Archive for category 朦朧体

Date: 6月 13th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その51)

ロジャースPM510は、JBLの2405的な音の世界とは遠いところにある。
だからといってピラミッドのT1的な世界に近いかというと、そうではないとはいうものの、
2405かT1かという極端な物言いをすれば、T1よりはいえなくもない。

つまりどういうことかといえば、PM510の音には、
2405の切り張り的だから表現できる輪郭の鮮明さはないからだ。

瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれているようにPM510の音は、「おそろしく柔らかい響き」をもつ。
だから、4343をマークレビンソンのLNP2やML6、ML2、
それにカートリッジにデンオンのDL303、オルトフォンのMC30などと組み合わせたときの音に馴染みすぎていると、
PM510の音に耳のピントを合わせるのにとまどった、とも書かれている。

ピラミッドのT1の自然で立体的な音像よりも、
平面的でも、むしろ平面的であることで輪郭がはっきりしてくる2405をあえてとらえる瀬川先生が、
「音のまわりに光芒がにじんでいるような、茫洋とした印象」の、
けっしてシャープではない音像を提示するPM510を「欲しい!!」と思われたのはなぜだろうか。

その理由について考えるときに頭に浮んでくるのが、
目黒のマンションで鳴らされていたJBLの4345の組合せ、
「続コンポーネントステレオのすすめ」での4343の組合せ、
「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのアルテック620Bの組合せ、である。

4345と4343は、どちらもアキュフェーズのコントロールアンプとパワーアンプで、
620Bはコントロールアンプは上の組合せと同じアキュフェーズのC240、
パワーアンプはマイケルソン&オースチンのTVA1(管球式)だ。

Date: 6月 9th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その50)

線の細い音が好きなんだ、と思いながらも、ロジャースのPM510の音を聴いたときには、まいった。
「欲しい!!」と強く思っていた。
その強さは、はじめて4343を聴いたときに感じた「欲しい」よりも、ずっと強いものだった。

PM510は図太い音では決してないけれど、だからといって線の細い音、
マークレビンソンのLNP2に通じるような線の細さを持っているかといえば、そうとはいえない。

スペンドールのBCIIも聴いた時にも「欲しい」と思っていたけれど、
PM510のときは、BCIIのときよりも強い。
線の細さでえいば、BCIIのほうが細いといえるのに。

このとき(1981年)は、PM510にこれほど惹かれているのは、PM510の音色であって、
それはつまりBBCモニター系列のスピーカーシステムに共通して流れているもので、
開発の時代は違えどもBCIIにもそれはもちろんあり、PM510を「欲しい!!」と思わせたのは、
この音色の魅力のはず、と思っていたし、その後もしばらくそう思いつづけていた。

PM510を「欲しい!!」思ったのは、実は音色ではなく、他に理由があったことに気づくのは、
PM510を手離して、シーメンスのコアキシャルにして、セレッションにSLを使い、QUADのESLと続いて、
その後にやっと気がつく。

そのことに気づいたからこそ、今年の1月1日に書いた「BBCモニター考(特別編)」──、
瀬川先生のロジャースPM510についての「メモ」にある「欲しい!!」がどういうことなのか、が、
私なりにではあるけれど、わかってくる。

Date: 6月 8th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その49)

このころ、いい音と感じていたのは、スピーカーシステムでいえばスペンドールのBCII、
JBLの4341、4343、KEFの105に104、
カートリッジだとEMTのTSD15、ピカリングのXUV/4500Q、
エレクトロ・アクースティック(エラック)のSTS455E。
アンプでは、マークレビンソンのLNP2、DBシステムズのDB1、スレッショルドの800Aといった機種が、
聴くことのできた数はけっして多くなく、地方で聴けるもの、という条件の中ではあったけれど、
これらのモノが、すぐに頭に浮ぶ。

大半が音の描写線・輪郭線の細いものであって、図太い線のものはなかった。
このことと、読んでいて共感できる瀬川先生の文章とが相俟って、
線の細い音を好むんだなぁ、と感じはじめていた。

