Archive for category テーマ

Date: 1月 3rd, 2021
Cate: Cornetta, TANNOY, バスレフ(bass reflex)

TANNOY Cornetta(バスレフ型エンクロージュア・その3)

喫茶茶会記のスピーカーシステムは、38cm口径のウーファーである。
アルテックの416-8Cを、ウルトラバスレフ型エンクロージュアにおさめている。

日本では、オンケン型バスレフといったほうがとおりがいい形式のもので、
エンクロージュアの両端にバスレフのスリットが設けられている。

audio wednesdayで、このアルテックのシステムを鳴らしてきて、
ふとした時に思っていたのは、後少し低音が下までのびていれば、ということだった。

1オクターヴとはいわない、半オクターヴほどでいい、
下までのびていればいいのに、と思うのは、
昔、JBLの4343で聴いた印象が強いディスクをかけたときだった。

もちろん不満を感じないこともある。
それでも、ないものねだりなのはわかっていても、あと少し、とおもうことが何度かあった。

コーネッタを喫茶茶会記で鳴らして感じたのは、
このアルテックよりも下がのびている、ということだった。

コーネッタにおさめられているユニットは、HPD295Aで25cm口径である。
38cmと25cmではふとまわり違う。

それでもコーネッタのほうが、アルテックよりも下までのびている感じなのだ。
どちらが良質の低音なのかは、ここでは問わない。
どちらがより低い帯域まで再生できるかといえば、
私だけでなく、ほかの人の耳にも、はっきりとコーネッタだった。

だからコーネッタを聴いていて、思い出していたのは、
セレッションのSL6のことだった。
ステレオサウンドの試聴室で、新製品の試聴で、
クレルのKMA200で鳴らした時のSL6の音、それも低音ののびは、
いまも印象的なほどはっきりと憶えている。

Date: 1月 2nd, 2021
Cate: 老い

老いとオーディオ(と私)

二日前に、母方の祖母のことを少しだけふれた。
祖母は、母の生みの親ではなく育ての親である。

宮﨑という姓も、祖母から来ている。
母方の祖父は30代なかばで、スキーでの怪我が元で亡くなっている。
そういう事情で母は、宮﨑姓となった。

田舎に住んでいたとき、この祖父の妹、A子さん(母の叔母)が、
年に数回、家に寄ってくれていた。

A子おばさん、と私は呼んでいた。
A子おばさんによると、私は、若くして死んだ祖父にそっくりなのだそうだ。
体形も顔付きも、色白なところもよく似ている、といわれていた。

中学生になり、オーディオに興味をもち、クラシックを聴くようになると、
「どうして、そういうところまでそっくりなの」と驚かれた。

祖父は、当時蓄音器でクラシックをよく聴いていたそうだ。
それまで祖父がクラシックを聴いていたことは、まったく聞かされてなかった。

祖父の享年はとっくに超えてしまっている。

私が「五味オーディオ教室」と出逢ったころ、
周りにオーディオマニアは一人もいなかった。

ここまで音楽とオーディオにのめりこむことになるきっかけと環境があったわけではないのに、
ずっとのめりこんだままである。

ふとなにかの拍子に、なぜオーディオだったのだろう……、とおもうことがある。
祖父のことがあってのオーディオだったのだろうか。

Date: 1月 1st, 2021
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドの表紙に感じること(その6)

(その5)を読んで、同感だ、という人もいれば、
そう思わない、という人もいることだろう。

そう思わない人が、どういう人なのかはまったく私にはわからない。
私の友人で、古くからステレオサウンドを読んできた人は、
217号の表紙は、ひどい、と感じている。

彼らは、中学、高校時代のステレオサウンドを誇らしく感じていたのだろう。
だから217号の表紙をひどい、と感じる。

217号の表紙を、そんなふうには感じない人たちは、
書店で手に取ること、
なけなしの小遣いで購入することに誇らしさを感じてなかった人たちなのだろう。

そんな人たちにとっては、当時のステレオサウンドの表紙も、
217号の表紙も同じに見えているのだろう。

たかが雑誌じゃないか、
そんなものに誇らしさを感じるなんて……、
そんな意見もあるはずだ。

坂野さんも私も、学生時代、なけなしの小遣いをやりくりして、
ステレオサウンドを買って読んでいた。

そのころのステレオサウンドを、すでに社会人になっていて、
何の苦もなく買えていた人もいるのはわかっている。

そういう人のなかには、誇らしさを感じたり、
ステレオサウンドに特別な思い入れをもったりすることはなかったのかもしれない。

最近感じていることは、ステレオサウンド編集部は、
思い入れをもっている読者は要らない、と思っているのではないか、である。

Date: 1月 1st, 2021
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドの表紙に感じること(その5)

