Archive for category テーマ

Date: 10月 14th, 2020
Cate: audio wednesday

第117回audio wednesdayのお知らせ(Bird 100)

11月4日のaudio wednesdayのテーマは、Bird 100。

チャーリー・パーカー生誕100年だから、このテーマである。
チャーリー・パーカーを中心にかけていくが、四時間チャーリー・パーカーだけなわけでない。
ビリー・ホリディ、チェット・ベイカー、バド・パウエルもかける。

彼らに共通するのがなんであるのかは書かなくてもいいはずだ。
ジャニス・ジョプリンの“Summertime”もかけたいと思っている。

チャーリー・パーカーが中心ではある。
でも、それだけにとどまらずにかけていきたい演奏家として、
クラシックでは、サンソン・フランソワのショパンもかけるつもりでいる。

デカダンス的なピアニストといわれるフランソワ。
フランソワのショパンは、いまどんなふうに評価されているのか。

癖の強い演奏と受け止められているのだろうか。
1980年代の、レコード芸術の名曲・名盤の企画で、
黒田先生はショパンにかんしては、フランソワの演奏をあげられている。

馬鹿のひとつおぼえみたいにフランソワばかり選んでいる──、
と黒田先生自身書かれていたけれど、
フランソワの演奏に、ますます惹かれている、とも書かれていた、と記憶している。

サンソン・フランソワが、どんな人物なのかは、知らない人は検索してみればいい。
Bird 100のテーマとサンソン・フランソワのショパン、
そこに違和感がないはずだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 10月 14th, 2020
Cate: ヘッドフォン

AUSTRIAN AUDIO

ステレオサウンド 75号の特集「実力派コンポーネントの一対比較テスト 2×14」で、
菅野先生がAKGのヘッドフォンK240DFについて書かれている。
     *
 そしてごく最近、オーストリアのAKGから出たK240DFスタジオモニターという、ダイナミック型のヘッドフォンに出合い大いに興味をそそられている。このヘッドフォンは、まさに、私がSRΛブロを活用してきた考え方と共通するコンセプトに立って開発されたものだからである。K240DFのカタログに書かれている内容は、基本的に私のSRΛプロの記事内容に共通するものであるといってよい。ただ、ここでは、これを使って調整するのは、部屋やスピーカーではなく、録音のバランスそのものなのである。つまり、よく整った調整室といえども、現実にその音響特性はまちまちで、同じモニタースピーカーが置かれていてさえ、出る音のバランスが違うことは日常茶飯である。私なども、馴れないスタジオやコントロールルームで録音をする時には、いつもこの問題に悩まされる。便法として、自分の標準とするに足るテープをもっていき、そこのモニターで鳴らして、耳馴らしをするということをすることさえある。さもないと、往々にしてモニタ一にごまかされ、それが極端にアンバランスな場合は、その逆特性のバランスをもった録音をとってしまう危険性もある。
 K240DFは、こうした問題に対処すべく、ヘッドフォンでしかなし得ない標準化に挑戦したもので、IRT(Institute of Radio Technology)の提案によるスタジオ標準モニターヘッドフォンとして、ルームアクースティックの中でのスピーカーの音をも考慮して具体化されたものである。そして、その特性は平均的な部屋の条件までを加味した聴感のパターンに近いカーヴによっているのである。つまり、ただフラットなカーヴをもっているヘッドフォンではない。ダイヤフラムのコントロールから、イアーキヤビティを含めて、IRTの規格に厳格に収ったものだそうだ。そのカーヴは、多くの被験者の耳の中に小型マイクを挿入して測定されたデータをもとに最大公約数的なものとして決定されたものらしい。AKGによれば、このヘッドフォンは〝世界最小の録音調整室〟と呼ばれている。部屋の影響を受けないヘッドフォンだからこそ出来るという点で、私のSRΛプロの使い方と同じコンセプトである。
     *
72号でも菅野先生は、スタックスについて書かれている。
スタックスは、当時の私には、やや高価だった。
それほどヘッドフォンに対しての関心もなかったので、
スタックスのヘッドフォンのシステムに、これだけの金額を出すのであれば、
もっと優先したいモノがあった。

