Archive for category テーマ

Date: 9月 22nd, 2020
Cate: ベートーヴェン, 正しいもの

正しいもの(その22)

ステレオサウンド 94号(1990年春)の特集、
CDプレーヤーの試聴で、井上先生はEMTの921の試聴記の最後に、こう書かれている。
《ブルックナーが見通しよく整然と聴こえたら、それが優れたオーディオ機器なのだろうか》と。

私が10代のころ読んでいたステレオサウンドでは、
井上先生がどんな音楽を特に好まれて聴かれているのかがわからなかった。

ステレオサウンドの試聴室で、井上先生の隣で聴くことができてから、
いろんな音楽を聴かれていることがわかった。

実際に会えばすぐにわかることなのだが、井上先生は照れ屋である。
だからだろう、好きな音楽のことをことさらに語られることはされない。

それでも試聴中、ときどきぽろっといわれることがある。
そうとうに音楽を聴いているからこそのひとことである。

《ブルックナーが見通しよく整然と聴こえたら、それが優れたオーディオ機器なのだろうか》、
これに関しても、ほほ同じことを試聴のあいまにきいている。

94号の試聴では、カラヤン/ウィーンフィルハーモニーのブルックナーの八番が、
アバドのロッシーニの「アルジェのイタリア女」、
ボザール・トリオのモーツァルトのピアノ三重奏曲第一番、
バーバラ・ディナーリーンの「ストレート・アヘッド!」といっしょに、
試聴ディスクとして使われている。

これまでも書いているように、私はブルックナーはあまり聴かない。
最近の指揮者のブルックナーは、まったく聴いていない。

もしかすると、最近のブルックナーは《見通しよく整然と聴こえ》るのかもしれない。
そうだとして、そういうブルックナーしか知らない聴き手は、
《ブルックナーが見通しよく整然と聴こえたら、それが優れたオーディオ機器なのだろうか》
という疑問はまったくもたないであろう。

でも、ここではカラヤン/ウィーンフィルハーモニー、
それもカラヤン晩年のブルックナーであり、
1931年生れの井上先生が聴いてのブルックナーである。

Date: 9月 22nd, 2020
Cate: ベートーヴェン, 正しいもの

正しいもの(その21)

瀬川先生が、「あなたはマルチアンプに向くか向かないのか」で書かれている。
     *
 もう何年も前の話になるが、ある大きなメーカーの研究所を訪問したときの話をさせて頂く。そこの所長から、音質の判断の方法についての説明を我々は聞いていた。専門の学術用語で「官能評価法」というが、ヒアリングテストの方法として、訓練された耳を持つ何人かの音質評価のクルーを養成して、その耳で機器のテストをくり返し、音質の向上と物理データとの関連を掴もうという話であった。その中で、彼(所長)がおどろくべき発言をした。
「いま、たとえばベートーヴェンの『運命』を鳴らしているとします。曲を突然とめて、クルーの一人に、いまの曲は何か? と質問する。彼がもし曲名を答えられたらそれは失格です。なぜかといえば、音質の変化を判断している最中には、音楽そのものを聴いてはいけない。音そのものを聴き分けているあいだは、それが何の曲かなど気づかないのが本ものです。曲を突然とめて、いまの曲は? と質問されてキョトンとする、そういうクルーが本ものなんですナ」
 なるほど、と感心する人もあったが、私はあまりのショックでしばしぼう然としていた。音を判断するということは、その音楽がどういう鳴り方をするかを判断することだ。その音楽が、心にどう響き、どう訴えかけてくるかを判断することだ、と信じているわたくしにとっては、その話はまるで宇宙人の言葉のように遠く冷たく響いた。
 たしかに、ひとつの研究機関としての組織的な研究の目的によっては、人間の耳を一種の測定器のように──というより測定装置の一部のように──使うことも必要かもしれない。いま紹介した某研究所長の発言は、そういう条件での話、であるのだろう。あるいはまた、もしかするとあれはひどく強烈な逆説あるいは皮肉だったのかもしれないと今にして思うが、ともかく研究者は別として私たちアマチュアは、せめて自分の装置の音の判断ぐらいは、血の通った人間として、音楽に心を躍らせながら、胸をときめかしながら、調整してゆきたいものだ。
     *
これを読んで、私は勝手に、「ある大きなメーカーの研究所」は、
きっとあそこだな、と思っていた。

