Archive for category テーマ

Date: 10月 18th, 2016
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(45回転LPのこと・その5)

私がオーディオに関心と興味をもちはじめたときには、
すでに45回転のLPはあたりまえのように存在していた。

そのころは各国内レーベルからオーディオマニア向けといえる企画があった。
それらの中には45回転LPがあったし、ダイレクトカッティングでも45回転のモノがあった。

いったいいつごろ45回転LPが登場したのかについては、
岡先生の著書「マイクログルーヴからデジタルへ」の下巻に詳しい。
     *
 ハイファイ的な面にだけ的をしぼっても話題の選択に困るほどだが、忘れられないのは、野心的な試みで斯界にいろいろな刺激を与えたマイナー・レーベルの存在である。音楽あるいはハイファイに熱情を燃やす個人あるいは小グループが、彼らの止むに止まれぬ情熱を何らかのかたちでレコード化し、そのユニークさでアピールしようという現象は、近年ますますさかんになっているが、上巻に記したLP初期のバルトークやダイアル、EMSなどが、その僅かのレコードによっていまでも忘れがたい存在になっている古い例がある。エラートやヴァンガードなどは、準メイジャーまで大きくなったが、線香花火のように出現し、やがて消えてしまったというのも少なくない。メイジャーでは思いもよらぬ大胆な試みができるというのも、個人プレイのおもしろさであろう。
 話は少々時代を遡るが、一九六〇年代のはじめ、45回転ステレオLPを出してマニアをびっくりさせたのも、そういうマイナー・レーベルであった。