K240DFは安価だった。
三万円しなかったはずだ。

気に入っていた。
ヘッドフォンで聴くことはそんなにしなかったけれど、
K240DFの音を信頼していた。

そのK240DFも人に貸したっきり返ってこなかった。
しょうがないから、また買うか、と思ったときには、K240DFは製造中止になっていた。
K240シリーズは継続されていたけれど、DFの後継機はなかった。

AKGは、K1000も出していた。
ヘッドフォンメーカーとして、AKGというブランドは、私のなかでは確固たる位置にいた。

けれど2017年にハーマンインターナショナルがサムスンに買収されてしまってから、
AKGが変ってしまった、という話をきいた。

そのAKGから独立した人たちが始めたのが、AUSTRIAN AUDIO(オーストリアン・オーディオ)だ。

マイクロフォンとともにヘッドフォンもある。
日本に輸入元もある。MI7という会社だ。

けれどヘッドフォンのページは、いまだ開設されていない。
海外では、今年の春から販売されている。

そのころから、いつ日本でも発売になるんだろう、と思っているのだが、
まだのようである。

ヘッドフォン祭が開催されていたら聴けたであろうに……。

Date: 10月 13th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(カタログ)

ヤフオク!にはカタログも出品されている。
中学、高校のころはカタログを大事に持っていた。

RFエンタープライゼス時代のマークレビンソンのカタログは、ほんとうにそうだった。
LNP2のカタログを手に入れたときは嬉しかったし、
いつかはLNP2……、という憧憬をいだいて眺めていた。

その時代のカタログも、ヤフオク!にはある。
落札しようとはおもわないけれど、こういうカタログだったな、と、
そこでの写真をみると、どういう内容だったのかも、ある程度は思い出せたりする。

あの時代気カタログのすべてそうだったわけではないが、
オーディオの憧れが募ってくる出来のものは、たしかにあった。

いまもカタログはある。
インターナショナルオーディオショウに行けば、各ブースの前で配布している。
それらのカタログをもらってくることはしない。

それでもブースに入り、気になった製品があった場合には、
カタログにも手を伸ばすことはある。
それでも持って帰ることをしないのは、そう思わせてくれないからだ。

安っぽい、とはいわない。
なかには、そういいたくなるカタログもあるけれども。

なんだろう、インターネットが普及して、各社ほとんどウェブサイトで公開している。
情報を得るだけならば、ウェブサイトでことたりる。

カタログは、それ以上のなにかを感じたいのだ。
それが、いまの時代のカタログには、ほぼない。

オーディオショウでは立派なカタログがあったりする。
けれど立派なカタログが、憧れと結びついていくわけでもない。

そういうカタログをつくる余裕が、もうどの会社も失っているかもしれない。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ディスク/ブック

BEETHOVEN · Die Violin-sonaten

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ十曲。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタほど熱心に聴いてきたとはいえない。

それだから、1998年だったかに出たアンネ=ゾフィー・ムターのそれに関心をもつことはなかった。
ムターの演奏は、レコードよりも先に、
1981年のカラヤン/ベルリン・フィルハーモニーとの公演で聴いている。

東京文化会館で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だった。
かなり無理してチケットを手に入れた。
S席なんて無理で、A席も当時の私には高くて買えなかった。
B席がやっとだった。

ステージからは遠い。
そのせいもあったとは思うのだが、きれいとは感じても、
ベートーヴェンの音楽とは感じなかった。

そのことが強く印象にあって、ムターに、その後関心を持たなくなった。
そのこともあったから、よけいにムターのヴァイオリン・ソナタを聴きたいとは思わなかった。

数ヵ月前に手にした吉田秀和氏の「ベートーヴェン」。
ここにムターのヴァイオリン・ソナタがとりあげられている。
読んでいて、ムターの、この録音を聴きたくなった。
     *
 ムターは、かつてカラヤンの下でやった協奏曲の中に象徴される美しく甘いベートーヴェンの像に逆らって、別のベートーヴェンを提出する。それは新しいベートーヴェン像を築くというだけでなく、かつての自分のアンティテーゼを提出することでもある。つまり、ここでは一人の音楽家がベートーヴェンの追求を通じて、新しい自己の確立を計っているのである。
     *
ここを読んだだけでも、聴きたくなった。
さっそく買おう、と思ってタワーレコードに注文したけれど、
入手できませんでした、という返事が数週間後に届いた。

