「オーディスト」という言葉に対して(その26)
レコード(アナログディスクだけでなく録音物すべて)を聴くには、
どんな人であってもなんらかのシステムが必要となる。
どんなに音楽に詳しい人であっても、それは同じことである。
アナログディスクの盤面の溝を眺めて、音楽が聴こえてくるという人はいない。
つまりオーディオというシステムの力を大なり小なり借りなければ、
レコードにおさめられている音楽を聴くことはできない。
オーディオの力・助けを最低限しか必要としない人と、
オーディオの力・助けを過剰に必要とする人とがいる。
後者がオーディオマニアなのかもしれない。
最低限しか必要としないと公言している人からすれば、
オーディオマニアは、過剰に必要とする人たちとうつることだろう。
クラシック音楽を聴く人で、最低限しか必要としない人たちのなかには、
楽譜が読めるから、とか、絶対音感がある、からという人もいる。
強調しておくが、そういう人がいる、ということで、
最低限しか必要としない人すべてがそうだ、ということではない。
楽譜が……、絶対音感が……、
これらの裏にはオーディオマニアへの蔑みがこめられているかのようでもある。
かわいそうに、あなた方は楽譜が読めないんですか、
絶対音感がないんですか……、
私は楽譜が読めますし、絶対音感がありますから、
あなたたちのようにオーディオの力・助けを最低限しか必要としません──。
そう思いながら、オーディオマニアをみている人は、オーディストといえよう。