Archive for category テーマ

Date: 11月 17th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その107)

ステレオサウンド 59号で紹介されている新製品の中で、
瀬川先生はアキュフェーズのパワーアンプM100とルボックスのカセットデッキB710を担当されている。

M100は出力500Wでモノーラル仕様。
58号の新製品紹介でマッキントッシュのMC2500が登場したところだから、
二号続けての500W級のパワーアンプの新製品である。

カラーの4ページで紹介されている。
このアンプの試聴記の後半は、
瀬川先生が中目黒のマンションで、4345をM100で鳴らされていたのを知って読み返すと、
時代の音の変化とともに、瀬川先生が求められる音も変化していることを感じ取れるはずだ。

文章のボリュウムとしてはM100が多いが、
私が、瀬川先生ならではだ、と感じたのは、
モノクロ1ページのルボックスのB710の記事のほうである。

5000字近いM100の文章と、
1000字に満たないB710の文章。

B710の文章は、俯瞰の視点からのもので、B710のことというよりも、
国産のオーディオと海外のオーディオの音の違いを語られている文章といえる。

特定のディスクの、この個所がこんなふうに鳴った、というリポート的な試聴記がある。
そういう試聴記はどれだけは、細かく書こうと、リポートの域を脱することはない。

そんなリポート的試聴記がわかりやすいという読み手が少なからずいることは知っている。
そんな読み手に、B710の文章は、どう読まれるのだろうか。

Date: 11月 17th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その106)

JBLの4301BWX(150,000円、ペア)に、プリメインアンプはテクニクスのSU-V6(59,800円)、
アナログプレーヤーはパイオニアのPL30L(59,800円)、
カートリッジはオルトフォンのVMS30MKII(35,000円)、
システム合計金額は304,600円。

こんな組合せをステレオサウンド 59号の特集ベストバイを見ながらつくっていた。
瀬川先生が56号の特集で示された組合せの一例(KEFのModel 303にサンスイのAU-D607)に、
対抗する気持が少しばかりあっての組合せだ。

もしかすると瀬川先生も、予算30万円の組合せならば、
これに近い組合せをつくられたかも……、と思いながら考えていた。

4301Bの音はModel 303とは対照的だ。
どちらかといえば地味な傾向の303、
小型であってもやはりJBLといえる明るい軽妙な音の4301。

アンプはサンスイのAU-D607もいいけれど、
59号のころ(1981年)にはAU-D607Fになってしまっていた。
だからテクニクスを選ぶ。

57号のプリメインアンプの総テストで、
オルトフォンのVMS30MKIIが、SU-V6の良さを特に活かす、と書かれている。
私も、このシステムでもクラシックを聴きたいから、
アメリカのカートリッジではなくヨーロッパのモノを選びたい。

SU-V6にヘッドアンプは内蔵されているけれど、
あくまでもこたの価格帯のアンプとしては良い部類でも、
MC型カートリッジの良さを活かすとはいえないようなので、
そうなるとVMS30MKIIに絞られていく。

読み応えのあまりない59号の特集だったけれど、
こんな楽しみ方をしていた。

Date: 11月 16th, 2016
Cate: 欲する

資本主義という背景(その4)

ハーマン・インターナショナルのサイトにも、
JBLの70周年記念モデル4312SEのページが公開されている。

そこには大きく「JBL 70周年記念モデル 4312SE シリアルナンバー限定予約」と表示されている。
日本だけのキャンペーンのようだ。

シリアルナンバーの証明書もついていくる、とある。
なんだろう、有難みをまったくといっていいほど感じない。
4312SEというスピーカーが、
JBLの70周年記念モデルとしてふさわしいかどうかなんて、これを見て、どうでもよくなってきた。

これはマーケティングなのだろうか。
そうなのだろう。

私は資本主義について、専門的な知識は持ち合わせていない。
「資本主義という背景」という標題をつけておきながら、である。

理想の資本主義について語れるわけでもない。
そんな私が、現代の資本主義について感じているのは、
「資本主義とは広告である」だ。

本来の資本主義からは離れてしまっている捉え方だろうが、そう思えてしまう。

Date: 11月 16th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その105)

ステレオサウンド 59号の表紙はJBLの4345。
4343が表紙の41号から読みはじめた私は、
どうしても41号と59号を、記憶のなかで比較してしまう。

つまり、それは4343と4345のプロポーションの比較であり、デザインの比較でもある。

どちらも正面からの撮影である。
バックの色調が違うということ、
41号の4343はウォールナット仕上げではなく、サテングレー仕上げだったこと、
59号の4345はウォールナット仕上げ、そういう違いもあって、
受ける印象はずいぶん違う。