別項「2020年をふりかえって」で、
ステレオサウンド 217号の表紙のひどさについて書いた。

(その18)に、デザイナーの坂野さんからコメントが、facebookであった。
そこには、こう書かれていた。
     *
田舎に住む中学生が、書店で手に取ること、なけなしの小遣いで購入すること、そこに『誇らしさ』をも感じさせてされる表紙でした。(もちろん全内容も)
     *
坂野さんは私よりも少し年上だが、近い世代である。
だから、よくわかる。
坂野さんが書かれているとおりだったのだ、当時のステレオサウンドは。

中学生でステレオサウンドを読むことは、誇らしさを感じさせくれた。
だからこそ、ステレオサウンド編集部で働くようになり、
62号の編集後記が載ったのをみたときは、感慨ひとしおであった。

別項で触れているが、
若い世代のオーディオマニアが、周りの人たちにオーディオを趣味としている、
オーディオマニアだ、ということは、カミングアウトに近い感覚なのだそうだ。

その人、一人のことなのかもしれないが、
少なくとも、その人は、いまのステレオサウンドを、
書店で手に取ったり、人前で読んだりすることに誇らしさは感じていないはずだ。

いまでは電車で、ステレオサウンドを読んでいる人は皆無といっていい。
私が上京した、約四十年前は、読んでいる人をたまにではあるがみかけたものだった。

私も電車のなかでひろげて読んでいた。

いまのステレオサウンド編集部は、みな、217号の表紙を誇らしく思っているのだろうか。
ステレオサウンドに書いている人たちは、どうなのだろうか。

Date: 12月 31st, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年の最後に

母方の祖母は、毎日、
変りありませんように、と仏壇の前で手を合せていた。

祖母は私が小学生のときに亡くなっている。
当時は、そんなこと……、と思っていた。

20代、30代のころは、
変りありませんように、が無意味なこととと思っていた。

終息どころか収束の気配すらない新型コロナの一年を過ごして、
祖母の心情が、少しはわかってきたような気がする。

Date: 12月 30th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その18)

雑誌は、知らない世界(分野)への扉でもある。
だから、書店の雑誌コーナーを観るのは楽しい。

まったく知らない世界の雑誌は数多くある。
そのなかで手にとるきっかけとなるのは、表紙だ。

ステレオサウンド 217号の表紙をみていると、
ステレオサウンドは、もう新しい読者をもとめていないのか、とも思う。

定期購読している人ならば、217号の表紙であろうと買う。
その人たちだけを相手に商売をしていくのであれば、それでもいい。

でもそれではいつか尻すぼみに終りを迎えることになる。
新しい読者、これからオーディオに関心をもってくれる人たちを、
書店でとらえるのに、217号の表紙は役に立たないどころか、
逆効果ではないだろうか。

私が最初に手にしたステレオサウンドは41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。
「五味オーディオ教室」で出逢って、オーディオに興味をもっていたから、
ステレオサウンドを手にとった、ということもあるが、
41号の表紙、「コンポーネントステレオの世界 ’77」の表紙は、よかった。

「五味オーディオ教室」とまだ出逢ってなかったとしても、
表紙だけでステレオサウンドを手にとっていたはずだ。

Date: 12月 29th, 2020
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年III ステレオ時代と日本製システムの変遷(その1)

コロナ禍ということもあって、書店に足を運ぶ回数がめっきり減ってしまっている。
十日前ほど前に発売になっていたようだが、今日まで気がつかなかった。

佐伯多門氏の「スピーカー技術の100年」の第三弾、
スピーカー技術の100年III ステレオ時代と日本製システムの変遷」が出ている。

無線と実験に連載されていた記事をまとめたものである。
無線と実験には、いいたいことがないわけではない。
けれど、「スピーカーの技術の100年」をこうやって出してくれる。

この種の本を出してくれる。
このレベルで出してくれている。

だから、文句めいたことはいわずにおこう。

書店に手にとって、高い、と思う人もいるだろう。
でも、こういった本は、あとで買おう、と思っていると、
いつのまにか市場から消えてしまうことが多い。

手にとって興味をもったならば、早めに買っておいた方がいい。

Date: 12月 28th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その17)

ステレオサウンドは四冊、オーディオアクセサリーも四冊。
管球王国、アナログもそうである。
ステレオ、無線と実験、ラジオ技術は十二冊。

一年間で五十冊をこえるオーディオ雑誌が出版されている。
それぞれに表紙がある。

2020年、いちばん印象に残ったのは、
いま書店に並んでいるステレオサウンド 217号の表紙である。

ステレオサウンドの表紙は、
安齊吉三郎氏の時代ではなくなって、ずいぶん経つ。

いまの人が撮るようになって、感心したことはない。
有名な人なのだろうが、表紙のインパクトがずいぶん薄れてしまっている。

そう感じていたし、それが当り前になっていたところに、217号の表紙である。
美しさのかけらもない表紙だ、と思って書店で眺めていた。

ひどく安っぽいのだ。
おまけに季節感も、そこにはまったく感じられない。

Date: 12月 28th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その16)

