Archive for category 朦朧体

Date: 8月 19th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その64)

クレルのKAS100とGASのAmpzillaの回路図を比較すると、
確かに似ている、というよりもそっくりといっていいかもしれない。
特に言葉だけで回路の内容を表現しようとすれば、文字の上ではそうとうに似てくる。

これだけでKAS100、つまりクレルがGASのマネしているとは言い難い面もある。
技術は進歩することによって収斂していく面もあわせもつ。
だから回路構成が似ているからといって、
後から登場したアンプ(メーカー)がマネをしたとは、かならずしもいえない。

ではその他の点に関してはどうだろうか。
アンプの音は回路構成と使用部品によって決まるわけではないことは周知のとおり。
筐体構造をふくめたコンストラクションも大きな音に影響している。

AmpzillaとKSA100のコンストラクションを写真を使わずに、
これもまた言葉だけで表現するとすれば、回路ほどではないにしても似てしまう。

Ampzillaの場合フロントパネルの右側に電源トランス、左側にヒートシンクがあり、
このあいだに平滑用の大容量の電解コンデンサーが配置されている。
KSA100はこの配置と基本的には同じである。
フロントパネルのすぐ裏側に電源トランス、それから電解コンデンサー、ヒートシンクと一列に並んでいる。
AmpzillaもKSA100もファンを使った強制空冷をとっている。

AmpzillaとKSA100の違いは、KSA100は完全なデュアルモノーラルコンストラクション、
そして空冷ファンとヒートシンクの位置関係。
Ampzillaは空冷ファンを下側に、その上にヒートシンクを置く。
KSA100はヒートシンクの上に空冷ファンを置いている。

こんなふうに見ていくと、KSA100はたしかにAmpzillaに似ているといえば似ている。
でも、マネをした、は言い過ぎというよりも、KSA100を正しく理解していない、というべきだ。

KAS100は回路構成の特徴よりも、内部コンストラクションの特徴の方をどちらかといえば謳っていた。
KAS100のシャーシーは奥行きが長い。
Aクラスで100W+100Wの出力をもつアンプだけにサイズがある程度大きくなることは想像できるものの、
それにしてもKAS100のシャーシーは奥に長いすぎる、という感じ。
自然空冷であればAクラス100Wの発熱を処理するためには、
それなりの大きさのヒートシンクが要求されそれにともないアンプ自体も大型化していくわけだが、
KAS100は強制空冷をとっている。巨大なヒートシンクはもっていない。
にもかかわらず奥に長いシャーシー内部には、
電源トランス、平滑用の電解コンデンサー、ヒートシンクを中心とするアンプ・ブロック、
これらが余裕をもたせて配置してあることが、天板をとり中を覗いたときにすぐに気がつく点だ。

それぞれのブロックの電磁的、熱的などの相互干渉をおさえるためにこれだけの距離が必要であり、
これ以上の小型化はできない、という説明がなされていた。

Date: 8月 7th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その63)

クレルのKSA100を聴いたとき、SUMOのThe Goldは一度しか聴いていなかった。
それは瀬川先生が、熊本のオーディオ店で定期的に行われていた催しでの、
それも結果的に最後の回になってしまったときのテーマ、
「トーレンスのリファレンスを聴く」のときに使われていたのがThe Goldだった。

このときは音は、とくに最後にかけられたコリン・デイヴィス指揮のストラヴィンスキーの「凄さ」は、
その「凄さ」に打ちのめされたという強烈な記憶だけがいまも残っている。

あとからおもえば、あのときの音は、リファレンスの凄さも大きかったわけだが、
おそらく同じくらいにThe Goldの凄さがあってこその「凄さ」であったことに気がつくわけだが、
あのときは、リファレンスにだけ心を奪われていた。

プレーヤーやアンプがどんなに素晴らしくても、
その素晴らしさをスピーカーが鳴らしきれなくては、あまり意味がない。
このときのスピーカーシステムはJBLの4343だった。
つまり、4343もそれだけ凄いスピーカーだった証明にもなる。

