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Date: 8月 3rd, 2019
Cate: 再生音

ゴジラとオーディオ(その4)

(その3)で、ほぼ理想的なゴジラ映画だった、と
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」について書いた。

実をいうと、そう書きながらも、
ゴジラはどうやってギドラを倒したのかを思い出そうとしていたけれど、
肝心の決着のシーンを思い出せなかった。

自分でも、驚いていた。
なぜ、そこのところだけ記憶にないのか。
そこまでのシーンは、けっこう憶えていたし、
思い出そうとすれば、断続的だったシーンが時系列通りにつながっていくのに、
肝心のシーン、むしろそこだけ憶えていれば──、と思うシーンがすっぽり抜けている。

その後のシーンも憶えている。
7月のaudio wednesdayで、常連のHさんと「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」について話していた。
Hさんも、この手の映画に関しては、私と趣味がそうとうに近い。
Hさんも、「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を観ていた。

ゴジラとギドラの決着のつくシーン、憶えてますか、と訊いた。
Hさんも、思い出せない、といっていた。
Hさんも前後のシーンは憶えているのに、肝心のところが記憶から抜けている。

私の周りでは他に観ている人はいないから、これ以上確かめられない。
それにしてもなぜなのか。

ゴジラ、ギドラ、その他の怪獣は、実にリアルである。
着ぐるみでは三本首のギドラは、動きにどうしても制約がかかる。
けれどCGIギドラには、それがない。

これまでにゴジラの映画はほとんど映画館で観てきた。
キングギドラの造形には、子供だったこともあり驚いた。

少し成長すると、着ぐるみなのに、
キングギドラをよく思いついたな、と思うようにもなった。
撮影は大変だっただろうなぁ、と思うからだ。

その意味で、当時の技術では不可能だった映像を、
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」はつくりだしているし、
日本の映画の予算では無理なところも、
アメリカ映画の予算だと制約もほぼなくなっている。

そうやってつくられた「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」は、
それまでのゴジラ映画を観て、
こんなところがもう少し……、と思ったり感じてたりしていたところが、
すべてこちらの理想通り、というか想像以上に映像化されている。

にも関らず、ゴジラが最強の敵であるギドラをどうやって倒したのか、
その数分程度のシーンを、思い出せないでいる。

Date: 8月 1st, 2019
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その9)

カートリッジについては、
《カートリッジは(一例として)デンオンDL103D》となっている。

DL103D以外のカートリッジ、
たとえば、同時代のオルトフォンのMC20MKIIもいいカートリッジだし、
瀬川先生は、ステレオサウンド 55号の特集ベストバイでは、
My Best3として、デンオン DL303(45,000円)、
オルトフォン MC20MKII(53,000円)とMC30(99,000円)を挙げられている。

どのカートリッジにしてもDL103Dよりも高価になる。
それにAU-D607内蔵のヘッドアンプに関して、別冊FM fanの25号で、次のように評価されている。
     *
MCヘッドアンプだが、やはりMC20MKIIまではちょっとこなせない。ゲインは音量をいっぱいにすればかなりの音量は出せるが、その部分では、ハム、その他のノイズがあるので、オルトフォンのような出力の低いカートリッジにはきつい。ただし、MC20MKIIの持っている音の良さというのを意外に出してくれた。ヘッドアンプの音質としてはなかなかいい。もちろんデンオン103Dの場合は問題なく、MCの魅力を十分引き出してくれた。
     *
オルトフォンのような低インピーダンスで、低出力電圧のMC型カートリッジは、
ヘッドアンプには少々荷が重いところがある。
かなり優秀なヘッドアンプでなければ、満足のいく再生音は得にくかったのが、
この時代である。

ならばカートリッジはMM型の選択も考えられる。
それでもMC型のDL103Dである。

DL103シリーズには、DL103、DL103S、DL103Dの三つがあった。
瀬川先生の、熊本のオーディオ店での試聴会で、この三つを聴くことができた。

DL103Dを瀬川先生は高く評価されていた。
聴けば、そのことが納得できた。

56号の組合せにおいて、DL103でなくDL103Sでもないのは、
やっぱりと納得できた。
DL103Dが、この三つのカートリッジのなかでは、音楽を活き活きと聴かせてくれる。
47号で《単なる優等生の枠から脱して音質に十分の魅力も兼ね備えた注目作》とある。