40年ほど昔のことである。
10代の私は、あるメーカーのことを思い浮べた。
いまも、そのメーカーのことだろう、と思うが、メーカー名は書かない。

書きたいのは、そこではない。
井上先生のことである。

10代のころの私は、
ステレオサウンドに載っている井上先生の試聴記を読んで、
「この人も、これに近い聴き方をしているんだろうな」と思ってしまっていた。

ものすごく耳のいい人だということは書かれているものからは伝わってくるし、
黒田先生が鬼の耳といわれていたのも知っていた。

それでなんとなく、そんなふうに思い込んでしまった。

けれどステレオサウンドで働くようになって、井上先生の試聴を間近で接していて、
なんという勘違いをしていたんだろう、と気づいた。

Date: 9月 21st, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その8)

自作ケーブルのほうが、いわゆるオーディオ的には優れていた、といえる。
レンジ感も自作のほうが、あきらかにワイドレンジに聴こえる。

もともとのDINケーブルは、なんとなくナロウレンジにも感じた。
そのためもあって、センター定位がなんとなく安定しているように聴こえる──、
そんなふうに勝手に解釈してしまったところがある。

けれどアンプの場合、
RCAコネクターは左右チャンネルで分れていても、
アンプ内部ではアース側は結ばれている。

ステレオアンプであるかぎり、ほぼすべてのアンプでそうなっている。
例外はないはずだ。

つまりコントロールアンプ側でもパワーアンプ側でも、
アースは結ばれているわけである。

なのにコントロールアンプとパワーアンプを結ぶラインケーブルでは、
アース(シールド)が、左右チャンネルで分れている。

つまりどういうことなのかといえば、ラインケーブルの両端ではアース側は結ばれていて、
シールド(アース)は、ケーブルの長さの分だけのループを形成している。

もちろんケーブルの両端はアースに接続されいてるわけだから、
同電位であって、見た目上のループが形成されていても、問題がないように感じるし、
むしろ左右チャンネルのケーブル間でのクロストークを考えれば、
シールドは分れていたほうがよいようにも感じる。

けれど、このループの形成がいちど気になってくると、
これでほんとうにいいのだろうか、という疑問に変ってくる。

一度、井上先生の試聴で、こんなことがあった。
コントロールアンプとパワーアンプ間のラインケーブルが、
接続を替えた際に、物理的に少し離れてしまった。
といっても、いちばん広いところで20cmくらい離れたくらいだった。

そこに気づかれた井上先生が、
左右のラインケーブルをくっつけろ(近づけろ)といわれた。

Date: 9月 21st, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その7)

いまではほとんど使われなくなったDINコネクターだが、
1980年代ごろまでは、ヨーロッパのオーディオ機器にはけっこう使われていた。

ラインケーブルの場合、DINは一つの端子でまかなわれる。
RCAコネクターのように、左右チャンネルで分離というわけではない。
なので左チャンネル、右チャンネルのホット側、
それに左右チャンネル共通のアースとなる。

たいていの場合、ケーブルは左右チャンネルを一本ですませる。
二芯シールドであれば、芯線を左右チャンネルのホットに、
シールドをアースに接続すればいい。
それにDINコネクターは、太いケーブルはまず使えない。