そして、それだけではなく、あとになってからおもったのは、
瀬川先生という人の「凄さ」であり、
それに応えたリファレンス、The Gold、4343(コントロールアンプは確かLNP2だったはず)といえるわけだ。

とにかくThe Goldを聴いた体験は、KSA100以前、このときかぎりだった。
だから先にKSA100に惚れてしまったのかもしれない。

惚れてしまったアンプのこと(別にアンプに限らないのだけど)は、
どうしてもすべてを知りたくなる。
どういう回路なのか、どういう特性なのか、どういうパーツを使っているのか、
コンストラクションはどうなのか、とにかく調べられることは調べて、
他の誰より、対象となるオーディオ機器に関しては詳しい者でいたい。

すこし時間はかかったものの、KSA100の回路図も手に入った。
それから、やはりしばらくしてAmpzillaの回路図も手に入れた。
クレルのアンプが、ほんとうにAmpzillaのマネなのか、自分の目で確かめたかったから、である。

Date: 8月 6th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その62)

朦朧体ということで、浮んでくるアンプに、クレルのKSA100がある。
クレルのデビュー作のステレオ仕様のAクラスの100W+100Wの出力をもつパワーアンプ、
これとコントロールアンプのPAM2を組み合わせたときの音は、いまも想い出せる。

はじめてクレルの、このペアを聴いた時に、ハッとした。
おそらくこのペアが奏でる音を、あの当時聴いたことがある人ならば、
私と同じようにハッとされたことだとおもう。

トランジスターアンプから、こういう質感の音がやっと出てくるようになった、とも感じていた。
マークレビンソンとはあきらかに違う質感、肌ざわりのよい音がそこにはあった。
聴き惚れる音とは、こういうものかと思わせる音だった。

ただ、この素晴らしい質感の音は、
以前も書いているようにフロントパネルの処理が変化していくにつれて、変っていった。
その変り方は小改良の積重ねによるもの、と捉えれば、それなりに評価できるものではあるけれど、
あまりにも最初のころのPAM2とKSA100の音が見事すぎたために、
そして魅力にあふれた音だったために、それらはすべて薄まっていくように感じてしまった。

それ以降、クレルのアンプは、確かにクレルのアンプであり続けたけれど、
ごく初期のクレルのアンプだけが聴かせてくれた良さは、もう二度と戻ってこなかった。

もっともクレルの創始者であり、
現在はクレルを離れ、自らの名前を冠したブランドを新たに興したダゴスティーノの新作は、
そういうごく初期のクレルの魅力が甦っている、らしい。

私は、あのとき、クレルのKSA100に惚れていた。
そんなとき、ある人から聞かされた話がある。
アメリカでは、クレルのパワーアンプはGASのAmpzillaをマネしたアンプだ、といわれていますよ──、
あまり聞きたくないことを、その人は言っていた。
「回路もそっくりなんですよ」と続けて言っていたこと憶えている。

そのときは、それほど気にしなかった。
仮にAmpzillaと同じ回路だとしても、回路定数や使用部品には違いがあるし、
コンストラクションだって、違うはずなのだから、
似ているところはいくつかある……、その程度のものだろう、とろくに調べもせずに勝手にそういうことにしていた。

Date: 8月 5th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その61)

とにかくフォノイコライザーの基板を取去ったThaedraを接いだThe Goldの音は、
最初にすべての基板を搭載したままで聴いた音を、意外性ということでもさらに上をいっていた。

Thaedraで聴く前のThe Goldの音も素晴らしかった。
変幻自在とでもいいたくなるほど、The Goldによって鳴らされるスピーカーの音は、表現力が拡がっていく。

その自在さがThaedraによってさらに拡がり、
フォノイコライザーなしのThaedraにて、まだ先があるのか、とも思ってしまった。

見方をかえれば、ここまでThe Goldは、
その入力につながるモノの性格をそうとうにストレートに反応し出してくるともいえるし、
それだけの駆動力をもっているからこそスピーカーをあれだけ鳴らせるのだ、ともいえる。

