Archive for category テーマ

Date: 8月 6th, 2020
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その12)

昨晩のaudio wednesdayに、
ある方がCDではなくポータブルオーディオプレーヤーをもってこられた。

SPDIF出力もつ機種なので、メリディアンの218との接続も簡単だ。
どのメーカーのどの機種とは書かないが、税込みで6万円くらいで買えるようだ。

ここで書いているようにiPhoneと218を接続しての音は、あなどれないと感じている。
とはいえ、他のポータブルオーディオプレーヤー、
つまり専用の機種と比較してみたら──、ということはもちろん思っていた。

いくつかの機種を比較検討したこともある。
興味はある。
けれど、いまは、ポータブルオーディオプレーヤーに使う金額は、
そのままMQA音源の購入にあてたい、と考えているので、
比較検討しただけでとまったままだ。

とはいえ、誰かポータブルオーディオプレーヤーを持ち込んでくれないかな、と思っていた。
単純に価格で比較すればiPhoneの方が高価だが、
iPhoneには、音楽再生以外の機能をもっている。

基本はスマートフォンなのだから、それは当然であって、
音楽再生以外の機能をすべてとりさってのモノ、
iPod touch(これでもまだたくさんの機能がついている)との価格と比較すれば、
iPhoneが高価とはいえなくなり、むしろ安価ともいえる。

しかもiPhoneはLightning-USBカメラアダプタとD/Dコンバーターが必要となる。
iPhoneが音質的に有利と思える要素は、ぱっと見、少なく感じられる。

まぁ、とにかく音である。
あいにく同じ曲で比較試聴することはできなかったが、
ポータブルオーディオプレーヤーで聴いた曲は、すべて聴いている。
しかも、かなりじっくり聴いている曲もあった。

そういう比較での結果であるとはことわっておく。
ポータブルオーディオプレーヤーを持ってこられた方も、
iPhoneの方が良かった、ということだった。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: 表現する

音を表現するということ(間違っている音・その11)

その10)で、正確な音、精確な音について、ほんの少しだけふれた。

正確な音も精確な音、
どちらも(せいかく)な音である。

ここにもう一つ、(せいかく)な音を加えるとすれば、
誠確な音だと考えている。

もちろん当て字だ。
けれど「五味オーディオ教室」で、EMTの930stについての文章を読んでから、
誠実な音ということは、つねにあった。
     *
 いわゆるレンジ(周波数特性)ののびている意味では、シュアーV15のニュータイプやエンパイアははるかに秀逸で、EMTの内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣化したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、たとえばコーラスのレコードをかけると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。
 私の家のスピーカー・エンクロージァやアンプのせいもあろうかとは思うが、とにかく同じアンプ、同じスピーカーで鳴らしても人数は増す。フラットというのは、ディスクの溝に刻まれたどんな音も斉しなみに再生するのを意味するのだろうが、レンジはのびていないのだ。近ごろオーディオ批評家の言う意味ではハイ・ファイ的でないし、ダイナミック・レンジもシュアーのニュータイプに及ばない。したがって最新録音の、オーディオ・マニア向けレコードをかけたおもしろさはシュアーに劣る。
 そのかわり、どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。あまりそれがあざやかなのでチクオンキ的と私は言ったのだが、つまりは、「音楽として美しく」鳴らすのこそは、オーディオの唯一無二のあり方ではなかったか? そう反省して、あらためてEMTに私は感心した。
 極言すれば、レンジなどくそくらえ!
     *
この文章を読んだ時から、アナログプレーヤーは930stしかない──、
中学二年のときに思ってしまったし、使ってもいた。

昨晩、audio wednesdayで、コーネッタを鳴らした。
メリディアンの218D/Aコンバーター兼プリアンプとして使っての音を聴いていると、
五味先生の、この文章を思い出す。

だから誠確な音なのだ。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: audio wednesday

第115回audio wednesdayのお知らせ

9月のaudio wednesdayは、2日。

この日は、ユニバーサルミュージックからクラシック、ジャズで、
MQA-CDがいくつか発売になる。

テーマは決めていないけれど、当日購入して持っていくつもりでいる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 8月 5th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴ける「A DAY IN THE LIFE」

「A DAY IN THE LIFE」。
ジャズ好きの人ならば、当然持っている一枚なのだろうが、
クラシックばかりを聴いてきた私は、「A DAY IN THE LIFE」のことは知ってはいても、
ついクラシックを優先しているうちに、ついつい後回しにしてしまっていた。