そのとおりである。

にしても、である。
MM型カートリッジも、この時代は多くの選択肢があった。
それでもDL103Dを選択されたのは、
一種の遊び心(型番遊び)ではないのだろうか。

岩崎先生が書かれていたことをおもいだす。
     *
名前が良くて得をするのはなにも人間だけではない。オーディオファンがJBLにあこがれ、プロフェッショナル・シリーズに目をつけ、そのあげく2345という型番、名前のホーンに魅せられるのは少しも変なところはあるまい。マランツ7と並べるべくして、マッキントッシュのMR77というチューナーを買ってみたり、さらにその横にルボックスのA77を置くのを夢みるマニアだっているのだ(実はこれは僕自身なのだが)。理由はその呼び名の快さだけだが、道楽というのは、そうした遊びが入りやすい。
(「ベスト・サウンドを求めて」より)
     *
瀬川先生にも、こういうところがあったのだろう。

Date: 7月 31st, 2019
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その8)

ステレオサウンド 57号のプリメインアンプの総テストには、
ビクターのA-X7Dの上級機A-X9も登場している。

瀬川先生はA-X9の試聴記の最後に
《音の重量感、安定感という点で、さすがに10万円台の半ばのアンプだけのことはある。ただし、X7Dと比較してみると、5万円の差をどうとるかはむずかしいところ。遠からずX9D、に改良されることを期待したい》
と書かれている。

私も、A-X9Dにはとても期待していた。
A-X5、A-X7が、型番末尾にDがついて、文字通り改良されている。
A-X7Dを、瀬川先生は超特選にしたい、と高く評価されていた。

A-X9Dが登場したら、
サンスイのAU-D907 Limitedと少し安いけれど、
ほぼ同価格帯のアンプといえる。

PM510には、A-X7DよりもA-X9Dのほうが、よりふさわしい──、
未だ登場していないアンプに一方的で過大な期待を抱いては、
PM510とA-X9Dとの組合せの音を夢想していた。

結局、A-X9Dはいくら待っても登場しなかった。
A-X5DはA-X55に、A-X7DはA-X77へとさらにモデルチェンジしたが、
A-X9はA-X9DにもA-X99にもモデルチェンジすることなく消えていった。

瀬川先生の、ステレオサウンド 56号で始まった組合せの記事も、
57号は休載で、それっきりになってしまった。

連載が続いていたら、KEFのModel 303の組合せは、どうなっただろうか。
57号の時点ではサンスイのAU-D607は製造中止になり、AU-D607Fになっていた。

音だけならば、303にもA-X7Dだった、と思う。
A-X7DはAU-D607よりも四万円ほど高いから、
56号の組合せのトータル価格が三十万円を超えることになる。

予算の制約をどう捉えるかによるが、
それまでの瀬川先生の組合せは、予算を少しばかりオーバーすることはけっこうあった。
だからAU-D607とA-X7Dの価格差は、勘弁してもらおう、ということになったはず。

ただそれでも、AU-D607がそのまま現行製品であったならば、
やっぱりAU-D607だったような気もする。

スピーカーがKEFの303、アンプがサンスイのAU-D607、カートリッジがデンオンのDL103D。
型番に共通するのは、いずれも三桁の数字が真ん中が0であること。

Date: 7月 27th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その20)

ヤマハのTC800GLの、乾電池込みの重量は5.4kgである。
この重量を重いと思うか、そうでないか。

TC800GLと同時代の可搬型のカセットデッキ、
ソニーのTC3000SDは4.6kg、TC550SDは5.2kg、
ティアックのPC10は5.0kg、テクニクスRS646Dは5.7kg、RS686Dは3.0kg、
ビクターのKD2は3.85kgであった。

海外製のウーヘルのCR210は2.0kgと、可搬型と呼べるほどの軽さであるが、
国産の、この時代の可搬型カセットデッキは、
TC800GLよりもやや軽いか、ほほ同じくらいの重さである。

