ハイ・フィデリティ再考(続×二十九・原音→げんおん→減音)
完璧な録音・再生の系が実現してしまったとき、どうするのか、
オーディオマニアとして、その完璧な系をどう向い合うのかについての答は、すでにあった。
だから答は、すぐに浮んできた。
ただし、これは私にとっての答であり、
必ずしも、すべてのオーディオマニアにとっての答になりうるものではないのかもしれない。
だいたい生きているうちに、そんな時代はやってこない可能性のほうが圧倒的に高いのだから、
そんなことに頭を使って答を出すことそのものが無駄なこと、と思われる人がいても不思議ではない。
けれど、こういう極端な例を考えて、そこにひとつの答を出していくことは、
オーディオとは何か? について考えてゆく、ひとつの手法だと私は考えている。
だから、答を出していく。
もっとも、このことに関しては、答を出した、というのは必ずしも正確ではない。
思い出した、というのが、より正確な言い回しである。
ようするに、私が出した答は、すでにオーディオをやり始めたときに読んでいたものだった。
何度もくり返し読んできた、五味先生の「五味オーディオ教室」に書かれてあったことが、
答として私の裡にすぐさま浮んできた。
この項でもすでに引用しているし、別項でも何度か引用している、
マッキントッシュのパワーアンプMC275とMC3500についてふれられている文章で、
しつこいと思われようが、ここにはまた引用しておく。
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ところで、何年かまえ、そのマッキントッシュから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メインアンプ〝MC三五〇〇〟が発売された。重さ六十キロ(ステレオにして百二十キロ——優に私の体重の二倍ある)、値段が邦貨で当時百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(十ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二十から二万ヘルツまでマイナス〇・五dB。SN比が、マイナス九五dBである。わが家で耳を聾する大きさで鳴らしても、VUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪のアンプといっていいように思う。
すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、悪いわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。当時、百五十万円の失費は私にはたいへんな負担だったが、よい音で鳴るなら仕方がない。
さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
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こういうことだと私は思った。
結局のところ家庭で音楽を聴くという行為は、
完璧なものが目の前に登場してきたとき、オーディオマニアとして私がやることは、
MC3500的花の描き方(つまり音の描写)ではなくMC275的花の描き方(音の描写)だということであり、
ここにこそ”fidelity”のオーディオにおける意味が問われることになる。