The Goldの、こういう凄さは、それまでも、充分にわかっているつもりでいた。
なのにThaedraの初期モデルという、この時点で旧型ともいえそうなアンプによって、
The Goldが真価を発揮したことも、私には意外な変化であったわけだ。

このときは、Thaedraにした時の音の変化の大きさ、凄さに驚いてしまっていた。
だから気がついていなかったことがある。
だから、いま振り返ってみて気がつくことがある。

The Goldの音をひと言で表現すると、朦朧体だと思う。
音の輪郭線に頼らずに、音を立体的に、自然に、それでいて克明に表現してくれる。
だから輪郭線が細い、とか、太い、といった表現はThe Goldにはあてはまらない。
もともと音の輪郭線に頼る輪郭の表現ではないからだ。

私が聴いたThaedraも、基本的にはThe Goldと同じ表現方法によるアンプである。
けれど、そういう表現のもつ深さに、このときの私はまだ気がついていなかった。

音における朦朧体をきっきりと意識するようになったのは、
もう少し先のことである。
ジャーマン・フィジックスのスピーカーを聴くまで、かかった。

Date: 5月 21st, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノはLCネットワーク支持なのか

アンプの鬼才とたとえられるジェームズ・ボンジョルノ。
いま現在Ampzilla 2000で復帰し、ボンジョルノのつくるアンプに魅かれてきた者にとっては、
これからも、いまぐらいの規模でいいから、ずっと続いていってほしいと願いたくなる。

ボンジョルノはGASの設立者として、日本では広く知られるようになったわけだが、
GAS以前にもアンプ設計の仕事には携わっており、彼の経歴はAmpzilla 2000のウェブサイトで見ることができる。

ハドレー(このブランドを知らない世代のほうがいまや多いのかもしれない)のパワーアンプ、622C、
マランツのMode1 15といった旧いソリッドステートアンプから始まっており、
アンプだけでなくチューナーやカートリッジの設計・開発も行っていたことが、わかる。

GAS、その次に始めたSUMOは彼の会社である。
ここではアンプ、チューナー、カートリッジを作っている。
いまの会社ではチーフエンジニアとしてAmpzilla 2000、Son of Ampzilla、Ambrosiaを生み出している。

ふと気づくのは、マルチアンプシステムに欠かすことのできない
エレクトリックデヴァイディングネットワーク(チャンネルデヴァイダー)がないことだ。

チューナーも手掛けることのできたボンジョルノにとっては、
エレクトリックディヴァイディングネットワークにおいても、非凡なるモノをつくってくれたように思う。
なのにボンジョルノは手掛けていない。

正しくは日本のクラウンラジオから3ウェイのエレクトリックデヴァイディングネットワークを出している。
ただ、このクラウンラジオの製品がどういったものかは私は知らないし、
SUMO時代にThe Goldの採用し特許を取得している回路は、クラウン・ラジオへ売却している。
(日本にはクラウン・ラジオがあったため、アメリカのアンプメーカー、CROWNがそのブランド名を使えず、
アムクロンとして流通しているわけだ。)

このころのボンジョルノはSumoがうまくいかず大変だったと聞いているから、
クラウン・ラジオへの特許の売却はそういう事情だったのかもしれない。
このクラウン・ラジオから出た製品は、ボンジョルノがつくりたいモノとして製品化したのか、
それともクラウン・ラジオからの依頼として設計したモノなのかは、まったくわからない。

ただGAS時代、SUMO時代にもエレクトリックディヴァイディングネットワークは手掛けていないことからすると、
ボンジョルノ自身は、エレクトリックデヴァイディングネットワークを必要としていない男なのだろう。
つまりマルチアンプ駆動には関心がない、マルチアンプの必要性を感じていない、ということだろう。

ボンジョルノは、いったいスピーカーシステムは、何を鳴らしているんだろうか。

Date: 4月 27th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その60)

なぜなのかは、ステレオサウンドでも井上先生が述べられているはず。
まずフォノイコライザーアンプがなければ、電源部にそれだけ余裕ができる。
それからフォノイコライザーアンプはゲインが高いこともあって発生しているノイズも少なくない。
このノイズが電源部を介したり、飛びつきなどによってラインアンプに影響を及ぼしている。
これらに較べると影響の度合いは小さいものの、おそらく機械的な共振の面でも、
ある面積をもつプリント基板がアンプ筐体内からなくなることの音質面でのメリットもある、と考えられる。