結局、「A DAY IN THE LIFE」のCDを買ったのは、2017年の春だった。

「A DAY IN THE LIFE」のことを知ったのは、
ステレオサウンド 16号にディレクター論の二回目、
菅野先生と岩崎先生による「クリード・テイラーを語る」である。

この中に「A DAY IN THE LIFE」のことが出てくる。
     *
岩崎 ちょっと恥ずかしいんですが、ぼくは少し前までは「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を聴かないと一日が終わったという気がしなかったものです。それくらいこの人のレコードは好きなんですね。あのレコードを毎日毎日聴いていた。まるで麻薬、音楽の麻薬みたいなものですよ。あの企画は、時代の感覚を鮮明に盛りこんだ音というのは、まちがいなくクリード・テイラーの音だと思うのです。
     *
岩崎先生は、とうぜんのことだが、LPで聴かれていたわけだ。
私はCDである。

「A DAY IN THE LIFE」も、9月2日にMQA-CDで出る。

CDでしか聴いてこなかった。
一ヵ月後には、MQA-CDで聴ける。

岩崎先生が感じられていた「音楽の麻薬みたいなもの」を、
MQA-CDで聴くことで、私のなかでどう変っていくのかが楽しみである。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるコンドラシンの「シェエラザード」(その1)

9月2日に、ユニバーサルミュージックからクラシックが20タイトル、
MQA-CDで出る。これまでどおりUQHCDである。

この20タイトルのなかに、
キリル・コンドラシンとコンセルトヘボウ管弦楽団による「シェエラザード」が含まれている。

コンドラシンの「シェエラザード」は、
アルゲリッチとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲とのカップリングで、
SACDでも出ていて持っている。

そこにMQA-CDが登場することになる。
ユニバーサルミュージックのことだから、
DSDマスターを352.8kHz、24ビットに変換してのMQA-CDである。

コンドラシンの「シェエラザード」は、
瀬川先生が熊本のオーディオ店での定期的な試聴会に持ってこられたことがある。
その時の話しぶりは、とても気に入っておられたことが伝わってきた。

MQAで聴きたい録音はいくつもある。
すべての聴きたい録音がMQAで出てくるとは思っていない。

コンドラシンの「シェエラザード」もMQAで聴きたい、と思っていたけれど、
期待はほとんどしていなかっただけに、今回のMQA-CD化は嬉しい。

しかも9月2日は、9月のaudio wednesdayでもある。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: 「オーディオ」考

巧言令色鮮矣仁とオーディオ(その2)

夢は薬 諦めは毒」という書籍が書店に並んでいた。
手にとってはいない。
どんな内容なのかは知らない。

だから、この本についてなにかいいたいわけではなく、
ただ「夢は薬 諦めは毒」は、ほんとうにそうなのか、と思った。

たいていの場合は、そうだろう、とは私だって思う。
けれど、ときには「夢は毒 諦観は薬」ではないだろうか、と思うからだ。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その3)

今日、東京は暑かった。
出掛ける用事がなくて、よかった、と思うほどに暑かった。

そんな暑い日中に、コーネッタをKT88のプッシュプルアンプで鳴らしてみたいなぁ、と思っていた。

私がタンノイに接いで聴いたことのあるKT88のプッシュプルアンプは、
マッキントッシュのMC275、マイケルソン&オースチンのTVA1、
ウエスギ・アンプのU·BROS3、ジャディスのJA80の四機種だけであることは、(その1)で書いたとおり。

いずれも、いまとなっては30年、40年ほど前のアンプだから、
いまでは新品で手に入れることはできない。

ジャディスのJA80は、いまMKIIになっているが、
いま日本に輸入元はない。

話はそれるが、この十年ほど、こういうことが増えてきた。
以前は輸入されていて、ある程度知れ渡っていた海外のブランドが、
いまではすっかり忘れられてしまっている、という例が意外とある。

そのブランドがなくなってしまったわけではなく、
単に日本に輸入されなくなっただけの話だ。

しかもアジアの他の国には輸入元がある。
日本にだけない、という例が具体的には挙げないが、まだまだある。
しかも増えてきているように感じる。

それらのブランドは、なんらかの理由で日本の市場から淘汰されただけなんだよ、
そんなことをいう人もいるけれど、ほんとうにそうなのだろうか。

そういうブランドもあるだろうけど、なにか日本だけが取り残されつつあるよう気もする。

話を戻すと、コーネッタは比較的新しいトランジスターアンプで鳴らしたい、という気持に変りはないが、
それでも、こんなふうにふとKT88のプッシュプルアンプで鳴らした音を聴きたい、と思う。