ソニーが1980年に発表したTC-D5Mは、さすがに軽い。1.7kgである。

こうやって重量をみていくと、TC800GLは、
据置型カセットデッキなのか、可搬型カセットデッキなのか。

上記した国産各社の可搬型カセットデッキは、
外観からして可搬型らしい。
据置型と認識する人はまずいない。

可搬型カセットデッキとしての場合にも、
ヤマハのTC800GLは類型的になりがちなモデルばかりのなかで、
ここでも光っていた。

据置型カセットデッキとしても、可搬型カセットデッキとしても、
決して類型的でなく、光っている存在、
それがヤマハのTC800GLである。

Date: 7月 26th, 2019
Cate: audio wednesday

第103回audio wednesdayのお知らせ(Walls)

8月のaudio wednesdayは、7日。
二週間を切っているけれど、いまのところ、これといったテーマを考えついていない。

ただひとつ、持っていくCDの一枚だけは決めている。
バーブラ・ストライサンドの「Walls」である。
もう新譜とはいえないだろう。
昨年のアルバムなのだから。

でも、今回は、はっきりとした理由はなにもないけれど、
この「Walls」をかけたい──、それだけは思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 7月 26th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その19)

ヤマハのオーディオ機器の型番は、アルファベット二文字から始まっていた。
プリメインアンプのCA、チューナーのCT、カセットデッキのTC、
アナログプレーヤーのYP、スピーカーシステムのNS、ヘッドフォンのHPがそうである。

セパレートアンプだけは、コントロールアンプがC、パワーアンプがBというように、
アルファベット一文字だったけれど、
アルファベット二文字から始まる型番が、ヤマハのオーディオ機器といえた。

それが変りはじめたのが、プリメインアンプのA1から、である。
アルファベットが一文字になった。
チューナーもT、カセットデッキもK、というふうに変っていった。

アルファベット二文字時代のヤマハのプリメインアンプといえば、
CA2000、CA1000IIIがある。

これらと比較すると、A1は製品コンセプトからして時代が変ったといえる面がある。
同じことは、TC800GLとK1を比較してみても、ずいぶん違ってきた、といえる。

それは形態的なことだけではなく、録音機としてのコンセプトが、
TC800GLとK1はずいぶん違う。

K1は据置型カセットデッキとしか使えない。
そんなことTC800GLも同じじゃないか、と思われるかもしれないが、
TC800GLは可搬型カセットデッキなのである。

K1の電源はAC100Vのみだが、
TC800GLは、AC100V、乾電池とカーバッテリーのDC12Vにも対応している。

さらにオプションで専用のケースKS800も用意されていた。

このことはカセットデッキとしてよりも、
録音機としてTC800GLとK1を比較した場合に、際立ってくる。

Date: 7月 25th, 2019
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その7)

あのころ、ロジャースのPM510は一本440,000円していた。
ペアで880,000円。

高校生にとっては、はっきりと手の届かない金額であり、
いつの日かPM510を、と、ステレオサウンド 56号を読んだ直後から、
そう思いはじめていたけれど、いつの日になるのかは見通しが立たなかった。

そういう価格のスピーカーをなんとか自分のモノに出来た。
けれど、プレーヤー、アンプにまわす予算は、ない。
それまで使っていたプレーヤーとアンプで鳴らすことになるわけだが、
ここで一つ考え込んでしまう、というか、悩むのは、
そこまで惚れ込んだスピーカーを、いいかげんなアンプで鳴らしたくない、というおもいである。

そのころはサンスイのAU-D907 Limitedを使っていた。
高校二年の修学旅行を行かずに、戻ってきた積立金とバイトで貯めた分とをあわせることで、
なんとか175,000円のプリメインアンプを自分のモノにできた。

AU-D907 Limitedは、いいアンプだった。
いまでも、そう思っている。

それでも、PM510と組み合わせるアンプではない、と直感的に思った。
PM510をひどい音で鳴らしたりはしないだろうが、
PM510の良さを積極的に鳴らしてくれるとは、到底おもえなかった。

