Archive for category テーマ

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その41)

オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為。

前者をめざしていたはずなのに、気づいたら後者であった。
それが朝沼予史宏さんが、Components of the yearの選考委員ではなくなった理由だ。

具体的ないくつかのことは、
菅野先生からではなく、他のオーディオ業界の人らから聞いている。
ここで、その具体的なことは書かない。

朝沼予史宏はペンネームである。
五十音順で最初にくるように、「あ」で始まる苗字にした、
予見、予知の「予」を名にいれたかった、
そんな理由を、朝沼さんから直接きいている。

そのことをきかされたとき、沼田さん(朝沼さんの本名)は野心家なのかも……、と思った。
そうだったのかもしれない。
そうだったからこその、あのヴァイタリティであった、とはいえないだろうか。

私が先生と呼ぶオーディオ評論家の人たちは、
一般的なイメージとしてのオーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事もされていた。

どの人がどういうことをも、ある程度は知っているが、
これもここで書くことではない。

朝沼予史宏さんも、そのへんのことは私と同じか、それ以上に知っていたはずだ。
だから、そこを目指されたのかもしれない。

けれど、時代が違っていた。
同じ人が、違う時代に生きていたら、
オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事をできたかは、なんともいえない、と思う。

オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事をめざしていたのに、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為を、気づいてらやっていた──、
そういうことなのかもしれない。

菅野先生は、「やりすぎたんだよ」といわれていた。
確かに、朝沼予史宏さんのそれらの行為は「やりすぎ」である。
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為である。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: フルレンジユニット
1 msg

大口径フルレンジユニットの音(その12)

(その11)で終りにするつもりでいたが、
友人のOさん(私より10くらい若い)が、この項を読んでくれて、
30cm口径のダブルコーンのフルレンジに興味を持った、という連絡があった。

しかも今日これから秋葉原に行き、購入してくる、とのこと。

audio wednesdayに来てくれたブラジル音楽好きのHさんも、
メールで、7月の会はおもしろかった、と伝えてくれた。

Kさんは、いつも鳴らしているアルテックよりも、ずっと好ましい、
これからも、これ(AXIOM 402)で行きましょう、といっていた。

AXIOM 402を聴いて、何か感じるものは人それぞれあったはずだ。

AXIOM 402の背面にある周波数特性の範囲。
40Hzから11,000Hz。
40×11000=44,000である。
ほぼ40万の法則にあう。

AXIOM 401は30Hzから12,000Hzで、こちらは36万。
どちらも40万に近い値になる。

数値での周波数特性は、表記の仕方によって違ってくるから、
ユニットの背面の数値をそのまま鵜呑みにしているわけではないが、
それでも、と思うところはある。

小口径のフルレンジであれば、高域にはのびていくが、
低域方向は逆に苦しくなる。

シングルボイスコイルのフルレンジユニットで、
40万の法則的といえるのは、30cm口径のダブルコーンかもしれない。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年 黎明期〜トーキー映画まで(追記)

佐伯多門氏の「スピーカー技術の100年」。
昨日、電子書籍にしてほしい、と書いた。

電子書籍にするのであれば、英訳してほしい、とも思う。
そうすれば海外でも販売できる。

オーディオの技術書で、日本の書籍が海外で評価されていることはないのではないか。
海外の技術書は、日本にも入ってきている。
私も何冊か持っている。

英訳して紙の本ということでは、コスト面でも大変だろうが、
英訳・電子書籍であれば、一度制作してしまえば、長いこと販売できる。

Date: 7月 11th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その6)

フルトヴェングラーの「音楽ノート」のなかにある。
     *
 生きた作品は、思想や理論によって破壊されることがない。かといって、その生命が思想や理論によって守られるということもありえない。肝要なのは、火花が飛び移り、生きた音楽が生きた聴衆を見出すということである。そこでは、自己の過剰の知性による固定観念のなかに忌まわしく捕えられた現代に見られる、あの即座に準備され、いつでもすぐ仕上がる知ったかぶりなどは、まったく無視されるのである。
     *
私がどう解釈したかを、ここで書くつもりはない。
理解への実感に関係することだと感じたから、引用している。

