ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その43)
ステレオ再生だから、スピーカーシステム2本。
聴取位置からみて、それぞれのスピーカーシステムの内側の側面が見えるように振るのと、
外側の側面が見えるように振っていくのとでは、エンクロージュアの響きの加味のされ方は当然違う。
どちらがいいか、どちらが好ましいのかは、
使用するスピーカーシステムによっても、聴く人によっても異ってくるけれど、
スピーカーの振り角度を調整するときには、この点にも注目して聴いてもらいたい。
セレッションのSL600と、この点、どうかというと、私個人としては、
聴取位置からはエンクロージュアの側面が見えないようにしたい、と感じていた。
良質の木のエンクロージュアの響きと、SL600のハニカム・エンクロージュアの鳴き(響きとはいえない)は、
どちらがいいとか悪いとかではなく、響きと鳴きの違いがある。
もちろん木のエンクロージュアの全てが、響きではなくて、鳴き、といいたいものを確かにある。
その鳴きとは、素材、構造が違うから当然とはいえ、SL600の鳴きは、また異質である。
この鳴きは、積極的に活かしていくことは、あの頃は私にはできなかった。
おそらく、いま使ったとしても、この鳴きは極力耳につかないようにセッティングしていくと思う。
勘違いしないでいただきたい。
なにもSL600のハニカム・エンクロージュアが本質的な欠陥をもっているといいたいのではなくて、
よくできた良質の木のエンクロージュアとは、捉え方を変える必要がある、といいたいのと、
このことが、私が求めている、このカテゴリーのテーマでもある「朦朧体」ではない、ということだ。