Archive for category テーマ

Date: 6月 28th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その27)

その6)では、YGアコースティクスのHaileyを鳴らされている人からのコメントがあった。

柳沢功力氏の試聴記は気にならない、とある。
そうだろう、と思う。

YGアコースティクスのHaileyユーザーすべてが、
柳沢功力氏の試聴記で不愉快になるわけではない。
なのにavcat氏は、YGユーザーさん、という表現を使われている。

最初、avcat氏のツイートを読んだ時、
YGユーザーというハンドルネームのオーディオマニアがいるんだな、と思った。
YGユーザーさんは、特定の個人ではなく、
YGアコースティクスのスピーカーのユーザーを指している。

これは、おかしな話だ。
YGアコースティクスのスピーカーに惚れ込んで鳴らしている人でも、
それぞれ感性は違うし、感じ方、鳴らし方も違う。
共通するところはあっても、違う。

なのに十把一絡げ的に捉えての「YGユーザーさん」の使い方である。

柳沢功力氏の試聴記を読んで不愉快になるYGアコースティクスのユーザーもいれば、
そうでないYGアコースティクスのユーザーがいるということは、
すぐにわかることなのではないか。

YGアコースティクスのユーザーはみんな同じだ、と思い込めることこそ、
低次元の話ではないだろうか。

Date: 6月 28th, 2018
Cate: オーディオマニア

ただ、ぼんやりと……選ばなかった途をおもう(その2)

五年前に(その1)を書いた。
選ばなかった途について、少し書いた。

いまおもうのは選ばなかった途ではなく、結局は選べなかった途なのかもしれない、だ。

選択肢はある。
つねにいくつかある──、
誰だってそう思っていることだろう。
だから、あの時、違う途を選んでいれば……、と後悔までいかなくとも、
ついそんなことを思う瞬間が、どんな人にだってあるのかもしれない。

選べる途もある、とは思う。
それでも選べない途もあるはず、とおもう。

Date: 6月 28th, 2018
Cate: 広告

ステレオサウンド 207号掲載の広告

ステレオサウンド 207号をひさしぶりに買ったことは、別項に書いている通り。
207号掲載の広告で、ちょっと驚いたのは、ダイナミックオーディオの広告だった。

カラー見開きで、Accuphaseのロゴの下に、
「アキュフェーズ はじめました」とある。

アキュフェーズについては、書くまでもないだろう。
オーディオマニアならば誰もが知っているブランド(メーカー)であり、
アキュフェーズのアンプ、CDプレーヤーの音を一度も聴いたことのない、
そんなオーディオマニアは初心者以外いないのではないか──、
そういえるくらいの知名度をもつ。

そのアキュフェーズを、いまごろダイナミックオーディオが取り扱いを始める。
ダイナミックオーディオは、東京だけのオーディオ店ではあるが、
オーディオマニアならば、その名前は見て聞いて知っている。

今回の広告で、ダイナミックオーディオを利用したことのない人は、
アキュフェーズを取り扱っていないことを知ったわけだ。

ダイナミックオーディオがアキュフェーズの取り扱いを始める、というのは、
春ごろにfacebookで知っていた。
その後、別の人も知らせてくれた。

つまり、そのくらいニュースともいえる。
だからダイナミックオーディオも、広告でそのことを、カラーで謳っているのだろう。

ダイナミックオーディオがアキュフェーズをいままで取り扱っていなかった、
というよりアキュフェーズがダイナミックオーディオと取引をしてこなかった、
そのいきさつはなんとなく聞いて知っているくらいだ。

こまかなところ、ほんとうのところがどうなのかまでは知らない。
それでも、いろんなことをつい考えてしまう。
今回のことが意味するところを、あれこれ考えてしまう。
そのことを、ここでは書かないけれども、だ。

Date: 6月 27th, 2018
Cate: audio wednesday

第90回audio wednesdayのお知らせ(AXIOM 401+Aleph 3)