 45回転ステレオLPのオリジネーターのレーベル名Q−Cは、フランス語の Quarante-Cinq(45)というそのものずばりである。フランスでいつ出たかはわからないが、『アメリカン・レコード・ガイド』一九六二年五月号、『ハイ・フィデリティ』六月号の月評欄にとりあげられている。そして、『ステレオ・レヴュー』十月号でデイヴィッド・ホール、が、「そして、いまや45回転12インチ・レコードの登場!」という題で、この新しいフォーマットのステレオLPのことを二ページにわたって論じていた。それによると、このレーベルはフランス語であり、マスター・テープはヨーロッパ録音だが、レコード化はアメリカであるらしい。Q−Cの45回転レコードはつぎの五枚が発売された。
 #四五〇〇一=《シャブリエ管弦楽曲集——スペイン、他四曲》 ルコント指揮、パドルー管弦楽団/アダン《我もし王者なりせば・序曲》/ウェーバー《舞踏へのお誘い》 デルヴォー指揮、コロンヌ管弦楽団
 #四五〇〇二=《Bravo Tord!》 バルデス指揮、カディス闘牛場吹奏楽団
 #四五〇〇三=R・シュトラウス《ティル・オイレンシュピーゲル、ドン・ファン》 アッカーマン指揮
 #四五〇〇四=ストラヴィンスキー《火の鳥組曲》/ファリャ《恋は魔術師》 ゲール指揮
 #四五〇〇五=チャイコフスキー《白鳥の湖、眠りの森の美女組曲》 ゲール指揮
 このうち、四五〇〇三以降の三枚はLPとしては一九五〇年代中頃にコンサート・ホールからモノーラルLPが発売されていたもので、その後ステレオ・テープ(4トラック以前のもの)でも出ていた。ステレオ録音ではごく初期のものであったらしい。したがって、ホールは、とくに音の条件のよい45回転LPらしい録音内容をもっていたのは最初の二枚だけだ、といっている。
 ところが、ホールがこの文章で注目したのは、Q−Cを追いかけて45回転ステレオLPを出したコニサー・ソサエティという新レーベルであった。このレーベルでホールが紹介した新譜はつぎの二枚であった。
 CS三六二=《一八世紀パリのフルート協奏曲(ボアモルティエとコレットの作品)》ランパル(fl)、ヴェイロン=ラクロア(hc)、ソーヤー(vc)ほか
 CS四六二=《インドの名演奏家アリ・アクバール・カーン》
 コニサー・ソサエティは六〇年代後半からフィリップス・レーベルで日本盤が出ているが、一九六二年という時点ではまったく彗星のように出現したマイナー・レーベルであった。創立者のアラン・シルヴァーについてはくわしいことはわからないが、スプラフォンのアメリカ発売権をもってレコード界に乗り出した人らしい。なかなかの音楽狂で一九六一年にコニサー・ソサエティを創立した。この社の番号のつけかたが非常に独特で、あとの二ケタは録音(あるいは発売)年度を示すというおもしろいシステムをとっている。
 この二枚の45回転ステレオLPについて、ホールは、76cm/secのマスター・テープ録音による素晴しい音で、Q−Cにくらべると45回転の威力を発揮していると、賞讃していた。コニサー・ソサエティの名前を有名にしたのは翌年春に出たイヴァン・モラヴェッツの二枚のレコードである。
 CS五六二=ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第二三番《熱情》/モーツァルト:ピアノ・ソナタ第一四番(K.457)
 CS六六二=フランク:前奏曲とコラールとフーガ/ショパン:バラード第三番、スケルツォ一番
 この二枚も45回転ステレオLPとして出たものである。『ハイ・フィデリティ』は六三年四月のベスト・レコードとして別扱い、『ステレオ・レヴュー』も推薦盤に挙げていた。
 どういう経緯かはっきりはおぼえてないが、ぼくがこの二枚のモラヴェッツの45回転の方を入手したのは六六年頃のことだったとおもう。実は、それ以前に、このレーベルのレコードをひそかなあこがれをもって探していた。それは、幻のフラメンコ・ギターの名手と騒がれはじめていたマニタス・デ・プラタがこのレーベルに入れていたのを『アメリカン・レコード・ガイド』で知っていたからである。それはCS二六二という番号だった。その頃、フラメンコの、とくにギターのレコードを集めるのに夢中になっていたので、何とかしてほしいものだと思いながら目的を果たせずにいたのである。もひとつは、当時ARのスピーカーの輸入をはじめていた今井商事の今井保治さんが、アメリカでインドの太鼓の素晴しい録音のレコードがマニアのあいだで大騒ぎされていると話されたことがあった。それがアリ・アクバール・カーンの録音に参加しているタブラの名手ウスタド・マハプルーシュ・ミスラの《インドの太鼓》(CS1466)だとわかった頃に、モラヴェッツの45回転LPを入手したのだと思う。
 コロムビア洋楽部の繁沢保さんや増田隆昭さんなどがわが家に遊びにきて、いろいろなレコードを鳴らしたなかで、アメリカでこんなレコードが出てるよ、と45回転のモラヴェッツを聴かせた。ふたりともかなり感心した様子で帰ったのだが、半月かひと月もたった頃、うちでも45回転ステレオを出すことにしたから解説を書くように、という電話がかかってきた。そのコロムビアの45回転LPステレオは六七年五月新譜で発売されたのである。御両所がわが家にこられたのは多分一月中旬ぐらいではなかったかとおもう。
 そのコロムビアの45回転LPの第一回新譜はつぎの五枚であった。
 四五CX−一=モーツァルト《フルートとハープのための協奏曲》ランパル/ラスキーヌ/パイヤール合奏団
 四五CX−二=《バーンスタイン・スペイン音楽の祭典》(シャブリエ、ファリャ)
 四五CX−三=チャイコフスキー《イタリア奇想曲》/リムスキー=コルサコフ《スペイン奇想曲》オーマンディ/フィラデルフィアO
 四五CX−四=ベートーヴェン《第五 運命》ワルター/コロムビアSO
 四五CX−五=ジョリヴェ《トランペット協奏曲》アンドレ/ジョリヴェ指揮、デュルフレ《前奏曲、シチリアーノ》デュルフレ(org)
 コロムビアはすでにマスター・プレスのデラックス盤などを出して、ハイファイ・レコードにはとくに意欲的だったが、この45回転LPもかなりマニアの注目を集め、二年ちかくの間に三十枚以上出したとおもう。
 コロムビアが出したのを追いかけて六七年夏にビクター(アクション・サウンド・シリーズ)、キング(プロジェクト3、コマンド)、フィリップスなどもこれを追い、45回転ステレオLPは、ハイファイ・レコードとしてブームの感を呈した。
 その後、コロムビアは最初のダイレクト・カッティングも45回転で行っている。七〇年代には忘れられた感があったが、七〇年代末にCBSソニー、その他のレーベルが復活させていることは御承知のかたも多いだろう。
     *
意外に古くから45回転LPが存在していたことを知って、
「マイクログルーヴからデジタルへ」を読んで驚いた記憶がある。