新品での入手は、もうできないようだ。
中古で手に入れるしかない。
といっても、すんなり見つかるのが、今の時代である。

私の感想は、特にいいだろう。
吉田秀和氏の「ベートーヴェン」にあるとおりだった。

1981年、ムターをドイツ人とはまったく感じなかった。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでのムターは、はっきりとドイツ人である。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その6)

昨晩、「戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)」で、
冒険と逃避は違う、と書いた。

レコード(録音物)を携えて旅に出たとしても、冒険と逃避は違う。
それに井の中の蛙を決め込んでいる人もいるけれど、これも逃避である。

逃避している人(オーディオマニア)が、
オーディオに関心をもってもらおうとして、
「オーディオは素晴らしい」、
「いい音で音楽を聴くことを体験してみて」とか、いったところで、
相手のこころに届くのだろうか。

音楽好きの人は多い。
その何分の一かでも、いい音で聴くことに目覚めてくれれば、
オーディオの世界は活性化する──、
そう考えている人は、オーディオ業界の人のなかにも、
オーディオマニアのなかにも少なからずいる。

どうすれば、そういう人が振り向いてくれるのかを、SNSに書く人もいる。
それらのなかには、音楽好きの女性にオーディオに関心を持ってもらいたい──、
というのもけっこう多い。

気持はわかる。
私も20代のころは、そんなことを考えていたし、
その後も、なぜ、女性の音楽好きはオーディオに関心を持たないのか、ということで、
仲間内で意見を交わしたこともある。

オーディオマニア(男)は、そこでオーディオの素晴らしさ、
いい音で音楽を聴くことの素晴らしさを訴えているだけではないのだろうか。
さらにはオーディオの知識や持っているオーディオ機器をひけらかすだけかもしれない。

そんなことよりも、
オーディオが好き、という感情をストレートに相手に伝えたほうがいいように思うようになった。

ここで男は──、とか、女は──、といったことを書くと、
そんなことはない、個人差のほうが大きい、とかいわれそうだし、
そうだと思うところは私にもあるのだが、
それでも好きという感情をストレートに伝えることが上手なのは、女性であると感じている。

私自身もオーディオが好きという感情を、どれだけ相手に伝えてきたのだろうか。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その10)

中学、高校の吹奏楽のコンクールが、
コロナ禍によりビデオ審査になった、ということを知った。

それぞれの学校が、それぞれの場所で、それぞれの器材を使って録画するのだろう。

これはもう録画のクォリティが、ピンからキリまで生じることになるのではないのか。
私立の学校で、吹奏楽で名が知られているところだと、
録画にもたっぷりの予算が割り当てられても不思議ではない。

プロが使う録画、録音器材、そしてプロの人たちによって、
それこそ照明を含めて、高いクォリティのものをつくりあげるだろう。

公立の学校となると、
へたするとスマートフォンの録画機能を使って、ということになるかもしれない。

そうやってつくられたものが提出され、審査する側は、そのことについてどう配慮するのだろうか。
それに器材があって技術があれば、演奏のこまかなところも修整できる。

録画による審査はしかたないことだとわかっているが、
このあたりのことに関して、録画、録音器材を指定したところで、
それらの器材を持っているところもあるし、新たに購入しなければならないところ、
その予算がないところなどがあろう。

(その6)で触れたAudio Renaissance Onlineという、
オンラインのオーディオショウに、同じことはいえる。

どんなふうに行うのかは知らないが、
出展社が一箇所に集まって、というわけではなく、
それぞれの出展社が、それぞれの場所からのストリーミングのはずだ。

オンラインのオーディオショウに出展するところは、
オーディオメーカー、輸入元なのだから、そこでの器材がスマートフォンということはない。

それでも部屋が違う、マイクロフォンを始めとする器材が違う。
同じ器材だとしても、マイクロフォンの位置は、出展社に対して指定されているとは思えない。

おそらく出展社まかせなのだろう。
こういうことを含めてのオンラインのオーディオショウとしても、
最低限のリファレンスは決めた方がいい。

今年は、まずやることが優先されているのはわかっている。
それでも送り出し側、受け手側、それぞれのリファレンスを有耶無耶にしたままでは、
お祭りのままで終ってしまうことになりかねない。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)