なにもこんな暑い日に、こんなことを思わなくてもいいだろうに……、と自分でも思いながらも、
なぜKT88なのだろうか、とも考えていた。

Date: 8月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その4)

別項「スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ」のテーマであり、
その17)で引用している中野英男氏の文章。

リンクをはってはいても、クリックして読んでくれる人はほんのわずかしかいないから、
またか、といわれても、もう一度引用しておく。
     *
 アルヘリッチのリサイタルは、今回の旅の収穫のひとつであった。しかし、彼女の音楽の個々なるものに、私はこれ以上立ち入ろうとは思わない。素人の演奏評など、彼女にとって、或いは読者にとって、どれだけの意味があろう。
 私が書きたいことはふたつある。その一は、彼女の演奏する「音楽」そのものに対する疑問、第二は、その音楽を再現するオーディオ機器に関しての感想である。私はアルヘリッチの演奏に驚倒はしたが感動はしなかった。バルトーク、ラヴェル、ショパン、シューマン、モーツァルト──全ての演奏に共通して欠落している高貴さ──。かつて、五味康祐氏が『芸術新潮』誌上に於て、彼女の演奏に気品が欠けている点を指摘されたことがあった。レコードで聴く限り、私は五味先生の意見に一〇〇%賛成ではなかったし、今でも、彼女のショパン・コンクール優勝記念演奏会に於けるライヴ・レコーディング──ショパンの〝ピアノ協奏曲第一番〟の演奏などは例外と称して差支えないのではないか、と思っている。だが、彼女の実演は残念ながら一刀斎先生の鋭い魂の感度を証明する結果に終った。あれだけのブームの中で、冷静に彼女の本質を見据え、臆すことなく正論を吐かれた五味先生の心眼の確かさに兜を脱がざるをえない心境である。
 問題はレコードと、再生装置にもある。私の経験する限り、彼女の演奏、特にそのショパンほど装置の如何によって異なる音楽を聴かせるレコードも少ない。
 一例をあげよう。プレリュード作品二十八の第一六曲、この変ロ短調プレスト・コン・フォコ、僅か五十九秒の音楽を彼女は狂気の如く、おそらくは誰よりも速く弾き去る。この部分に関する限り、私はアルヘリッチの演奏を誰よりも、コルトーよりも、ポリーニのそれよりも、好む。
 私は「狂気の如く」と書いた。だが、彼女の狂気を表現するスピーカーは、私の知る限りにおいて、スペンドールのBCIII以外にない。このスピーカーを、EMT、KA−7300Dの組合せで駆動したときにだけアルヘリッチの「狂気」は再現される。BCIIでも、KEFでも、セレッションでも、全く違う。甘さを帯びた、角のとれた音楽になってしまうのである。このレコード(ドイツ・グラモフォン輸入盤)を手にして以来、私は永い間、いずれが真実のアルヘリッチであろうか、と迷い続けて来た。BCIIIの彼女に問題ありとすれば、その演奏にやや高貴の色彩が加わりすぎる、という点であろう。しかし、放心のうちに人生を送り、白い鍵盤に指を触れた瞬間だけ我に返るという若い女性の心を痛切なまでに表現できないままで、再生装置の品質を云々することは愚かである。
     *
アルゲリッチは好きなピアニストだから、すべての録音とまではいかないけれど、
かなりの数聴いているし、自分のシステムだけでなく、ほかのところでもわりとよく聴いていた。

それでもショパンに関しては、すでに書いているように、
どうにも苦手意識がついてまわっていたので、アルゲリッチのショパンは、自分で買ったことはない。

なので中野氏があげられている「プレリュード作品二十八の第一六曲」を自分のシステムで鳴らしたことはない。
おそらく鳴らしたところで、「狂気の如く」鳴ったとは思えない。

中野氏も、スペンドールのBCIII、トリオのKA7300D、EMTの927Dstの組合せでのみ、
アルゲリッチの狂気が再現される、と書かれているくらいだから、
それはある種、レコード再生の妙が,つくりだした「狂気」なのかもしれない。

それでも“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”のアルゲリッチのショパンを聴いて、
もしかすると……、と思い始めてもいる。

