「オーディスト」という言葉に対して(その27)
オーディオマニアは、オーディオの力・助けを過剰に必要としているのか──、
これは自問である。
いまのところ、そうだ、とも思っているし、
いや違う、と思うところもある。
はっきりとした答は、まだ見出せていない。
過剰に必要としているところは確かにある。
けれど、たとえばフルレンジ一発のスピーカーシステムで聴いても、
充分満足できることもある。
そういう時には、過剰に必要としているわけではないはずだ。
でも、それは……、とまた考える。
ただひとついえるのは、
オーディオの力・助けを過剰に必要としているということは、
それだけオーディオの力を抽き出している、ということであるはず。
オーディオは、いうまでもなくコンポーネントであり、
さまざまな機種を組み合わせた上で、
ただそれだけでいい音が得られるものではなく、
入念なセッティング、チューニングがあってこそ、
オーディオに関心のない人からすれば、過剰にさえ思えるほどの音(力)を発揮してくれる。
そう考えるならば、
オーディオマニアを蛇蝎視する、ごく一部の人たちは、
実のところ、ひどい器械コンプレックスの可能性だってある。
オーディオマニアは、オーディオの力・助けを過剰に必要としている──、
そうであれば、
オーディオというシステムは、オーディオマニアの力・助けを過剰に必要としている──、
そういえないだろうか。