その1)から六年。
書きたかった結論は、冒険と逃避は違う、ということだけだ。

黒田先生の「風見鶏の示す道を」には、
駅が登場してくる。
幻想の駅である。

駅だから人がいる。
駅員と乗客がいる。

駅員と乗客は、こんな会話をしている。

「ぼくはどの汽車にのったらいいのでしょう?」
「どの汽車って、どちらにいらっしゃるんですか?」
「どちらといわれても……」

どこに行きたいのか掴めずにいる乗客(旅人)は、
レコード(録音物)だけを持っている。

そのレコードは、いうまでもなく旅人が、聴きたい音楽であるわけだが、
この項で書いてきたのは、その「聴きたい音楽」をつくってきたのは、
なんだったのか、であり、
聴きたい、と思っている(思い込んでいる)だけの音楽なのかもしれない。

嫌いな音を極力排除して、
そんな音の世界でうまく鳴る音楽だけを聴いてきた旅人が携えるレコードと、
「風見鶏の示す道を」の旅人が携えるレコードを、同じには捉えられない。

前者は逃避でしかない。
本人は、冒険だ、と思っていたとしてもだ。

Date: 10月 10th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その10)

前回と今回のaudio wednesdayで試したケーブルのことを、
私は便宜的にグリッドチョーク的ケーブルと呼んでいる。

もっといい呼称を思いついたら、そちらに変更するが、
いまのところグリッドチョーク的ケーブルと表記していく。

グリッドチョーク的ケーブルには、トランスを使う。
トランスには巻線がある。この巻線はいうまでもなくコイルである。

二年くらい前から、このブログでCR方法について書いている
この方法は、グリッドチョーク的ケーブルにも応用できる。

今回のケーブルもそうしようか、と思ったが、
前回のケーブルと今回のケーブルの違いを、
前回来られた方が今回も来てくれるのであれば、比較試聴になるしということで、
あえて試してない。

グリッドチョーク的ケーブルに使っているタムラのA8713の一次側巻線の直流抵抗は、約1kΩ。
なので1kΩの抵抗(ここはDALEの無誘導巻線抵抗)と0.001μF(1000pF)を直列にして、
巻線に並列に接続する。

次はこれを試してみる予定だし、来月のaudio wednesdayの最初の方で、
ありなしの音を聴いてもらう。

さらには開放状態の二次側巻線をどうするかである。
ここにもCR方法を試すつもりである。

これらのことを試していくとともに、
いまはむき出しのままで使っているトランスを、どうケーシングするのかも、今後の課題。
その後、A8713だけでなく、グリッドチョークのいくつかも試してみたい。

それにA8713も一次側巻線を、いまの20kΩから5kΩに変更すれば直流抵抗は約500Ωとなり、
直流域でショート状態に近づけることが、どれだけ音に影響していくのかも、
audio wednesdayでの公開試聴でやっていく予定だ。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その11)

私が知識過剰だと感じる人は、どうして攻撃的な面を、
インターネットで見せるのだろうか──、
その理由のはっきりとしたところはわからないけれど、
ただ感じているのは、その人からは、いわゆる力を感じないことと関係しているように思う。

ここでの力とは、オーディオの力ということになるが、
ではオーディオの力とはどういうことなのか、となると、難しい。

例えば高価なオーディオ機器を次々と買える人は、経済力という力がある。
重量級のオーディオ機器をひょいと持ちあげる人は、文字通りの力持ちである。

ここでいう力とは、そういう力ではない。
オーディオ力と書いてしまうと、よけいに混乱させてしまうだろうが、
私がいいたいのは、そういうことである。

その人の音を聴かなくとも、何度かオーディオのことを話す機会があれば、
感じとれるものだ。

オーディオ力は、最初からあるわけではない。
オーディオに興味をもったばかりの人が、オーディオ力を持っていなくても当然であり、
そういう人を知識過剰とは感じない。

知識過剰と感じてしまうオーディオマニアは、
オーディオのキャリアも長くて、
オーディオに関することさまざまなことに積極的でありながらも、
いざ話してみると、底の浅さが透けて見えてしまう人といったらいいのだろうか。