(その15)の続きとしての(その16)ではなく、
2021年1月12日発売のラジオ技術2月号に掲載される、
「これからオーディオを始める方へ筆者からのメッセージ」という記事について、である。

ラジオ技術の筆者、九氏によるアンケート形式の記事である。
ラジオ技術は、この形式の記事を以前から不定期でやっている。
私は、楽しみにしている記事の形式でもある。

1月発売なのだから、どんなことが載っているのかはまったく知らない。
それでも、企画として、他のオーディオ雑誌もぜひやってほしい、と思う。

こういう企画は、一つのオーディオ雑誌だけでなく、
同時にすべてのオーディオ雑誌でやってくれれば、非常に面白い記事となるはずだ。

それぞれのオーディオ雑誌の色が明確になるはずだし、
そこに書いている人たちの色も、ほかの記事よりも濃く出るであろう。

年末には、どのオーディオ雑誌も賞をやる。
申し合わせたようにやる。
賞ばかりでなく、こういう記事(アンケート)もやってほしい、というより、
やったほうがいい、ともいいたいし、やるべきだ、とも思っている。

「これからオーディオを始める方」を、どう捉えるのか。
10代の世代なのか、社会人になったばかりの世代なのか、
それとも子育てが一段落して自分の時間が持てるようになった世代、
仕事を退職して、という世代、
どの世代にも、これからオーディオを始める人はいるはずだ。

このへんのことも含めて、それぞれの筆者がどう答えるのか。
そのことを含めて楽しみにしている記事である。

Date: 12月 27th, 2020
Cate: 映画

映画の音、ホームシアターの音(その1)

今日、ホームシアターで「マトリックス リローデッド」を観ていた。
スピーカーは田口スピーカーのトールボーイ型。

このスピーカーで、この空間で音楽を聴いたことはあったけれど、映画を観たのは初めてだった。

「マトリックス リローデッド」は劇場で観ている。
十七年前のことだから、記憶も少しあやしくなっているのはわかっているが、
それでも劇場で観た時よりもずっと音楽に耳が向いていることに気づいた。

本格的なホームシアターで映画を観たことはないので、なんともいえないのだが、
こういうホームシアターの在り方は、いいな、と思っていた。

今日までは観に行くつもりはなかったのだが、TOHOシネマズ日比谷のサウンドシステムのチューニングが、
より音楽を聴く方向になった、というニュースが最近あった。
大晦日に「ボヘミアン・ラプソディ」を上映する。
こういう状況下ではあるが、混み具合をみてどうしようかな、と思っている。

Date: 12月 26th, 2020
Cate: 書く

毎日書くということ(本音を失っているのか・その5)

映画「ワンダーウーマン1984」では、
「猿の手」のことが出てくる。

「猿の手」とは、ジェイコブズの短編小説のことだ。
「猿の手」の内容については、調べればすぐに出てくるので省略する。

願いの成就には、高い代償を伴うわけだ。
「ワンダーウーマン1984」でも、そうである。

観終って、オーディオ評論家(商売屋)も、そうなのかもなぁ、と思った。
オーディオ評論家として喰っていけるようになりたい、
一流のオーディオ評論家と呼ばれるようになりたい、
人気のあるオーディオ評論家になりたい、
そんな願いをもっていた人もいるのではないのか。

その願いはかなった、といえるだろう。
オーディオ評論家として、その名前を広く知られるようになったし、
オーディオ雑誌の年末の賞の選考委員になっている。

傍から見れば、オーディオ評論家として成功した人であろう。
けれど、願いの成就の代償として何かを失っていないだろうか。

本音を失っていないだろうか。

Date: 12月 25th, 2020
Cate:

オーディオと青の関係(名曲喫茶・その7)

2020年の大半は、コロナ禍である。
だった、と過去形で書けないのが、現状である。

飲食店は大変だ、と耳にする。
飲食店だけではないはずだが、
飲食店の閉店をきいたりみたりする機会がけっこうあるだけに、
新型コロナのおよぼす影響の深さを実感することになる。