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」が出たころ、私が住んでいたところにも、本格的なオーディオ店ができた。
それでもバスに乗って1時間ちょっとかかるところではあったけれど、
ステレオサウンドでしかみかけない、海外のアンプやスピーカーシステムを置く店ができ、
ここに瀬川先生が定期的にこられていた。
だからよけいに「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の巻頭の鼎談記事はうなずきながら読んでいた。

私が求めている音は、瀬川先生よりの音であって、
井上先生や黒田先生が高く評価されているピラミッドのT1的な世界ではない、と思っていた、
というよりも、思うようにしていた、といったほうが、いまからみると、より正確かもしれない。

それに、こまやか、こまやかさ、は細やか、細やかさとステレオサウンドだけでなく、
ほんとんどのオーディオ雑誌では使われていたことも、関係してくる。

Date: 6月 7th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その48)

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の鼎談で、井上先生は、
JBLの2405の音を、トランジスターアンプの音に、
ピラミッドT1の音を、管球アンプの音にも喩えられている。

2405は景色を切り張り風に見せるために、奥行はあるけれども、それは平面の展開になってしまう。
T1は立体のまま音像を空間に置いたという感じで、奥行に厚みが出る。

ここで言われている井上先生のトランジスターアンプと管球アンプの喩えは、
あくまでも1978年当時のことだということは、忘れないでいただきたい。

2405はトランジスターアンプのように、くっりきと音像が定位する、のに対して、
T1は管球アンプの特長のように立体感の音像が定位すること、については、
実は瀬川先生もそのとおりだと認めながらも、
2405は切り張りであるがゆえに輪郭がとてもはっきりしてくる、
それはごまかされていると知りながらも、縁の線がキチンとカミソリで切ったようにピリッとしていたほうが、
つまりT1の自然な立体感よりも、おもしろいから、2405をとりたい、と言われている。

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の鼎談を、1978年当時,私は瀬川先生側から読んでいた。
このころはGASのアンプの音よりもマークレビンソンのアンプの音に、魅力を感じていた。
それは音だけでなく、アンプそのものの魅力として、GASよりもマークレビンソンが、私のなかでは上にあった。

図太い音はもちろん論外だが、自然な立体感の音よりも、平面的であっても切り張りの音の面白さに惹かれていた。
そして、それが求めている音だ、とも思っていた。

Date: 6月 7th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その47)

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の鼎談で、瀬川先生は、
JBLの2405の音を、マークレビンソンのアンプの音に、
ピラミッドT1の音を、GASのアンプの音にも喩えられている。

2405のくまどりのはっきりした音は、硬めの艶をのせて快く聴かせる、と同時に、
やや弦の音に金属質なところをどうしても残してしまう。
それはマークレビンソンのアンプ(ここでいうマークレビンソンのアンプはLNP2、ML2時代のもの)にも、
同じ性質の音があって、線の細い、高域を少し強調するする。
GASのアンプだと、下の帯域の音の肉がたっぷりついていくるという感じで、
高域のキラキラ光ったところが抑えられる。つまり、より自然な音になった、といわれている。

2405とT1とでは、音の出し方はT1の方がより正確になって、ソフトなナチュラル型といえるし、
しかも図太くなるのと違い、厚く響くところは厚く、そうなってはいけないところはそのまま聴こえてくる──、
2405は相当癖のあるトゥイーターだと、T1を聴くと教えられる──、
それでも2405をとりたい、といわれている。

黒田先生と井上先生とは、ここが違うところである。
おふたりはT1をとられる。

井上先生はレコード再生の面白さは、何かをよくすることで、
このレコードにはこんな音まではいっていた、という喜びだと思っているし、
それを格段に示してくれたのがピラミッドのT1であり、
これと同じことを黒田先生は、T1の音の良さは、聴き手側で「質問する耳」でないと面白くならない、
と表現されている。