本人が、そのへんのところはいちばんに感じているのかもしれない。
強がっているようなところを感じるからだ。

その強がるところを、インターネットは補強してくれる、武装してくれる──、
そしてますます知識過剰になっていく。
力を身につけることなく、である。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: audio wednesday

第117回audio wednesdayのお知らせ(Bird 100)

7月からの四回、
audio wednesdayではタンノイ・コーネッタを鳴らしてきた。

11月4日のテーマは「Bird 100」だから、ひさしぶりにアルテックを鳴らそう、と、
10月のaudio wednesdayの前までは、そう思っていた。

コーネッタの、その時の音を聴いて、
「Bird 100」もコーネッタで鳴らそう、と思うようになった。

チャーリー・パーカーのMQA-CDが11月に発売になる。
けれど6日なのだ。間に合わない。
わずか二日であっても、手に入れられないモノは無理である。

だからといって12月のaudio wednesdayは、「Beethoven 250」で決っている。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(OTOTEN 2019・その11)

その4)で、ミュージックバーの店員に、
オーディオマニアであることをバカにされた人のこと、
北海道の若いオーディオマニアが、周りの人に、オーディオマニアだ、というのは、
カミングアウトに近い感覚であることを書いた。

先日、ある量販店のオーディオコーナーに寄ってみた。
30前後か、もう少し若いのだろうか、二人の男性がいた。
友人同士のようだった。

一人はオーディオマニアで、もう一人はオーディオに関心がない人だということが、
話している内容からわかる。

オーディオマニアのほうが、スピーカーにこれだけ使った、アンプにはこれだけ、という、
自慢話をしていた。
オーディオに関心のない人は、一言「ダッセー!」と返していた。

仲のいい二人のようで、それで険悪な雰囲気になることなく、
話をしながら別のコーナーに移っていった。

オーディオマニアの彼が使った金額というのは、
関心のない人からすれば、けっこう金額であるだろうが、
そのくらいじゃ……、というオーディオマニアの方が、世の中には多い。

びっくりするような金額ではないけれど、
それでもオーディオにそれだけ注ぎ込んでいることを、「ダッセー!」の一言で否定される。

オーディオだからなのだろうか、
それとも趣味にのめりこみ、けっこうな金額のお金を使う、
そのことすべてが「ダッセー!」なのか。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Billie Jean(その1)

マイケル・ジャクソンのディスクは一度も買ったことはない。
それでも、あれほどヒットしていたから、どこかでは耳にしている。
“Billie Jean”も、何度かは聴いている。

断片的に聴いたこともあるし、通しで聴いたこともある。
それでも自分のシステムで聴いたことはないし、
誰かのシステムで、というわけでもなかった。

今回、コーネッタで“Billie Jean”を聴いた。
こうやって聴くのは今回が初めて、といっていい。

聴いて、こんなにも音がいいのか、と驚いた。
いまさら驚くなんて……、といわれるだろうが、
なんと気持ちの良い音なのか。

キレッキレの躍動感で鳴ってくれる。
だからといって耳障りなわけではなかった。

音が鳴ってきた瞬間、音がいいと驚いた。
聴いているうちに、たっぷりとお金をかけられた音のよさでもあるな、と思っていた。

マイケル・ジャクソンほどヒットを飛ばしている歌手だから、
これだけの録音が許されたんだろうなぁ、
いまこんな贅沢な録音が許される人は誰がいるんだろうか……、
そんなことも思っていた。

コーネッタで“Billie Jean”なんて……、と思い込んでいる人は聴かなくていい。
そんな人は、今回のaudio wednesdayと同じシステムを与えられても、
“Billie Jean”をうまく鳴らせっこない、と思うからだ。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その9)

グリッドチョークのことに、前回気づいてから思い出したことがある。
ステレオサウンドでの井上先生の試聴でのことだ。

CDは登場していたけれど、
まだまだアナログディスクの売上げが多かった時のことだ。
だからプリメインアンプ、コントロールアンプには、
きちんとしたフォノイコライザーが搭載されていた。

その時の試聴はCDのみを使ってだった。
途中で、井上先生がその時使っていたアンプのフォノ端子に、
MC型カートリッジの昇圧トランスを接続してみろ、と指示された。

なぜ、そんなことを? と思いながらやってみると、
小さくないどころか、かなりの音の変化があった。

昇圧トランスの接続前は、フォノ端子には何も接続されていなかった。
次に、昇圧トランスを外して、MC型カートリッジをトーンアームに装着した状態で、
フォノケーブルをフォノ端子に挿す。