そして、ここでのタイトルにも関係している。

Date: 7月 10th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その40)

その39)を読んで、オーディオ業界の事情通を自称している人のなかには、
菅野先生がそんな表情をするはずがない、と思う人がいるに違いない。

菅野沖彦が朝沼予史宏の才能を嫉んでつぶそうとした──、
いいかたは微妙に違っていても、
そんなことを言ったりインターネット上に書いたりしている人がいた。

そのことについて菅野先生は何も語られていない。
だから誤解が誤解のまま、一時期拡がっていた。

それは誤解だよ、と何度か書こうと思った。
けれど思いとどまって書かずに、十数年が経った。
まだ誤解は残っているようだ。

ほんとうに朝沼さんをつぶそうとしていた人が、
2002年12月8日に、あんな表情をするはずがない。

朝沼予史宏さんは、
Stereo Sound Grand Prixの前のComponents of the yearの選考委員の一人だった。
けれど降ろされていた。

オーディオ業界の自称事情通の人らは、
菅野沖彦が朝沼予史宏を降ろした、と吹聴していた。

確かにそれは事実だ。
このことが誤解につながっている。
だが理由がある。
朝沼予史宏さんをつぶそうとしてでは断じてない。

その逆だった。

Date: 7月 10th, 2018
Cate: 老い

老いとオーディオ(余談・その8)

ウエスギ・アンプのU·BROS3とマイケルソン&オースチンのTVA1。
ふたつのKT88のプッシュプルアンプの対比というより、
グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」では、二人の女性の対比である。

歌い出しの「抱きしめて」。
その後に続く歌詞。

一人は「抱きしめて」といいながら、
こちらとの距離をぐっと縮めてくる。
「抱きしめて」の歌詞のあとは、すぐそこにいるような錯覚すら起す。

もう一人の「抱きしめて」は、そこに込められている心情は同じであっても、
ずっと控えめだ。奥ゆかしいともいえよう。

実際にこんなシチュエーションがあったなら、
そのあとにとる行動は、男ならみな一緒であろう。

それでも控えめな「抱きしめて」のあとには、
こちらから近づいていく必要はある。

その6)で上杉先生の、ステレオサウンド 60号での発言を引用している。
ここでは、もう引用しないが、つまりはそういうことだ。
控えめな「抱きしめて」でも、そういうことである。

肝心なところは同じであり、そういう違いをTVA1とU·BROS3には感じる。
若いころならTVA1を迷うことなく選ぶ、と(その7)で書いている。

そのころから30年が経っている。
どちらの「抱きしめて」も、いい。

聴き手のこちらの心情も、いつも同じなわけではない。
TVA1の「抱きしめて」でなければならない時もある。
U·BROS3の「抱きしめて」こそ、と思うときもある。

歌っているのはグラシェラ・スサーナである。
一人の歌手なのに、アンプというシステムの内面が変ることで、
「抱きしめて」も、それに続く歌詞も、
込められている心情は変らずとも表現はまるで違ってくる。

アンプの違いが、心情の違いになってしまっては困る。
なんともつまらない「抱きしめて」になってしまうアンプもある。

そんなアンプなら、「抱きしめて」を誰かと一緒であっても聴けよう。
けれど、心情をきちんと歌にのせてくれるアンプであるなら、
TVA1にしてもU·BROS3にしても、これはやはり独りで聴くしかない。

誰かと一緒でも聴ける、という人は、
「抱きしめて」に込められている心情がわかっていない。
それだけだ。

Date: 7月 10th, 2018
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年 黎明期〜トーキー映画まで

無線と実験に長期連載されていた「スピーカー技術の100年」。
佐伯多門氏が執筆されていた。

この記事だけのために無線と実験を買おうか、と思うくらいだった。
けれど、いずれ一冊にまとめられるだろうと思って、買わずにいた。

連載が終ってどれぐらい経つだろうか。
そろそろ出るかな、と思っていたら、
佐伯多門氏の「スピーカー&エンクロージャー大全」が出た。

「スピーカー技術の100年」を出さずに、こっちなのか、と思ったくらいにがっかりした。
もしかしたら出ないかもしれない……、
そうなったら図書館に行って、ひたすらコピーしてくるしかないのか……。