さらに細かいことを書けば、アンプ・モジュールの数が少なくなるということは、
その分だけメインのプリント基板への荷重も減るわけで、
そのことによるメインのプリント基板へのテンションも軽減されるし、
重量分布が変化すれば、メインのプリント基板の振動モードもとうぜん変化する。

こんなふうに、なぜ音が変化するのか、その理由について考えていくといくつも出てくるわけだが、
そういった理屈を全部抜きにしても、音は確実に良くなる。

国産アンプの中には、
フォノイコライザーを使わないときにフォノイコライザーへの電源の供給を停止する機能をもつものもいくつかある。

そして、この音の違いを一度でも聴いてしまうと、
CDを聴くときにはめんどうでもフォノイコライザーを外してしまいたくなる。
そのたびにアンプの天板をネジを外して天板をとり、フォノイコライザーの基板を取り出す……、
こんなことはやりたくないし、無理に勧めもしないけれど、
ThaedraやLNP2、JC2、その他にはQUADの44もそうだし、チェロのAudio Suiteなどをお持ちならば、
一度は、その音の変化を自分の耳で確かめてみてほしい、と、やはり思ってしまう。

一度試してみれば、これらのアンプの姿(性能、音、性格など)をより知ることになるからだ。

Date: 4月 27th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その59)

Thaedraのリアパネルは、真横から見るとL字型になっていて、底辺の水平部分に入出力端子は取り付けられている。
一般的なアンプのリアパネルは垂直面に端子が取り付けられているからケーブルは水平に差し込むのに対し、
Thaedraは垂直にケーブルを差すようになっている。

どちらが使いやすいかは、コントロールアンプをどう設置するか、
その設置環境によっても変ってくるため一概にはいえないものの、Thaedraのようなスタイルは使いやすい。

ボンジョルノが、このスタイルをとったのは使いやすさということもあってだろうが、
それよりも内部コンストラクションとの兼ね合いで、こうせざるをえなかったほうが強い。

Thaedraの内部は底部に信号ラインや電源ラインとなるメインのプリント基板がある。
この基板に対して、MCカートリッジ用フォノイコライザー、MMカートリッジ用フォノイコライザー、
ラインアンプ、これら3枚のプリント基板が垂直に挿し込まれている。
メインのプリント基板とはコネクターで接続され、3枚のアンプ基板はリアパネルに固定される。
さらにラインアンプはスピーカーを直接鳴らせるだけの出力をもつだけに、
発熱もコントロールアンプとは思えぬほど多い。リアパネルはラインアンプ出力段のヒートシンクも兼ねている。
ゆえにリアパネルに入出力端子を取り付けるのは、やや無理がある。

こういう内部構造になっているため、フォノイコライザーは使わない、とか、
使うけれどもMCカートリッジの昇圧には外付けのトランスやヘッドアンプを使うから、
MCカートリッジ用のフォノイコライザーは不必要だ、とか、その反対にMMカートリッジ用が要らない、とか、
そういうときにフォノイコライザーアンプのプリント基板をメインのプリント基板から抜く。

このときの音の変化は、
個々のアンプをモジュール化してメインのプリント基板に挿すタイプ(マークレビンソンのLNP2やJC2など)は、
電源部に余裕があっても音は確実に変化する。
変化する、というよりも確実に音は良くなる、といえる。

Date: 4月 25th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(ヘッドフォンアンプとしてのThaedra)

サイズ考(その8)で、ロジャースのLS3/5AをThaedraで直接鳴らしたときのことを書いている。
LS3/5Aの最上の音としてどうしても忘れることのできない音。

このときLS3/5Aから鳴ってきた音をいま思い返してみると、
Thaedraが、巷でいわれているような、いかにもアメリカ的な音に偏ったアンプではないことがわかる。
LS3/5Aをあれほど瑞々しく鳴らしてくれたアンプなのだから、繊細さが不足しているはずがない。
ただ、繊細さをことさら強調していない音なのに気がつく。