改めて4343のデザインの良さを認識してしまうことになる。

59号の特集はベストバイである。
51号、55号のベストバイにがっかりしていたから、
59号にも期待はしていなかった。少しは良くなってたらいいけど……くらいだった。

実際の59号の特集は、51号、55号よりは少しは良くなっていた。
やはり評判が良くなかったんだろう、と思った。

それでも43号のベストバイには及ばない。
このころは編集のことをなにひとつ理解していなかった。
いまはその理由もわかる。
けれど、それはあくまでも編集側の都合であって、
読み手はそんな特集を望んでいるわけではない。

Date: 11月 16th, 2016
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(45回転LPのこと・その8)

45回転LPのことを書いているが、
私がこれまで聴いてきた45回転LPは、すべてクラシック以外のものばかりである。

そういえばクラシックの45回転LPを聴いた経験がないことに、書きながら気づいた。
クラシックでも45回転LPは出ている。

といってもどんなタイトルが出ていたのか、あまり憶えていない。
はっきりと憶えているのは、ドイツ・グラモフォンからアバドの五枚ぐらいだ。

日本だけの発売だが、ドイツでのカッティングを謳っていた。
グルダとのモーツァルトのピアノ協奏曲第20番、
同じくモーツァルトの交響曲第40番、
ヴェルディのオペラ合唱曲集、
ストラヴィンスキーの春の祭典、
プロコフィエフの交響組曲キージェ中尉、
この中で聴いてみたいと思ったのは、モーツァルトの二枚、
特にグルダとのピアノ協奏曲である。

1981年に、これらは発売になっている。
このころは上京して数ヵ月。
手持ちのオーディオはSMEの3012-R Specialだけだったころだ。

一枚2,800円のLPを買うのもためらっていた。
ドイツ・プレスであったならば、買っていた。
でも国内盤ということで、見送ってしまった。

初回プレスのみの限定盤だった。
中古もあまり見つかりそうにないように思うが、
モーツァルトだけは探してみよう。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その104)

瀬川先生は、国による音の違い、特徴について言及されていた。
アメリカとヨーロッパ、それに日本、
それも特にスピーカーにおいて、それぞれの国柄が音として聴きとれる。

アメリカといっても東海岸と西海岸とではまた違う傾向を持ち、
ヨーロッパもイギリス、ドイツ、フランスでははっきりとした違いが音にある。

もちろん同じ国の中のメーカーによっても音は違うが、
数多くのスピーカーシステムを集めて聴くことで見えてくるのが、
国による音の違いである。

今回ステレオサウンド 58号をひっぱり出して読んでいて、
瀬川先生は1980年代には、時代による音の違いについて言及されたであろうと、
改めて思っていた。

改めて、と書いたのは、以前もそう思ったことがある。
1988年のことだ。
モノーラルからステレオ時代になってからだけをみても、
1960年代、1970年代、1980年代、それぞれの時代の音というのがあるように感じていた。

1989年の春号は90号。
1990年代の音を予測する、という意味も含めて、
これまでの時代の音をふりかえる、という企画を特集用として考えた。

企画書も下書きではあったが書いた。
でも、企画を詰めることなくステレオサウンドを辞めることになった。

90号の特集は、違う企画である。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その103)

3012-R Specialについての、瀬川先生の文章を読んで、
はっきりとオーディオは新しい時代に入ったんだな、と確信していた。

4345の文章だけでは、新しい時代を迎えつつある──、そんなふうな感じ方だったのが、
はっきりと変った。
時間にすれば10分程度のあいだに、である。

ステレオサウンド 58号は1981年春号だ。
4343が’70年代のスピーカーとすれば、4345は’80年代のスピーカーなんだ。

SMEの新しいトーンアームは、そのためにも必要不可欠なモノなんだ、とも思ってしまった。
思い込んでいた、といってもいい。

ステレオサウンドを41号から読みはじめて四年ほどのあいだに、
欲しいと憧れたスピーカーは4343に加え、ロジャースのPM510が加わり、
4343の代りに4345に代ろうともしていた。
(いまでは4343なのだが)

アンプにおいても、そうだった。
欲しいと憧れていたモノは少しずつかわっていく。

憧れのモノを買える日には、またかわっていよう。
それでもトーンアームに関しては、3012-R Specialのままでいける──、
そんな確信めいたものがあった。

3012-R Specialは、いまもいいトーンアームである。
美しいトーンアームである。
その後の3012-R Proよりも、3012-R Specialの方が優美だ。