7月4日のaudio wednesdayでは、グッドマンのAXIOM 401を鳴らす。
アンプはこれまで使ってきたマッキントッシュではない。

PASSのAleph 3が用意できる。
8Ω負荷で出力30WのA級アンプである。
一部で、ウニと呼ばれているスタイルのパワーアンプだ。

喫茶茶会記の店主、福地さんからは真空管アンプというリクエストもあったが、
あえて無視してAleph 3を選択した。

実例は、おそらくほとんどない組合せだと思っている。
どんな音が響いてくれるのか、いまから夢想している。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 6月 27th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その26)

二週間前から、今回の件について書いている。
書き続けていくことで、アクセス数は減るだろうな、と思っていた。

ところが書き始めて数日して、アクセス数は増えてきた。
アクセス数は日によって多少は上下動する。
今回の増え方は、はっきりとした増え方であって、
昨日のアクセス数は、今年最高となっている。

アクセス数が増えているだけでなく、
平均セッション継続時間(つまりアクセスした人がどれだけの時間、滞在しているか)は、
アクセス数以上にはっきりと長くなっている。

アクセス数は数割程度の上昇だが、
滞在時間のほうは、時間帯によっては二倍から三倍程度に長くなっている。

つまり遡って読んでくれている方が少なくない、ということを数字が示している。
正直、意外だった。

読んでくれている人が、どういう感想をもっているのかまでは、
数字からは読みとれない。
私と同じように感じている人もいれば、そうでない人もいるだろうが、
無関心な人が少ないのではないだろうか。

この無関心の人が少ない、ということが、
こうやって書いている者にとっては嬉しいことである。

それに今回の件に関しては、
facebookへのコメントもある、
ブログへのコメントもきている。
それに私へ直接メール、メッセージを送ってくださる人、
電話を掛けてくる人もいる。

Date: 6月 27th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その3)

掲示板のことを忘れるところだった。
audio sharingをつくる以前からオーディオの掲示板はいくつかあった。
ときどきアクセスするくらいだったが、
掲示板を自分のサイトに設けようとは最初から思っていなかった。

人がそれほど集まっていない掲示板ならそれほどではないが、
人が多く集まっている掲示板では、その管理者の苦労は想像するだけでしかなかったが、
かなり大変だったはずだ。

活発な掲示板は、急に人気が出始めるときがある。
そうなると、それまでの常連の人たち以外にも、
多くの、さまざまな人たちが書き込みをするようになる。

そのことは基本的には歓迎すべきことなのだろうが、
実情はそうとはいえない例をいくつも見てきている。

オーディオの個人サイトの掲示板は、大変なだけではないか、と私の目には映っていた。
掲示板で記憶に残っているのは、déjà vu(デジャヴ)というサイトのそれである。

Mさんという若い方がやられていた。
当時のステレオサウンドにも読者代表のような形で登場されたこともある。

詳しく調べたわけではなく、単なる印象にすぎないが、
2005年ごろが、インターネットにそれまであまり関心をもっていなかった、
やっていなかった世代が、急にやりはじめた時期にあたるような気がしている。

déjà vuの掲示板にも、そういう世代のオーディオマニアと思われる人たちが、
多く集まるようになった。

当時、オーディオ雑誌に書いていた人も数人参加していたし、
ステレオサウンドに登場したことのあるオーディオマニアの人たちもいたようだ。

déjà vuの掲示板は、賑わっていた。
けれど、長くは続かず、サイトごと閉鎖している。

Date: 6月 27th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その2)

当時の口コミは、文字通りの口コミであり、
友人知人のあいだでなされる範囲にとどまっていた、といえる。

あるオーディオ機器をモニター試聴したオーディオマニア全員が、
モニター機に対し、肯定的な感想をもつと限らないし、
否定的な感想をもって、友人知人にそのことを伝える人だっていたはずだ。

それでも、当時の口コミは、いわば非公開ともいえる。
狭い範囲内においてのそれは、互いに相手を知っている、ということが前提となっている。

この人が、こういう評価をするということは、
私にとっては、少し修正して、おそらくこんな評価になるだろうな、
──そんなことが友人知人のあいだでの口コミでは、自然と行われていたのではないだろうか。