そうもしかすると、“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、限られた条件内では、
そんなふうに鳴り響いてくれるのかもしれない──、という予感がしている。

それもCDよりもMQAで鳴らしたら、と思ってしまう。
CDよりもSACDなのかもしれないが、不思議とそうは感じなかった。

アルゲリッチのショパン、ドイツ・グラモフォンから出ている前奏曲集は、
すでにMQAで配信されている(192kHz、24ビット)。

中野氏が感じられたアルゲリッチの狂気とはどういうものなのかは、
ほんとうのところは第三者にははっきりとはつかめないのかもしれない。

だから、私は私だけの、アルゲリッチの狂気を感じとりたい、という気持が強い。
そのためにも、MQAで聴いてみたいのだ。

Date: 8月 3rd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その3)

絶対的な才能と相対的な才能の違い。
一流と二流の違いは、そうなのではないだろうか。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を聴いていると、なおさらそう思ってしまう。
1965年のショパン・コンクールで、アルゲリッチが優秀したというのは、
この年の出場者のなかで、アルゲリッチがもっとも優れていた(相対的な才能)というよりも、
圧倒的(絶対的才能)だった、ということなのだろう。

ショパン・コンクールから三ヵ月の録音である“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”。
55年後のいま聴いても、輝きをまったく失っていないばかりか、
輝きをましているかのようにも感じてしまうのは、
相対的な才能の優秀なピアニストが増えてきたからなのだろうか。

7月は、“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”をよく聴いた。
ショパンの音楽をあれだけ遠ざけていた私とは思えないほどに、くり返し聴いていた。

聴くたびに、音のよさにもやはり驚く。
驚くからこそ、そしてアルゲリッチの絶対的な才能をあますところなく聴きたい、とも思う。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はSACDも出ていた。
いまごろ“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を買っているくらいだから、SACDではなくCDだ。

SACDでも聴いてみたいと思う。
でもそれ以上にMQAで聴いてみたい。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はワーナー・クラシックスから出ている。
ワーナー・クラシックスはMQAにも積極的である。
いまのところe-onkyoに“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”はない。

でも、これからさき出てくる可能性は、決してゼロではない。
そう思ってしまうのは、トリオの創業者の中野英男氏の「音楽、オーディオ、人びと」、
このなかにアルゲリッチについてかかれた文章がある。
『「狂気」の音楽とその再現』を読んでいるからなのだろう。

Date: 8月 2nd, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その5)

いまのオーディオ業界にいる一流ぶったオーディオ評論家と、
私がオーディオ評論家(職能家)と思っている人たちとの大きな違いはなにか。

その一つは、意志共有できるどうか、だと思う。
一流ぶることなく「私は二流のオーディオ評論家ですから」という人は、どうか。

意志共有できていた、ようにも思うところもある。
そうだからこそ、「私は二流のオーディオ評論家ですから」といえるのではないのか。

そこまでの才能がないことを自覚している。
そのうえで、オーディオ評論家としての役目を考え、
そのうえで自分の役割を果たしていくことは、意志共有できていたからではないのか。

一流のオーディオ評論家がすべての役割をこなしていけるわけではない。
役割分担が必要になってくる。

一流ぶったオーディオ評論家も、二流のオーディオ評論家である。
同じ二流のオーディオ評論家でも、
「私は二流のオーディオ評論家ですから」といったうえで、自分の役割をはたしていく人、
一流ぶるだけの人たち。

一流ぶっているオーディオ評論家は、一流ぶっているうちに、
役割を忘れてしまった(見失ってしまった)のではないのか。

それでも一流ぶることに長けてしまった。
一流ぶっているだけ、と見抜いている人もいれば、そうでない人がいる。

そうでない人を相手に、オーディオ評論という商売をしていけば、
これから先も一流ぶって喰っていける。

一流ぶっている人のなかには、以前は、役割を自覚していた人もいるように思う。
なのに、自身の役割から目を背けてしまったのではないのか。

一流ぶることなく「私は二流のオーディオ評論家ですから」といい役割を忘れていない人、
一流ぶることに汲々として、役割を放棄した人、
そして見極められない読者がいる。

Date: 8月 2nd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その2)

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、ピアノ・ソナタの3番から始まる。
クラシックをほとんど聴かない人であっても、
ショパンのピアノ・ソナタ3番の冒頭は、どこかできいたことがあるはずだ。