7月9日に、やっと「スピーカー技術の100年」が出た。
近くの書店になかったので、まだ手にしていない。

もうこの種の本は出てこない、と思っていた方がいい。
ハイエンドオーディオばかりに夢中になっている一部のオーディオマニアは、
そんな古いスピーカー技術のことを知ったところで何になる──、
そんなことを思うかもしれない。

そういう人にほっとくしかない。

「スピーカー技術の100年 黎明期〜トーキー映画まで」が出たのは嬉しい。
ただ、現時点では電子書籍化はされていないようだ。
こういう本こそ、電子書籍化をしてほしい。
つまり紙の本が絶版になったとしても、電子書籍だけは継続して出版してほしい。

Date: 7月 10th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その5)

編集者は読者が読みたがっている記事を提供する──、
そんなふうに考えている編集者がいるのかどうかはわからないし、
ステレオサウンド編集部がそうなのかも知らない。

仮に、ステレオサウンド編集部がそう考えて編集という仕事をやっていたとしたら、
お門違いとしかいいようがない。

読者が読みたがっている記事──、
そんなものは幻想だし、ありはしない。

読者のほとんどはおもしろい記事、ワクワクするような記事を読みたがっていても、
具体的にそれがどういう記事なのか、
そんなことは多くの読者は考えていないし、そういうものである。

そのことを嘆いたりはしない。

編集者は、読者が読みたがっている記事、
そんな幻想ではなく、読者に読ませたくなる記事をつくっていけばいい。
ただ、それだけだ。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その7)

一年ほど前のことだった。
信号待ちしていたら、近くにいる小さな女の子が、
歩行者用信号についている白杖マークのボタンを押そうとしていた。

一緒にいたお母さんが
「押しちゃダメ。そのボタンは目に障碍のある人が押すんだから」
と制止した。

小学校のときだった、
先生が、あのボタンは視覚障碍者のためのボタンだから、むやみに押してはダメ、
そんなことをいっていたのは記憶にある。

でも冷静に考えてみればおかしな話だ。
視覚障碍者は、あのボタンがあることに気がつかないのだから。

あのボタンは、信号待ちしているときに、近くに、もしくは反対側に、
白杖の人がいたら、代りに押すためのもののはずだ。

それなのに、そうやって使っている人を、これまで一度も見たことがない。
つい数ヵ月前に、あまり通らない信号で青になるのを待っていたら、
かすかな電子音がしているのに気づいた。

白杖マークのボタンが新しくなっていた。
赤で待っているときに、視覚障碍者であっても、
音で近くにボタンがあることを知らせている。

やっと改良されたのか、と思った。
それでも、このタイプのボタンは、まだ他では見かけていない。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その39)

2002年12月8日の午前中、私は菅野先生のお宅に伺っていた。
ドアのチャイムを押すと、菅野先生がドアを開けてくださった。
その時の菅野先生の顔は、いつも違っていた。

体調を崩されたのか、と最初思ったけど、そんな感じではなかった。
沈痛な面持ちとは、このときの菅野先生の表情をいうのだと、思った。
そういう表情だった。

靴を脱ごうとしているときに、菅野先生がいわれた。
「朝沼さんを知っているか」と聞かれた。

私がステレオサウンドでいたころ、朝沼予史宏氏は、
このペンネームで活躍をし始めたころだった。
本格的にステレオサウンドに朝沼予史宏の名で書かれるようになったのは、
私が辞めてからだった。

なので「沼田さん(本名)は知っています」と答えた。
「そうか……」とぼそりといわれた、と記憶している。

そして「朝沼くんが亡くなったんだよ」と続けられた。

ステレオサウンドにいたころ、沼田さんからいわれたことがある。
「(自分と体形が似ているら)甲状腺には気をつけた方がいいよ」と。
沼田さんは以前甲状腺の手術をされたことを、そのとき知った。

沼田さんは細かった。
そのころの私もかなり細かった。
健康に気をつかっている人なんだ、と勝手に思っていた。
その後、結婚されたことも知っていたから、
独身のころよりも健康には注意されている──、
これも勝手にそう思っていた。

