Digital Integration(本とiPhoneと……・その3)
昨日の昼、駅を出たところでiPhoneで会話をしている人が立っていた。
その人は、iPhoneを左手で持ち、右手の手話で、誰かと会話していた。
iPhoneにはFaceTimeというアプリが、最初からインストールされている。
おそらく、このアプリを使っての手話での会話なのだろう。
いわゆるテレビ電話である。
私が小学生のころ、テレビ電話は未来の技術だったし、
ましてそれが手のひらにおさまるサイズになるとは、なかなか想像できなかった。
SFもののテレビ番組では、腕時計にテレビ電話の機能が搭載されたものが、
何度か登場していた。
そんなモノがいつかは実現するんだろうけど、
生きているうちに出てくるんだろうか……、ぐらいに思っていた。
それがいま、現実のモノとして、
しかも特別なモノとしてではなく、多くの人が持っているモノとして存在している。
FaceTimeを使えば、テレビ電話ができることはわかっていても、
手話を使う人たちが、FaceTimeで会話するということは、想像していなかった。
だから、iPhoneには、こういう使い方もあるんだ、という感慨があった。
音声のみしか伝えられない電話は、
聴覚に障碍のある人にとっては、どういう存在だったのかを、
昨日まで考えることはなかった。
スマートフォンもコンピューターである。
手のひらにおさまるコンピューターである。
四年前の(その2)で、書いたことをくり返す。
ここでもスティーブ・ジョブズの言葉を思い出す。
コンピューターは個人の道具ではない、と。
個人と個人をつなぐための道具である、ということを。