その冒頭が、誇張なしに目が覚めるように鳴ってきた。
演奏がすごいだけでなく、音もいい。
1965年の録音とは思えなかった。

アルゲリッチの演奏テクニックはすごいのだけれども、
聴いていて芸達者というふうにはまったく感じない。

別項で一流と二流について書いているところだけれど、
ここでもそのことをひしひしと感じることになる。

プロのピアニストとして十分なテクニックをもっていて、練習を怠らない人、
音楽の理解も十分にあっても、それだけでは到達できない領域があることを、
“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”は、はっきりと見せつける。

ピアノを弾けない私が聴いてもそう感じる。
ピアニストならば、どう感じるのだろうか。

ピアノを弾けない私とプロのピアニストのあいだには隔絶した壁があるわけだが、
大半のプロのピアニストとアルゲリッチとのあいだにある壁は、
それよりもずっとずっと隔絶しているのではないだろうか。

優れた指導者の元で、演奏を磨いていく。
ピアノ教育の現場がどうなのかは知らないが、
アルゲリッチがピアノを習っていた時代と現在とでは、そうとうに違っているのではないか。

トレーニング法はずっと進歩している、と思う。
だからこそ、トレーニングだけでは絶対にこえられない壁があることを、
プロのピアニストならば実感しているのではないのか。

Date: 8月 1st, 2020
Cate: ジャーナリズム, ディスク/ブック

自転車道 総集編 vol.01(その2)

(その2)を書くつもりはなかったけれど、
facebookでのコメントを読んで書くことにした。

コメントには、総集編はブームの終りに出しやすいですね、とあった。
自転車ブームが終りを迎えているのかどうかは、いまのところなんともいえないが、
少なくともピークは過ぎてしまったようには感じている。

私が「自転車道 総集編 vol.01」を高く評価するのは、
オーディオ雑誌というよりも、
ステレオサウンドが出す総集編、選集とは根本的なところで違うからである。

「自転車道 総集編 vol.01」の序文に、こうある。
     *
安井 僕は自転車道の連載の中で、ことあるごとに、しつこいくらいに書いているんです。「この記事を読んでも速くなったり楽になったりペダリングが上達したりはしないぞ」って。今までの自転車雑誌はそういう記事ばっかりでしたよね。「どのホイールが速いのか」とか「こうすれば速くなる」とか「これでラクに走れるようになる」とか。そういうシンプルでイージーな記事ばっかりだった。もちろんそういう記事も必要なんですけど、「自転車という乗り物を深く理解してみよう」という記事はなかった。だから、「速くもラクにもなれないけど、読めばもしかしたら自転車乗りとして内面から進歩できるかもしれない」という記事をずっと作りたいとも思ってました。
吉本 自分はいち自転車好きとして「こういう記事が読みたい」と思ってたんですが、編集者として、雑誌屋として、「こういう記事を作りたい」という想いも強かったですね。ありがちなインプレとかノウハウ記事とは違う、エンターテイメントとして成立する読み物があるべきだとずっと思ってました。
安井 でも最初は怖かったですよ、ホントに。「フレームにかかる力を知る」なんて企画をバーンとやったはいいものの、全員から「そんなことどうだっていいんだよ」っていわれたらどうしようって。
     *
「自転車道」は2014年から始まった記事である。
そのころに、こういう記事をはじめたところが、オーディオ雑誌とは違う。

そして自転車ブームのピークが過ぎ去ったといえるころに、
「自転車道 総集編 vol.01」を出してきた。

「どのホイールが速いのか」とか「こうすれば速くなる」とか「これでラクに走れるようになる」とか、
そういった記事の総集編ではない。

Date: 8月 1st, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その1)

ショパンの音楽に特徴的な無垢な部分。
かなり以前に、黒田先生が、なにかそんなふうに書かれていたことをおもいだす。

この特徴的な無垢な部分がショパンの音楽にはあるからこそ、
芸達者なショパンの演奏は、どこかつくりものめいたところを感じる──、
そんなふうにも書かれていた。

私は、ショパンの音楽がどうも苦手である。
いまは歳をとったせいもあるからそれほどでもなくなってきているが、
20代のころは、ショパンの音楽を聴いていると、尻のあたりがムズムズして落ち着かない。