RCAケーブルの立派なみかけのケーブルをみなれた目には、
DINコネクターの接続は、たよりなくうつる。

たとえばQUADのパワーアンプの405。
1976年登場の、このアンプの入力端子はDINである。
これをRCAコネクターに改造した人もけっこういるようである。

DINコネクターに、かなり無理をして左右チャンネル独立のシールド線を通した人もいよう。
私も、人に頼まれてずいぶん昔にやったことがある。

そこそこ評判のいいケーブルを使って自作した。
交換すると、音はよくなった、と感じた。
依頼した人も満足していたので、それでよかったのだが、
一つ、その時気になったのはセンター定位のことである。

この点、一点に関しては、もともとのDINケーブル。
つまり左右チャンネルで共通のケーブル(つまり一本)のほうが、
しっかりしているように感じた。

自分のシステムではなかいら、気の済むまでじっくりと、
その点に関して聴き込むことはできなかった。

これが最初の疑問の起りだった。

Date: 9月 21st, 2020
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その6)

その1)で、瀬川先生の文章を引用した。
スピーカーを鳴らして、いい音を聴かせるパワーアンプが、
ヘッドフォンを鳴らしても、いい音がするとは限らないことがわかる。

ヘッドフォン出力をないがしろにしているからなのかもしれないが、
ここでいえることは、優れたパワーアンプが、必ずしも優れたヘッドフォンアンプではないことだ。

瀬川先生の文章は1978年のものだから、
いまもそうだとはいわないが、少なくともこのころはそうだった、とはいえる。

瀬川先生は、
《ヘッドフォン端子での出力と音質というは、どうやらいま盲点といえそうだ。改めてそうした観点からアンプテストをしてみたいくらいの心境だ》
と書かれているが、その後、ヘッドフォンの試聴は、瀬川先生の時代には行われなかった。

その3)で触れたマッキントッシュとGAS。

1978年という時代、当時のマッキントッシュの製品、
瀬川先生の求める音から考えても、マッキントッシュは候補には入っていなかったはずだ。

GASも、瀬川先生の音の好みから外れている、という点で同じだっただろう。

マッキントッシュのアンプには、いまもヘッドフォン端子がついている。
さすがにパワーアンプからはなくなっているが、
プリメインアンプにもコントロールアンプにもついている。
管球式のコントロールアンプにもついている。

そういうブランドだから、ヘッドフォンアンプも、もちろん製品化している。
このことは、(その3)で書いているように、
機能の重複であって、性能の重複ではない。

GASは、というと、もう会社はない。
ボンジョルノの復活作となったAMPZILLA 2000、
そのコントロールアンプ、AMBROSIA 2000にはヘッドフォン端子が、やはりついている。

Date: 9月 20th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その4)

facebookにコメントをされた方は、
ステレオサウンド・メディアガイドは、広告営業用の媒体資料であろう、
と指摘されていた。私もそう受けとっている。

そして、いまだに殿様商売をやっているのか、という感想をもった、ともあった。
この点も、まったく同じである。

殿様商売がぴったりだ。
まぁ、でもステレオサウンド側に立てば、
うちは殿様商売ができるんだ、ということでもあろう。

私は2014年版と2020年版しか知らないが、
ステレオサウンド・メディアガイドは、これまでに何回出ていたのだろうか。

回数はわからないが、それでもはっきりいえることは、
どれもコピー・アンド・ペーストでつくられていて、
誤植を含めて内容は同じだ、ということである。

このステレオサウンド・メディアガイドを受けとる側は、どう思っているのか。
また今年も来たな、ぐらいの感覚なのだろうか。
また今年も同じ内容のままだ、誤植も同じままだ、なのだろうか。

それでも、オーディオ雑誌のなかで、ステレオサウンドがもっとも広告が多い。
ほかのオーディオ雑誌の広告索引と比較してみてほしい。
ステレオサウンドの一人勝ちといっていい状況は、
これはもうなれ合いでしかない。