音に関してだけはSMEのSeries Vがある。
それでもレコード盤上を弧を描いていく様は、
3012-R Specialに惚れ惚れとしてしまう。

18の春、3012-R Specialは音も聴かずに買った。
ショーケースの中に箱に入ったまま飾られていた。
在庫は、その一本だけだった。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: 欲する

資本主義という背景(その3)

サムスンのハーマン・インターナショナルの買収のニュースの数日前、
大阪ハイエンドオーディオショウで、JBL創立70周年記念モデルが参考出品されている。

私は70周年記念モデルは、JBL PROFESSIONALのM2をベースに、
コンシューマー仕様に仕上げたものだと予想していた。

M2は内蔵ネットワーク仕様ではなく、
専用のプロセッサー兼デヴァイダーによるバイアンプ駆動。
M2をコンシューマー用に仕上げるには、内蔵ネットワークになるだろうから、
ここをどう処理するのか、そこに興味もあった。

そしてデザインも、である。
M2は、目の前に置きたいスピーカーとはいえない。
音を聴けば、そんなことはわすれてしまうかもしれないにしても、だ。

秋には発表されると思っていた70周年記念モデルは、なかなか出てこなかった。
上記の点で苦労しているのかな、などと勝手に思っていたところに、
4312SEが、70周年記念モデルという発表である。

型番からすぐにわかるように、4312のspecial editionである。
もしかすると……、というおもいがなかったわけではない。

JBLは40周年記念モデルとしてS101を、50周年記念モデルとしてCentury Goldを出している。
そんな前例があるから、70周年記念モデルが4312であっても、そうなのか、と納得できないわけでもない。

でも60周年記念モデルとしてDD66000を出したJBLに、勝手に期待していた。
それがはずれた(裏切られた)からといって、特に何かを書こうとは思っていなかった。

でも今回の買収のニュースである。
どうしても、あれこれおもってしまう。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(続・瀬川冬樹氏の原稿のこと)

瀬川先生の未発表原稿の公開は、このブログの10,000本目に行う。
いまのペースで書いていけば、2019年12月31日が10,000本目の予定である。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その102)

ステレオサウンド 58号の新製品紹介のページも、くり返し読んだものだ。
JBLの4345とSMEの3012-R Specialのページを、それこそ何度読んだろうか。

どちらも瀬川先生が書かれている。
4345のページを先に読み、わくわくしていた。

4343と比較するとプロポーション、そしてデザインにおいて見劣りする4345なのだが、
その音は、瀬川先生の文章からJBLが新しい時代を迎えつつあるように感じた。

4345の記事最後に、こうある。
     *
 一応のバランスのとれたところで、プレーヤーを、P3から、別項のマイクロSX8000とSMEの新型3012Rの組合せに代えてみた。これで、アッと驚くような音が得られた。が、そのことはSMEの報告記のほうを併せてご参照頂くことにしよう。
     *
《アッと驚くような音》とは、いったいどういう音なのか。
4345の記事と3012-R Specialの記事とのあいだには、
いくつかの新製品の記事があった。それらをすべてとばして、3012-R Specialの記事を読みはじめる。
     *
 音が鳴った瞬間の我々一同の顔つきといったらなかった。この欄担当のS君、野次馬として覗きにきていたM君、それに私、三人が、ものをいわずにまず唖然として互いの顔を見合わせた。あまりにも良い音が鳴ってきたからである。
 えもいわれぬ良い雰囲気が漂いはじめる。テストしている、という気分は、あっという間に忘れ去ってゆく。音のひと粒ひと粒が、生きて、聴き手をグンととらえる。といっても、よくある鮮度鮮度したような、いかにも音の粒立ちがいいぞ、とこけおどかすような、あるいは、いかにも音がたくさん、そして前に出てくるぞ、式のきょうび流行りのおしつけがましい下品な音は正反対。キャラキャラと安っぽい音ではなく、しっとり落ちついて、音の支えがしっかりしていて、十分に腰の坐った、案外太い感じの、といって決して図太いのではなく音の実在感の豊かな、混然と溶け合いながら音のひとつひとつの姿が確かに、悠然と姿を現わしてくる、という印象の音がする。しかも、国産のアーム一般のイメージに対して、出てくる音が何となくバタくさいというのは、アンプやスピーカーならわからないでもないが、アームでそういう差が出るのは、どういう理由なのだろうか。むろん、ステンレスまがいの音など少しもしないし、弦楽器の木質の音が確かに聴こえる。ボウイングが手にとるように、ありありと見えてくるようだ。ヴァイオリンの音が、JBLでもこんなに良く鳴るのか、と驚かされる。ということきは、JBLにそういう可能性があったということにもなる。
 S君の提案で、カートリッジを代えてみる。デンオンDL303。あの音が細くなりすぎずほどよい肉付きで鳴ってくる。それならと、こんどはオルトフォンSPUをとりつける。MC30とDL303は、オーディオクラフトのAS4PLヘッドシェルにとりつけてあった。SPUは、オリジナルのGシェルだ。我々一同は、もう十分に楽しくなって、すっかり興に乗っている。次から次と、ほとんど無差別に、誰かがレコードを探し出しては私に渡す。クラシック、ジャズ、フュージョン、録音の新旧にかかわりなく……。
 どのレコードも、実にうまいこと鳴ってくれる。嬉しくなってくる。酒の出てこないのが口惜しいくらい、テストという雰囲気ではなくなっている。ペギー・リーとジョージ・シアリングの1959年のライヴ(ビューティ・アンド・ザ・ビート)が、こんなにたっぷりと、豊かに鳴るのがふしぎに思われてくる。レコードの途中で思わず私が「おい、これがレヴィンソンのアンプの音だと思えるか!」と叫ぶ。レヴィンソンといい、JBLといい、こんなに暖かく豊かでリッチな面を持っていたことを、SMEとマイクロの組合せが教えてくれたことになる。
     *
これを読んで、3012-R Specialだけはとにかく借ってお粉ければ思ったものだ。
58号のハーマン・インターナショナルの広告には、その文字はなかったけれど、
57号の広告には、大きな赤い文字で限定発売とあったからだ。