175,000円の、しかも限定販売のアンプのよりも、
108,000のA-X7Dのほうが、いい音がする、とは普通は考えない。
誰だってそうだろう。

私もそうだった。
けれど、PM510というスピーカーを鳴らすのであれば、
AU-D907 LimitedからA-X7Dにするのもありだ、と決めてしまっていた。

傍からみればバカな考えでしかないだろう。
でも、あのころは真剣だった。

大切なスピーカーを穢したくない、というおもいが強すぎた。
穢してしまうかも……、とおもいながら、鳴らしたくはない。

もちろん、一日でも早く、その音を聴きたい、鳴らしたい、というおもいも強い。
どちらも同じくらい強かった。

そんなA-X7DとModel 303は、どんな音を響かせてくれたのだろうか。

Date: 7月 25th, 2019
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その6)

KEF Model 303の組合せについて書かれたのが56号、
三ヵ月後の57号の特集は、プリメインアンプだった。

この特集で、瀬川先生はビクターのA-X7Dを非常に高く評価されていた。
《もし特選の上の超特選というのがあればそうしたいアンプ》とまで書かれている。

A-X7Dは、108,000円の、いわば中級クラスのプリメインアンプである。
型番からわかるようにA-X7の改良モデルでもある。

A-X7も世評はそこそこあったように記憶しているが、
A-X7Dはそうとうに良くなっているようだ(このアンプ、聴く機会がなかった)。

57号の試聴記で、
《テスト機中、ロジャースを積極的に鳴らすことのできた数少ないアンプだった》
とあるのが、特に印象的というか、強く惹かれた。

56号で、瀬川先生はロジャースの新製品PM510についても書かれていた。
その瀬川先生の文章を難度読み返したことか。

JBLの4343にも強い憧れがあった。
けれど、まだ聴いていないPM510の音を、瀬川先生の文章から想像しては、
もう、このスピーカーしかない、とまで思い込んでいた。

その PM510を十万円ほどのプリメインアンプが、積極的に鳴らしてくれる──、
このことは、当時高校生だった私にとって、どれだけ心強かった、とでもいおうか、
希望を与えてくれた、とでもいおうか、
とにかくPM510を手に入れて、A-X7Dを揃えれば、
PM510から積極的な良さを抽き出してくれるはず──、
そう信じていた。

A-X7Dでまず鳴らして、次のステップでセパレートアンプへ──、
そんな先のことまで見据えてのA-X7Dだった。

だから、A-X7Dがもう少し早く登場していれば、
56号では、KEFのModel 303には、AU-D607ではなく、
もしかするとA-X7Dを選ばれていたかも……、そんな想像もしていた。

Date: 7月 24th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(余談・その9)

グラシェラ・スサーナの歌う「抱きしめて」のオリジナルは、
フリオ・イグレシアスの“ABRAZAME”である。

フリオ・イグレシアスは作詞も手がけている。
確か西城秀樹も日本語で「抱きしめて」を歌っていた。

グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」は、なかにし礼作詞で、
西城秀樹の「抱きしめて」は、誰なのかは忘れてしまったが、なかにし礼ではない。

なので日本語の歌詞は、微妙なニュアンスのところで少なからぬ違いがある。
グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」の歌詞は、次のとおり。
     *
抱きしめて
何も云わずに 抱きしめて
初めて抱いた時のように この私を
抱きしめて
昨日のように 私を
今日も愛してほしいの 心こめて
     *
西城秀樹の「抱きしめて」は、
歌い出しの「抱きしめて」は同じでも、
続く歌詞はもう違っている。

グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」は、
もう最初の「抱きしめて」にすべての情感が込められている、と感じる。
そうでなければ、続く歌詞の意味すら失せてしまう。

グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」は、完全に女性の歌手が歌う歌詞である。
西城秀樹が、この歌詞で「抱きしめて」を歌ったら……、
あまり想像したくない。

フリオ・イグレシアスのスペイン語の歌詞の意味は知らない。
おそらく西城秀樹の「抱きしめて」のほうが、オリジナルの歌詞に近いのかもしれない。
だから、なかにし礼訳詩ではなく、なかにし礼作詞とあるのだろう。

私が聴きたいのは、なかにし礼作詞の、
そしてグラシェラ・スサーナが歌う「抱きしめて」である。

そういう歌だから、「抱きしめて」は、独りで聴きたい。

Date: 7月 23rd, 2019
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その5)