音楽をきくというのは、自分の耳を「質問する耳」にすることであるけれども、
「質問する耳」はすぐに寝ころび横着する。
2405のくっきりとした、かなりアトラクティヴなところのある音だと、耳が寝そべってしまいそうになるから、
常に「質問する耳」にいきたいと思うから、と黒田先生はピラミッドT1を高く評価されている。

いま思うと、このことが、
黒田先生が4343からアクースタットのコンデンサー型スピーカーに替えられたことにつながっている、と気づく。

Date: 6月 6th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その46)

1978年暮に出たステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES 3」は、トゥイーターだけを扱った一冊だった。

巻頭の記事は、JBL4343のトゥイーターを5つのトゥイーターに置き換えて聴いてみるという記事で、
井上卓也、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏による鼎談で構成されている。

まず純正の2405を内蔵のネットワークではなく、トゥイーターに専用アンプ、
残りのバッドハイ、ミッドバス、ウーファーの3つのユニットは4343内蔵のネットワークを通して、
というバイアンプ駆動による試聴から始まっている。

集められたトゥイーターは、パイオニアのPT-R7、テクニクスの10TH1000、YLのD18000、
マクソニックのT45EX、それに新顔といえるアメリカ・ピラミッドのT1。

私がくり返し読んだのは、ピラミッドのT1のところ。
T1は、まず高価だった。それも飛び抜けて高価だった。

2405が当時は37000円、PT-R7が41800円、10TH1000が65000円、D1800が45000円、
T45EXはトゥイーター本体は75000円、励磁型ゆえに電源が必要で、それが28000円、
T1は199500円していた(いずれも1本の価格)。

この高価なT1をつけた4343の音を、黒田先生と井上先生のおふたりは、
「一番気に入りました」、「ケタはずれによかった」と、
その価格に見合う以上の高評価をされているのに対して瀬川先生は、
音の出し方としてはT1の方が、2405よりも正確になっていくけれど、物足りなくなる、といわれている。

そして、レコードの世界というのはつくりものの世界であったということが、T1を聴くことによって、
2405がコントラストをつけて輪郭を際立たせて聴かせてくれることがわかるし、
それが巧みなだけにレコードの世界のおもしろさを錯覚させてもらっている、と述べられ、
あえて2405のほうをとらえている。

この記事は、トゥイーターの記事としてもおもしろかったが、
いまは瀬川先生の音の聴き方について知るうえで興味深い記事といえる。

Date: 6月 5th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その45)

セレッションのSL600の音に特にこれといった不満があったわけではなかった。
けれど、ステレオサウンドの試聴室で、
ロングセラースピーカーを聴く、という企画で聴いたQUADのESLにまいってしまう。

SL600のふたつ前に鳴らしていたロジャースのPM510のことも、頭に浮んだ。
そしてESLに変えてしまう。

このときは、「朦朧体」という言葉も知らなかったし、
音の輪郭線についての考えが確立していたわけでもなかったから、
実のところ、ESLやPM510に惹かれるのは、音色に関して、だと思っていた。

そうでないことに自分で気がつくのは、もうすこし先のこと。
そして気づいてみると、PM510をウェスターン・エレクトリックの349Aのアンプで鳴らそうと考えたのか、
なぜ突然SUMOのThe Goldを欲しいと思うようになり手に入れたのか、等々、
それらの行為に納得が行くようになった。

憧れていたものと追い求めていたものが違うことに気づく。

Date: 6月 4th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その44)

セレッションのSL600で聴いていたときの話。

それまでにも何度か、私の音を聴きにきていた知人がいた。
1986年の暑い盛りをすぎたころだったと記憶しているが、彼がふらっと聴きにきた。
そのとき、彼は特別、なにも音について語りはしなかったが、
あとで別の知人から、その彼が、その時の私の音をひどくけなしていたと耳にした。

伝聞だから、その知人が語っていたことがどこまで正確に私に伝わってきたのかはなんともいえないけれども、
その知人の性格、音の好みからして、わりと脚色なしに伝わってきたように思う。

