Archive for category テーマ

Date: 3月 6th, 2022
Cate: ディスク/ブック

内田光子のベートーヴェンのピアノ・ソナタ

3月4日夜、金子三勇士の「Freude」をTIDALで聴いた。
夜遅かったのでヘッドフォンで聴いていた。

リスト編曲によるベートーヴェンの交響曲第九番の四楽章がおさめられている。
これを聴き終ったあと、もう寝るつもりだった。

TIDALは、好きな演奏家をリストにできる。
金子三勇士は、Miyuji Kanekoである。

私のリストではその上に、Mitsuko Uchidaが表示される。
内田光子が、金子三勇士のすぐ上にある。

聴くつもりはなかったのに、ついMitsuko Uchidaのところをクリックしてしまう。
そこにはベートーヴェンのピアノ・ソナタのアルバムも表示される。

第三十一番の一楽章だけ聴こう、と思った。
結局、全楽章を聴いて、三十二番も聴いていた。

一年三ヵ月ぶりに聴く内田光子のベートーヴェンのピアノ・ソナタ。
前にも増して、素晴らしいベートーヴェンの音楽として聴こえてくる。

2006年に発売されている。
出てすぐに買って聴いている。
その時から、素晴らしいベートーヴェンだと感じていた。

それから十六年。
その感動は薄れたり、失われたりすることなく、増しているし濃くなっている。

「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子は、あるインタヴューでそう語っていた。

私もすこしは自由になっているのだろう。
こんなにも内田光子のベートーヴェンが素晴らしく聴こえるのだから。

Date: 3月 6th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景

情景(その6)

その1)でも書いているように、
私が、ことさら情景、それも日本語の歌に関して情景を求めたくなるのは、
中学生のときにグラシェラ・スサーナの歌を聴きすぎたためかもしれない。

ラジカセで、スサーナのミュージックテープを聴いていた。
私が中学生のころ、ステレオのラジカセは珍しかったはずだ。
ラジカセ・イコール・モノーラルの時代だった。

私が小遣いを貯めて買ったラジカセも、だからモノーラルだった。
スピーカーユニットもフルレンジだけだった。
トゥイーターを加えた2ウェイ仕様のラジカセが出たのは、もう少しあとのことだ。

そんな環境で、ほぼ毎日、グラシェラ・スサーナの歌を聴いていた。
日本語の歌である。

そこまでグラシェラ・スサーナの歌にのめり込んでいたのは、
スサーナの歌を聴いていると、その情景が浮んでくることが多かったからである。

中学生が買えるラジカセで、カセットテープが音源なのだから、
出てくる音はたかが知れている。

これがステレオになったら──、
カセットテープではなくLPだったら──、
そんなことを思わなかったわけではない。

もっと情景がリアルに浮ぶものだと、中学生の私は思っていた(信じていた)。

Date: 3月 5th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その12)

さきほどTIDALを眺めていたら、
ヨハンナ・マルツィのアルバムが増えていた。

ブラームス、メンデルスゾーンの協奏曲とシューベルト作品集である。
どちらもMQA Studio(192kHz)で聴ける。

ならばとe-onkyoを見てみると、
マルツィのバッハの無伴奏はflacだけで、MQAはない。

なぜこんなことになっているのか。
まったくわからない。

Date: 3月 5th, 2022
Cate: High Resolution

TIDALという書店(その15)

TIDALがいつから日本でサービスを開始するのか。
私は3月だと考えている。

いくつか理由はある。
といってもどれも確かといえるほどの理由ではない。

けれど、これはもしかする? と最近思っているのは、
諏訪内晶子のバッハの無伴奏のトラック表記が日本語だということ。

そして昨日からTIDALで聴けるようになった金子三勇士の「Freude」も、
トラック表記は日本語だ。

どちらもユニバーサルミュージックである。

TIDALの日本でのサービス開始が間近だということを知っているのだとしたら、
日本人の演奏家のアルバムを日本語で、ということか。
そんなふうに勘ぐっている。

Date: 3月 4th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その11)

さきほどe-onkyoのサイトをみてみたら、
ヨハンナ・マルツィのアルバムが増えている。

2月25日配信のバッハの無伴奏にくわえて、
ブラームスとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、
シューベルトのヴァイオリン作品集の二枚の配信が始まっている。

この二枚は、MQA Studio(192kHz)で聴ける。
けれどバッハの無伴奏に関しては、flac(192kHz)のみである。
MQA Studioでの配信がない。

TIDALは、というと、今日現在、
ブラームス、メンデルスゾーンの協奏曲、シューベルトの作品集はない。

今回のEMI録音の2022年リマスターに関しては、バッハの無伴奏のみである。
けれど、このバッハは(その10)で書いているように、MQA Studio(192kHz)である。

なんらかの権利関係でそうなっているのか。
MQAで積極的に聴いていこうと思っていると、
TIDALだけでなくe-onkyoの存在も無視できない。

Date: 3月 4th, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その9)

(その4)で書いたことを、もう一度、書いておこう。

300Bは、いうまでもなくウェスターン・エレクトリックの球である。
つまり300Bはトーキー用のアンプに使われる出力管である。
このことを思い出してほしいし、絶対に忘れないでいただきたい。