この項で書いている新宿珈琲屋は、私にとってはじめての馴染みの店だった。
二年程しか通えなかったけれど、
それでも新宿珈琲屋は、馴染みの店だった。

東京で暮すようになって、来春で四十年になる。
馴染みの店はいくつかできた。

けれど新宿珈琲屋のように、それらのほとんどがなくなってしまった。
それぞれの理由で終っている。

いま馴染みの店は、いくつもない。
その数少ない飲食店も、どうなるのかはなんともいえない。

馴染みの店ではないものの、よく行く店のいくつかは今年閉店してしまった。
それだから、よけいに新宿珈琲屋のことを思い浮べる。

新宿珈琲屋がなくなり、代りになる店を一時期探した。
都内の主だった珈琲店に行った。
いまほど情報があふれる時代ではなかっただけに、雑誌が頼りだった。

でも代りとなる店、
馴染みの店となる珈琲店はついに見つけられなかった。

いまだったら、どうだろうか……、とは思わない。

あのころステレオサウンドで働いていなかったら、
あれほど新宿珈琲屋に通えなかった。

一杯五百円の珈琲は、当時としては高いほうだった。
ステレオサウンドで働く前から新宿珈琲屋のことは知っていたけれど、
アルバイトもほとんどしてなかった学生にとって、
五百円の珈琲は高いだけでなく、私の住んでいた田舎では、
高校生が一人で喫茶店に入ることが禁じられていた。

いつかは行ってみたい、と思っていた珈琲店に、
週に何度も通えるようになったのは、ステレオサウンドで働いていたからだ。

新宿珈琲屋は、あのときの私にとって《恵まれた青春》のようだった。

Date: 12月 24th, 2020
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(余談)

映画「ワンダーウーマン」の主演女優のガル・ガドットは、
映画のなかで、眉間に皺をよせている。
かなり頻繁によせている。

監督が同じでも、皺の似合わない女優がワンダーウーマンを演じていたら、
こんなに夢中になっただろうか。

Date: 12月 24th, 2020
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その23)

その22)を書いたのは3月だった。
そのころは三ヵ月後にコーネッタを手に入れることになろうとは、まったく思っていなかった。

でも、皺のことを書いていた。
皺が似合うスピーカーとそうでないスピーカーがあるような気がする、
と書いている。

このとき、私の頭になかにあったのは、間違いなくタンノイも含まれていたはずだ。
特定のスピーカーを思い浮べていたわけではなかったけれど、
私のなかでは、ヴァイタヴォックスとともにタンノイも、皺の似合うスピーカーである。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
井上先生が菅野先生との対談で、こんなことを語られている。
     *
井上 ただ、いまのHPDはだいぶ柔和になりましたけれども、それだけに妥協を許さないラティチュードの狭さがありますから、安直に使ってすぐに鳴るようなものではない。現実に今日鳴らす場合でも、JBLとかアルテックなどとは全然逆のアプローチをしています。つまり、JBLとかアルテックの場合、いかに増幅段数を減らしクリアーにひずみのないものを出していくかという方向で、不要なものはできるだけカットしてゆく方向です。ところが、今日の試聴ではLNP2Lのトーンコントロールを付け加えましたからね。いろいろなものをどんどん付けて、それである音に近づけていく。
     *
コーネッタを鳴らしていて、そういったところがあるのを感じていた。
なぜそうなるのか、その理由を特定しようとは思っていないけれど、
皺の似合うスピーカーだからなのだろう、と思うところもある。

もちろん、だからといって、タンノイのスピーカーを鳴らしていくうえで、
井上先生が語られている方向だけが絶対というわけではない。

いままで皺の似合わないスピーカーばかりを鳴らしてきた人が、
皺の似合うスピーカーを鳴らすことになったら、これも手の一つである、ということだ。

Date: 12月 23rd, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その16)

今年きいたディスク(配信も含めて)で、
いちばん印象深かったのは何か。
それも新譜について書こうとしたのだが、すぐには何も浮ばなかった。

新譜は買って聴いている。
今年は、別項で書いているように落穂拾い的なディスクの買い方をしてきた。
なので新譜のCDはそれほど買っていないとはいえ、まったく買っていないわけではない。

なのに、浮んでこない。
結局浮んできたのは、カザルスのベートーヴェンとモーツァルトの交響曲だった。
新譜でもなんでもない。
ずいぶん前の録音だし、これまで数えきれないほど聴いてきた。

特にベートーヴェンの七番は、聴いている。
そのカザルスのベートーヴェンとモーツァルトを、今年は無性に聴きたくなったから、
夏以降、何度かくり返し聴いてきた。

11月のaudio wednesdayでは、カザルスのモーツァルトをかけた。
12月のaudio wednesdayでは、カザルスのベートーヴェンをかけた。

どちらもコーネッタで聴いた。
カザルスのモーツァルトとベートーヴェン、
タンノイで聴いたのは今回が初めてだった。