それに数ヵ月前のインターナショナルオーディオショウで、
短い時間ではあったが話もしていた。元気そうに感じていた。

リスニングルームのソファに腰掛けてから、菅野先生が話された。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
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「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その38)

編集者としては、すば抜けていた、才能があったジュニアさんではあったが、
だからといって、あのままステレオサウンドにいたとして編集長になれたかというと、
おそらくなれなかっただろうし、本人も編集長には向いていないと辞退したようにもおもう。

別項「オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー)」で触れているように、
いまのオーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

ジュニアさんがマネージャー?
無理だと思う。
マネージャーよりもリーダーに向いていても、
ひとりで黙々とこなしていく、いわば独奏者だと私は思っているから、
協奏曲はピアニスト(ヴァイオリニスト)としてはよくても、指揮者は無理なような気もする。
でも、このへんは年齢をかさねることによって変化していったかもしれない。

私がステレオサウンドで働くようになる少し前から、
ステレオサウンドでは「スピーカーユニット研究」という連載が始まっていた。
園田隆史という人が担当していた企画である。

この園田隆史は、ジュニアさんのペンネームだった。
もっとも最初の数回は別の人(とあるメーカーの人)が園田隆史で書いていて、
ジュニアさんが引き継ぐかっこうになった。

だからもしジュニアさんが、ずっとオーディオの世界で仕事をしていたら、
編集長にはならず、オーディオ評論家(ジャズの熱狂的な聴き手としての)になっていた、とおもう。
もっとも本人は、評論家と呼ばれるのをイヤがっただろうが。

そうなっていたら、いまのように、こんなにぬるいオーディオジャーナリズムではなかったはずだ。
仮に編集長になっていたとしても、
小野寺弘滋氏のように、そしておそらく染谷一氏もそうであろうが、
編集長時代にStereo Sound Grand Prixの選考委員になって、
編集長を辞めるとともにオーディオ評論家になる、という、
敷かれたレール(それもステレオサウンドによって)に乗っかって、ということは、
絶対にしなかった、と、これは言い切れる。

そんな音楽の聴き方をしてこなかった人、
そんなオーディオの取り組みをしてこなかった人だからだ。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その37)

1984年に、増刊としてサウンドスタイルが出ている。
ジュニアさんが最後に、ひとりで手がけた本である。

サウンドスタイルというムックを知っている人は少ない。
そのころステレオサウンドを読んでいた人でも、知らない人が意外にいる。
売行きはよくなかった、はずだ。

だから、つまんない本だった、といいたいわけではなく、むしろ逆である。
この本のときのジュニアさんの仕事の仕方は、確かに問題があった。
完全に朝と夜とを逆転させていた。

会社員として、それはまずい。
そんなことはみんなわかっていることだ。
ジュニアさんもわかっていたばずだ。

わかっていたけれど……、
……のところは本人だけにしか書けないところだし、
そこについて書くつもりはない。

結局、そのためにジュニアさんはステレオサウンドを去ることになる。
問題社員といえばそうである。

問題社員は会社には要らない。
才能は関係ない。
私は違う意味での問題社員だったから、
ジュニアさんの約四年後にそうなった。

いまおもう。
ジュニアさんが去ったときに、いまのステレオサウンドへいたる道が始まった、と。
こんなことは、いまの編集部の人たちに、どうでもいいことなのだろうが。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その36)

編集部の新人が最初に担当するページは、巻末にあったBestBetsだった。
いまのステレオサウンドでは、SS Informationがそれにあたる。
イベント、キャンペーンや価格改定などを伝えるページである。

ペーペーの新人が特集に携わることは、すぐにはやってこない。
それでも、意外に早くその機会がやってきた。

63号のベストバイである。
そのころのベストバイは、筆者原稿と編集部原稿とがあった。

筆者原稿は、各機種のコメントの最後に括弧つきで名前がある。
それがないのは編集部原稿である。

ジュニアさんは、スピーカーシステムの編集部原稿を担当されていた。
その中のひとつ、ヴァイタヴォックスのCN191について、
「少年、書いてみな」といって私に振ってくれた。