レコードの回転数を33 1/3から45へあげることの物理的なメリットとしては、
歪が1/1.8に減少し、ヘッドルームの2.6dB増加、周波数特性は1.8倍に拡大される。
これらの値は、あくまでも理論値としての最大であって、
実際の45回転LPで、物理的メリットを理論値通りに満たしているのはほとんどないであろう。

それでも歪は減り、ヘッドルームは増し、周波数特性も拡がるのは事実である。
と同時にサーフェスノイズのピッチも高くなる。

Date: 10月 18th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その74)

ステレオサウンド 53号には「オーディオ巡礼」が載っていなかった。
もっとも楽しみにしていたものがなかった。

原田勲氏の編集後記に、
《連載中の「オーディオ巡礼」は五味先生ご病気のため休載です。》とあった。
まだこの時は、すぐに連載が再開されるものだと信じていた。

ステレオサウンド 54号の表紙は、JBLの4343BWXだった。
ミッドバスとウーファーが、それまでのアルニコ採用からフェライトに変った。
4343Bの上には2231Hが置かれていた。

この表紙が示すように、54号の特集はスピーカーシステムである。
個人的に、いいタイミングでのスピーカーの総テストだと感じていた。

53号にはアルテックの6041の他に、ロジャースのLS5/8が、
新製品紹介のページに登場している。
一年前の49号で、瀬川先生が紹介されていたチャートウェルPM450Eが、
ロジャースにかわり、外観も少し変更になってようやく市販されるようになった。

タンノイからは新しい同軸ユニットを搭載したSuper Red Monitorが出ていたし、
KEFのModel 105もII型へと改良されていた。
他にもいくつか興味あるスピーカーシステムがあった。
それらのほとんどが54号の特集に登場している。

菅野先生、黒田先生、瀬川先生が試聴をされている。

知りたい(読みたい)と思っていたものが過不足なくあった、と感じた。
でも54号にも「オーディオ巡礼」はなかった。

五味先生の病気が長引いているのか、恢復(連載再開)は次号なのか、と思っていた。
55号には「オーディオ巡礼」が載るものだ、と思っていた。

Date: 10月 17th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その73)

私が読者として読んできたステレオサウンドについて、
41号から順をおって書いている。

ステレオサウンドは素晴らしいオーディオ雑誌だ、と持ち上げる意図はない。
読んできて感じたことを思い出しながら書いている。

すでに書いているように51号のようなつくりには疑問を感じた。
そういう疑問は、読み続けていくとともに少しずつあらわれてきた。

53号の「プロフェッショナルたちがあなたの装置のトラブルや、不満をチェックすると、こうなります」、
この記事も、まさしくそうだ。

広告と雑誌との関係についてほとんど何も知らない10代の私が読んでも、
この記事が載っているのはおかしく感じたものだった。

つまり、いまに続く悪しき芽は、すでにこのころからあったわけであり、
決して大きくはないが、はっきりとあらわれている。

50号の巻頭の座談会で、瀬川先生が語られていたことを、
53号の、この記事を担当した編集者はどう受けとめていたのか、と思う。
受けとめてすらいなかったのだ。
私はそう思う。

瀬川先生は、この記事をどう読まれたのだろうか。

Date: 10月 17th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その72)

ステレオサウンド 53号には、不思議な記事があった。
「プロフェッショナルたちがあなたの装置のトラブルや、不満をチェックすると、こうなります」
というタイトルの記事である。
宇田川弘司氏という方が書かれている。

41号からステレオサウンドを読んできたが、初めて見た名前だった。
それにしても不思議な印象を拭えない記事だった。

記事のタイトルからいえるのは、宇田川弘司氏はオーディオのプロフェッショナルということになる。
しかもタイトルには「プロフェッショナルたち」とある。
なのに宇田川弘司氏しか登場していない。