そこでは、誤解は生じなかったように思う。

その口コミは、ずっとそういう感じで行われてきたのが、
インターネットの普及によって、変りはじめている。

個人サイトの制作・公開が比較的に簡単になって、
オーディオの個人サイトは、いったいどれだけあるのだろうか、と、
数え切れないほどある。

私がaudio sharingを公開した2000年は、ヤフーの検索はディレクトリだった。
そこに登録されるかどうかは、サイトのアクセス数に大きく関係していた。

Googleの登場・躍進が、そこを大きく変えた。
そしてブログが普及して、より簡単に個人の情報発信が行えるようになった。
次はSNSの普及である。

日本ではmixiがまずあった。
私も一時期やっていた。

それからtwitter、facebookの普及。
これにはスマートフォンの普及も絡んでいる。

いまや電車の中からでも、それこそトイレの個室からでも、
やろうと思えば情報発信はできる。

これだけの変化によって、口コミも変っていった。
これからもさらに変っていくのかもしれない。

Date: 6月 27th, 2018
Cate: ディスク/ブック

スタアの時代 外伝

オペラ好きの人ならば、佐々木忠次氏の名前を、
どこかで見かけたことはある、と思う。

オペラにあまり関心ないクラシックの聴き手であっても、
カルロス・クライバー好きの人ならば、佐々木忠次氏の名前を、
どこかで目にしている、と思う。

私も佐々木忠次氏について詳しいことを知っているわけではない。
それでも日本舞台芸術振興会(NBS)を設立した人であり、
カルロス・クライバーが、あれほどひんぱんに日本で演奏してくれたのは、
佐々木忠次氏がいたからだ、ということは知っている。

黒田先生は、モーストリークラシック連載の「黒恭の感動道場」で、
佐々木忠次氏の「起承転々 怒っている人、集まれ!」について書かれている。

その文章を読んで、こういう人がNBSを設立したのか、と思っていた。

7月2日、光文社から桜沢エリカ氏の「スタアの時代 外伝」が出る。
描かれているのは、佐々木忠次氏の生涯である。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その25)

今回の件は、完全に染谷一氏の自業自得でしかない。
ステレオサウンド 207号で、読者に対して謝罪すべきことはないにも関らず、
謝罪しただけでなく、そこでavcat氏に語ったこと自体が問題である。
(本人たちはそうは思っていないかもしれないが)

私だったら、どうするか。
毎年恒例のStereo Sound Grand Prixの選考委員を辞退する。
今年一回限りではなく、辞退する。

黙って辞退すればいい。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その24)

他の人への謝罪は、どうなのか。
他の筆者、それから今回の件を知った人たちへはどうするのか。
一人一人に謝罪していくのか。

染谷一編集長が《ステサンとして本位でなかった》とavcat氏に言ったことを、
ステレオサウンドの編集者は、どう思ったのか。

自分たちの仕事を否定された気持になったのか、侮辱されたと思ったのか、
なんとも思わなかったのか。
そこは部外者の私には知りようのないことだ。

読者に対しては、どうなのか。

avcat氏もステレオサウンドの読者の一人である。
avcat氏の一連のツイートを読めば、
染谷一編集長の謝罪によって、
ステレオサウンドへの期待は高まっているように思える。

そういう読者もいれば、ステレオサウンドに、というか、
ステレオサウンド編集部、もっといえば染谷一編集長に不信感を抱いた人たちもいる。
その人たちに謝罪するのか。
するとしたら、誌面で、ということになる。

そこにいったいどういうことを書くのか、
これもまた難しい。
謝罪の仕方、文面次第では、avcat氏にした謝罪はどうなってしまうのか。

誌面で謝罪してしまえば、今回の件を知らなかった人たちまでが知ることになる。

──こんなことを書いていると、
染谷一氏を辞めさせたいんだろう、とか、
染谷一氏は編集長を辞任すべき、と、私が書くんだろうな、と思う人もいるだろう。

私は辞めることが、ここでの責任のとり方とは考えていない。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その23)

