正しいもの(その23)
井上先生の
《ブルックナーが見通しよく整然と聴こえたら、それが優れたオーディオ機器なのだろうか》、
ここにある井上先生の問いかけに関連して思い出すのは、
五味先生の、この文章である。
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ベートーヴェンのやさしさは、再生音を優美にしないと断じてわからぬ性質のものだと今は言える。以前にも多少そんな感じは抱いたが、更めて知った。ベートーヴェンに飽きが来るならそれは再生装置が至らぬからだ。ベートーヴェンはシューベルトなんかよりずっと、かなしい位やさしい人である。後期の作品はそうである。ゲーテの言う、粗暴で荒々しいベートーヴェンしか聴こえて来ないなら、断言する、演奏か、装置がわるい。
(「エリートのための音楽」より)
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《粗暴で荒々しいベートーヴェン》でなくとも、
見通しよく整然と聴こえてきたベートーヴェンであったとしても、
ベートーヴェンのやさしさが聴こえてこないのならば、
ベートーヴェンに飽きがくるのであれば、
それは優れたオーディオ機器であろうか。
ここでの、装置が悪い、いい、というのは、
オーディオ雑誌における評価とは関係のないところでのいい、悪いである。