殿様商売となれ合い。
これこそ老害ではないか。

老害、老害とくり返す人は、SNSに少なからずいる。
そういっている人は、おそらくある程度若い人たちだろう。

老害というのはいいけれど、
どんなことを老害といっているのかが見えてこないことが多い。

きちんと書いている人もいるのかもしれないが、
検索までして、読みたい、とまったく思っていない。

なので、あくまでも私が目にした範囲では、
老害について具体的なことを書いているのは記憶にない。

老害、老害といっている人が、何を老害と感じているのはわからないが、
いまのステレオサウンドこそ、まさに老害である。

Date: 9月 20th, 2020
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その6)

再発見する「自分」をなくしてしまったら、
もうオーディオマニアではなくなった、といっていい。

Date: 9月 19th, 2020
Cate: 音楽の理解

音楽の理解(平均律クラヴィーア曲集、ベートヴェンの後期ソナタ・その4)

味わえば味わうほどに、平均律クラヴィーア曲集はますます美しくなる、
味わえば味わうほどに、ベートヴェンの後期ソナタはますます美しくなる。

何度も、このことを書いている。

まず音ありき、だ。
どんな音楽であっても、音ありき、である。
平均律クラヴィーア曲集であっても、
ベートーヴェンの後期ソナタにしても、そうである。

むしろ、味わえば味わうほどに、ますます美しくなる音楽ほど、
まず音ありき、とさえおもうことがある。

私は音を聴いているわけではない、音楽を聴いているんだ──、
どんな人が強く主張しようと、まず音を聴いている。

ベートーヴェンの音楽、
動的構築物といえるベートーヴェンの音楽は、聴き手の裡で動的構築物となる。

常にそう感じられる音を出せているわけではない。
動的構築物と感じられる片鱗すら出せない音と比較すれば、
まだましとはいえても、
菅野先生のところで聴いた児玉麻里/ケント・ナガノによるピアノ協奏曲こそ、
まざまざと、音による動的構築物を私に見せてくれた。
いまのところ、これ以上の経験はない。

この時の菅野先生の音を聴いている私と、
そういうレベルの音をまったく聴いていない人とでは、
おそらく音による動的構築物についての認識は、
そうとうに違ったものになっているのではないだろうか。

そのこと以前に、まず音ありき、という認識がある人とそうでない人でも、
言葉で、音による動的構築物といったり書いたりするだろうが、いうまでもなく、
前者のいう音による動的構築物と後者のいう音による動的構築物が、
どういうことを指しているのか、伝えたいのかは、
これまた受けとる側にも、
まず音ありき、という認識がある人とそうでない人とがいるわけであり、
ここても、菅野先生のところで、
児玉麻里/ケント・ナガノの演奏を聴いている者とそうでない者とがいるわけで、
結局のところ、音による動的構築物の理解は、
人びとのあいだに深まるどころか、広まってもいかないのかもしれない。

Date: 9月 18th, 2020
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その9)

ラドカ・トネフの「FAIRYTALES」は、初期のデジタル録音である。
三菱のデジタルレコーダーX80が使われている。

X80はサンプリング周波数50kHzである。
まだCDのフォーマットが制定される前に開発されていたためである。

その「FAIRYTALES」を、いま一枚のディスクで、
44.1kHzの通常のCD、SACD、それからMQA-CD、それぞれの音を聴ける。

どの音がいちばんいいのかを書くつもりはない。
それぞれのシステムによって、どれがよく鳴るのか(適しているのか)は、
違ってくるはずだからである。

そうであっても、「FAIRYTALES」を聴いていると、
なんといい音だろう、といつも思う。

CDレイヤーで聴いても、SACDレイヤーで聴いても、
MQA-CDとして聴いても、そのことに変りはない。

「FAIRYTALES」を聴いていると、これが初期のデジタル録音とは思えないのだ。
もちろん、いま入手できるSACD/CD(MQA-CD)ハイブリッド盤の制作に当って、
あらたにマスタリングがなされたであろうから、それによるところも大きいはずだ。

けれど、元の録音が素晴らしいから、ということを忘れるわけにはいかない。

いつごろからか、一部の人たちのあいだで初期のCDの音が見直されているようである。
初期のCDとは、1982年のCDの登場から数年のあいだに出たCDのことである。

一枚の値段が3,800円、3,500円していた時代のCDである。
なぜ、そのころのCDが音がいいのか、その理由として、
一部の人たちは、マスターテープの劣化を、ここでも持ってくる。

