Date: 3月 28th, 2011
Cate: 朦朧体
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ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その38)

シーメンスのコアキシャルで音楽と向かい合っていた時期に、
ノイマンのカートリッジDSTとDST62を借りて、かなりの時間をじっくり聴くこともできた。

この途で進んでいくということは、スピーカーはいずれオイロダインということになる。
そのころは、25cn口径ウーファーを三発搭載していた後期モデルが、
無理すれば新品で手にいるかどうか、という時期でもあった。

でも心底ほしいのは、その前の型のオイロダインである。
中古でしか入手できないオイロダインであっても、いつかは、と思っていた。
と同時に、オイロダインにふさわしいだけの空間を、はたして用意できるのだろうか。

いま使っているコアキシャルにしても、平面バッフルの大きさは、
大きく生活とのバランスを欠いたものである。
狭い部屋の中に板がそびえている。それも2枚も。

それにカザルス、フルトヴェングラー、モノーラル時代のLPばかりを聴くわけではない。
ケイト・ブッシュも聴く。グールドも聴く。そのほかにも、新しい演奏家のレコードも、とうぜん聴いていく。

システムを2系統持てるだけの余裕があれば、シーメンスの世界は大事にしていきたい。
けれど、結局のところ、ひとつだけのシステムということになると、ワイドレンジのシステムをとる。
これは、基本的にいまでも同じだ。

オイロダインにふさわしい広い空間は用意できない。
それでもモノーラル鑑賞用に、1本だけほしい、とは思う。
オイロダイン2本分の空間は必要としないだろうから……、そんな未練は残っている。

もっともカザルスのベートーヴェンの7番はステレオ録音である……。

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