Archive for category テーマ

Date: 3月 5th, 2022
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その15)

TIDALがいつから日本でサービスを開始するのか。
私は3月だと考えている。

いくつか理由はある。
といってもどれも確かといえるほどの理由ではない。

けれど、これはもしかする? と最近思っているのは、
諏訪内晶子のバッハの無伴奏のトラック表記が日本語だということ。

そして昨日からTIDALで聴けるようになった金子三勇士の「Freude」も、
トラック表記は日本語だ。

どちらもユニバーサルミュージックである。

TIDALの日本でのサービス開始が間近だということを知っているのだとしたら、
日本人の演奏家のアルバムを日本語で、ということか。
そんなふうに勘ぐっている。

Date: 3月 4th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その11)

さきほどe-onkyoのサイトをみてみたら、
ヨハンナ・マルツィのアルバムが増えている。

2月25日配信のバッハの無伴奏にくわえて、
ブラームスとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、
シューベルトのヴァイオリン作品集の二枚の配信が始まっている。

この二枚は、MQA Studio(192kHz)で聴ける。
けれどバッハの無伴奏に関しては、flac(192kHz)のみである。
MQA Studioでの配信がない。

TIDALは、というと、今日現在、
ブラームス、メンデルスゾーンの協奏曲、シューベルトの作品集はない。

今回のEMI録音の2022年リマスターに関しては、バッハの無伴奏のみである。
けれど、このバッハは(その10)で書いているように、MQA Studio(192kHz)である。

なんらかの権利関係でそうなっているのか。
MQAで積極的に聴いていこうと思っていると、
TIDALだけでなくe-onkyoの存在も無視できない。

Date: 3月 4th, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その9)

(その4)で書いたことを、もう一度、書いておこう。

300Bは、いうまでもなくウェスターン・エレクトリックの球である。
つまり300Bはトーキー用のアンプに使われる出力管である。
このことを思い出してほしいし、絶対に忘れないでいただきたい。

しかもアメリカの映画館で使われていたアンプの出力管である。

サウンドボーイの編集長だったOさんから聞いたことがある。
「300Bシングルは、いわゆる日本的なシングルアンプの音ではない」と。
Oさんは「トーキー用アンプの球なんだから」とも続けた。

Oさんは自他共に認める伊藤先生の一番弟子。
300Bのシングルアンプで、シーメンスのオイロダインを鳴らされていた。

1982年のステレオサウンド別冊 Sound Connoisseur(サウンドコニサー)に、
伊藤先生の300Bについての記事が載っている。
この記事(というよりサウンドコニサーそのもの)の担当も、もちろんOさんだった。

この記事のタイトルは、「真空管物語」。
さらにこうつけ加えられている。
「ウェスターン・エレクトリックの至宝 極附音玻璃球」である。

極附音玻璃球は、きわめつきおとのはりだま、と呼ぶ。
300Bのシングルアンプ、それも伊藤先生のアンプを聴いたことのある者には、
この「極附音玻璃球」こそ300Bのことだと、頷ける。

300Bとは、そういう音の球である。
それなのに、いまだに300Bシングルの音を、
他の直熱三極管の、出来の良くないアンプの音のイメージといっしょくたにしている。

しかも、それをくり返している。
ステレオサウンドの編集者は、誰もそのことに気づいていないのか。

Date: 3月 4th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景
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情景(その5)

実演に接して、その音を「鮮度が高い」という人は、まずいない。
少なくとも、私の周りにはそういう人はいないし、
いままでそう言った人もいない。

なのに再生音に関しては、鮮度の高い(低い)という。
音の鮮度をことさら気にする人、主張する人は、
このことに気づいていないのだろうか。

気づいていないということはないと思うのだけれども、
なのにすっぽり抜け落ちているかのように、鮮度の高さを気にしているようでもある。

昨晩、「再生音に存在しないもの(その2)」を書いたのは、
そのためである。

その1)は、2008年9月に書いている。
フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」をみてきたから、ということもあるのだが、
同じくらいに、鮮度の高い(低い)について書いてきていることもあって、だ。