でも、ほんとうにそうだろうか。

Date: 9月 18th, 2020
Cate: audio wednesday

第116回audio wednesdayのお知らせ(music wednesday)

9月のaudio wednesdayは、暑かった。
夕方に喫茶茶会記に到着したときよりも、
終って外に出た時の蒸し暑さといったら、ひどかった。

それでもカラヤンの「パルジファル」を鳴らしているときは、エアコンを切った。
喫茶茶会記のエアコンは、かなり動作音がうるさい。
「パルジファル」のような音楽では、けっこう気になる。

今日は暑かったが、明日からは秋らしくなるようである。
10月のaudio wednesdayでは、エアコンを使わずに済む。
このメリットは、大きい。

残り四回のaudio wednesdayで、エアコンを使わずに鳴らせるのは、
10月と、ぎりぎり11月だけである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 9月 16th, 2020
Cate: audio wednesday

第116回audio wednesdayのお知らせ(music wednesday)

10月7日のaudio wednesdayは、すでに告知しているように、
野上眞宏さんと赤塚りえ子さん、二人のDJによるmusic wednesdayである。

そこで悩んでいるのが、スピーカーの選択である。
ここ三ヵ月続けて鳴らしているコーネッタでいくのか、
それとも四ヵ月ぶりにアルテックのシステムで鳴らすのか。

赤塚さんがかけるはずのジャジューカ。
最初はアルテックだな、と思っていたけれど、
ここにきて、コーネッタで鳴らすのもいいかもしれない、と迷っている。

ぎりぎりまで決めかねて、当日、どちらにするかになる予感もある。

Date: 9月 16th, 2020
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(四季を通じて・その6)

夕刻、友人のAさんから短いメールがあった。
Aさんがスピーカーを買い替えていたのは、会って話すことが多いので知っていた。

一年(春夏秋冬)を通して、
さまざまな音楽を聴いてきた、と書いてあった。

そして、ようやくスピーカーのセッティングを少し変更したところ、
いい感じに鳴ってくれるようになった、ともあった。

スピーカーに限らずだが、特にスピーカーを買い替えた場合には、
オーディオの仲間に聴かせたくなるものだろう。

それに、その人の周りのオーディオマニアも、
早く聴かせてくれ、とせっつくことだろう。

「五味オーディオ教室」に書いてある。
     *
 H氏は、私のオーディオ仲間の一人で、たがいに気心の知れている、にくまれ口のひとつも言い合える仲であり、時にはワイフの知らぬ彼の情事を知っていて、ワイフの前では呆けねばならぬ仲でもあるが、そのH氏が英ヴァイタボックスのクリプッシ・ホーンを購入したときのことだ。
 かねてから私も試聴したいと思っていたものなので、さっそく、聴かせろと言ったがH氏はうんと言わない。まだ調子が出ないからと言う。
 車でいえば新車で、馴らし運転が必要だと言う。
 でも感じはどうかと訊いたら、「ちょっとホーン鳴きが気になるが、まずは期待にそむかぬえェ音じゃ」と言う。ホーン鳴きは、部屋の共振による場合が多いので、馴らし運転には関係あるまい、早く聴かせろと催促したら、それからしばらくしてようやく、聴きに来てもよいと言う。それで訪ねたが期待したほどの音ではなかった。
 ところが、半年ほどして、また聴きに来いと言う。執拗に言う。そこで行って愕いたのである。まったく別物のように響いていた。
     *
ここに書かれて或ることを、どう解釈するかは、人によって微妙なところで違いがあるだろう。
私のなかでも、中学二年のころ読んだときと、
それからくり返しくり返し読むたびに、変化するところもあった。

ここには、四季を通じて鳴らすことの意味も含まれている、と解釈する。

Date: 9月 16th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その3)