4345もマークレビンソンのアンプはすぐに買えないけれど、
当時88,000円のトーンアームならば、学生の身であっても無理をすれば買える。

上京して、すぐに3012-R Specialを買った。
88,000円のトーンアームを12回の分割払いで買った。

実家で鳴らしていたシステムは置いてきたから、
東京では音を出すシステムはななかった。

取りつけるターンテーブルのことを想像したり、
58号の瀬川先生の文章を読み返しては、3012-R Specialを飽きずに眺めていた。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その3)

毎月第一水曜日のaudio sharing例会に場所を提供してくださっている喫茶茶会記を、
私はジャズ喫茶と認識している。
なので、ここでも四谷三丁目のジャズ喫茶、喫茶茶会記と書くようにしている。

ジャズ喫茶全盛の時代は、1970年代だろう。
私はその全盛時代のジャズ喫茶を知らない。
私が上京したのは1981年春。

そのころならば、まだ全盛時代のジャズ喫茶の雰囲気を感じとれたであろうが、
ひとりでジャズ喫茶に入っていく度胸みたいなものがなかった。

最近、ふと思うのは全盛時代のジャズ喫茶は、
ジャズとオーディオの最先端の場であったはずだ、ということ。

ここのところが名曲喫茶とは違う、と思う。
名曲喫茶、いわゆるクラシック喫茶も東京には、そのころいくつもあった。
名曲喫茶の全盛時代は、ジャズ喫茶のそれよりも以前のことだろう。

名曲喫茶は、クラシックとオーディオの最先端の場であったことはあるのだろうか。

最先端の場であることが絶対的なことだとはいわないが、
この点が、ジャズ喫茶と名曲喫茶の決定的な違いであったように感じている。

もっともどちらの全盛時代も肌で知っているわけではないから、
あくまでも想像で書いているにすぎないのだが、間違ってはいないと思う。

いまも東京にはいくつものジャズ喫茶がある。
古くからやっているジャズ喫茶も、比較的新しいジャズ喫茶もある。

でも、いまのジャズ喫茶が、ジャズとオーディオの最先端の場とは感じない。
1970年代とは、時代が違う、といってしまえば、そのとおりだ。
40年も経っているのだから、最先端の場でなくなっても……、ということになるかもしれない。

何をもってして、ジャズとオーディオの最先端の場というのか。
それは言葉で語ることではなく、肌で感じるものだとも思う。

Date: 11月 15th, 2016
Cate: 欲する

資本主義という背景(その2)

