解できるようになるためには、
MC3500の音の描写、
「簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている」音をまず出せるようになってからではないのか。
そう考えるようになったからである。

若いうちから、この手の音を求めていく。
当時ステレオサウンドの連載記事スーパーマニアに登場されていた人たちは、
若い時分にそうとういろいろなことをされて、行き着く先に、
高能率のスピーカーシステムと真空管アンプという組合せにたどり着かれている、のを読んでいた。

シーメンスのオイロダインに伊藤先生のアンプを使われているスーパーマニアの方もいた。
最終的にこういう境地にたどりつくのであれば、
最初からこの世界に手をつけていれば──、という考えも少しはあった。
いいとこだけをやろうとしていた。

だが、オーディオはそんなことでうまくいくようなものではない。
シーメンスのコアキシャルと真空管アンプの組合せ、
これをあの時からずっと続けていれば、
20代前半のころよりもずっといい音で鳴らしている、とは思う。

だがシーメンス・コアキシャルの世界からあえて離れて、
いわゆるハイ・フィデリティと呼ばれるオーディオをやってきたからこそ、
もしいま当時と同じシステムを鳴らすことになったとしたら、
ずっと鳴らしつづけてきた音よりも、ずっといい音で鳴らせる。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]