ということはこれから、この記事は続いていくのか。
宇田川弘司氏は今回で、次回以降は別の人たちが登場するのか。
でも54号には、この記事はなかった。
53号だけの単発記事だった。

なのに、なぜ「プロフェッショナルたち」なのだろうか。
53号の時点で私は16歳だった。プロフェッショナルではなかったけれど、
この記事に書かれていることが、オーディオのプロフェッショナルの仕事とはどうしても思えなかった。

いま読み返しても、そこに関しては同じである。

なぜ、こんな記事が載ったのか。
その理由に気づくのは数年後だった。

53号の486ページに、ある広告が載っている。
オーディオのチューニングを仕事とする会社の広告である。
「貴方はJBLを使いこなしてますか。」とキャッチコピーがあり、
4343の写真がある広告だ。

この会社の名称がウダガワ・ラボである。
ウダガワは宇田川であろう。

結局、あの記事は広告絡みというか、広告であったのか、と気づいた。
1979年のころから、そうであったのか……、とも気づいた。

Date: 10月 17th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その71)

ステレオサウンド 53号で、ひとつ気になったことがあった。
瀬川先生の「ひろがり溶け合う響きを求めて」の中に、それはある。
     *
 リスニングルームの空調でもうひとつ重要なのは換気の問題だ。昔から煙草は嫌いだったが、どういうものかこの煙草嫌いは、やや病的ではないかと自分でも思うほど、近年ますます極端になってきた。道を歩いていて、数メートル先を歩いてゆく人の吸う煙草の煙のように、ふつうならちょっと気づきにくい匂いも、なぜか鋭敏に嗅ぎとってしまう。外をあるいていてさえそうなのだから、まして室内ではよほど換気がよくないといけない。人の集まる場所から帰ってくると、衣服にも髪の中にも煙草の匂いがしみついているのがわかって、それが嫌でたまらない。
     *
私は喘息持ちだから、煙草はこれまで一度(一本)も吸ったことがない。
瀬川先生の煙草嫌いはわかる。

瀬川先生も《やや病的ではないか》と書かれているが、
《数メートル先を歩いてゆく人の吸う煙草の煙のように、ふつうならちょっと気づきにくい匂いも、なぜか鋭敏に嗅ぎとってしまう》ことがある。

私の場合でいえば、体調が悪い時ほど鋭敏に嗅ぎとれる。
なので瀬川先生も、体調があまりすぐれないのではないだろうか……、
そう思いながら「ひろがり溶け合う響きを求めて」を読んでいた。

後でわかる──、53号の原稿を書かれている時点で体調を崩されていた。

Date: 10月 17th, 2016
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その1)

2002年の香港映画「インファナル・アフェア」の冒頭には、
香港のオーディオ店でのシーンがある。

「いいケーブルを使えば、いい音が得られる」とか、
「レトロな曲には、こっちのケーブルの方があう」とか、
そんな会話がなされているシーンだ。

オーディオ機器が、ワンシーンだけとか小物として登場する映画やドラマは、けっこうある。
マッキントッシュのアンプは割とよく登場する。
比較的最近ではアメリカのテレビドラマ「CSI」にも、マッキントッシュが登場していた。

テレビドラマ版の「マイノリティ・リポート」には2065年のアナログプレーヤーが出てくるし、
映画「ダークナイト」にはB&OのBeoLab 5が使われている。

「ダークナイト」での、主人公ブルース・ウェインの屋敷が焼失した後の住い、
マンションでのBeoLab 5は、いかにも、という感じでぴったりくるけれど、
「CSI」でのシーズン9までの主任だったギル・グリッソムの自宅のマッキントッシュは、
少し合わないような感じがした。

映画、ドラマでのオーディオ機器の選択は、どれだけ考えられて行われているのだろうか。
今回改めてそう思ったのは、アメリカのテレビドラマ「グリッチ」に登場するオーディオ機器が、
2015年制作の、時代設定も新しいにも関わらず、
主人公の自宅にあるのは、古いオーディオ機器であったからだ。

そこにはCDプレーヤーは映っていなかった。
アナログプレーヤー(型番はわからず)とアンプとチューナーとスピーカーである。

しかもアンプはラックスのSQ38Fである。
SQ38FDでもなければFD/IIでもなく、SQ38Fである。
1968年ごろのアンプが、どうしてだか登場している。
チューナーもラックスのT300。