もうひとつ気がつくのは、ヘッドフォンアンプとしても、きっとThaedraは優れていた、であろうことだ。
ヘッドフォンアンプとしてのThaedraの実力は一度も試していない。
でも回路的にはラインアンプの出力を利用している。
ヘッドフォンアンプと専用の回路を用意しているわけではない。

ということはあれだけLS3/5Aをみずみずしい、聴き惚れる音で鳴らしてくれたのだから、
ヘッドフォンに関しても同じ結果を期待してしまう。

聴いておけばよかった……、とこればかりは後悔している。

Date: 4月 25th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その58)

マークレビンソンのLNP2のパネルデザインにオリジナリティがあるかといえば、
LNP2贔屓の私であっても、そうとはいえない。
アメリカではLNP2登場の数年前に、SAEがほぼ同じレイアウトのコントロールアンプMark Iを出していた。
日本ではオンライフ(現ダイナベクター)の管球式コントロールアンプも、ほぼ同じレイアウト。
いわゆるメーカー製のアンプではないが、伊藤先生のつくられるコントロールアンプも基本レイアウトは同じである。

コントロールアンプでVUメーターをフロントパネルの中央上段に配置して左右対称にツマミを配置、
それも同じ形状、同じ大きさのツマミということになると、
どうしても似てしまうというよりも同じになってしまう。

と書いているけれど、これらのコントロールアンプの中で、
私が最初に目にしたのはLNP2だからインパクトは強かった。

GASのThaedraは、似たデザインのコントロールアンプはすくなくとも私が知る限りでは存在していない。
白のフロントパネルに黒のツマミのパンダThaedraを最初に目にした人は、奇抜とか、
ブラックパネル仕様のThaedraにしても大胆なパネルレイアウトだと思われているだろうが、
実際に自分で使ってみると、奇抜だとか大胆だとか、そういった見た目の印象よりも、
よく練られたパネルデザインだと、すぐに理解できるはずだ。

LNP2のツマミは13個。すべて同じツマミが使われている。
Thaedraは回転式のツマミが9個、スライド式のツマミが1個、あとはプッシュ式のボタンからなり、
ボリュウム用のツマミがいちばん大きくフロントパネルの中央下段にあり、
パッと見ただけで、フロントパネルの文字を見たくとも、それが音量調整用のツマミであることは誰にでもわかる。

ボリュウムの上に水平にスライドする角形のツマミがあり、これがバランスコントロールになっている。
ボリュウムの左右にある、ボリュウムツマミよりも少し径の小さなツマミが左右独立型のトーンコントロール、
入出力、テープ関係の操作系はフロントパネル左側にツマミとプッシュボタンでまとめられている。
フロントパネル右端にはプッシュボタン(ON-OFF独立)の電源スイッチとなっている。
バランスコントロールの両端にはヘッドフォン出力端子とフォーンジャックによるテープ入出力端子がある。

Date: 2月 15th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その57)

アンプの設計者には、どちらかといえばプリアンプに妙味を発揮するタイプの人と、パワーアンプの方が得意な人とに分けられるのではないかと思う。たとえばソウル・マランツは強いていえばプリアンプ志向のタイプだし、マッキントッシュはパワーアンプ型の人間といえるだろう。こんにちでいえば、GASの〝アンプジラ〟で名を上げたボンジョルノはパワーアンプ型だし、マーク・レビンソンはどちらかといえばプリアンプ作りのうまい青年だ。
     *
ステレオサウンド 52号の特集の巻頭言「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」のなかに、
瀬川先生はこう書かれていた。
このとき、私はまだGASのアンプ(ボンジョルノのアンプ)を聴く機会はなかった。
だから、この瀬川先生の言葉をそのまま信じていたし、
実際にGASのラインナップをみても、パワーアンプの方を得意とするメーカーのようにも自分でも感じていた。