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生はこう書かれている。
     *
 いまもしも、ふつうに音楽が好きで、レコードが好きで、好きなレコードが、程々の良い音で鳴ってくれればいい。というのであれば、ちょっと注意深くパーツを選び、組合わせれば、せいぜい二~三十万円で、十二分に美しい音が聴ける。最新の録音のレコードから、旧い名盤レコードまでを、歪の少ない澄んだ音質で満喫できる。たとえば、プレーヤーにパイオニアPL30L、カートリッジは(一例として)デンオンDL103D、アンプはサンスイAU-D607(Fのほうではない)、スピーカーはKEF303。これで、定価で計算しても288600円。この組合せで、きちんとセッティング・調整してごらんなさい。最近のオーディオ製品が、手頃な価格でいかに本格的な音を鳴らすかがわかる。
     *
KEFのModel 303は聴いたことがある。
サンスイのAU-D607も聴いたことがある。
デンオンのDL103Dも聴いている。

パイオニアのPL30Lは聴いたことはないが、
上級機のPL70LIIは聴いたことがある。

この組合せの音が想像できないわけではない。

それでも、KEFの303をAU-D607で鳴らした音は聴いていない。

《十二分に美しい音が聴ける》とある。
けれど56号は1980年に出たステレオサウンドである。
もう四十年ほど前のことである。

《十二分に美しい音》は、四十年前だからだったのか、
いまでも《十二分に美しい音が聴ける》のか。

なんともいえない。
それでもKEFのModel 303を手に入れてから、
瀬川先生にとっての、この時の《十二分に美しい音》を聴きたくなった、
というか出したくなった。

PL30L、DL103Dは、いまのところめどが立っていないが、
AU-D607は揃えられるようになった。

この組合せの中核である303とAU-D607は、なんとか揃う。

いま住んでいるところから、
喫茶茶会記のある四谷三丁目まで運ぶ手段がなんとかなったら、
audio wednesdayで鳴らす予定である。
(なんともならないだろうから、実現の可能性は低いけれど……)

Date: 7月 23rd, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その18)

ナガオカがカセットテープの新製品を発表したことは、
オーディオ関係のニュースサイト以外でも話題になっている。

ナガオカは以前もカセットテープを出していた。
ナガオカ・ブランドとジュエルトーン・ブランドの両方で出していた。

ナガオカ・ブランドではノーマルテープのみ二種類だった。
一つは+6という商品名で、66分、96分用があった。
もう一つはExcellenceで、こちは+6よりも少し高かった。

ジュエルトーン・ブランドではメタルテープまで用意されていた。
1980年ごろのことである。

このころは各社からカセットテープが出ていた。
カセットテープのメーカーといえば、ソニー、TDK、日立マクセルが強かった。
けれどカセットテープを出していたメーカーは、ずっと多い。

カセットデッキで参入したオーディオメーカーも、自社ブランドのカセットテープを出すようになっていた。
ナカミチ、ラックス、アイワ、ダイヤトーン、ケンウッド、テクニクス、ビクター、Lo-D、
パイオニア、サンヨー、オットー、シャープ、オーレックス、デンオン、クラリオン、
ヤマハ、東芝、マグナックス、富士フイルムなどの国産ブランドの他に、
アンペックス、スコッチ、フィリップス、BASF、トーレンスなどの海外ブランドがあった。

思いつくまま挙げてみたので漏れもあるだろうが、とにかくけっこう数のブランドのテープがあった。

ナガオカが、ナガオカとジュエルトーン、二つのブランドで出しているように、
東芝とオーレックス、サンヨーとオットーもそうである。
Lo-Dとマクセルも似たようなものか。

すべてのブランドのカセットテープが、自社生産だったわけではないはずだ。
それでも自社ブランドのカセットテープは、
そのメーカーのカセットデッキにとっては、一つの基準となるテープといえる。

TDKのMA-Rに憧れがあっても、それとは別に、
ナカミチのカセットデッキならばナカミチのカセットテープ、
ヤマハのカセットデッキにはヤマハのカセットテープ──、
そういう組合せは一度はきちんと聴いておきたいものでもある。

ヤマハのメタルテープをヤフオク!に出ていたけれど、
けっこうな高値になっていて、早々に諦めてしまった。

Date: 7月 22nd, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その17)