狡い手も思いつく。
avcat氏と染谷一編集長は、少なくとも顔見知りである。
染谷一編集長は、avcat氏のツイートを読んでいる人でもある。
だから、avcat氏のツイートにあるように、
アナログオーディオフェアでの会場で、染谷一編集長の方からavcat氏に近づいての謝罪である。

どの程度の仲なのかまではわからない。
avcat氏のツイートが公開されて、ごく早い時期であれば、
avcat氏に頼み込んで、ツイートを削除してもらう。

これはほんとうに狡い手、卑怯な手である。
それに削除してもらうには遅すぎる。

avcat氏が削除に応じてくれるかどうかも、なんともいえない。
簡単に削除してしまえば、自身の評判を自ら落すことにつながる。

それに魚拓というのが、インターネットの世界ではある。
いわば証拠写真のようなものである。
仮に誰かが魚拓をとっていたら、また面倒なことになるだろうから、
これは悪手でしかない。

では染谷一編集長が、今回の件で謝罪する、というのも、
実際に考えてみると、なかなかやっかいである。

まずいったい誰に謝罪するのか。
avcat氏への謝罪は、
avcat氏のツイートによればYGアコースティクス・ユーザーへの謝罪である。

その謝罪をしたこと、
そこでavcat氏に述べたことの謝罪は、誰にするのか。

柳沢功力氏に謝罪するのか。
染谷一編集長は、avcat氏に《ステサンとして本位でなかった旨》を伝えている。
さらに《これからこのようなことがないように対策します》と続けていることが、
avcat氏のツイートからわかる。

これらの発言を、柳沢功力氏はどう受けとるのか。
侮辱を受けとることもできよう。

柳沢功力氏に染谷一編集長が謝罪する、としよう。
それは個人的に行われるであろう。
公開の場で、たとえばステレオサウンドの誌面で、
染谷一編集長が柳沢功力氏に謝罪する、というのは考えにくい。

そして謝罪は、柳沢功力氏だけにすれば済むのか。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その22)

その6)から取り上げている今回の件、
ステレオサウンドの編集長の染谷一氏が、
avcatというサイトを公開し、avcatというハンドルネームのオーディオマニアに対して、
謝罪した、という件は、
私にとって、さまざまなことを考えさせてくれるだけの拡がりをもっている。

編集者と編集長の違い、
よい編集者が必ずしも編集長となれるわけでもない、ということ、
よい編集長が、よい編集者とはかぎらない、とか、
いまの時代、インターネット、それもSNSの影響を無視できない、ということ、
そこにおける匿名での情報発信、
少し前に公開した黒田先生が書かれていること、
他にも、さまざまなことが関係して書きたいこと、
というより書くべきことが浮んでくる。

それらのことを考えながら、
私なら、こういう状況でどういう態度をとるだろうか、ということも考えていた。

私なら、今回の試聴記の件で、
そのスピーカーのユーザーに謝罪したりはしない。
でも、そんなことを書いてしまったら、後が続かない。

とにかく謝罪した、としよう。
それをSNSで公開されてしまった。
そうなってしまった場合、どうするか。

立場は染谷一氏と同じ編集長と仮定して、これを読まれている方も考えてみてほしい。

まず無視する、ということがある。
私がこうやって書いていることなど、単なる外野の戯言ぐらいに受け流して、
無視する、つまり沈黙を決め込む。
そうすれば、いつか忘れられるのだから。

けれど、ほんとうに忘れられるのか。
誌面に載ってしまったことであれば、
その本が書店から消え、しばらくすれば、段々と忘れられてしまう。

けれど今回の件は、インターネットと関係しているし、
こうやってこの件を取り上げて書いている私も、インターネット上に、おいてである。
関心が薄れたころに、また書かれてしまうことだってある。