再生音に存在しないものがあるからこそ、
鮮度を気にするのではないのか。

では、いったい再生音には何がないのか。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その8)

八年前の(その7)で書いたことを、またくり返すのか。
ステレオサウンド 221号を読んでいて、そう思っていた。

221号の219ページ。
特集ベストバイのパワーアンプのページである。
ウエスギのU·BROS300AHPSが載っている。
傅 信幸氏の文章が、そこにはある。

《300Bは高域の響きの魅力だけでないことを教えてくれた》
とある。

不勉強なだけではない。
時が止っている。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド 222号

今日(3月3日)が、ステレオサウンド 222号の発売日だった。
通常、ステレオサウンドの発売日は、12月の冬号以外は、
3月、6月、9月の2日ごろである。

確かに2日に、これまで発売されていた、と記憶している。
なのに今回3日だったのは、編集作業の遅れというよりも、
意図してのことなのか、とちょっと思ってしまった。

今年は2022年である。
今号のステレオサウンドは222号である。
だからぞろ目の今日を発売日にしたのか。

どうでもいいことなのだが、ちょっと気になっている。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: 五味康祐, 再生音

再生音に存在しないもの(その2)

4月3日まで、東京都美術館で「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」をやっている。
ヨハネス・フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」が公開されている。

修復作業によって、誰かによって消されていた、
壁に描かれていたキューピッドの絵があらわれた「窓辺で手紙を読む女」である。

コロナ禍ということもあって入場時間を予約しなければならない。
そのおかげで比較的空いていた。
平日の午前中ということもあってだろう。

すべての絵を見終ると、そこには今回の展示に関連したグッズの販売コーナーがある。
そのなかに、3Dプリントで複製したフェルメールの絵があった。

オランダでの3Dデータを元にした複製画である。
オリジナルの絵にある凹凸も再現されている。

この複製画には触れる。
触って感じるのは、フェルメールは重ね塗りをやらなかったのか、である。

私は絵に関しては素人なのだが、
重ね塗りをしているのであれば、3Dデータで複製した絵にも、
同じように表面の凹凸が再現されるはずである。

今回触った複製画には、オリジナルにあるひび割れの感触が感じられる。
そこまでの複製画なのだから、重ね塗りの凹凸も複製しているはずである。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その16)

今日発売のステレオサウンド 222号の特集は、
「現代最先端スピーカー B&W 801D4大研究」である。

三部構成で、小野寺弘滋、櫻井 卓、三浦孝仁、和田博巳の四氏による座談会、
櫻井 卓氏をのぞく三氏による鳴らしこみテスト、
開発担当者へのインタヴューとなっている。

Kindle Unlimitedで読めるようになったら読むつもりなので、
また読んでいない。

座談会の内容がどんなのだかは、全く知らない。
それでも絶賛の嵐なのだろう、という予想はつく。

優秀なスピーカーシステムなのだろうから、
絶賛されるのはわからないわけではない。それはそれでいい。

私が知りたいのは、この座談会で、誰かが購入すると発言したのだろうか、である。
どうなのだろうか。

誰も購入しないままなのか。
そうだとしたら、座談会の司会は、その理由を訊いたのか。

Date: 3月 2nd, 2022
Cate: 映画

ようこそ映画音響の世界へ

Netflixで昨日から配信が始まった「ようこそ映画音響の世界へ」。
タイトルそのままの内容だから内容についてはばっさり省略するが、
音、音響に関心がある人ならば、ぜひ見てほしい。

Date: 3月 2nd, 2022
Cate: ディスク/ブック

Freude

3月4日に、金子三勇士の「Freude(フロイデ)」が発売になる。
発売されていないのだから、まだ聴いていない。

でもウワサは聞いていて、ものすごくいい録音らしい。

ピアノの録音といえば、
菅野先生のところで聴いたプレトニョフのシューマンは、ほんとうにすごかった。

それまでの優秀録音のピアノの音とは一線を画していた。
けれど、プレトニョフのシューマンを聴いた人の多くがそう認めていたわけでもなかった。

私の自分のシステムでのみ聴いていたら、
誰かのシステムでしか聴いていなかったら、
これほどすごい録音とは感じなかったはずだ。

菅野先生のところで聴いて、その凄さを認識できたといっていい。

「Freude」が、そのへんどうなのかは、いまのところわからない。
プレトニョフのシューマンと同じ方向での素晴らしさだったら、
意外にも高い評価は得られない可能性もあろう。