7月3日のaudio wednesdayで、カセットテープ、カセットデッキをやる以前は、
カセットのことについて、これだけ書いていけるとは思っていなかった。

しかもまだミュージックテープの再生のことだけである。
カセットデッキとカセットテープは、録音できる器械とメディアだ。
録音については、いまのところ試していない。

録音にはカセットテープが必要になる。
ナガオカからノーマルテープの新製品が登場した。
一度は試してみたいと思うけれど、
やはり一度はメタルテープを試してみたい。

以前書いたように、私が以前使っていたカセットデッキはメタルテープに対応していなかった。
なのでメタルテープを自分自身で使ったことは一度もない。

メタルテープの音は、何度か聴いている。
でもTDKのMA-Rの音は聴いていない。

型番を忘れてしまったが、ソニーからもリファレンス的なメタルテープが登場していた。
こちらも聴いたことはない。

カセットデッキをヤフオク!で手に入れたように、
カセットテープもヤフオク!には、かなりの数出品されている。

未開封のテープも少なくなく、少々驚いている。
それにMA-Rの未開封品につく価格に、また驚く。

MA-Rは、46分テープが1,750円、60分用が2,000円、90分用が2,600円していた。
同じTDKのADの60分用が550円、SAの60分が750円だったのだから、
MA-Rは、というよりもメタルテープはどのメーカーも高価だった。

しかもいまはどこも製造していないのだから、高くなるのはわかる。
それでも高すぎないか、とちょっと思う。
なにせカセットデッキを一万円を切る価格で手に入れることができただけに、
メタルテープが高く感じてしまう。

Date: 7月 22nd, 2019
Cate: オーディスト

「オーディスト」という言葉に対して(その27)

オーディオマニアは、オーディオの力・助けを過剰に必要としているのか──、
これは自問である。

いまのところ、そうだ、とも思っているし、
いや違う、と思うところもある。
はっきりとした答は、まだ見出せていない。

過剰に必要としているところは確かにある。
けれど、たとえばフルレンジ一発のスピーカーシステムで聴いても、
充分満足できることもある。

そういう時には、過剰に必要としているわけではないはずだ。
でも、それは……、とまた考える。

ただひとついえるのは、
オーディオの力・助けを過剰に必要としているということは、
それだけオーディオの力を抽き出している、ということであるはず。

オーディオは、いうまでもなくコンポーネントであり、
さまざまな機種を組み合わせた上で、
ただそれだけでいい音が得られるものではなく、
入念なセッティング、チューニングがあってこそ、
オーディオに関心のない人からすれば、過剰にさえ思えるほどの音(力)を発揮してくれる。

そう考えるならば、
オーディオマニアを蛇蝎視する、ごく一部の人たちは、
実のところ、ひどい器械コンプレックスの可能性だってある。

オーディオマニアは、オーディオの力・助けを過剰に必要としている──、
そうであれば、
オーディオというシステムは、オーディオマニアの力・助けを過剰に必要としている──、
そういえないだろうか。

Date: 7月 21st, 2019
Cate: オーディスト

「オーディスト」という言葉に対して(その26)

レコード(アナログディスクだけでなく録音物すべて)を聴くには、
どんな人であってもなんらかのシステムが必要となる。

どんなに音楽に詳しい人であっても、それは同じことである。

アナログディスクの盤面の溝を眺めて、音楽が聴こえてくるという人はいない。
つまりオーディオというシステムの力を大なり小なり借りなければ、
レコードにおさめられている音楽を聴くことはできない。

オーディオの力・助けを最低限しか必要としない人と、
オーディオの力・助けを過剰に必要とする人とがいる。

後者がオーディオマニアなのかもしれない。

最低限しか必要としないと公言している人からすれば、
オーディオマニアは、過剰に必要とする人たちとうつることだろう。

クラシック音楽を聴く人で、最低限しか必要としない人たちのなかには、
楽譜が読めるから、とか、絶対音感がある、からという人もいる。

強調しておくが、そういう人がいる、ということで、
最低限しか必要としない人すべてがそうだ、ということではない。

楽譜が……、絶対音感が……、
これらの裏にはオーディオマニアへの蔑みがこめられているかのようでもある。

かわいそうに、あなた方は楽譜が読めないんですか、
絶対音感がないんですか……、
私は楽譜が読めますし、絶対音感がありますから、
あなたたちのようにオーディオの力・助けを最低限しか必要としません──。
そう思いながら、オーディオマニアをみている人は、オーディストといえよう。

