ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その44)
セレッションのSL600で聴いていたときの話。
それまでにも何度か、私の音を聴きにきていた知人がいた。
1986年の暑い盛りをすぎたころだったと記憶しているが、彼がふらっと聴きにきた。
そのとき、彼は特別、なにも音について語りはしなかったが、
あとで別の知人から、その彼が、その時の私の音をひどくけなしていたと耳にした。
伝聞だから、その知人が語っていたことがどこまで正確に私に伝わってきたのかはなんともいえないけれども、
その知人の性格、音の好みからして、わりと脚色なしに伝わってきたように思う。
実は、その知人が聴きにきた数ヶ月前にSL600に手を加えていた。
私は、その知人にSL600に手を加えたことは、あえて言わなかった。
彼がけなした音は、つまり私が手を加えて、私自身は、以前の音よりも良くなったと判断した音である。
彼は、以前、私が鳴らしていたSL600の音は気に入っていたようなことは言っていた。
このことは知人と私の音の捉え方の相異である。
このときはまだはっきりと意識していなかったものの、
私は音の輪郭線ををできるだけ消していきたいと思いはじめていた。
だからSL600に手を加えて、できるだけ音の輪郭線を消す方向にもっていこう、としていた。
ただ、いまならば、そうはっきりといえることでも、
あの当時はまだ自分ではそれほど確信してやっていたわけもない。
手を加える前と加えた後では、どう聴いても、私にとっては望む方向にもっていっていた。
それははっきりといえる。
ただ、その望む方向を、あのころはまだ「朦朧体」というふうには意識していなかった。模索していたわけだ。
一方、知人は、音の輪郭線をとても大事にする聴き方をする男だ。
だから、彼が最後に聴いた私のSL600の音を認めなくて、以前の音を評価するのも理解できる。
彼も、その後、SL600を鳴らしていた。
知人が組み合わせていたアンプは、私だったら選択しないものではあるけれど、
輪郭線を、それも繊細な輪郭線を求める彼にしてみれば、最上の組合せともいえる。