この選択は、なかなか異色である。

Date: 10月 16th, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その20)

ヤマハのスピーカーの型番のNSはnatural soundである。
natural(ナチュラル)には、自然の、天然の、といった意味の他に、
天為の、本有の、といった意味もある。

ヤマハのnatural soundは、おそらく自然の音だと思う。
ヤマハのこれまでのスピーカーシステムで名の知れたモノ、
NS1000M、NS690、NS10Mなどを聴いて、
どの音をヤマハのnatural soundと捉えるかは、難しいところがある。

そんなに型番の意味に拘らず……、とは私だって思う。
けれど、昨年のインターナショナルオーディオショウでのNS5000が聴かせた音は、
初めてヤマハの考えるnatural soundとは、この音のことなのか、と思えた。

そう思ったのはヤマハの与り知らぬところの、私の勝手な捉え方でしかないわけだが、
そこにNS5000でしか聴けぬ、何かが感じられた。

けれど今年のNS5000には、そういったことが感じられなかったし、考えることもなかった。
ただただ「優秀なスピーカーのひとつになってしまいましたね……」、
そんなことを心の中で呟いていた。

完成品のNS5000の音が、ヤマハが考えるnatural soundとなるのだろうか。
おそらくそうなのだろう。

私は、勝手にnatural soundに、天為の音、本有の音を求めていただけなのかもしれない。
だが聴きたいのは、そういう音のはずだ。
ヤマハ天為の音、ヤマハ本有の音が、昨年の、試作品のNS5000からは聴けた。
今年の、完成品のNS5000からは聴けなかった。

そういうことである。

Date: 10月 15th, 2016
Cate: 戻っていく感覚

一度目の「20年」

1991年、初めてMacを手にした。
Classic IIだった。メモリーは8MB、ハードディスクは40MBで、
ディスプレイは9インチのモノクロ。

キーボードは当時アスキーが発売していた親指シフトキーボードを使った。
日本語入力プログラムは、キーボード指定のMacVJE。

その後Macは、SE/30に買い換え、アクセラレーターを載せ、
ビデオボードも装着した。
キーボードは親指シフトキーボードのままで、MacVJEも使い続けていた。

1996年、MacVJEがAI変換搭載ということで、MacVJE-Deltaにヴァージョンアップした。
AI変換がどれだけ賢いのか試してみようと思って、
たまたま取り出していた本の一節を入力してみた。

変換効率は明らかに向上していた。
面白いように変換してくれるので、ついつい次の文節も、その次の文節も、と入力していた。

この時の本が、五味先生の「西方の音」だった。
一ページほど入力し終えて、ついでだから、一冊丸ごと入力してみよう、と思った。

毎日帰宅したら入力という日が続いた。
当時インターネットのことは知っていたけれど、やってはいなかった。
自分でウェブサイトをつくって公開することも考えていなかった。

何か目的があって入力を初めて続けていたわけでもなかった。
ただ電子書籍(VoyagerのExpand Book)にしようかな、ぐらいだった。

入力作業を続けていたのは、「五味オーディオ教室」と出逢って20年、ということに気づいたからだった。
20年という節目だから、とにかく五味先生のオーディオと音楽の本を入力していこう、
ただそれだけで続けていた。

「西方の音」のあとに、
「天の聲」「オーディオ巡礼」「五味オーディオ教室」「いい音いい音楽」と入力していった。
Expand Bookにもした。
SE/30では非常に重たい作業だった。

Expand Bookにしたからといって、誰かに渡したわけではなかった。
そのままにしていた。
しばらくして、ステレオサウンドの原田勲氏に「オーディオ巡礼」をフロッピーにコピーして送った。
それきりだった。