CDプレーヤーが1982年に登場してから、そんなに経っていないころから、
CDプレーヤーの市場への投入は早すぎた、という意見が出てきはじめた。

初期のCDプレーヤーの音は、良さもあったけれど、
そういわれてもしかたない面も多分に含んでいた。

早すぎた、という人たちは、
もっとメーカー内で研究を重ねて、その上で出すべきで、
そうすればネガティヴな意見はあまりでなかったであろう、と。

頷きそうになるが、果してそうだろうか。
市場に出たからこそ、CDプレーヤーの急速な進歩があった、と考えるからだ。

メーカーの研究室・試聴室という閉じられた空間(環境)では競争がない。
市場に製品を投入するからこそ、そして資本主義の市場だからこそ競争があり、進歩がある。

市場に投入すれば、さまざまなフィードバックも得られるし、普及もする。
普及することでの恩恵も、メーカーにはある。

だから、私は早すぎた、とはまったく思っていない。
いい時期に登場した、とさえ思っている。

1982年10月だったからこそ、グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲を、
われわれはCDで聴くことができた。

Date: 11月 14th, 2016
Cate: 再生音

実写映画を望む気持と再生音(その1)

攻殻機動隊の映画が2017年公開される。
これまでのアニメーションではなく、ハリウッド制作の実写版である。

今日、予告編が公開された。
楽しみにしている、期待している映画だけにさっそく予告編を見た。
見ながら、ふと思ったことがある。
なぜ、実写版をみたいと思うのだろうか。

1991年、「ターミネーター2」が公開された。
初日に観に行った。
いまでは驚きもしないのだが、「ターミネーター2」の映像は衝撃だった。

観終ったあと、連れと「これで寄生獣が映画されるね」と話していて。
「寄生獣」は、そのころ月刊アフタヌーンに連載されていたマンガだった。
2014年に実写映画が公開されている。

マンガを原作とする映画は、いくつも制作され公開されてきている。
予告編をみただけで観に行く気がうせてしまうのもけっこう多い。

日本制作だから……、が必ずしも失敗作の理由ではなく、
ハリウッド制作であってもひどい例がある。

いくつもの失望を味わいながらも、実写版をみたいという気持は常にある。

今回の攻殻機動隊の実写版は、
アニメーションのGHOST IN THE SHELL(1995年公開の映画)がベースである。
予告編では、アニメーションのGHOST IN THE SHELLを、
そのままトレースしたかのような実写映画のように思えた。

だからこそ、よけいに再生音のことを考えていた。

Date: 11月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(瀬川冬樹氏の原稿のこと)

この項で、瀬川先生の未発表原稿(書きかけの原稿)の一部を公開した。
続きを読みたい、という要望があれば、全文公開するつもりだったが、
誰一人、そういう人はいなかった。

そういうものか……、と思っている。

Date: 11月 14th, 2016
Cate: 欲する

資本主義という背景(その1)

世の中は動いている。
資本主義の世界は、つねに動いている。
こんな当り前のことをすごく実感したのが、今日のニュースである。

サムスンがハーマン・インターナショナルを買収することで合意した、というニュースには、
ほんとうに驚いた。

ハーマン・インターナショナルが買収されることに驚いたわけではない。
ご記憶の方も多いと思うが、十年ほど前にも、ハーマン・インターナショナルの買収はニュースになっている。
その時は流れてしまった。

今回のサムスンによる買収は80億ドル。
流れてしまった買収騒ぎのときも、確か80億ドルと発表されていた。
同じ金額なのか、と思いながら、買収するのがサムスンであることに驚いた。

このニュースは、いろんなことを考えさせる。

2010年8月13日に、twitterに下記のことを投稿した。
     *
オーディオ業界もマネーゲームに翻弄されている、ときく。それによって復活するブランドもあれば、没落していくブランドもある。なのに、オーディオ誌は、そのことに無関心を装っているのか、関係記事が出ることもない。オーディオは文化だ、というのであれば、きちんと取材し報道すべきだろう。
     *
これに対して、あるオーディオ評論家から反論があった。
そんなことに読者は関心をもっていない、有意義な記事にはならない、と。

ほんとうにそうだろうか。
アルテックが没落していった最大の理由もそこだ。
アルテックもハーマン・インターナショナルに買収されて傘下に入っていれば、
ずいぶん違っていたはずだ。

アルテックのようなメーカーもあれば、
買収先の会社によって、製造上の無駄が省かれ、
買収前と同じ製品でありながら、価格が安くなった、という例もある。
あるブランドが買収され輸入元がかわり、修理体制がひどくなったこともある。

ハーマン・インターナショナルも、これまでにさまざまなブランドを傘下におさめ、
ブランドのいくつかは離れてもいっている。
そのことについて思うところはある。

私に反論されたオーディオ評論家は、
「オーディオは文化だ」とは一度もいっていない、とのことだった。
それはそれでいい。人それぞれである。

人それぞれであるのだから、そのオーディオ評論家が有意義な記事にはならないと考えても、
すべての読者がそうなのではないはずだ。