GASを離れてSUMOをつくったボンジョルノは、The PowerとThe Goldを発表した。
しばらくしてThe Powerの弟分にあたるThe HalfとThe Goldの弟分のThe Nineも出した。
このことも、ボンジョルノはパワーアンプ型のアンプ・エンジニアだ、
と思い込むことに私のなかではつながっていた。

だからパンダThaedraが欲しかったのは、ボンジョルノにはたいへん失礼なことではあるけど、
フロントパネルのユニークさに惹かれて、が大きな理由だった。

マークレビンソンのLNP2やJC2とくらべると、
Thaedraは高さのあるシャーシーに、独特のレイアウトのコントロールアンプであり、
どちらが精緻な印象をあたえるフロントパネルかといえば、
LNP2と答える人はいても、Thaedraの方だ、と答える人はおそらくいない、と思う。

いかにも繊細な音を出してくれそうな、そして実際に出していたLNP2と、
ユニークで、しかもアメリカ的な(マッキントッシュの与えるアメリカ的なものとはまた違う)、
といいたくなるThaedraとでは、
私のなかでは正統派のコントロールアンプの最上級のところにLNP2がいて、
Thaedraはすこし外れたところにいるアンプ。
コントロールアンプとしてコントロールする、その操作に伴う精緻な感覚にただ憧れていた私には、
LNP2のマーク・レビンソンはコントロールアンプ型、
ユニークではあっても……のジェームズ・ボンジョルノは、どちらかといえばパワーアンプ型、
そんなふうに思っていたから、The Goldと接いだときの音は、意外だったのだ。

Date: 1月 20th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その56)

オーディオの面白さのひとつに、組合せの楽しさがある。
鳴らしたいスピーカーシステムに合うアンプ、以前ならばカートリッジ、いまはCDプレーヤーを探していく。
個々のオーディオ機器の基本性能が向上しているいまでは、
組合せで失敗といえるようなことは起りにくくなっている反面、以前のように黄金の組合せと呼ばれるような、
なにかすべてが有機的に結合したような見事な組合せ例はほとんどなくなりつつあるような気もする。
それでも別項で書いているように、組合せを思案するのは楽しい。
これは昔から変らぬオーディオの面白さ、楽しさだと思う。

この組合せも、アンプという狭い範囲で考えると、セパレートアンプの場合、
コントロールアンプとパワーアンプを同一メーカーで揃えるのか、
あえて他社製のコントロールアンプとパワーアンプを組み合わせるのか、
このふたつがある。

以前はよくコントロールアンプが得意なメーカー、パワーアンプが得意なメーカー、といったことがいわれていた。
これは裏を返せば、パワーアンプが不得手なメーカー、コントロールアンプが不得手なメーカーともいえる。
それに以前はどちらかだけをだしていたメーカーも少なくなかった。

けれど現在は、多くのメーカーがコントロールアンプもパワーアンプも出しているし、
以前のようにどちらが得意ということも薄れてきたようにも感じる。
そのためか、最近では他社製のアンプの組合せよりも同じメーカーの組合せを選ぶ人が多い、ともきいている。
たしかにそうなってきているのかもしれない。
メーカー推奨のコントロールアンプとパワーアンプの組合せであれば、失敗ということはまずない。
むしろ好結果が得られることが多いのだろうと、私も思う。

でも、私はやはりコントロールアンプとパワーアンプに関しても、
組合せの面白さ、楽しさを充分に感じとりたいし、味わいたいと以前から思ってきたし、いまもそうだ。

純正組合せはたしかにいい。でもそこに意外性はない。
意外性ばかり求めているわけではないけれど、意外性のまったく感じとれないもの(音)には魅力を感じにくい。

そんな私が、ブランドは異っているものの、いわば純正的組合せといえる、
GASのThaedraとSUMOのThe Goldの音に驚いた。
これは、ここまで書いてきたことと矛盾することのように思われるかもしれないが、
純正ゆえの意外性、と、あのときはそう感じていた。

Date: 12月 28th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その55)

SUMOのアンプがステレオサウンドにはじめて取り上げられたのは52号。
The Goldではなく、The Powerが井上先生と山中先生による新製品紹介のページに出ている。