Date: 10月 14th, 2016
Cate: 戻っていく感覚

もうひとつの20年「マンガのDNA」

今年2016年は武満徹 没後20年、
東京オペラシティの20年の他に、
手塚治虫文化賞も「20年」を迎える。

朝日新聞出版から20周年記念ムックとして「マンガのDNA」が出ている。
表紙には「マンガの神様の意思を継ぐ者たち」とある。

マンガの神様とはいうまでなく手塚治虫のことである。

「マンガのDNA」には22本の短篇マンガが載っている。
手塚治虫文化賞を受賞したマンガ家の描き下しである。

手塚治虫のマンガを読んで、マンガ家になりたい、とおもったことが私にもあった。
あっただけで終ってしまったけれど……、
終ってしまったから、いくつかの短篇はそのことを強く憶い出せてくれる。

そのひとつ、森下裕美の「背中」を読んで、気づいたことがある。
私にとってのオーディオの「原点」は、「五味オーディオ教室」以前に、
マンガによって培われていたのかもしれない、と。

Date: 10月 13th, 2016
Cate: よもやま

没後20年 武満徹オーケストラ・コンサート

「没後20年 武満徹オーケストラ・コンサート」に行ってきた。
東京オペラシティ コンサートホールで行われた。

ここの正式名称は東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアルである。
東京オペラシティ コンサートホールは1996年に建てられた。
武満徹は1996年に亡くなっている。

そういえば同じ年のことだったのか、とぼんやりした記憶を辿っていた。

20代のころは、熱心にコンサートホールに行っていた。
いまはそうではない。
ひさしぶりのコンサートホールだな、と思うとともに、
武満徹の作品をコンサートホールで聴くのは初めてでもある。

今日のプログラムは、
 地平線のドーリア
 環礁──ソプラノとオーケストラのための
 テクスチュアズ──ピアノとオーケストラのための
 グリーン
 夢の引用─Say sea, take me!─ ──2台ピアノとオーケストラのための
だった。

指揮はオリヴァー・ナッセン、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、
ソプラノはクレア・ブース、ピアノは高橋悠治とジュリアン・スー。

ベートーヴェン、モーツァルト、マーラーなどのプログラムと何が違うかといえば、
曲目ごとにオーケストラの編成も楽器配置も変っていくことだった。
指揮台の位置も移動していた。

だから曲が終るごとにスタッフ数人が椅子を出したり片づけたり、または並べ替えたりする。
コントラバスの移動もやる。
ピアノの移動もあったし、ハープの位置も一曲目とそれ以降とでは違っていた。

さらに今日の内容は収録されていた。
テレビカメラはなく、音声のみの収録である。

将来、何らかの形で放送されたり発売されるのかはアナウンスはなかった。
マイクロフォンもメインは天井から吊り下げられていたが、
補助マイクロフォンが曲によって使われて、このセッティングも曲ごとに違っていた。

こんな光景は初めてだった。

今日の録音がCDで発売されたとしたら、
どんなスピーカーで聴きたいだろうか、と駅までの道のり、考えていた。

コンサート終了すぐに混んでいる電車に乗るのがいやで、
新宿駅までぶらぶら歩きながら考えていた。

二週間前のインターナショナルオーディオショウで聴いたスピーカーの中で選ぶとすれば、
YGアクースティックスのHaileyが真っ先に浮んだ。

ショウで聴いていて、精度の高い音に感心しながらも、欲しいと思いはしなかったけれど、
武満徹の音楽を好んで聴くのであれば、互いに引き立て合うかもしれない。

Date: 10月 12th, 2016
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その66)

クレルのデビュー作といえるPAM2とKSA100のペアが奏でる音は、
私にとっても格別魅力的だった。

試聴でクレルの、このペアが借りられることになると嬉しかった。
またクレルの音が聴ける──、ただそれだけで嬉しくなっていた。

そのくらい初期のPAM2とKSA100の音はよかった。
よかったけれど、この初期というのは、ふつう考えられているよりも短い、とだけいっておこう。

よくオークションに、初期のクレルということをアピールしているのを見かけるが、
オークションでは誰もが高く売りたいわけで、そのための煽り文句ぐらいに思っていた方が賢明だ。

それにごく初期のクレルのペアの音を聴いている人がどれだけいるのだろうか。
シリアルナンバーで確認しているわけでもないし、
本人はごく初期だと思い込んでいても、それはもうごく初期ではなく初期であったりする。

