Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その1)
「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を観てきた。
IMAX 3Dでの映画鑑賞は久しぶりである。
昨年はIMAX 3Dで一本も映画を観ていない。
上映している映画も少なかったと記憶している。
以前なら、この種の映画ならIMAX 3Dでの上映があるのに──、
そう思える作品でもなかったりしていた。
「ドクター・ストレンジ」本編については何も書かない。
今日驚いたのは、本編が始まる前に流れた「アバター」の予告編についてである。
「Avatar: The Way of Water」は「アバター」の続編で12月公開予定である。
その予告編も、IMAX 3Dだった。
映像のクォリティに驚いた。
この予告編をIMAX 3Dで観られただけでも、
今日映画館に足を運んでよかった、と思えるくらいの出来なのだ。
公開まであと七ヵ月もあるのだから、公開時にはさらにクォリティは向上しているかもしれない。
公開が待ち遠しいと思っているのだが、
世の中には、この種の映画を蔑視する人たちがいる。
CGだけが売りで、内容的には……、と、そんなことをいって否定する。
内容的に……、といいたくなる映画もあるといえばあるけれど、
それにしても、こんなことをいう人は、
IMAX 3Dで上映される作品における情報量を処理できずにいるのではないのだろうか。
スクリーンに映し出される情報量は、IMAX 3Dともなると多い。
それに動きの早いシーンによっては目が追いつかない、と感じたりもする。
私はCGでしっかり作り込まれた映画をIMAX 3Dで観るのは、
スポーツのようなものだと受け止めている。
頭のスポーツである。
ふだんあまり動かしていない(と感じている)頭の部位を、
この種の優れた映画を観ると、鍛えられるような感じがする。
人は、処理し切れない情報量の場合、単純化(省略化)してしまう──、
という説を以前読んだことがある。
脳のオーバーヒートをおこさないようにするため、らしい。
三年ほど前にも、別項で同じようなことを書いているけれど、
「アバター」の予告編を観て、またさらに頭が鍛えられそうな、
つまり情報の処理能力が鍛えられそうな映画登場してくる、
そんなふうにも受け止めていた。