Date: 7月 20th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その16)

1980年の秋ごろのFM fanに、瀬川先生がカセットデッキについて書かれていた。
     *
 私の考えていたカセットの音質の基準とは、どういうものなのか。
 答えは簡単だ。日常接することのできるFM放送やレコードで、容易に得られる音質と同水準の音。これだけのことだ。
 それだけのこと、には違いないが、しかし、数年前のデッキやテープが、果たして本当に、FMやレコードの優れた音質と同水準にあったと言えるだろうか。私の答えは、むろん「否」だ。
 念のために補足しておくと、例えばFMチューナーなら5万ないし8万円ぐらい。レコードプレイヤーなら、カートリッジと合わせてやはり7~8万円前後。つまりいわゆる「中級機」、あるいはコンポーネントとしてはごく標準的な価格の範囲で入手できるチューナーやプレイヤーで、音質の優れた放送を受信し、また録音の良いレコードをプレイバックしたときに得られる程度の音質を頭に浮かべてみる。そして、それらとほぼ同等の価格のカセットデッキで、録音・再生した際の音質、および、数年前のミュージックテープをプレイバックしたときの音質を、もう一方に置いて比較してみる。
 すると、上記のチューナーやプレイヤーで得られる音質は、仮に(突拍子もない例かもしれないが)JBLの♯4343のような、特性の優秀で鋭敏なモニター・スピーカーで聴いてみても、けっこう、なかなかの音が楽しめる。
 けれど、カセットの音となると、もしもJBL♯4343のようなスピーカーで聴いたとしたら、まず音の強弱の比(ダイナミックレンジ)が押しつまってしまい、音に伸び伸びとした感じの不足することがわかる。また、何となく歪みが多い感じで、再生音に本当の美しさ──聴き手が思わず耳をそば立てるほどの、美しく滑らかで透明な音──が感じとりにくい。テープヒス等の雑音は相当に耳ざわりになる。そこでドルピーを使う。すると、ノイズは耳につきにくくなるが、それとひきかえに、音の鮮明さや輝かしさ、あるいは微妙なディテールのニュアンス、等が失われてしまう。
 7~8万円のカセットの音を、JBLの♯4343で聴くとは、気違いざただ、というのなら、しかし、同じスピーカーで、同じく 7~8万円のチューナーやレコードプレイヤーの音を聴いてみれば(むろん高級機のような緻密で充実感のあるすばらしい音はしないまでも)、価格を考えれば十分に満足のゆく音がするのだから、そういう音を出さないカセットは、やっぱりまだ本当の意味で完成の域に達していない、と、私はがんこに言い張っていたわけだ。
 だから、専門誌などから、カセットのテストをしてみないか、と言われると、「いいよ、だけどおれがテストしたら、カセットについてクソミソに言うが、それでもいいかい?」と聞き返す。当然、編集者は逃げで行ってしまう。
 ともかく、これが数年前のカセットについての、私の感じ方であった。
 しかし、繰り返しになるが、この1~2年(というより、もっと厳密にいえば、ほんの去年の後半あたり以後から)本当の意味で、カセットの音が、FMやレコードの音質と、十分太刀打ちできるようになってきた。
 だから私自身も、この辺でそろそろ、カセットを本気でとり上げてい、い、という考え方に、ようやくなってきた。
 振り返ってみると、カセットテープやデッキの評価については(チューナーやレコードプレイヤーに比べて)、誰もが無意識にハンディをつけて、甘やかしてきたように思う。カセットにしては……、あのテープのトラック幅にしては……、これほど扱いの簡便なテープにしては……、というように。
 だが現実に、ミュージックテープはLPレコードと同じような価格で売られている。それなら、レコードと同程度の音質が保証されなくてはおかしいのではないか?
 そしてLPレコードは、5万円前後のカートリッジなしのプレイヤーに、市価2~3万円程度の良いカートリッジを選んでプレイバックすれば、前述のようにごく高級なスピーカーでさえ、相当に満足のゆく美しい音質が楽しめる。