しかもアメリカの映画館で使われていたアンプの出力管である。

サウンドボーイの編集長だったOさんから聞いたことがある。
「300Bシングルは、いわゆる日本的なシングルアンプの音ではない」と。
Oさんは「トーキー用アンプの球なんだから」とも続けた。

Oさんは自他共に認める伊藤先生の一番弟子。
300Bのシングルアンプで、シーメンスのオイロダインを鳴らされていた。

1982年のステレオサウンド別冊 Sound Connoisseur(サウンドコニサー)に、
伊藤先生の300Bについての記事が載っている。
この記事(というよりサウンドコニサーそのもの)の担当も、もちろんOさんだった。

この記事のタイトルは、「真空管物語」。
さらにこうつけ加えられている。
「ウェスターン・エレクトリックの至宝 極附音玻璃球」である。

極附音玻璃球は、きわめつきおとのはりだま、と呼ぶ。
300Bのシングルアンプ、それも伊藤先生のアンプを聴いたことのある者には、
この「極附音玻璃球」こそ300Bのことだと、頷ける。

300Bとは、そういう音の球である。
それなのに、いまだに300Bシングルの音を、
他の直熱三極管の、出来の良くないアンプの音のイメージといっしょくたにしている。

しかも、それをくり返している。
ステレオサウンドの編集者は、誰もそのことに気づいていないのか。

Date: 3月 4th, 2022
Cate: 五味康祐, 情景
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情景(その5)

実演に接して、その音を「鮮度が高い」という人は、まずいない。
少なくとも、私の周りにはそういう人はいないし、
いままでそう言った人もいない。

なのに再生音に関しては、鮮度の高い(低い)という。
音の鮮度をことさら気にする人、主張する人は、
このことに気づいていないのだろうか。

気づいていないということはないと思うのだけれども、
なのにすっぽり抜け落ちているかのように、鮮度の高さを気にしているようでもある。

昨晩、「再生音に存在しないもの(その2)」を書いたのは、
そのためである。

その1)は、2008年9月に書いている。
フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」をみてきたから、ということもあるのだが、
同じくらいに、鮮度の高い(低い)について書いてきていることもあって、だ。

再生音に存在しないものがあるからこそ、
鮮度を気にするのではないのか。

では、いったい再生音には何がないのか。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その8)

八年前の(その7)で書いたことを、またくり返すのか。
ステレオサウンド 221号を読んでいて、そう思っていた。

221号の219ページ。
特集ベストバイのパワーアンプのページである。
ウエスギのU·BROS300AHPSが載っている。
傅 信幸氏の文章が、そこにはある。

《300Bは高域の響きの魅力だけでないことを教えてくれた》
とある。

不勉強なだけではない。
時が止っている。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンド 222号

今日(3月3日)が、ステレオサウンド 222号の発売日だった。
通常、ステレオサウンドの発売日は、12月の冬号以外は、
3月、6月、9月の2日ごろである。

確かに2日に、これまで発売されていた、と記憶している。
なのに今回3日だったのは、編集作業の遅れというよりも、
意図してのことなのか、とちょっと思ってしまった。

今年は2022年である。
今号のステレオサウンドは222号である。
だからぞろ目の今日を発売日にしたのか。

どうでもいいことなのだが、ちょっと気になっている。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: 五味康祐, 再生音

再生音に存在しないもの(その2)

4月3日まで、東京都美術館で「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」をやっている。
ヨハネス・フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」が公開されている。

修復作業によって、誰かによって消されていた、
壁に描かれていたキューピッドの絵があらわれた「窓辺で手紙を読む女」である。

コロナ禍ということもあって入場時間を予約しなければならない。
そのおかげで比較的空いていた。
平日の午前中ということもあってだろう。

すべての絵を見終ると、そこには今回の展示に関連したグッズの販売コーナーがある。
そのなかに、3Dプリントで複製したフェルメールの絵があった。

オランダでの3Dデータを元にした複製画である。
オリジナルの絵にある凹凸も再現されている。

この複製画には触れる。
触って感じるのは、フェルメールは重ね塗りをやらなかったのか、である。

私は絵に関しては素人なのだが、
重ね塗りをしているのであれば、3Dデータで複製した絵にも、
同じように表面の凹凸が再現されるはずである。

今回触った複製画には、オリジナルにあるひび割れの感触が感じられる。
そこまでの複製画なのだから、重ね塗りの凹凸も複製しているはずである。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その16)

今日発売のステレオサウンド 222号の特集は、
「現代最先端スピーカー B&W 801D4大研究」である。

三部構成で、小野寺弘滋、櫻井 卓、三浦孝仁、和田博巳の四氏による座談会、
櫻井 卓氏をのぞく三氏による鳴らしこみテスト、
開発担当者へのインタヴューとなっている。