TIDALでも聴けるようになるのだろうか。
MQAで聴けるのだろうか。

Date: 3月 2nd, 2022
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(その6)

無線と実験のレギュラー筆者の一人である金田明彦氏。
金田式DCアンプで知られる人だから、説明の必要はないだろう。

金田明彦氏は、1970年代の終りごろからだったか、
録音機のDCアンプ化に積極的に取り組まれていた。

オープンリールデッキ、カセットデッキ内の録音アンプ、再生アンプをDCアンプ化、
それだけにとどまらずマイクロフォンも手がけられるようになった。

たしかショップスのマイクロフォンユニットを使い、
マイクロフォンアンプのDC化である。

録音機のDC化の最初のころは、ミキサーも発表されていたと記憶しているが、
DCマイクロフォン以降は、マイクロフォンの性能が著しく向上したということで、
ワンポイント録音のみになっていった。

高校生のころ、金田明彦氏のこれらの記事を読みながら、
いったいどんな録音が可能なのか、その音を一度聴いてみたい、と思っていた。
無線と実験は、金田明彦氏の録音をLPにして発売しないのか、とも思っていた。

と同時に、録音する演奏は、どうしても限られてしまう。
このことが気になっていた。

録音器材のDCアンプ化によって、
金田明彦氏のいうようなほんとうに凄い録音が可能になったとしても、
そこで録られた演奏が、さほど聴きたいものでなければ、
もっといえば録音はよくても演奏が拙ければ──、
そんなことも思っていた。

聴きたいのは、素晴らしい演奏である。
その素晴らしい演奏が、いい音で聴けるのならば、さらに素晴らしいことなのだが、
どんなに素晴らしくいい音で録音されたとしても、
演奏そのものが、その音の良さに追いついていなければ、
聴いていて、どう感じるだろうか。

最初は、その音の良さに驚くはずだ。
でも二回目以降は、もしかすると一回目の途中からでも、
演奏の拙さのほうが気になってくるかもしれない。

Date: 3月 1st, 2022
Cate: 書く
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audio identity (designing)を終りにする理由

2023年1月29日で、audio identity (designing)は終りにして、
また新しいブログを始めるのならば、
audio identity (designing)のまま続ければ、いいのではないか──。

そう思われるのはわかっている。
でも、audio identity (designing)を終りにするのは、
audio identity (designing)がオーディオのブログだから、である。

ここにきて、オーディオのブログがほんとうにやりたかったことなのか、
そう思うようになってきた。

ほんとうにつくりたかったのは、
オーディオのようなブログであり、
もっといえばオーディオそのもののブログである。

世の中に、さまざまなオーディオ雑誌があったし、いまもある。
けれど、それは、どれもオーディオの雑誌でしかない。
そのなかで、どれが面白いとか、面白くないとか、
昔と比べてどうとか、そういうことでしかない。

オーディオの雑誌が目指すべきところは、
オーディオのような雑誌、オーディオそのものといえる雑誌だ、
と私は考えるようになってきた。

五味先生、岩崎先生、瀬川先生が、
あと十年か二十年、活躍されていれば、
ステレオサウンドは、オーディオのような雑誌に近づけたかもしれない。

オーディオのようなブログに挑戦したくなった。
それがaudio identity (designing)を終りにする理由である。

終りにしたから、
新しいブログにしたからといって、
オーディオのようなブログにできるかどうかはなんともいえない。

でも、気持を切り替えるためにも、
オーディオのブログであるaudio identity (designing)は終りにする。

Date: 2月 28th, 2022
Cate: ヘッドフォン

Beveridge Audioのこと(その5)