それに優秀な検索エンジンのGoogleが、何かと関連付けて、
検索結果として表示してしまうことだって考えられる。

何もしない、何も語らない──、
私だったら、これは選択肢としてない。

Date: 6月 26th, 2018
Cate: 楽しみ方, 老い

オーディオの楽しみ方(天真爛漫でありたいのか……・その2)

私はそれほど多くのオーディオマニアを知っている(会っている)わけではない。
私より、ずっと多くのオーディオマニアを知っている人は、多い、と思う。

そんな経験のなかでの話だが、
オーディオマニアのなかには、深刻ぶっている人がいる。

「深刻ぶっているね」と、本人に向って言うわけではないが、
そういうオーディオマニアといっしょにいると、
真剣と深刻の違いについて考えたくなる。

私が勝手に「深刻ぶっているね」と感じているだけで、
本人にしてみれば、真剣にやっているんだろうな、とは頭では理解できる。
それでも、やっぱり「深刻ぶっているね」と感じてしまうことがある。

その人が不真面目にオーディオに取り組んでいるから、
「深刻ぶっているね」と感じるわけではない。

真剣と深刻を取り違えている──、
そう感じるのだ。

その人は、真剣と深刻を取り違えるのは、何かが欠けているからなのか。
若いころは、余裕がない人が深刻ぶるのかな、と思ったことがある。
そうかもしれない。

そうだとすると何故余裕がないのか(持てないのか)。
戯れること、戯れ心が欠けているから、のような気がする。

Date: 6月 25th, 2018
Cate: audio wednesday

第90回audio wednesdayのお知らせ(AXIOM 401)

喫茶茶会記の店主日記を読んでいたら、
新しいスピーカーが納まっていることを知る。

新しいスピーカーといっても、モノ自体は古い。
グッドマンのAXIOM 401である(402の可能性もある)。

12インチ口径のダブルコーンのフルレンジユニットが、
ARU付きのエンクロージュアにおさめられている。

7月4日のaudio wednesdayでは、予定を変更して、
このスピーカーを鳴らしてみたい、と思っている。

AXIOM 401で大音量は無理である。
そんな鳴らし方はしない。
「THE DIALOGUE」も鳴らさない。

人の声を主に鳴らすことになる気もする。
このスピーカーで聴いてみたいSACDもある。

トゥイーターは、今回はあえて用意しない(予定だ)。
ナロウレンジでの再生になる。

もっとも毎回鳴らしているアルテックの2ウェイ+JBL・075も、
今日の基準からすればナロウレンジだが、もう少しナロウレンジで、
やや控えめの音量での音出しだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 6月 25th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その21)

avcat氏は匿名である。
avcatのサイト内を見ても、自身についての記述はない(見つけられなかった)。
確か、以前はリスニングルームの写真が公開されていたページがあった。

その時のスピーカーは、TADのTAD-M1だった。
そのページには、使用機材がずらっと書かれていて、
最後の方に、居住地がおおまかに記載してあった。

avcat氏はどんな人なのか。
匿名で、自身のサイトに何も書かれていないからといって、
ずっと想像だけで書くのも、気が引けるところがある。

avcat氏の人となりが少しでも知ることができないのか。
せめて年齢くらいは知りたいと思う。

Googleで「avcat」と検索すると、ずらっと検索結果が出る。
日本語のサイトだけでなく、英語のサイトもかなりの数ヒットする。
丹念に見ていけば、avcat氏の、何かをひとつくらいは知ることができるかもしれないが、
そんな気力はない。

そういえば、と思い出したのが、リスニングルームと使用機材のページのことだった。
都道府県名を検索キーワードに加える。

するとavcat氏の本名も仕事先まで、Googleは示してくれる。
(都道府県がどこなのかは書かない)

Google、恐るべし、と思った。
なぜ、ここまで関連付けて上位に表示できるのか。
しかも、それが間違っていないのは、下位の検索結果からわかる。

この検索結果を、avcat氏は知っているのか。
知らないのであれば、avcat氏は匿名が守られている、と思っていることだろうし、
知っているのであれば、匿名でもなんでもない、ということになる。

avcatは、匿名といえるのか。