Kindle Unlimitedで読めるようになったら読むつもりなので、
また読んでいない。

座談会の内容がどんなのだかは、全く知らない。
それでも絶賛の嵐なのだろう、という予想はつく。

優秀なスピーカーシステムなのだろうから、
絶賛されるのはわからないわけではない。それはそれでいい。

私が知りたいのは、この座談会で、誰かが購入すると発言したのだろうか、である。
どうなのだろうか。

誰も購入しないままなのか。
そうだとしたら、座談会の司会は、その理由を訊いたのか。

Date: 3月 2nd, 2022
Cate: 映画

ようこそ映画音響の世界へ

Netflixで昨日から配信が始まった「ようこそ映画音響の世界へ」。
タイトルそのままの内容だから内容についてはばっさり省略するが、
音、音響に関心がある人ならば、ぜひ見てほしい。

Date: 3月 2nd, 2022
Cate: ディスク/ブック

Freude

3月4日に、金子三勇士の「Freude(フロイデ)」が発売になる。
発売されていないのだから、まだ聴いていない。

でもウワサは聞いていて、ものすごくいい録音らしい。

ピアノの録音といえば、
菅野先生のところで聴いたプレトニョフのシューマンは、ほんとうにすごかった。

それまでの優秀録音のピアノの音とは一線を画していた。
けれど、プレトニョフのシューマンを聴いた人の多くがそう認めていたわけでもなかった。

私の自分のシステムでのみ聴いていたら、
誰かのシステムでしか聴いていなかったら、
これほどすごい録音とは感じなかったはずだ。

菅野先生のところで聴いて、その凄さを認識できたといっていい。

「Freude」が、そのへんどうなのかは、いまのところわからない。
プレトニョフのシューマンと同じ方向での素晴らしさだったら、
意外にも高い評価は得られない可能性もあろう。

TIDALでも聴けるようになるのだろうか。
MQAで聴けるのだろうか。

Date: 3月 2nd, 2022
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(その6)

無線と実験のレギュラー筆者の一人である金田明彦氏。
金田式DCアンプで知られる人だから、説明の必要はないだろう。

金田明彦氏は、1970年代の終りごろからだったか、
録音機のDCアンプ化に積極的に取り組まれていた。

オープンリールデッキ、カセットデッキ内の録音アンプ、再生アンプをDCアンプ化、
それだけにとどまらずマイクロフォンも手がけられるようになった。

たしかショップスのマイクロフォンユニットを使い、
マイクロフォンアンプのDC化である。

録音機のDC化の最初のころは、ミキサーも発表されていたと記憶しているが、
DCマイクロフォン以降は、マイクロフォンの性能が著しく向上したということで、
ワンポイント録音のみになっていった。

高校生のころ、金田明彦氏のこれらの記事を読みながら、
いったいどんな録音が可能なのか、その音を一度聴いてみたい、と思っていた。
無線と実験は、金田明彦氏の録音をLPにして発売しないのか、とも思っていた。

と同時に、録音する演奏は、どうしても限られてしまう。
このことが気になっていた。

録音器材のDCアンプ化によって、
金田明彦氏のいうようなほんとうに凄い録音が可能になったとしても、
そこで録られた演奏が、さほど聴きたいものでなければ、
もっといえば録音はよくても演奏が拙ければ──、
そんなことも思っていた。

聴きたいのは、素晴らしい演奏である。
その素晴らしい演奏が、いい音で聴けるのならば、さらに素晴らしいことなのだが、
どんなに素晴らしくいい音で録音されたとしても、
演奏そのものが、その音の良さに追いついていなければ、
聴いていて、どう感じるだろうか。

最初は、その音の良さに驚くはずだ。
でも二回目以降は、もしかすると一回目の途中からでも、
演奏の拙さのほうが気になってくるかもしれない。

Date: 3月 1st, 2022
Cate: 書く
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audio identity (designing)を終りにする理由

2023年1月29日で、audio identity (designing)は終りにして、
また新しいブログを始めるのならば、
audio identity (designing)のまま続ければ、いいのではないか──。

そう思われるのはわかっている。
でも、audio identity (designing)を終りにするのは、
audio identity (designing)がオーディオのブログだから、である。

ここにきて、オーディオのブログがほんとうにやりたかったことなのか、
そう思うようになってきた。

ほんとうにつくりたかったのは、
オーディオのようなブログであり、
もっといえばオーディオそのもののブログである。

世の中に、さまざまなオーディオ雑誌があったし、いまもある。
けれど、それは、どれもオーディオの雑誌でしかない。
そのなかで、どれが面白いとか、面白くないとか、
昔と比べてどうとか、そういうことでしかない。

オーディオの雑誌が目指すべきところは、
オーディオのような雑誌、オーディオそのものといえる雑誌だ、
と私は考えるようになってきた。

五味先生、岩崎先生、瀬川先生が、
あと十年か二十年、活躍されていれば、
ステレオサウンドは、オーディオのような雑誌に近づけたかもしれない。

オーディオのようなブログに挑戦したくなった。
それがaudio identity (designing)を終りにする理由である。

終りにしたから、
新しいブログにしたからといって、
オーディオのようなブログにできるかどうかはなんともいえない。

でも、気持を切り替えるためにも、
オーディオのブログであるaudio identity (designing)は終りにする。