そこで井上先生が語られている。
     *
たとえばマーク・レビンソンのコントロールアンプと組み合わせた場合は、それほど魅力は発揮されなかったと想うのですが、テァドラで鳴らしたら、途端に音の鮮度や躍動感が出てきたのです。このことからいっても、組み合わせるコントロールアンプをかなり選ぶと思います。
     *
山中先生はつづいて、次のように語られている。
     *
このパワーアンプ本来の魅力を発揮させるためには、かなりのエネルギーをもったコントロールアンプが必要でしょうね。ザ・パワーにマッチしたコントロールアンプの発表が待たれます。
     *
ほんとうにそのとおりなのである。
Thaedraにした途端、The Goldはさらに活き活きと、それこそ水を得た魚のように、
これこそThe Goldの本領である、といいたげな、なんとも魅力あふれる、表情豊かな音楽を聴かせてくれる。

私が手に入れたThaedraは、初期のモノだから古い。
にもかかわらず、そんなことは微塵も感じさせない音を、The Goldから引き出してくれた。
唸るしかなかった。

そしてボンジョルノの凄さを、思い知らされた。

Date: 12月 28th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その54)

私ととしては、ジェームズ・ボンジョルノの最高傑作は、SUMOのThe Goldだ、といまでも思っている。
それは音だけではなく、特許取得の、バイアス回路を省略した出力段、
電源トランスを中央に配して、重量バランスへの配慮も十分で立体的なコンストラクション。
The Goldを使う前に、各部をクリーニングするために一度バラしてたとき、つくづくそう感じた。
これで、もう少し丁寧な造りであったならば、と想いはしたものの、
ボンジョルノのひらめきがこれほどつまっているアンプはない、と断言できる。

The Goldはバランスアンプなのでフォーンジャックによるバランス入力がメインであり、
コンシューマー用パワーアンプとしての互換性からアンバランス入力も設けている。
アンバランス信号だとバランス信号と比較すると、反転用のOPアンプをよけいに通るようになっている。

バランス出力をもつコントロールアンプのほうが、その意味では音質的には有利になる。
だから、というわけでもないが、
当時は930st(トーレンス 101 Limited)を使っていたからバランス出力は簡単に取り出せる。
それでバランスのアッテネーターを用意してバランス接続していた。
CDプレーヤーは、
まだスチューダーのA727が登場する以前のときはトライアッドのトランスを介してバランスに変換していた。

その一方で、マークレビンソンのJC2を筆頭にいくつかのコントロールアンプも接続していた。
当然アンバランス出力しか装備していない、これらのコントロールアンプだと、
使い勝手はアッテネーターより当然いいものの、音質的には満足できるところもある反面、やはりそうでない面もあった。
そんなとき、GASのThaedraの初期モデル、それもひじょうに程度のいいモノを手に入れることができた。
Thaedraが欲しかったのは、実はフロントパネルの白で、ツマミが黒の、
いわはパンダThaedra(勝手にそう名づけている)のユニークさに惹かれるものがあって、
ボンジョルノのファンとしては、パンダThaedraを手もとに置いておきたかった、それだけの理由だった。

パンダThaedraは無理だったが、代わりというわけではないが、同じ初期のThaedraが入手できたわけだ。
そういう理由だったので、正直期待はさほどしていなかった。
それに前述しているとおり、アンバランス接続だとOPアンプを余計に信号が通ることになる。
Thaedraのラインアンプは、スピーカーを直接鳴らせるほどの出力段をもっている。
けれどThe Goldのアンバランス入力のインピーダンスは1MΩと、ひじょうに高い値に設定されている。
となると、コントロールアンプに、Thaedraのようなものは必要としなくなる……。

なのに、Thaedraを接いで出てきた最初の音に、もう驚くしかなかった。

Date: 12月 20th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その53)

まだオーディオブームが続いていた1970年代後半とはいえ、
東京ほどにはあれこれいろんなオーディオ機器を聴ける(聴けた)というわけではない。
意外なモノが聴けた反面、意外なことではあるがGASのアンプを聴く機会は、田舎に住んでいたときはなかった。
だから、GASのアンプの音については瀬川先生の書かれたものが、私のなかでの評価そのものになっていた。