また音が変る。
最後はフォノ端子にショートピンである。

アンプの入力セレクターをフォノにして、ボリュウムをあげていく。
レコードは再生していない状態だから、ノイズのみがスピーカーから出てくる。

ここに昇圧トランスを接続すると、ノイズが減る。
MC型カートリッジでも減る、ショートピンでも減る。

ショートピンの時が、もっともノイズが減るのは理屈通りである。
このときはフォノイコライザーのノイズが、
CD再生にどれだけ影響しているのか確認であった。

この時は、CD再生時に、フォノイコライザーのノイズの処理の手法であったわけで、
昇圧トランスの二次側巻線の直流抵抗がどれだけだったのかはわからないが、
少なくともフォノイコライザーの入力インピーダンス(47kΩか50kΩ)よりは低い。

ということはフォノイコライザーほどゲインは高くないし、
ノイズも少ないラインアンプであっても、ノイズの低減化の効果もあるといえる。

とはいえこの時は、
フォノイコライザーのノイズ影響の低減化だけに気を奪われて、
ライン入力にトランスの巻線を並列に接ぐこと、
つまり池田 圭氏が盤塵集に書かれていたことを思い出していたわけではなかった。

Date: 10月 9th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その8)

9月のaudio wednesdayに引き続き、
今回もラインケーブルにタムラのA8713の一次側巻線を並列に接続したものを持っていった。

ただし今回は、A8713をメリディアンの218出力側から、
マッキントッシュのMA7900の入力側へと位置を変更した。

A8713を二組(四個)持っていれば、
ラインケーブルを二組作って、比較試聴ができるけれど、あいにく一組しか持っていない。

ならばケーブルの向きを入れ替えて、ということになるだろうが、
これでは厳密な比較試聴にはならない。

ケーブルの方向性もあるけれど、
それ以外にも自作ケーブルの構造上、
単にケーブルの向きを反転させれば済むというわけにはいかない。

なので当日の午前中、ラインケーブルを自作していた。
前回のケーブルとの比較試聴はできないが、
喫茶茶会記には、同じシールド線を使ったトランスなしのケーブルがある。

9月も、このケーブルとの比較を行っているから、
今回も短いけれど、比較しているから、A8713をどちら側にもってきたらいいのかの、
一応の結論は出た、といっていい。

前回試したときから、今回の結果はある程度は予測できていた。
それにグリッドチョークのことを思い出してもいたし、
そのことからも受け側(MA7900の入力側)のほうが、
好結果が得られる可能性が高いだろう、と。

実際にそうだった。
A8713なしのケーブルとの比較でいえば同じ傾向で音は変化する。
けれどA8713の位置の変化で、今回の方がよさが際立っている、と感じた。

今回A8713をMA7900の入力側にもってきたことで、
アンプの入力と出力、両端にコイルが接続するかっこうになった。

出力には、マッキントッシュ独自のオートフォーマー、
入力にはA8713の一次側巻線というふうに、である。

Date: 10月 8th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Sel

ついさきほど昨晩のaudio wednesdayでのプレイリストを公開した。
19時開始で、23時まで、途中21時ごろ短い休憩を入れたが、
ずっと野上さんと赤塚さんの選曲を聴いていた。

RoonとTIDALを使ってだから、
CDのかけかえによる曲と曲との空きはなく、
切れることなく音楽が鳴っているから、みな黙って聴いていた。

それでも赤塚さん選曲のSmadj(スマジ)の「Sel」が鳴ったあとは、
みな驚いていた。驚きの声があがった。

私も聴いていて驚いていた。
選曲した赤塚さんも、その鳴ってきた音に驚いていたぐらいだから、
みんな驚いて当然なのだろう。

Smadjはチュニジアのミュージシャン。
このブログを読まれている人で、Smadjを知っている、聴いているという人は、
どれだけいるのだろうか。
私はまったく知らなかった。

聴いている人は、少ないだろう。
だから、昨晩聴いたなかで、Smadjの「Sel」をイチオシしたい。