2014年から六年後の2020年のいま、
ステレオサウンドの読者の年齢構成比は、
その経過した月日の分だけ、さらに高齢化が進んでいるはず──、
こんなことを、ここで書くつもりでいたし、
2014年以降、ステレオサウンド・メディアガイドは出ていないのか、
ステレオサウンドのサイトを明日になったら調べてみよう、と思っていた。

明日まわしにした私と違って、
すぐに2020年版が公開されている、とfacebookにコメントをされた人もいる。
stereosound_mediaguide_202007というファイルが、確かに公開されている。

毎年、出ていたのか、数年おきなのか、
こまかくチェックしていたわけでないでなんともいえないが、
おかげで2014年と2020年のステレオサウンド・メディアガイドを比較することができる。

二つを比較すると、基本的にはコピー・アンド・ペーストだとわかる。
変更点は、2014年版では190号の表紙が、2020年版では215号の表紙が使われていること、
価格が、2014年版では2,000円、2020年版では2,200円だけ、といっていい。

六年間の変化を、二つのメディアガイドから読みとることはできない。
読者プロフィールの欄も、
2014年版と2020版は、まったく同じである。

年齢構成比、職業、収入、住まい、システム総額、小誌購入の六項目の円グラフも、
2014年版のものを使いまわしている、といっていい。
何も変化がないのだ。

なんらかの方法で読者調査を行った結果が、まったくの変化なしだとすれば、
それはそれですごい、ということになるが、そんなことをあるわけないだろう、とまず思う。

小誌購入にしても、そうだ。
ステレオサウンドは電子書籍版も出している。
どのくらいの割合が紙のステレオサウンド、電子書籍のステレオサウンドなのかはわからないが、
少なくとも2014年と2020年では、その割合に変化はあるはずだ。

2014年、2020年、どちらにも、編集長からのメッセージがある。
     *
 オーディオの素晴らしさを読者にむけて発信し続けます。
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」。これが創刊以来続く、ステレオサウンド誌の理念です。この理念の基、進化によって刻々と姿を変えていく最新オーディオの魅力、そして伝統を継承して輝き続ける本物のオーディオの素晴らしさを読者に向けて発信し続けます。オーディオ評論家諸氏の心のこもった文章と、製品の美しさをより引き立てる写真にどうぞご期待ください。充実の音楽欄もお忘れなく。
     *
まったくのコピー・アンド・ペーストで、こういう資料をつくっていながら、
この文章には《心のこもった文章》とある。

もっともオーディオ評論家諸氏とあるから、
ステレオサウンド編集部は違うということなのかもしれない。

そして、媒体効果(出稿のメリット)を読んでほしい。
     *
広告対象品としては、オーディオ、音楽ソフト関係製品のほか、高付加価値商品や伝統格式のる商品、デザイン性、実用性に優れた製品やサービスが効果的。例) クルマ、時計、カメラ、海外旅行、ブランド品など。
     *
《高付加価値商品や伝統格式のる商品》とある。
2014年版にも、そうあったので、その時から入力ミスだな、と気づいていた。

まぁ、でも、入力ミス、変換ミスに関しては私もそうとうなものだから、
この点に関しては触れないでいた。

でも、2020年版にも、そのまま《高付加価値商品や伝統格式のる商品》とある。
これが、ステレオサウンド・クォリティなのだろうか、とついいいたくなってしまう。

Date: 9月 15th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(OTOTEN 2019・その10)

2019年のOTOTENは、(その1)で書いているように、
日本オーディオ協会の理事長が、
「今月末のOTOTENでは、今までのオーディオマニアの方だけでなく、若い人達にも参加して欲しい」
と発言していた。

2020年のOTOTENは、コロナ禍で中止になった。
例年通り開催されていたら、
今年も若い人たちに参加してほしい、ということになったであろう。

昔は、若い人も読んでいたステレオサウンドは、
いまでは若い人は読まなくなった、といってもいいだろう。
そのことは、別項で書いているように、ステレオサウンド・メディアガイドでもわかる。

