オーディオと「ネットワーク」(情報量・その11)
私が知識過剰だと感じる人は、どうして攻撃的な面を、
インターネットで見せるのだろうか──、
その理由のはっきりとしたところはわからないけれど、
ただ感じているのは、その人からは、いわゆる力を感じないことと関係しているように思う。
ここでの力とは、オーディオの力ということになるが、
ではオーディオの力とはどういうことなのか、となると、難しい。
例えば高価なオーディオ機器を次々と買える人は、経済力という力がある。
重量級のオーディオ機器をひょいと持ちあげる人は、文字通りの力持ちである。
ここでいう力とは、そういう力ではない。
オーディオ力と書いてしまうと、よけいに混乱させてしまうだろうが、
私がいいたいのは、そういうことである。
その人の音を聴かなくとも、何度かオーディオのことを話す機会があれば、
感じとれるものだ。
オーディオ力は、最初からあるわけではない。
オーディオに興味をもったばかりの人が、オーディオ力を持っていなくても当然であり、
そういう人を知識過剰とは感じない。
知識過剰と感じてしまうオーディオマニアは、
オーディオのキャリアも長くて、
オーディオに関することさまざまなことに積極的でありながらも、
いざ話してみると、底の浅さが透けて見えてしまう人といったらいいのだろうか。
本人が、そのへんのところはいちばんに感じているのかもしれない。
強がっているようなところを感じるからだ。
その強がるところを、インターネットは補強してくれる、武装してくれる──、
そしてますます知識過剰になっていく。
力を身につけることなく、である。