実は、その知人が聴きにきた数ヶ月前にSL600に手を加えていた。
私は、その知人にSL600に手を加えたことは、あえて言わなかった。

彼がけなした音は、つまり私が手を加えて、私自身は、以前の音よりも良くなったと判断した音である。
彼は、以前、私が鳴らしていたSL600の音は気に入っていたようなことは言っていた。

このことは知人と私の音の捉え方の相異である。
このときはまだはっきりと意識していなかったものの、
私は音の輪郭線ををできるだけ消していきたいと思いはじめていた。
だからSL600に手を加えて、できるだけ音の輪郭線を消す方向にもっていこう、としていた。
ただ、いまならば、そうはっきりといえることでも、
あの当時はまだ自分ではそれほど確信してやっていたわけもない。

手を加える前と加えた後では、どう聴いても、私にとっては望む方向にもっていっていた。
それははっきりといえる。
ただ、その望む方向を、あのころはまだ「朦朧体」というふうには意識していなかった。模索していたわけだ。

一方、知人は、音の輪郭線をとても大事にする聴き方をする男だ。
だから、彼が最後に聴いた私のSL600の音を認めなくて、以前の音を評価するのも理解できる。

彼も、その後、SL600を鳴らしていた。
知人が組み合わせていたアンプは、私だったら選択しないものではあるけれど、
輪郭線を、それも繊細な輪郭線を求める彼にしてみれば、最上の組合せともいえる。

Date: 4月 13th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その43)

ステレオ再生だから、スピーカーシステム2本。
聴取位置からみて、それぞれのスピーカーシステムの内側の側面が見えるように振るのと、
外側の側面が見えるように振っていくのとでは、エンクロージュアの響きの加味のされ方は当然違う。

どちらがいいか、どちらが好ましいのかは、
使用するスピーカーシステムによっても、聴く人によっても異ってくるけれど、
スピーカーの振り角度を調整するときには、この点にも注目して聴いてもらいたい。

セレッションのSL600と、この点、どうかというと、私個人としては、
聴取位置からはエンクロージュアの側面が見えないようにしたい、と感じていた。

良質の木のエンクロージュアの響きと、SL600のハニカム・エンクロージュアの鳴き(響きとはいえない)は、
どちらがいいとか悪いとかではなく、響きと鳴きの違いがある。
もちろん木のエンクロージュアの全てが、響きではなくて、鳴き、といいたいものを確かにある。
その鳴きとは、素材、構造が違うから当然とはいえ、SL600の鳴きは、また異質である。
この鳴きは、積極的に活かしていくことは、あの頃は私にはできなかった。
おそらく、いま使ったとしても、この鳴きは極力耳につかないようにセッティングしていくと思う。

勘違いしないでいただきたい。
なにもSL600のハニカム・エンクロージュアが本質的な欠陥をもっているといいたいのではなくて、
よくできた良質の木のエンクロージュアとは、捉え方を変える必要がある、といいたいのと、
このことが、私が求めている、このカテゴリーのテーマでもある「朦朧体」ではない、ということだ。

Date: 4月 12th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その42)

スピーカーのセッティングの基本は、
ふたつのスピーカー、聴取ポイントをそれぞれ頂点とした正三角形を形成すること。

部屋の状況、スピーカーシステムによっては、厳密な正三角形が必ずしもベストではないものの、
それでもスピーカーシステムのセッティングの基本であり、大原則は正三角形である。

この正三角形がなぜ大事なのかは、自分で録音をしてみるとただちに理解できることである。

最初は正三角形になるようにスピーカーシステムを置く。
このときスピーカーシステムの振りも、聴き手に向うようにする。
こうすればスピーカーシステムのエンクロージュアの左右の面は聴取位置からはほとんど見えなくなる。

ここからさきは実際に音を聴いて、少しずつ置き位置、スピーカーシステムの振りを変化させていくわけだが、
スピーカーの振りを変えていくことで気がつくのは、エンクロージュアの側面からの響きと、
スピーカーユニットからでてくる音との比率(溶け合い方)だ。