少なくともブログなどで、自分が持っているのは初期タイプだから、音がいい──、
そんなことを自慢している人のいうことを、私は信じていない。

クレルは、コントロールアンプはPAM2だけだったが、
パワーアンプはKMA200(モノーラルA級200W)、KSA50(ステレオA級50W)、
KMA100(モノーラルA級100W)と、ラインナップを充実させていった。

KMA200の凄みには、驚いた。
KSA50のKSA100よりも高い透明感のある音もよかった。
けれど、PAM2とKSA100の音が、私の耳(というよりも耳の底)には焼きついていた。

このクレルの音を、GAS、SUMOのアンプを男性的とすれば、
女性的であり、対照的でもあった、と書いた。
確かにそうなのだが、女性的という言葉からイメージするような、華奢な感じではない。
非力なわけでもない。
そういう次元での男性的、女性的といったことではない。

瀬川先生は、JC2、LNP2時代のマークレビンソンの音を女性的、
GASの音を男性的と表現されていたが、ここでの男性的、女性的とも、
GAS、SUMOの男性的、クレルの女性的は違う面を持つ。

でも、そういうことに気づくのは、
朦朧体といえる音の描き方を求めていることを意識するようになってからである。

Date: 10月 11th, 2016
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(ミケランジェリというピアニスト・その1)

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ。
私は、このピアニストがどうも苦手である。

素晴らしいピアニストだと、心から思っている。
彼の録音を聴いていると、完璧主義者といわれるのも頷ける。

それでもなんといったらいいんだろうか、
ミケランジェロの録音を聴いていても、肉体の復活を感じないからだ。
(ちなみにベネデッティ・ミケランジェリが姓としては正確な表記だそうだ)

そこが完璧主義と感じさせるのかもしれないと思いつつ、
ここがひっかかってきてしまい、いつもというわけではないが、
ふとした拍子に、演奏に聴き惚れるところから外れてしまい、
そのことが妙に気になってしまったりする。

こう感じてしまうのは、私が音楽の聴き手として未熟ゆえか、と思ったこともある。
もう十年以上前だった。
調べもののためにステレオサウンド 53号を読んでいた。
53号は冬号だから、音楽欄に「一九七九年クラシック・ベスト・レコード14」という記事がある。
ここでミケランジェリのドビュッシーの前奏曲集一巻がとりあげられている。

ここでの黒田先生の発言が、私の心情を代弁してくれているかのように感じた。
     *
黒田 ぼくは、じつはこのレコードを入れていません。というのは、いつもミケランジェリのレコードにものすごく感心するんだけれど、ただこうしたときに10枚の中にあげるかどうかとなると、とまどいというかためらいがつきまとうんですね。
 というのは、ひじょうにきわどいいいかたなんだけれど、ミケランジェリのレコードをきいていて、レコードの向こうにこのひとの生身の姿がどうしても浮かんでこないんです。現代というこの時代に、どんなありようで生きているのか、そうした生きた人間としての姿が、どうしても浮かんでこない。これはきわめて細かいところを、いわば部分拡大していっているわけだけれど、なんというかいま生きている人間があれこれ悩んだり苦しんだり闘ったりしながらピアノをひいている、といった感じがどうもしないんですね。
     *
黒田先生もそうだったんだ、と安心もした。

同時に、1979年にポリーニ/アバドによるバルトークのピアノ協奏曲も出ている。
ミケランジェリもポリーニも、イタリアのピアニストである。
ここで思い出すのは、黒田先生がステレオサウンド 39号に書かれた「ポリーニの汗はみたくない」だ。

Date: 10月 11th, 2016
Cate: アンチテーゼ, 録音

アンチテーゼとしての「音」(ベルリン・フィルハーモニーのダイレクトカッティング盤)

ダイレクトカッティングで名を馳せたシェフィールドは、
オーケストラ録音にも挑んでいた。

これがどんなに大変なことは容易に想像できる。
けれどシェフィールドのオーケストラ物のダイレクトカッティング盤が魅力的だったかといえば、
少なくとも私にとっては、そうではなかった。

クラシック以外のダイレクトカッティング盤はいくつか買いたいと思うのがあったが、
クラシックに関してはそうではなかった。

今回、キングインターナショナルから発売になるダイレクトカッティング盤には、
心が動いている。

サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニーによるブラームス交響曲全集(六枚組)。
レーベルはBERLINER PHILHARMONIKER RECORDINGS。