18で入った私は少年と呼ばれていた。
ジュニアに少年、この編集部は学校か、と笑いながら、
そんな指摘をされたオーディオ評論家の方もいた。

文字数は少ない。
短いから楽なわけではない。
書けた。

原稿をジュニアさんにみてもらう。
ほとんど朱(アカ)は入らなかった。
そのまま載った。

編集部原稿だから、名前が載るわけではない。
特集のベストバイに登場する中のたった一機種。
それでも、ローコストの製品を振られたのではなく、
ヴァイタヴォックスのCN191を私に振ってくれたことが、ほんとうに嬉しかった。

そんなふうにして私の編集者としてのキャリアは始まった。
私は七年間いた。
ジュニアさんはもう少し短かったかもしれない。

けれどジュニアさんは、才能があった。
いまジュニアさんと肩を並べるだけの才能をもつ編集者は、
ステレオサウンドにはいない、と断言できるほどだ。

私だって、この歳になっても、かなわないところがあるな、と思う。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その35)

私がステレオサンウドに入るきっかけとなったのは、
編集部あてに、こんな企画をやってほしい、という手紙を何通も出していたことだ。

それで面白そうなヤツがいる、ということで「編集部に遊びに来ませんか」という連絡があった。
1982年1月のことだった。
そこでN(ジュニア)さんとIさんに会った。

編集部には私には関心がない人もいた。
それでもジュニアさんが鞠力に推してくれたことで、働くようになった。
そのことを知ったのはしばらく後のことである。

ジュニアさんの、そんな推しがなかったら、
どうなっていただろうか。
オーディオに関係する仕事をしていたかもしれないが、
編集には携わっていなかったであろう。

ジュニアさんは当時高円寺だった。
私は三鷹だった。帰り道は同じ。
よくジュニアさんのところに、仕事後に寄っていた。

そのころのジュニアさんのシステムは、
スピーカーがJBLの2220に2440+2397で、
パワーアンプはマッキントッシュのMC2300、
アナログプレーヤーは、EMTの927Dstだった。

この927Dstは、瀬川先生が使われていた927である。

スピーカーの構成からほかるように、ジュニアさんはジャズの熱心な聴き手だった。
明け方まで音を聴いていたことも何度かある。

もしステレオサウンドで働いていたとしても、
ジュニアさんがいなかったら、またずいぶん違っていたはずだ。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: 測定

アナログプレーヤーの測定(40年前の測定から学ぶ・その4)

テレメールの端末を使って、図形の電気信号への変換、その逆を行うわけだから、
再生図形には、テレメール端末の変換精度も関係してくる。

それにカッティングの性能、状態も深く関係してくる。
カッティングまでの時点で、図形が歪んでいると考えるべきである。

この測定方法がその後どうなったのか。
少なくとも、私は「プレーヤー・システムとその活きた使い方」以外では目にしたことがない。

ソニーは、どうしたんだろうか。
社内では、この測定をやっていたのか。
そのへんのことはまったくわからない。

1976年当時では、解決すべき問題があった。
けれど、いまはそうではない、といえるのではないか。

テレメールの端末と比較にならないほど精度の高い図形の電気信号への変換は可能だ。
それにデジタル信号処理の進歩は、カッティングにまつわる技術的な問題も含めて、
補正することも可能なはずだ。

テストレコードの制作までは、当時とは比較にならなくほど精度の高さが実現できる。
つまり、40年前に提唱された測定方法が、いま日の目をみる、といえるではないのか。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」にも、こう書いてある。
     *
 確かに、原画と再生画との違いによる原因のなかには、すべての高低における僅かな状態変化をも含まれるため、もしプレーヤー・システム以外で起きる状態変化分を、電算機でも使って誤差修正したならば、プレーヤー全性能が画で判断できるかも知れませんし、今後の研究に期待したいところです。
     *
そのとおりである。
それに図形にしても、マス目と円形とバッテンマークだけでなく、
もっと精細な図形も使えるだろうし、図形そのものも研究も必要であろう。

それに、図形を使った測定は、なにもアナログプレーヤーだけに限るものではないはずだ。
アンプの測定、スピーカーの測定にも応用できるはずだ。