奥行きの短いスピーカーシステムよりも、奥行きの長い(つまり側面の面積の広い)方が、
このことはよりはっきりと聴きとれる傾向がある。

最初はスピーカーシステムの角度を振らずに、聴取位置を左右どちらかに大きくずらしていく。
そうすれば左右のスピーカーシステムから等距離にある本来の聴取位置ではほとんど見えなかった側面が、
すこしずつ見えてくる。つまりエンクロージュア側面から輻射される音の比率が高くなってくる。

響きのいいエンクロージュアならば、この側面からの輻射が心地よい響きを加味していることに気がつくはずだ。

Date: 4月 1st, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスの事(その41・補足)

誤解してほしくないので強調しておきたいことがある。
SL600にかぶせた吸音材はウール100%の天然素材である、ということだ。

じかに手で触っても不快なところはなく、むしろ心地よい感じのするもので、
ぎゅっと力をくわえても、ガサッ、とか、ゴソッ、といった音はしないものだ。

吸音材ということでグラスウールを想像する人もいるだろうが、
天然素材のものとグラスウールとでは、吸音材とひとくくりにはできないところもある。

グラスウールを素手で、喜んでふれる人はいないだろう。
それにグラスウールにぎゅっと力を加えると、ガラス繊維のこすれ合う音が聞こえる。
吸音材といっても、グラスウールをSL600の音にかぶせてしまっては、
私が書いていることとは別の結果が得られることになる。

Date: 3月 31st, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その41)

ハニカム・エンクロージュアの問題点は、ハニカム構造に起因していることであって、
それを抑えるには、どうしたらいいのか考えてみたけれど、
それを試すには、ハニカム素材を造る段階で手を加えなければならない。

できあがったハニカム素材には手を加えられない。
だから試すことはできなかった。もし製造段階に関われたとしても、
私の考えていることを実際にやろうとすると、調達する材料のコストはそれほどかからないものの、
手間は大幅にかかることになる。

その効果は、ウールの吸音材をかぶさせときの音から想像はできるものの、
いちどは聴いてみたかった、だけど聴くことのかなわない音のひとつである。

それでもネットワークをいじり、パワーアンプをThe Goldにして、
その他にもいろいろとこまかい調整をしていくことで、いまふりかえってみると、
意識していたわけではないけれど、いまはっきりと意識して求めている方向へともっていっていた。

いっておくが、吸音材をSL600にかぶせた状態で聴いていたわけではない。
私は、ときに既製品を手を加えることもある。だがひとつ守っている、というか、自分で決めていることは、
絶対に外観からは手を加えているとはわからないようにしておくことだ。

手を加える前の下準備となる実験では、SL600に吸音材をかぶせたりしてみる。
スチューダーのCDプレーヤーのA727に手を加えたときも、実験用として、
フィリップスのピックアップ・メカニズムとD/Aコンバーターを搭載した、
つまりほとんど同じ構成のCDプレーヤーを購入して、徹底的に加えて、その音の変化を聴いてみた。
最終的にはトレイも外し、ディスプレイも消した。
そこまでして得たものを、できるかぎりA727に応用した。もちろん外観はいっさい変えずに、である。

外観まで変えてしまうことに対して、批判的なことをあれこれいいたいのではなくて、
それはその人が、それぞれ判断すればいいことであって、
私はただ、外からみただけでは、手を加えているのかどうかすら、わからないようにしたいだけである。

Date: 3月 30th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その40)

実はSL600は内部に手を加えて鳴らしていた。その他にもいくつか試したことがある。
そのひとつが、ウール100%の吸音材(ぎゅっと密度の高いものではなく、白くふわっとしたもの)を、
SL600に、かつらのようにかぶせたことがある。

SL600の天板、側面を、このウールの吸音材で囲うようにして、音を聴いてみると、
かぶせる前の音、そして音場感の差の大きさが、予想以上に大きく驚いたことがある。
これは自分のSL600でも試したし、ステレオサウンドの試聴室でも試してみた。