 FMチューナーにしたって、キー局で注意探く送り出される良質の番組を聴くかぎり、きわめて鮮度の高い音質が保証されている(中継を重ねて劣化した音を聴かされている地域については、改めて問題としてとり上げる必要があるが……)。
 そういう状況に比べて、カセットだけが甘やかされていたのは、少しおかしいのではないだろうか。
 むろん理由はある。カセットは、それ以前に普及しかけていた、そしていまでもプロの現場では主力になっているオープンリールテープに比べて、何となく、簡便型のテープ、という受けとめかたが、専門家の頭の中に根強く残っていたからだ。私自身も、ずいぶん長いこと、その考えを捨てきれずにいた。
 カセットの性能があまりに悪いものだから、結局、この方式には限界があるのだろうか、と、半ば絶望的になりかけてもいた。
 けれど、前述のように、ごく最近のデッキとテープは、そういうハンディなしに、十分の水準に達し始めた、と言える。
 少し前までのカセットデッキに比べて、最近の製品のどこが良くなったのか。まずテープ。少し前までは、巻き始めと巻き終わり近くの1~2分の部分は、リールのクセがついて、音飛びや音のふるえを生じるものがほとんどだった。しかし最近のテープは、リーダーテープの終わった直後から、相当に難しい音を録・再しても、まず大丈夫になってきた。第2に、カセットハーフの精度の向上のおかげで、テープの走行が非常に安定してきた。第3に、音のダイナミックレンジが向上した。相当に強い音を入れても、音の歪みが耳につきにくい。そして音の美しさ。とても透明な感じの、つまり歪みとノイズの少ない音がする。少し前のテープが、何となく汚れっぼい音のしがちだったのに比べて、大変な向上だ。第4に、いまもふれたノイズの減少。
 いろいろのメーカーの各種のテープについては各論をくわしく展開しなくてはとても言いきれないにしても、一応、音楽の録・再を特に考慮した中級以上のテープに関するかぎり、上のことは言えると思う。
 ではデッキの方はどうか。最も目立つのはダイナミックレンジの向上だ。これにはメタルテープの出現が大きな刺激材になっているが、私自身は、クロームやLHテープの時代から、各メーカーの作るアンプの性能に比較してデッキに内蔵された録・再アンプの能力の目立って劣っている点がひどく気になっていた。メタルテープでようやくこの点が検討されたのは、むしろ遅すぎたと言いたい気持ちだ。
 アンプと共に、ヘッドの性能も向上して、結局そのことが、周波数特性やダイナミックレンジや歪みやノイズなど、あらゆる意味での音質の向上に大きく寄与している。むろん、メカニズムの改良による走行のスムーズさ(カセットハーフ側の精度ともあいまって)も大いに音質を向上している。
 細かく書けばまだいろいろあるにしても、ともかく、以上のような理由で、カセットデッキを、私自身の再生システムの中に、常用機としてとり入れようと、一応本気で考え始めたのが、ほんのつい最近のことなのだ。ひとと比べて、ずいぶん遅いスタートだったが、私はどうしても、以前のあのカセットの音質では納得できなかった。
     *
《この1~2年(というより、もっと厳密にいえば、ほんの去年の後半あたり以後から)本当の意味で、カセットの音が、FMやレコードの音質と、十分太刀打ちできるようになってきた》
とある。

私がカセットデッキの普及機を買ったのは、1977年秋ぐらいだった。
私が使っていたアイワのカセットデッキは、
《本当の意味で完成の域に達していない》製品だった、といえよう。

私がカセットテープに感じていた不満の多くは、
1980年からのカセットデッキとカセットテープ、
それも中級クラス以上であれば、かなり解消されていたようだ。

《クロームやLHテープの時代から、各メーカーの作るアンプの性能に比較してデッキに内蔵された録・再アンプの能力の目立って劣っている》、
そういう時代のカセットデッキしか自分用としては使ってこなかった。

そのころのアイワの普及機と直接比較するまでもなく、
ヤマハのK1dは、確かに優秀である。

瀬川先生が《私自身の再生システムの中に、常用機としてとり入れようと、一応本気で考え始め》、
実際にとり入れられたのがヤマハのK1(もしくはK1a)といえよう。