若い人がオーディオに関心を持たなくなった理由については、
これまでもいろいろいわれている。
どれが大きな理由なのか、はっきりとわかっている人は誰もいないようだ。

ただ、それらの理由の一つに、老害がある、という人たちがいる。
そういう人たちは、たいてい若い人たち、
若いオーディオマニアの人のようである。

若いといっても、10代ではなく、
おそらく20代後半以上のように感じている。

老害がない、とはいわない。
けれど、老害だけでなく、
実のところ、若いオーディオマニアの人たちの存在も、
オーディオに関心を持たない人たちをつくり出しているように思っている。

すべての若いオーディオマニアがそうだというわけでなはいないが、
一部の人たち(どのくらいの割合かはなんともいえない)のふるまいをみていて、
オーディオに少しでも興味を持ち始めていた人たちを、
遠ざけてしまっていることだってある、と確信している。

Date: 9月 15th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その2)

別項で何回か触れているstereosound_mediaguide_140401。
ステレオサウンドのウェブサイトで六年ほど前に公開されていたPDFのことである。

ファイル名にmediaguideとあるから、ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)としよう。
いまは公開されていないようである。

ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)は2ページだけの内容だが、
クライアント向けにつくられたことは、媒体プロフィールとして、
 ■創刊 1966 年11 月
 ■発売日 季刊:3月、6月、9月、12 月の上旬
 ■発行部数 5 万部
 ■判型 B5判/タテ組/右開き
 ■価格 2,000 円(税別)
以上のことがまずあり、
さらに広告料金表まで載っていることからも明らかである。

なぜこういうものを、読者の目にとまるところで公開していたのか、
いまも不思議でならない。
しばらくのあいだ公開されていたから、単純ミスによるものではないだろう。

リンクできるようにしていたので、ダウンロードされた人もいるはず。
私もダウンロードしている。

六年前のものとはいえ、読者プロフィールは興味深い。

年齢構成比、職業、収入、住まい、システム総額、小誌購入の六項目の円グラフがある。
この読者プロフィールのところには、こう書いてある。
     *
読者は40 歳から60 歳代の比較的年収の多いビジネスマンが中心。
持家率も高く、オーディオライフを機器だけではなく、部屋を含めた環境づくりとして大切に考える。購買意欲も高く、友人、知人にも大きな影響力を与えるマーケットリーダー的存在ともいえる。高付加価値商品への千里眼をもち、商品の歴史や伝統、デザイン、質感、実用性にもこだわりをもつ。
オーディオ以外の趣味には、クルマ、カメラ、時計、生演奏鑑賞、ホームシアター、パソコン、グルメ旅行、ワイン、などがある。
     *
私が、個人的に突っ込みたいのは《友人、知人にも大きな影響力を与えるマーケットリーダー的存在》、
《高付加価値商品への千里眼をもち》のところである。
ほんとうに、こういう人ならば、ステレオサウンドを読む必要はないはずである。

千里眼を持っているのだから。
(蛇足ながら付け加えておけば、ここでの発行部数は公称発行部数ということ)

それはともかくとして、年齢構成比を見てみよう。
 19才未満 2%
 20〜29才 3%
 30 〜39才 11%
 40〜49才 21%
 50〜59 才 26%
 60 〜61才 28%
 70〜79 才 7%
 80 才以上 2%

ステレオサウンド 47号(1978年夏号)の特集、
ベストバイの読者アンケートの結果である。
 10〜15才:5%
 16〜20才:15.7%
 21〜25才:28.9%
 26〜30才:29.4%
 31〜35才:9.6%
 36〜40才:5.7%
 41〜45才:3.9%
 46〜50才:1.9%
 51〜55才:1.1%
 56〜60才:0.5%
 61才以上:0.2%
 無記入:1.2%

調査方法の違いはあるとはいえ、この二つの結果は、まさに実情といえよう。