GAS THAEDRAがやって来る(その8)
瀬川先生は、GASのアンプの音について、
《もっと下の肉がたっぷりついてくるという感じ》と語られているが、
このことについては補足が必要だろう。
「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版で、こう語られている。
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音は、ぼくの聴き方ではやや太っているんだけれど、それはたとえば太ったいやらしさじゃなくて、いかにもあるべきところにきちんと肉がついていて、安定感がよくどっしりと地面に立っているという安心感を感じる。だから、どのレコードを聴いても、もうこのアンプで聴いていれば本当に安心できるという気がするわけです。
しかし、このアンプを自分で買うだろうかと考えると、必ずしもそうはいえないわけです(笑)。なぜかということを考えていたんですけれども、一つのたとえでいえば、このアンプは男性的な音だと思うんです。立派な、見事な男と会っている、あるいは眺めているような感じの音で、ぼくは自分が男だから゛やはりもう少し女っぽくないとやりきれないところがあるんです。同じ言葉をしゃべっても、男がしゃべるのと女がしゃべるのとの違いみたいなもので、ぼくはやはり女がしゃべってくれた方が魅力を感じるわけですね。その意味でテァドラ+アンプジラはとても男性的だし、LNP−2と510Mは比較の上で女性的です。
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「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版でも、
井上先生、黒田先生は試聴メンバーである。岡先生も入っている。
「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の巻頭座談会とあわせて読むことで、
瀬川先生がどういう音を求められていたのかが、よりはっきりと浮び上ってくる。
少しテーマから逸れてしまうが、
ステレオサウンドの瀬川冬樹著作集「良い音は 良いスピーカーとは?」、
このムックに不満があるのと、こういう点である。
合わせて読むことで、瀬川先生がどういう音を求められていたのか、
それを知る手がかりになる記事の掲載という視点が欠けている。
そういう視点を持った編集者が、ステレオサウンドという会社にはもういないのだろう。