30代のころまでそうだった。
40代のころは、ショパンをほとんど聴かなくなっていた。

ショパンが嫌いなわけではない。
ただ聴いていると、そうなるから聴くのを避けていたら、そうなってしまっただけだ。

この尻のあたりのムズムズ感は、
もしかすると、黒田先生が以前指摘されたことは関係しているのかもしれない。
そんなふうに50代になって思うようになった。

芸達者なショパンだったから、そんなふうに落ちつかなくなるのか。
先月、アルゲリッチの“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を聴いた。

録音は1965年。
アルゲリッチがショパン・コンクール優勝の数ヵ月後の録音である。

なのに世に出たのは1999年。
レコード会社との契約の関係で34年間発売されなかったことは、
クラシック好きの人ならば、よく知っていること。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”が出るといニュースを知った時は、
まだ30代だったこともあって、出るんだぁ、以上の関心がもてなかった。

“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”がショパンでなく、
ほかの作曲家の作品の録音だったら、すぐさま買っていただろう。

そんなことで発売から21年経って、はじめて聴いた。

Date: 7月 31st, 2020
Cate: ジャーナリズム, ディスク/ブック

自転車道 総集編 vol.01(その1)

オーディオ好きには自転車好きも多い、と聞いている。
どのくらいいるのかは知らない。

だから昨日(7月30日)に発売になった「自転車道」を手にしている人もいることだろう。
自転車の雑誌といえば、私が読み始めたころから、
いまもそうなのだが、サイクルスポーツとバイシクルクラブがよく知られている。

ほかの自転車関係の雑誌を置いていない書店でも、
この二冊は、ほぼ置いてあるほどに自転車の雑誌といえば、この二冊である。

どちらがおもしろいかは、年代によって違っていた。
ここ数年はサイクルスポーツのほうが断然おもしろく感じていた。

その理由の一つが、2014年から始まった「自転車道」という企画である。
残念なことに、2019年8月号で終ってしまったけれど、この記事を読みながら、
一冊の本にまとめてほしい、と思っていたし、
きっとまとめてくれるだろうな、とも期待していた。

連載終了から約一年、総集編 vol.01である。
この総集編のムックの冒頭には、序文がある。

この序文は、このムックでしか読めない。
「自転車道」では、安井行生と吉本司という二人の自転車ライターによる記事だ。

この二人の、連載をふりかえっての短い対談が、序文になっていて、
そこの見出しには、こうある。
《自転車選びが短絡的になってしまった弦駄句へのアンチテーゼとして》

この序文は、自転車をオーディオに置き換えてもそのまま読める内容だ。

自転車は、つい最近までブームだった。
いまでもブームが続いているとみえるかもしれないが、
都内の自転車店は減少している、ともきいている。

自転車の雑誌、ムックも、以前ほどにはみかけなくなってきている。
そういう時期をむかえているときに、「自転車道」が始まって、総集編が出た。

それにしても、いまのオーディオ雑誌は、こういう記事をどうしてつくれなくなったのだろうか。
つくれるさ、という編集者もいるかもしれない。

続けて、その編集者は、こういうのかもしれない。
「つくれるさ、でも、そんな記事を読者は望んでいない」と。

はたしてそうだろうか。

Date: 7月 31st, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるバックハウスのベートーヴェン(その4)

いちばん待っていたバックハウスによるベートーヴェンのピアノ・ソナタの30番、31番、32番、
このカップリングのMQAの配信が始まったのは、7月3日だった。

すぐに購入したのか、というと、実はしていなかった。

今年はベートーヴェン生誕250年ということで、
CDだけでなく配信も活発である。

今年のはじめにはクリュイタンスのベートーヴェンの交響曲がMQAで配信され始めた。
一枚ずつの配信が始まった。
どれとどれを買おうか迷っていた。

迷っているうちに、もしかすると最後に全集というかたちでの配信があるかもしれない──、
そう思うようになった。
そして、しばらくしてそのとおりになった。

全集でのMQAの配信は、一枚ずつ購入するよりもずっとお得だ。
バックハウスのベートーヴェンもそうなるかもしれない──、
という期待を勝手にもっていた。

一ヵ月は待ってみよう、
それで全集のかたちで出なければ、30番、31番、32番のカップリングを買おう、と。

クリュイタンスとバックハウスとでは、レコード会社が違う。
クリュイタンスがそうであったとしても、バックハウスがそうであるとはいえないのだが、
なんとなく全集で出る、という確信に近いものがあった。

待っていると、やはり出る。
今日、バックハウスのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集が出た。

あとは「最後の演奏会」とカーネギーホールでのライヴがMQAで出てくれれば、
もう満足といっていい。