録音は2014年。
発売に二年かかっている理由はわからない。
けれど、なぜベルリン・フィルハーモニーがダイレクトカッティング録音に挑んだのだろうか。

ダイレクトカッティングを行うにはカッティングレーサーを、
録音現場(演奏会場)まで運ばなければならない。

スタジオ録音でも、日本ではカッティングレーサーはプレス工場に置かれていることも多かった。
東芝EMIが以前ダイレクトカッティング盤の制作に、
工場から赤坂のスタジオに移動したときには、調整の時間も含めて一週間を費やした、ということだ。
この手間だけでもたいへんなもので、また元の場所に戻して調整の手間がかかるわけだ。

それでもあえてダイレクトカッティング録音を行っている。
すごい、と素直に思う。

ダイレクトカッティングなので、生産枚数には限りがある。
全世界で1833セット(ブラームスの生年と同じ数)で、
日本用には特典付きの500セットが割り当てられている。

価格は89,000円(税抜き)。
安いとはいえない値段だが、
シェフィールドのダイレクトカッティングも、クラシックに関しては6,500円していた。
40年ほど昔でもだ。

アナログディスク・ブームだからということで、
売れるからアナログディスクのカタチをしていればいい、という商売っ気だけで、
アナログディスクのマスターにCD-Rを使ってカッティング・プレスするのとは、
まったく違うアナログディスクである。

どこかダイレクトカッティングに挑戦してほしい、とは思っていたけれど、
まさかベルリン・フィルハーモニーだったとは、今年イチバンの嬉しいニュースである。

Date: 10月 10th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その12)

オンキョーのGS1について書いていてあわせて考えていたのは、
オーディオエンジニアということ。

エンジニア(engineer)は、技術者、技師と訳される。
オーディオエンジニアは、オーディオの技術者となるわけだが、
エンジニアは技術者──これは納得いくが、
エンジニアは開発者だろうか、エンジニアは実験者なのだろうか、とも思う。

どうも一緒くたに語られるところがあると感じている。
実験者も、技術をもっている。だから技術者と呼ぶことに抵抗はない。

だが私の場合、エンジニアの前にオーディオとつくと、
エンジニアの意味を考えてしまう。

特にオーディオメーカーのオーディオエンジニアとは、について考えてしまう。

Date: 10月 10th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUS・その3)

瀬川先生の新しいリスニングルームが完成して、
しばらくしたころFM fanに傅信幸氏のオーディオ評論家訪問記事が二回に渡って載った。

長岡鉄男氏、上杉佳郎氏が一回目、
二回目が菅野沖彦氏、瀬川冬樹氏だった。

その記事だったと記憶しているが、
家を建てるのにお金がかかりすぎて、リスニングルーム内の家具が買えなかった。
最初のうちは床に直に坐っていた。
見兼ねた友人たちが新築祝いとして買ってくれたのが、この椅子(ニーチェア)、とあった。

ニーチェアはあのころ一万五千円ほどだった。
東京で独り暮しをするようになって、最初に買った椅子がニーチェアだった。
瀬川先生と同じ椅子ということが、いちばんの理由だった。

瀬川先生の新しいリスニングルームにあった数少ない家具で、
目を引いたのはテーブルだった。
ガラスの天板の、そのテーブルの脚部はEMT・930stの専用インシュレーター930-900だった。

ステレオサウンド 53号での、オール・レビンソンによる4343のバイアンプ駆動の記事。
ここでアナログプレーヤー、コントロールアンプなどの置き台になっているのは、
モノクロの、あまり鮮明でない写真なので断定できないが、
どうもブックシェルフ・サイズのスピーカーのようである。

あのころは、家を建てるのはほんとうにたいへんなことなんだぁ、
しかもあれだけの造りのリスニングルームなのだから、さらに大変なことだったんだなぁ、
とは思っていた。

これから、家具を揃えられるのだろう……、
どんな感じのリスニングルームになっていくのだろう……、
と思い、楽しみにしていた。

いまは、瀬川先生の大変さがわかる、実感としてわかる。