この項のカテゴリーは、ヘッドフォンである。
ビバリッジのスピーカーについて書いているのに、
なぜヘッドフォンなのか、というと、ヘッドフォンでのみ音楽を聴いて、
スピーカーで音楽を聴くことにあまり関心ない人がいるからである。

身近にそういう人はいないから、想像するしかないのだが、
スピーカーからの音出しが、置かれている環境のせいで無理という人もいれば、
ヘッドフォンに慣れてしまっている、ヘッドフォンのほうがいい、
という人もきっといよう。

音楽を家庭で聴くということ・イコール・スピーカーで聴くこと。
私はそうだった。

けれどいまは必ずしもそうではなくなっている。
ヘッドフォンで聴くことがあたりまえの人たちにとって、
スピーカーの音は、どう感じるのか。
違和感をおぼえるのだろうか。

そうだとしたら、おもにどこに違和感をおぼえるのか。

ビバリッジのスピーカーシステムを聴く機会はなかった。
これから先もない、と思っている。

なのでしっかりしたことはいえないのだが、
ヘッドフォンで音楽を聴き始め、その世界に慣れ親しんだ人にとって、
ビバリッジの音は、意外にも違和感なく受け入れられるのかもしれない。

想像でしかない。
実際はどうなのか。

ビバリッジのスピーカーと同じコンセプトのスピーカーが、
他社から、これから出てくることはほぼ期待できないけれども、
ヘッドフォンに慣れ親しんだ世代の人が、もしスピーカーメーカーを興したら、
ビバリッジ的コンセプトに基づいたシステムをつくってくるのではないだろうか。

Date: 2月 28th, 2022
Cate: 書く

毎日書くということ(続・今日決めたこと)

このことは、2023年1月29日に書くつもりでいた。
けれど、昨晩の「毎日書くということ(今日決めたこと)」へのTadanoさんのコメントを読んで、
今日書くことにした。

2023年1月29日で、audio identity (designing)は終る。
このことで喜ぶ人もいると思っている。
そういう人がいる一方でTadanoさんのような人もいてくれるわけだ。

Tadanoさんは、「オーディオ文化」と、今回のコメントで書かれている。
私もオーディオは文化だと確信しているが、
オーディオマニア全員がそう思っているわけではないことは知っている。

オーディオマニアだけではなく、
オーディオを仕事としている人の中にも、そういう人はいる。
オーディオを文化として捉えていない人には、
オーディオについて書く資格がない、とは思っていないが、
そういう人が、オーディオ雑誌の賞の選考委員だったりする。

ステレオサウンド・グランプリの選考委員にもいる。

それだけではない。
「オーディオは商売だ」というオーディオ評論家(商売屋)がいる。
「オーディオは仕事だ」というのであれば、まだ理解できなくはないが、
「オーディオは商売だ」と、とあるオーディオショウで、
少なからぬ人がいる前で、そんなことを言ってしまう。

口が滑っただけではないか──。
そうかもしれないが、この人は、商売としてやっているからこそ、
つい本音が出てしまったと私は思っている。

この人も、ステレオサウンド・グランプリの選考委員の一人である。

オーディオは文化だ、と思う人もいれば、こういう人たちもいる。
別に嘆きたいわけではない。
おそらく昔から、そういう人たちはいたはずだ。

オーディオを仕事にしてしまった人にとって、
「オーディオは文化だ」はきれいごと、戯れ言となってしまうのかもしれない。

2023年1月29日で、audio identity (designing)は終る。
このことは昨日決めたわけだが、同時に新しいブログを始めるのを決めている。

決めていないのは、ブログのタイトルである。

Date: 2月 27th, 2022
Cate: 書く
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毎日書くということ(今日決めたこと)

今日の昼すぎ、ある音楽を聴いていて、思った。

あと11ヵ月ほどで、60歳になる。
来年の誕生日で、書くことを終りにしよう、と決めた。

2008年9月に始めた。45歳のときに書き始めた。
50代はずっと書いてきている。
潮時としての60歳である。

2023年1月29日で、audio identity (designing)は終る。