SL600のエンクロージュアは、一般的な材質である木ではなく、ハニカム素材を使っている。
軽くて剛性の高いハニカム素材は、スピーカーユニットからの振動、エンクロージュア内部の音圧による振動を、
エンクロージュアそのものにできるだけため込まず、つまりエネルギー蓄積効果の少なさによって、
スピーカーユニットからの音とエンクロージュアの共振とのあいだの時間差をできるだけ排除するものだった。

セレッションによれば、木製のエンクロージュアで剛性を高めるために板厚を厚くすればするほど、
エネルギー蓄積効果が高くなり、その分だけエンクロージュアから輻射される音の時間差が生じ、
音だけでなく音場感を乱していく、というふうに記憶している。

だから軽くて高剛性のハニカム素材を採用したのがSL600で、その後SL600Si、SL700が登場し、
低域拡充をはかったSystem6000、というふうに、セレッションとしても意欲的にとりくんでいたし、
それだけの自信もあったのだろう。

たしかにエネルギーの蓄積効果は少ない、とは思う。
でも、そのままではエンクロージュアの素材として理想的かというと、
そうでもないところが自分で使っていると、少しずつ耳が気づいてくる。

Date: 3月 29th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その39)

シーメンスのコアキシャルの平面バッフル(190×100cm)のあとに選択したのは、
セレッションのSL600だった。
SL600にして、目の前にやっと壁があらわれた。それまでは平面バッフルが壁で、
その後にあるほんとうの壁は、ほとんど聴取位置からは見えていなかった。

パワーアンプも換えた。
SUMOのThe Goldを手に入れたのは、SL600を使っているとき。
The Goldで鳴らすSL600に、なにか不満があったわけではないけれど、
取材でたまたま聴いたQUADのESLの音に、ころっとまいってしまった。

狭い部屋にESlは、ちょっと無理だろう、と思い、SL600のまま行こう、という気持と、
どうしてもESLの音の世界は自分のものにしたい、という気持。
1ヵ月ぐらい迷って、ESLを手に入れる。

このときは、まだ気がついていなかったけれど、
私にとってロジャースのPM510とQUADのESL、それにジャーマン・フィジックスのDDDユニット、
そしてThe Goldには、共通するものがある。
このことに気がつくのは、ずっとあとのこと。

このときは、音色的な魅力に惹かれてESLを選んだ、と思っていたけれど、
じつはちがうところにあった。

Date: 3月 28th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その38)

シーメンスのコアキシャルで音楽と向かい合っていた時期に、
ノイマンのカートリッジDSTとDST62を借りて、かなりの時間をじっくり聴くこともできた。

この途で進んでいくということは、スピーカーはいずれオイロダインということになる。
そのころは、25cn口径ウーファーを三発搭載していた後期モデルが、
無理すれば新品で手にいるかどうか、という時期でもあった。

でも心底ほしいのは、その前の型のオイロダインである。
中古でしか入手できないオイロダインであっても、いつかは、と思っていた。
と同時に、オイロダインにふさわしいだけの空間を、はたして用意できるのだろうか。

いま使っているコアキシャルにしても、平面バッフルの大きさは、
大きく生活とのバランスを欠いたものである。
狭い部屋の中に板がそびえている。それも2枚も。

それにカザルス、フルトヴェングラー、モノーラル時代のLPばかりを聴くわけではない。
ケイト・ブッシュも聴く。グールドも聴く。そのほかにも、新しい演奏家のレコードも、とうぜん聴いていく。

システムを2系統持てるだけの余裕があれば、シーメンスの世界は大事にしていきたい。
けれど、結局のところ、ひとつだけのシステムということになると、ワイドレンジのシステムをとる。
これは、基本的にいまでも同じだ。

オイロダインにふさわしい広い空間は用意できない。
それでもモノーラル鑑賞用に、1本だけほしい、とは思う。
オイロダイン2本分の空間は必要としないだろうから……、そんな未練は残っている。

もっともカザルスのベートーヴェンの7番はステレオ録音である……。