当時、瀬川先生はGASのアンプを、男性的な音と評価されていた。
もちろんいい意味での表現であるのだが、
それに続けて「私自身はもう少し女性的なやさしさや艶っぽさがなくては嬉しくなれない」とつけ加えられていた。
GASのアンプは線の細さを強調することはないことが、まず伝わってくる。
そして力に満ちた表現力をもっていることも。

まだ10代だった私は、アンプの音をまず音色でとらえていた。
もちろんその前提としてクォリティの高さはあるのだが、
あるクォリティをこえたアンプに対して、それについて書かれたものを読んで頭の中にイメージしていたのは、
くり返すが、そのアンプの音色についてだった、といえる。

音色的要素に気をとらえがちであったわけだ。
だからHIGH-TECNIC SERIES 3の井上卓也・黒田恭一・瀬川冬樹、三氏によるトゥイーターの鼎談を読んだとき、
つまり2405とT1について語られているのを読んだとき、
マークレビンソンとGASという対比は浮んでいなかった(GASのアンプを聴いていなかったことも関係しているが)。

けれど、いまは違う。
2405とT1について、井上先生は2405はトランジスターアンプの音、T1は管球アンプの音に喩えられていることは、
この項の(その48)に書いている。
井上先生がT1を管球アンプにたとえられたのは、音像が立体的に定位するからである。

じつは、出来た管球アンプがもつ、この良さはトランジスターアンプに移行したときに失われてしまった、
と私は思っている。
マークレビンソンのLNP2は新しいソリッドステートアンプ(トランジスターアンプ)の代表的な存在である。
それまでの管球アンプでは出し得なかった領域をLNP2がはじめて提示してくれた、といっても言い過ぎではない、と思う。
トランジスターアンプの可能性を、新しい音とともに表現したLNP2ではあるが、
その可能性は、トランジスターの可能性の、いわば半分だけだったようにも、いまは思う。
トランジスターの、もう半分の可能性を、やはり新しい音とともに表現した最初のアンプは、
実のところ、GASのThaedraとAmpzillaのはずだ。

Date: 12月 20th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その52)

思ってもどうにもならないことだけど、10年早く生れていたら、と思うことがないわけではない。
10年早く生れていていたら、1976年の10年前、1966年ごろからオーディオに興味をもっていたら、
トランジスターアンプの進歩を実際に音で体験していけたであろうし、
4チャンネル再生も同時代で体験できたはずだ。

1976年にはマークレビンソンもすでに登場していたし、SAEもAGIもGASなど、
真空管アンプ時代からソリッドステートアンプへ移行してきたマッキントッシュやマランツとは違う、
最初からソリッドステートアンプで名を挙げてきたメーカーが、すでに存在していた。

瀬川先生がJBLのSA600をはじめて聴かれたときの昂奮、
そしてマークレビンソンのLNP2をはじめて聴かれたときの驚きと、早く聴かなかったことの後悔、
こういったものは蓄音器の時代から、モノーラルからステレオの時代、
真空管アンプからソリッドステートアンプの時代、
そのソリッドステートアンプにしても初期のアンプと1970年代後半以降のアンプとの違い……、
そういったことを自分の耳で同時代に体験してきたからこそのものであり、
私が初めてLNP2を聴いたときの昂奮とは、まったく違うものであり、
こればかりは早く生れて早くから体験してきた人には(たとえ才能やセンスが同等であっても)かなわない。

マークレビンソン、SAE、AGI、スレッショルド、GASなどは、
いわば新しいソリッドステートアンプ(トランジスターアンプ)といえるし、
ステレオサウンドにも、この時代、そういうふうに紹介されていた。

とはいえ、この新しいトランジスターアンプの中でも、
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 3でのトゥイーターの試聴におけるJBLの2405とピラミッドのT1に、
それぞれあてはまるのが、2405にはマークレビンソン、ピラミッドT1にはGASである。